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058 案件No.004の裏側(その1)
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普段とは違い、緘黙症を気にせず話せる状況での仕事だ。にも関わらず……姫香はすでに、辟易としていた。
「疲れる……」
正直、口が利けない振りをしたまま護衛に就けば良かったと、姫香はずっと後悔していた。
別に、ドイツ語は自身の専売特許ではない。それどころか、他国の公用語だ。数は少なくとも、話せない自国民が他にいないわけがなかった。
だから彩未辺りに、ドイツ語の通訳を引き受けられる人材を用意して貰い、自分は護衛に専念すれば良かった。経費や戦闘時の護衛対象を減らす為にと、全部自分で引き受けてしまったことを姫香は、いまさらながらに後悔している。
『もうかれこれ数時間も、こんな感じだもんね……』
ハンズフリー用のイヤホンマイクから聞こえてくる彩未の声ですら、煩わしく感じてしまう。それでも姫香は視界を広く保ちつつ、護衛対象から目を逸らさないように気を付けていた。
護衛対象の名前はカリーナ・フランツィスカ・クライブリンク。
ドイツ人の田舎娘で、睦月の昔馴染みにとっての重要人物。一応は『銃器職人』らしいが、姫香にはまだ、その腕前を知る機会は訪れていない。
(この場で開けたらまずいし……)
姫香の肩には、ジュラルミンのケースを留めているベルトがきつく圧し掛かっている。背中を覆っているこの荷物を預かってからが、ある意味では苦労の始まりだった。
『そのケース、すぐに渡して』
『何で?』
『銃がないと不安なのよ』
『……ここは反銃社会だから無理』
ケースを目印に合流できたのは良いものの、そこは銃社会と反銃社会。顔を合わせて早々に、銃を身に着けようとするカリーナをどうにか説得した姫香だったが、勝手に中身を取り出しかねないからと、余計な荷物を担ぐ羽目に。
続いた会話も酷く、最初からドイツ語で話してなければ、即警察に目を付けられていた恐れもあった。
その後も文化の違いか個人の性格か、全てドイツ語で意思疎通を図りつつ、二人は首都観光へと繰り出していった。けれども、事前に用意していた由希奈作の観光情報の大半はすでに、無意味な代物へと化してしまっている。
連れである英治達が居る方へと向かおうとするのを押し止め、気を引こうと提案した観光名所は案内する前に棄却され、唯一入ったドイツ料理の店に至っては苦情の嵐(姫香含む)だった。
それでもどうにか気を取り直して案内したのが……首都近郊にある日本有数の電気街だった。
今でこそPC関連の機器やアニメグッズも溢れてきてはいるものの、未だに電子部品や工業系の資材も多く並んでいる。睦月ですら、近くを通った時は仕事で使う工具や改造用の部品を買いに立ち寄る程だ。
だから、睦月と一緒に行動することの多い姫香も、この近辺の地理には無意識に明るくなってしまっている。一応、地形把握の技能も昔に叩き込まれていたので、一度通った道は全て覚えられるが……そんなものがなくとも、どこに何があるか程度は、すぐに答えられた。
「あれ……絶対に何か作ろうとしているわよね」
それが何かまでは、下手に口から出すわけにはいかない。特に日本語であれば、その時点で周囲から、奇異の目で見られてしまう。
『うん、完全に銃弾作ろうとしてるよね……』
(…………っ)
彩未の言葉に、姫香は内心で舌打ちした。まだ半人前とは聞いていても、さすがは『銃器職人』と言ったところか。
カリーナは姫香が挙げた行き先の中から、自分が必要だと思い込んでいる代物を用意できる場所を選び、今は工具を一つ一つ見比べては、籠に入れる作業に勤しんでいた。それだけでもう数時間、同じ場所に居座る羽目になってしまっている。
「ここが電気街じゃなかったら、今頃ナンパ目的の男だらけになってるわよ……」
実際、姫香もカリーナも、見た目(だけ)はかなりのものなのだ。二次元にしか目を向けていないはずのオタク共ですら、性欲をぶつけたくなるのも、仕方がないと言える。
未だに男が寄ってこないのだって、まず姫香が周囲を睨み付け、次に彩未が『やばそうな相手』を通報する等して事前に遠ざけておき、最後にカリーナが掛けられる声に対して
『……何よ?』
とドイツ語で煩わし気に返しているからこそ成り立っているのだ。それを超えてまでも口説こうとする猛者は、今のところ現れていない。
もし何もなければ、いっそこのままの方が安全ではあるのだが……万が一を考えると、あまり長居するわけにもいかなかった。
「殺し屋の方は?」
『今のところは誰も……って言いたいけれど、依頼そのものは来ていたみたい』
言葉を濁して伝えてくる姫香の意図を読み取りつつ、彩未はイヤホンマイク越しに状況を説明した。
『『運び屋』達が絡んでいるからって、大半の人は断ってたよ。有名人は違うね~』
「……悪名だけよ」
裏社会の住人として生きている以上、殺し屋の手合いと関わりを持つ機会は多い。それは敵であれ味方であれ……偶々同じ店を訪れた客同士であれ、だ。だから睦月達のことを知る者は、あえて依頼を請けないようにすることが多い。
それが、個人的な情を絡めた結果なのか……『敵に回したくないから』と尻尾を巻いて逃げ出したのかまでは分からない。だが少なくとも、『自分で自分を狩る気のない』連中は、残らず手を引いていると見ていいだろう。
例外として『喧嘩屋』のような、睦月の昔馴染み達が絡んでくるかとも考えていたのだが……今のところは自分どころか、睦月達の方にすら現れていないらしい。情報を得ていないのか、それとも都合が悪いのかは分からないが、今回ばかりは、誰かの知り合いが敵に回る事態は避けられそうだった。
「問題は私達を、『運び屋』を知らない連中の方よね……」
依頼人が同じ日本人であれば、まだ良かっただろう。けれども、目の前にいる要人も当面の目標である敵陣営も、全員が外国人だ。おまけに日本とは違い、銃社会の住人でもある。
知恵と工夫で手段を用意する日本人とは違い、圧倒的な火力で最初から敵を制圧する合理的な考え方を持つ者達が、この国に入り込んでいる可能性の方が高かった。
「そっちはどう?」
『依頼を請けた命知らずで自己評価が目茶苦茶な新入りが何人か。ま~そっちは囮かな? 本命は外国からの狙撃手が一人だけ』
「……本当にそれだけ?」
囮として現地のチンピラを雇い、誘き出されたところを狙撃する。
理屈としては間違っていないが、明らかに人数が少なすぎた。この場に睦月が居れば、
『他にも敵が居るかもしれない……』
と謎の心配症を発動させて、彩未だけでなく和音の方にまで、情報収集の依頼を出しかねなかった。そして大抵の場合は、『無駄な経費』として水泡に帰してしまうのだが。
『その狙撃手の腕が良い上に、銃器を密輸する為に結構な予算を割いているみたいだから……まず間違いないかな?』
「……そいつの力量、分かる?」
自意識過剰な新入り共はともかく、熟練の殺し屋であれば警戒しない方がおかしい。実力差が少しでも狭まれば、『勝利は確実』から『ほぼ確実』に。そしてさらに詰められてしまえば、『命懸け』となってしまうのが現実だ。
ついでに言うと……自分より腕の立つ相手を敵に回しても、未だに生き残っている男の隣に立っているのが自分だ。
だから姫香も、相手の実力や状況は全て把握し、油断なく仕事を全うしようと心掛けている。でなければ、すぐに命を落とすだけでなく……堂々と、睦月の隣に立つことができなくなってしまう。
『こなした仕事の数が多くないからか、通り名的なのはまだないみたい。だけど……1km先の標的を一発で仕留めたことがあるって』
「それはまた、面倒ね……」
狙撃自体は、実はそこまで脅威ではない。
同等の狙撃技術を持ち合わせてさえいれば、相手がどこから、どのタイミングで狙ってくるのかは自然と理解できる。よく、『相手の気持ちになって考えろ』とコミュニケーションを学ぶ上で言われることの多い言葉があるが……実用性が高いからこそ、よく聞かされるのだ。
『自分なら、どこから狙うか?』
それを考えれば、自然と相手の行動を予測することができる。用意さえあれば、狙撃手を狙撃することだって可能だ。
その為の問題はただ一つ……
「武器が足りないわね……どっかで狙撃銃、調達しとけば良かった」
『手持ちじゃ無理なの?』
「完全に範囲外。背負っているのがまだマシ、ってところ」
両袖に隠した小型回転式拳銃が二丁あっても、遠距離から狙撃されてしまえば何の役にも立たない。銃弾の有効射程距離外であることもそうだが……そもそも1km先の相手が見えずに、まともに狙えないのだ。他の武器も、基本的には暴漢対策がメインで、狙撃対策に持ち込んだ物はない。最悪、遮蔽物の多い地下鉄等で逃げれば何とかなると考えていた程だ。
その状態で、姫香が取れる選択肢は少ない。
「……ま、まだ予想の範疇ね」
だが、完全に打つ手がないわけではなかった。
「とりあえず……狙撃手が出たら即連絡。面倒臭そうなのは適当に散らしといて。後はこっちで対処するから」
『了解。姫香ちゃんも気を付けてね~』
彩未の軽口ごと、姫香は一度通話を切った。しかしイヤホンマイクは、未だにその耳から外されることはない。
「何か気晴らしになるもの、ないかな……」
意識はカリーナに向けてはいるものの、その手に握られたスマホを弄りながら、姫香はぼそっと呟いた。
『あなたが案内人?』
『兼護衛ね……よろしく』
(とか、言ってたのに……)
意識の大半は、ドイツの大きな街でもあまり見かけない品揃えに目を奪われてしまうものの、工具以外に(微かに)考えているのは……後ろでずっとスマホを弄っている、くせのあるミディアムヘアの少女のことだった。
見かけからして、さほど歳は離れていないと思う。日本語以外の言語を巧みに操る時点で、彼女の能力の高さはすぐに窺い知れた。けれども……自らを『護衛』と称していたくせに、護衛対象に意識を向けているようには見えない態度が、どうしても気になってしまう。
(腕はたしか、みたいだけど……)
先程訪れたドイツ料理店でも、揉めた際に店員の一人と乱闘になりかけたのだが……そうなる前に、久芳姫香と名乗った少女が相手を押さえ付けたのだ。しかも、女の細腕で。
(……やっぱり、武器が要るわね)
だが、敵は反銃社会の人間ではない。こちらも同じ物を用意しなければ、自分の身を守ることすらできないだろう。幸い、銃は姫香が担いでいるケースに入っているのだ。後は銃弾さえ用意すれば、何とかなる。
何とか、してみせる。
(問題は……その銃弾が手に入らないことよね)
反銃社会である日本ではさすがに、一般人が入るような店には売られていなかった。金属製の模擬弾であればミリタリーショップにも置かれていたが、銃撃の用途には使えない。そこから型を取って強引に部品を生成し、火薬を詰めるしか手はないだろう。
(と、言っても……集中し過ぎた~)
ただ一心に工具を選んでいた為か、(呼びつけた姫香に頼んで)会計を終えた頃には、身体がガチガチに固まってしまっている。一度荷物を置いて身体を解していると、代わりに清算してきた姫香がカリーナの前に立ち、腰に手を当てて溜息を零してきた。
「銃弾作る根性は認めるけど……そこまで拘る必要ある?」
「むしろ……反銃社会の人間の方が信じられないわよ」
こればかりは、文化の違いとしか言いようがない。
「『相手が銃を持っている』って前提があるからこそ、報復を避ける為に悪事を働かなくなる。抑止力がなければ……人は簡単に、悪意に晒されてしまうのよ」
それもまた、一つの事実だった。
核抑止力、とまではいかないが……相手が『敵に回せば手酷いしっぺ返しが返ってくる』と理解さえしていれば、こちらに危害を加えようとはしてこない。
銃社会に生き、『銃器職人』の娘として育ったカリーナだからこそ、そう答えて当然かもしれない。
だが……
「くっ、だらない……」
姫香はカリーナの発言に対して、気だるげに返してきた。
ドイツ語で話していなければ、会話の内容が物騒過ぎて、警察を呼ばれていたかもしれない。そんなことにも気付かないカリーナだったが、それ以上に……
……姫香の瞳に警戒の色が浮かんでいることにすら、気付けていなかった。
(……ま、丁度良いか)
何かを言おうとするカリーナに構うことなく、姫香は後ろ腰に隠した特殊警棒の持ち手に意識を向けた。同時に、ブラインドでスマホの画面をスライド操作し、彩未に電話を掛ける。
「……で、言い訳は?」
『裏社会の住人な上に、目ぼしいナンパ男全員通報して押し付けちゃったから、警察に任せるのは無理だって!』
通話が再開されて早々に、彩未の泣き言が聞こえてくる。それに姫香は取り合わず、未だに不機嫌な目を向けてくるカリーナの手を掴むと、強引に引いて歩き始めた。
カリーナも空いた手で慌てて荷物を掴み、姫香に引かれるまま足を動かしていく。
「場所を変えてどうにかするから……人払いと狙撃手探し、さっさとやって」
『何か私ばっかり大変なような……』
「ドイツ語と喧嘩ができるなら、別に代わっても良かったんだけど?」
『……ごめんなさい。辛うじて英語しか話せません。他の言語なんて翻訳サイトでギリだって!』
彩未と日本語で話しながらも、姫香はカリーナと共に店を後にし、人気のない路地裏へと向かった。
その二人の少女を追い駆けるようにして、数人の男達もまた、路地裏へと入って行った。
「疲れる……」
正直、口が利けない振りをしたまま護衛に就けば良かったと、姫香はずっと後悔していた。
別に、ドイツ語は自身の専売特許ではない。それどころか、他国の公用語だ。数は少なくとも、話せない自国民が他にいないわけがなかった。
だから彩未辺りに、ドイツ語の通訳を引き受けられる人材を用意して貰い、自分は護衛に専念すれば良かった。経費や戦闘時の護衛対象を減らす為にと、全部自分で引き受けてしまったことを姫香は、いまさらながらに後悔している。
『もうかれこれ数時間も、こんな感じだもんね……』
ハンズフリー用のイヤホンマイクから聞こえてくる彩未の声ですら、煩わしく感じてしまう。それでも姫香は視界を広く保ちつつ、護衛対象から目を逸らさないように気を付けていた。
護衛対象の名前はカリーナ・フランツィスカ・クライブリンク。
ドイツ人の田舎娘で、睦月の昔馴染みにとっての重要人物。一応は『銃器職人』らしいが、姫香にはまだ、その腕前を知る機会は訪れていない。
(この場で開けたらまずいし……)
姫香の肩には、ジュラルミンのケースを留めているベルトがきつく圧し掛かっている。背中を覆っているこの荷物を預かってからが、ある意味では苦労の始まりだった。
『そのケース、すぐに渡して』
『何で?』
『銃がないと不安なのよ』
『……ここは反銃社会だから無理』
ケースを目印に合流できたのは良いものの、そこは銃社会と反銃社会。顔を合わせて早々に、銃を身に着けようとするカリーナをどうにか説得した姫香だったが、勝手に中身を取り出しかねないからと、余計な荷物を担ぐ羽目に。
続いた会話も酷く、最初からドイツ語で話してなければ、即警察に目を付けられていた恐れもあった。
その後も文化の違いか個人の性格か、全てドイツ語で意思疎通を図りつつ、二人は首都観光へと繰り出していった。けれども、事前に用意していた由希奈作の観光情報の大半はすでに、無意味な代物へと化してしまっている。
連れである英治達が居る方へと向かおうとするのを押し止め、気を引こうと提案した観光名所は案内する前に棄却され、唯一入ったドイツ料理の店に至っては苦情の嵐(姫香含む)だった。
それでもどうにか気を取り直して案内したのが……首都近郊にある日本有数の電気街だった。
今でこそPC関連の機器やアニメグッズも溢れてきてはいるものの、未だに電子部品や工業系の資材も多く並んでいる。睦月ですら、近くを通った時は仕事で使う工具や改造用の部品を買いに立ち寄る程だ。
だから、睦月と一緒に行動することの多い姫香も、この近辺の地理には無意識に明るくなってしまっている。一応、地形把握の技能も昔に叩き込まれていたので、一度通った道は全て覚えられるが……そんなものがなくとも、どこに何があるか程度は、すぐに答えられた。
「あれ……絶対に何か作ろうとしているわよね」
それが何かまでは、下手に口から出すわけにはいかない。特に日本語であれば、その時点で周囲から、奇異の目で見られてしまう。
『うん、完全に銃弾作ろうとしてるよね……』
(…………っ)
彩未の言葉に、姫香は内心で舌打ちした。まだ半人前とは聞いていても、さすがは『銃器職人』と言ったところか。
カリーナは姫香が挙げた行き先の中から、自分が必要だと思い込んでいる代物を用意できる場所を選び、今は工具を一つ一つ見比べては、籠に入れる作業に勤しんでいた。それだけでもう数時間、同じ場所に居座る羽目になってしまっている。
「ここが電気街じゃなかったら、今頃ナンパ目的の男だらけになってるわよ……」
実際、姫香もカリーナも、見た目(だけ)はかなりのものなのだ。二次元にしか目を向けていないはずのオタク共ですら、性欲をぶつけたくなるのも、仕方がないと言える。
未だに男が寄ってこないのだって、まず姫香が周囲を睨み付け、次に彩未が『やばそうな相手』を通報する等して事前に遠ざけておき、最後にカリーナが掛けられる声に対して
『……何よ?』
とドイツ語で煩わし気に返しているからこそ成り立っているのだ。それを超えてまでも口説こうとする猛者は、今のところ現れていない。
もし何もなければ、いっそこのままの方が安全ではあるのだが……万が一を考えると、あまり長居するわけにもいかなかった。
「殺し屋の方は?」
『今のところは誰も……って言いたいけれど、依頼そのものは来ていたみたい』
言葉を濁して伝えてくる姫香の意図を読み取りつつ、彩未はイヤホンマイク越しに状況を説明した。
『『運び屋』達が絡んでいるからって、大半の人は断ってたよ。有名人は違うね~』
「……悪名だけよ」
裏社会の住人として生きている以上、殺し屋の手合いと関わりを持つ機会は多い。それは敵であれ味方であれ……偶々同じ店を訪れた客同士であれ、だ。だから睦月達のことを知る者は、あえて依頼を請けないようにすることが多い。
それが、個人的な情を絡めた結果なのか……『敵に回したくないから』と尻尾を巻いて逃げ出したのかまでは分からない。だが少なくとも、『自分で自分を狩る気のない』連中は、残らず手を引いていると見ていいだろう。
例外として『喧嘩屋』のような、睦月の昔馴染み達が絡んでくるかとも考えていたのだが……今のところは自分どころか、睦月達の方にすら現れていないらしい。情報を得ていないのか、それとも都合が悪いのかは分からないが、今回ばかりは、誰かの知り合いが敵に回る事態は避けられそうだった。
「問題は私達を、『運び屋』を知らない連中の方よね……」
依頼人が同じ日本人であれば、まだ良かっただろう。けれども、目の前にいる要人も当面の目標である敵陣営も、全員が外国人だ。おまけに日本とは違い、銃社会の住人でもある。
知恵と工夫で手段を用意する日本人とは違い、圧倒的な火力で最初から敵を制圧する合理的な考え方を持つ者達が、この国に入り込んでいる可能性の方が高かった。
「そっちはどう?」
『依頼を請けた命知らずで自己評価が目茶苦茶な新入りが何人か。ま~そっちは囮かな? 本命は外国からの狙撃手が一人だけ』
「……本当にそれだけ?」
囮として現地のチンピラを雇い、誘き出されたところを狙撃する。
理屈としては間違っていないが、明らかに人数が少なすぎた。この場に睦月が居れば、
『他にも敵が居るかもしれない……』
と謎の心配症を発動させて、彩未だけでなく和音の方にまで、情報収集の依頼を出しかねなかった。そして大抵の場合は、『無駄な経費』として水泡に帰してしまうのだが。
『その狙撃手の腕が良い上に、銃器を密輸する為に結構な予算を割いているみたいだから……まず間違いないかな?』
「……そいつの力量、分かる?」
自意識過剰な新入り共はともかく、熟練の殺し屋であれば警戒しない方がおかしい。実力差が少しでも狭まれば、『勝利は確実』から『ほぼ確実』に。そしてさらに詰められてしまえば、『命懸け』となってしまうのが現実だ。
ついでに言うと……自分より腕の立つ相手を敵に回しても、未だに生き残っている男の隣に立っているのが自分だ。
だから姫香も、相手の実力や状況は全て把握し、油断なく仕事を全うしようと心掛けている。でなければ、すぐに命を落とすだけでなく……堂々と、睦月の隣に立つことができなくなってしまう。
『こなした仕事の数が多くないからか、通り名的なのはまだないみたい。だけど……1km先の標的を一発で仕留めたことがあるって』
「それはまた、面倒ね……」
狙撃自体は、実はそこまで脅威ではない。
同等の狙撃技術を持ち合わせてさえいれば、相手がどこから、どのタイミングで狙ってくるのかは自然と理解できる。よく、『相手の気持ちになって考えろ』とコミュニケーションを学ぶ上で言われることの多い言葉があるが……実用性が高いからこそ、よく聞かされるのだ。
『自分なら、どこから狙うか?』
それを考えれば、自然と相手の行動を予測することができる。用意さえあれば、狙撃手を狙撃することだって可能だ。
その為の問題はただ一つ……
「武器が足りないわね……どっかで狙撃銃、調達しとけば良かった」
『手持ちじゃ無理なの?』
「完全に範囲外。背負っているのがまだマシ、ってところ」
両袖に隠した小型回転式拳銃が二丁あっても、遠距離から狙撃されてしまえば何の役にも立たない。銃弾の有効射程距離外であることもそうだが……そもそも1km先の相手が見えずに、まともに狙えないのだ。他の武器も、基本的には暴漢対策がメインで、狙撃対策に持ち込んだ物はない。最悪、遮蔽物の多い地下鉄等で逃げれば何とかなると考えていた程だ。
その状態で、姫香が取れる選択肢は少ない。
「……ま、まだ予想の範疇ね」
だが、完全に打つ手がないわけではなかった。
「とりあえず……狙撃手が出たら即連絡。面倒臭そうなのは適当に散らしといて。後はこっちで対処するから」
『了解。姫香ちゃんも気を付けてね~』
彩未の軽口ごと、姫香は一度通話を切った。しかしイヤホンマイクは、未だにその耳から外されることはない。
「何か気晴らしになるもの、ないかな……」
意識はカリーナに向けてはいるものの、その手に握られたスマホを弄りながら、姫香はぼそっと呟いた。
『あなたが案内人?』
『兼護衛ね……よろしく』
(とか、言ってたのに……)
意識の大半は、ドイツの大きな街でもあまり見かけない品揃えに目を奪われてしまうものの、工具以外に(微かに)考えているのは……後ろでずっとスマホを弄っている、くせのあるミディアムヘアの少女のことだった。
見かけからして、さほど歳は離れていないと思う。日本語以外の言語を巧みに操る時点で、彼女の能力の高さはすぐに窺い知れた。けれども……自らを『護衛』と称していたくせに、護衛対象に意識を向けているようには見えない態度が、どうしても気になってしまう。
(腕はたしか、みたいだけど……)
先程訪れたドイツ料理店でも、揉めた際に店員の一人と乱闘になりかけたのだが……そうなる前に、久芳姫香と名乗った少女が相手を押さえ付けたのだ。しかも、女の細腕で。
(……やっぱり、武器が要るわね)
だが、敵は反銃社会の人間ではない。こちらも同じ物を用意しなければ、自分の身を守ることすらできないだろう。幸い、銃は姫香が担いでいるケースに入っているのだ。後は銃弾さえ用意すれば、何とかなる。
何とか、してみせる。
(問題は……その銃弾が手に入らないことよね)
反銃社会である日本ではさすがに、一般人が入るような店には売られていなかった。金属製の模擬弾であればミリタリーショップにも置かれていたが、銃撃の用途には使えない。そこから型を取って強引に部品を生成し、火薬を詰めるしか手はないだろう。
(と、言っても……集中し過ぎた~)
ただ一心に工具を選んでいた為か、(呼びつけた姫香に頼んで)会計を終えた頃には、身体がガチガチに固まってしまっている。一度荷物を置いて身体を解していると、代わりに清算してきた姫香がカリーナの前に立ち、腰に手を当てて溜息を零してきた。
「銃弾作る根性は認めるけど……そこまで拘る必要ある?」
「むしろ……反銃社会の人間の方が信じられないわよ」
こればかりは、文化の違いとしか言いようがない。
「『相手が銃を持っている』って前提があるからこそ、報復を避ける為に悪事を働かなくなる。抑止力がなければ……人は簡単に、悪意に晒されてしまうのよ」
それもまた、一つの事実だった。
核抑止力、とまではいかないが……相手が『敵に回せば手酷いしっぺ返しが返ってくる』と理解さえしていれば、こちらに危害を加えようとはしてこない。
銃社会に生き、『銃器職人』の娘として育ったカリーナだからこそ、そう答えて当然かもしれない。
だが……
「くっ、だらない……」
姫香はカリーナの発言に対して、気だるげに返してきた。
ドイツ語で話していなければ、会話の内容が物騒過ぎて、警察を呼ばれていたかもしれない。そんなことにも気付かないカリーナだったが、それ以上に……
……姫香の瞳に警戒の色が浮かんでいることにすら、気付けていなかった。
(……ま、丁度良いか)
何かを言おうとするカリーナに構うことなく、姫香は後ろ腰に隠した特殊警棒の持ち手に意識を向けた。同時に、ブラインドでスマホの画面をスライド操作し、彩未に電話を掛ける。
「……で、言い訳は?」
『裏社会の住人な上に、目ぼしいナンパ男全員通報して押し付けちゃったから、警察に任せるのは無理だって!』
通話が再開されて早々に、彩未の泣き言が聞こえてくる。それに姫香は取り合わず、未だに不機嫌な目を向けてくるカリーナの手を掴むと、強引に引いて歩き始めた。
カリーナも空いた手で慌てて荷物を掴み、姫香に引かれるまま足を動かしていく。
「場所を変えてどうにかするから……人払いと狙撃手探し、さっさとやって」
『何か私ばっかり大変なような……』
「ドイツ語と喧嘩ができるなら、別に代わっても良かったんだけど?」
『……ごめんなさい。辛うじて英語しか話せません。他の言語なんて翻訳サイトでギリだって!』
彩未と日本語で話しながらも、姫香はカリーナと共に店を後にし、人気のない路地裏へと向かった。
その二人の少女を追い駆けるようにして、数人の男達もまた、路地裏へと入って行った。
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