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069 運び屋達の休日(その4)
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女三人寄れば姦しい、という言葉はあれど、必ずしも騒々しくなるわけではない。
同じ席に三人の少女が着いている状況にも関わらず、食事の席には不釣り合いな精神的重圧が圧し掛かっている。その為か、彩未の舌は味覚を感じる機能が停止してしまったらしく、味のない昼食を食す羽目になっていた。
「え、あ、お……美味しいね?」
それでもなお、無理して食事の感想を言うものの、帰ってくるのはつれない返事のみ。
「ん」
「はい、そうですね……」
姫香が彩未に冷淡な態度を取るのはいつものことなので、いまさら気にも留めなかった。彼女は元々、特殊な環境下で育った緘黙症持ちで、人付き合いに関してはコミュニケーションの技能しか身に着けていない。友達との付き合い方は未だに発展途上なので、そこを問い詰めても仕方がなかった。
由希奈の場合もまた、発達障害という生来の気質のせいで、コミュニケーションそのものが苦手だというのは予想できる。そもそも別名の一つからして、軽度自閉症なのだ。人付き合いで嫌な思い出が重なればその分、気持ちが内向的になってしまっているのも頷ける。
そして厄介なことに……二人は彩未と違い、一人で活動することになっても、まったく苦にしていなかった。無言の昼食になってもどこ吹く風で、黙々と食事を口に運んでいる。
「ごめん……私が耐えられないから、話振っていい?」
幸か不幸か、『ブギーマン』を立ち上げる程には統率力がある彩未が、この場を纏めなければならない。そう感じての提案だが、当の二人は特に気にせず、
「好きにすれば?」
「あ……じゃあ、お願いします」
ほぼ流すようにして、面倒事を押し付けてきた。
(これ……もしかして怒っていいやつ?)
集団行動の際、やる気のない人間が他者に丸投げすることはよくある話だが、投げられた側からしたら堪ったものじゃない。場合によってはいない方がましだというのに、状況が人員の脱退を許さないことの方が多かった。
話し合いを円滑に進める為にあえて口を閉ざす者もいるが、大抵の場合は何を話していいのかが分からず、自身の考えも纏まっていない状態にいることが大半だ。それだけであれば、相手に考える時間と検討材料をある程度与えれば、大体何とかなる。
しかし、彩未の目の前にいる二人は違う。それぞれが傲慢と嫉妬の感情に支配され、思考と共に言葉が固まってしまっている。いつ衝動に駆られるかが予想できない分、下手な痴話喧嘩よりも厄介だった。おまけに口だけでなく、一挙一動だけでも状況が動きかねない。
その為、彩未は逃げる選択肢を取ることができなかった。
「とりあえず……一度、話を整理させて」
もう睦月連れてきた方が早いのでは? と思った彩未だったが、緘黙症の姫香と秘密の相談中の由希奈では話が纏まるどころか逆走しかねないと、泣く泣く断念することに。
(今度睦月君に会ったら、思いっきり引っ叩こう……)
心の中でそう決意し、彩未はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「どうせ遅かれ早かれだからぶっちゃけるけど……由希奈ちゃん、睦月君を映画に誘おうとしているの」
「ふぅん……」
「…………っ」
手に持っていたカトラリーを一度皿の上に置き、軽く頬杖を突きつつ、興味なさげな眼差しを向ける姫香。まるで相手にされていないと思い、由希奈の手に力が込められていくのが、雰囲気だけで伝わってくる。
「なのに姫香ちゃんが余裕綽々な態度取っちゃうから、立場気にせず苛立っている、ってのが現状」
「……そういうあんたは、どうなのよ?」
そこでようやく、姫香の視線が彩未の方に向けられた。しかしその問い掛けに対しては、諸手を挙げるに留めるしかない。
「私は中立。というか……身体の関係手前までなら、練習も兼ねて好きにすればいいんじゃないかな、って思ってる」
「適当ね……まあ、『詐欺師』相手に処女まで持ってかれたら、そんな考えも浮かぶか」
「一言余計っ!」
思わず立ち上がりかけた彩未だったが、周囲の視線に晒されたことで冷静になり、再度腰を降ろした。
「とにかく……姫香ちゃんは睦月君の女ではあっても、別に恋人とかじゃないんでしょう? だから睦月君が他の女の子とデートしてても気にしていない、っていうのが私の認識。それで合ってる?」
「失礼な……普通に嫉妬はするわよ」
でも止めないんでしょう、と彩未はもう知らないとばかりに姫香から由希奈に視線を移し、説明を続けた。
「そして由希奈ちゃん、先に聞いときたいんだけど……睦月君と、どこまでいきたいの?」
「えっと……駅前のショッピングモールにある映画館に行こうと思っています」
「……由希奈ちゃん。天然でも照れ隠しでもいいけど、その返しはベタ過ぎるからね」
しゃべり過ぎたので一度水を飲んでから、彩未は由希奈に改めて問い掛けた。
「要するに……由希奈ちゃんは、睦月君とどうなりたいわけ?」
少しの間、机上に沈黙が流れた。
どう返せばいいのか、由希奈は内心で考えているのだろう。彩未もまた急かしてしまわないよう、静かに返答を待つ。できるできないに関わらず、無理に相手に何かを強要させれば、問答無用で『できない』に変わりかねない。
実際、『ブギーマン・ネットワーク』の中には、配属されたばかりの職場でろくな情報共有が行われないまま電話応対(ほぼ無関係の部署宛)を強要され、一時期精神的外傷になってしまった社会人も居た。時間が掛かり過ぎるのならまだしも、結局は『急いては事を仕損じる』のだ。
なので今の内に、少しだけ料理を口に運ぶ彩未。
落ち着く為に、当初の目的である食事を行うことにした。決して、待ってる間は暇だった上に、冷めてしまう前に食べてしまいたいと思っての行動ではない……と、彩未は誰にするでもなく、内心で言い訳を重ねていく。ちなみに姫香は由希奈の方を一切気にせず、興味を無くしたと言わんばかりに、パクパクと食事を再開していたが。
やがて、考えが纏まったのか……由希奈はゆっくりと、自らの考えを、
「私は…………睦月さんを異性として好きなのか、それが知りたいんです」
自らの気持ちを、告げた。彩未と……姫香に向けて。
「そういえば睦月~……」
「ん……?」
コインランドリーでの洗濯が終わり、弥生を伴って帰宅した睦月が、スッポンの『グザイ』を水槽からバケツに移している時だった。そう声を掛けられたのは。
「……勇太から連絡あった?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出してしまう睦月。
無理もない。記憶から抹消してしまいたい相手の名前が、弥生の口から急に飛び出してきたのだから。
「……あいつが何だって?」
「だから~……」
取り外した換気扇にキッチンペーパーを巻き付けながら、弥生は睦月の方を向かずに口を開いた。
「……勇太から仕事の依頼があったか? って聞いてるの」
「いや、今のところないけど……」
噛み付かれないよう、睦月はバケツからすぐに手を抜いてから首を振る。しかし弥生は振り返らないまま、納戸に仕舞っていた洗剤入れの箱から重曹を取り出し、沸騰したお湯の入った別のバケツに中身を入れていた。
お湯と重曹を掻き混ぜながらにはなるものの、ただ黙々とやるには退屈過ぎたのか、弥生の話は途切れずに続く。
「この前麻薬組織狩りした帰りに言ったじゃん、『技術屋』の仕事があるって。あれ依頼したの、勇太だよ?」
「また面倒臭そうな話だな……内容は?」
「要望通りの部品の作成。でも明らかに車の物だった」
守秘義務なんてないのか、そもそも口止めすらされていないのか……弥生は昔馴染みがしていることをあっさりとばらしてきた。
「てっきり、また組むんじゃないかと思ってさ……ほら、丁度ボクが留学していた時に、勇太や創と何かやってた、って言ってたじゃん」
「ああ……『走り屋』のことか?」
睦月にとっては、大した話ではない。
弥生と別れた後の睦月は成人する頃まで、『運び屋』になる為の修業をしながら、本物の免許を取得する日々を送っていた。しかし、それだけではさすがに時間がもったいないからと、偽造免許片手にストリートレースに混ざっていたことがある。
最初は一人で、人気のない公道を走り回っていただけだったが……免許証の偽造を依頼した『偽造屋』と、痕跡の隠滅を生業としている『掃除屋』の三人でつるむようになり、いつの間にか、一つのストリートレースチームが出来上がっていた。
活動こそ、それぞれが本格的に家業に関わるまでだったので短かったが、未だにそのチーム名は、伝説となっているらしい。
限界という数多の境界を、まるで存在しないかの如く走り抜ける最強のチーム――
――『NO BORDER』の異名は。
由希奈にとっての睦月はおそらく、初めて恋した相手だった。
恋人という異性交遊が盛んになる思春期に入る頃には、すでに陸上競技に取り組んでいたので、特定の異性に好意を抱くことはなかった。それ以前に、由希奈の周りにいるのは精神的に未熟な者か、発育の良い身体目当ての変質者しかいなかったので、愛どころか恋にすら発展したことがない。
そして事故に遭い、特待生として入学した高校を退学し、リハビリを経て現在に至る。男性と関わる機会自体は幾つかあったものの……過去にも現在にも、はっきりと好意を抱ける相手は、睦月が初めてだった。
「多分、私は……まだ、子供なんだと思います」
姫香のような覚悟もなく、彩未のような潔さもない。
自分を理解しきれず、自身の気持ちすら分からないまま、生き続けるのは辛かった。たとえ相手が、法の外側を歩く裏社会の住人でも、複数の女性と関係を持つ好色漢でも関係ない。
相手が誰であろうと、どんな立場に居ようと……結局は、自分で決めなくてはならなかった。
その為にも、由希奈には必要なのだ。
睦月のことを、そして……自身の想いを知る為に。
「それなのに……姫香さんは、嫌じゃないんですか? 睦月さんが、他の女性と一緒に居るのが」
だからこそ、由希奈は知りたかった。
おそらくは、一番近い場所にいるであろう……姫香の気持ちを。
弥生の工房も存在する、地方都市から北の方にある工場地帯内に、一つの工場があった。より正確に言えば、経営不振で潰れていたところを、ある男によって買い叩かれたのだが。
「…………」
工場内の人員は今、男を除いて出払っている。休日ということもあるが、住み込みで働かせている作業員達に紙幣を掴ませ、しばらくは戻ってこないように厳命したからだった。
「どうにか……間に合いそうだな」
平均以上の巨体と引き締まった筋肉に、遠目からでも目立つドレッドヘアの風貌。しかし、その指先は力を籠めないように加減して、工場内の中心に鎮座している車に触れていた。
「にしても……面倒な車作らせやがって」
実際、注文が細かかった。
技術の発展や用途が限られる理由で、今ではほとんど出回っていないエンジン二基搭載の改造車。他にも様々な仕掛けはあるものの、全て性能に関わるものばかりだ。
しかし、その代償は大きい。
ただでさえエンジンを二基搭載している上に、さらに『魔改造』を加えられたこの改造車は、言うなれば怪物だ。生半可な腕前では乗りこなすどころか、最初の加速でどこかに衝突するのがオチだろう。
もっとも、車自体が手動変速機仕様なので、現在ではたとえ免許を持っていたとしても、自動変速機仕様に慣れきっている人間ではまずエンストを起こすだろうが。
「とりあえず、車はこれでいい。後は……運転手だな」
それが一番厄介だと、男は自慢のドレッドを掻き毟りながらぼやく。
そして、空いた手に取り出したスマホを握り……どこか女々しく、指を彷徨わせていた。
(……無理しちゃって)
近年の研究でようやく判明したことだが、自閉症の人間が他者と視線を合わせないのは、脳の一部が過剰反応してしまうかららしい。視線を合わせた際に不快感を覚え、ストレスを抱え込んでしまうのだ。だから健常者と違い、ただ顔を合わせることすら苦痛に感じてしまうこともある。
それは軽度の自閉症とも呼ばれる発達障害もまた、例外ではないはずだ。
こればかりは、本人でないと程度が分からない。しかし、互いに視線を交わすことすら過敏になるというのに、目の前にいる由希奈という少女は、姫香から視線を逸らさなかった。
不快感からか、微かではあるが眉間を顰めている。そんな彼女を見ていると、覚悟や真剣さが伝わってくるように思えるから不思議だ。
はっきり言って、由希奈の想いに応える義務はない。それでも姫香は、自らの権利を持ってそれに応えた。
「もちろん嫌よ。でも、仕方ないでしょう……」
頬杖を外し、顔を上げて……真っ直ぐに見つめ返す。
「私が愛しているのは……今の睦月なんだから」
そして姫香は、自らの気持ちを堂々と告げた。
同じ席に三人の少女が着いている状況にも関わらず、食事の席には不釣り合いな精神的重圧が圧し掛かっている。その為か、彩未の舌は味覚を感じる機能が停止してしまったらしく、味のない昼食を食す羽目になっていた。
「え、あ、お……美味しいね?」
それでもなお、無理して食事の感想を言うものの、帰ってくるのはつれない返事のみ。
「ん」
「はい、そうですね……」
姫香が彩未に冷淡な態度を取るのはいつものことなので、いまさら気にも留めなかった。彼女は元々、特殊な環境下で育った緘黙症持ちで、人付き合いに関してはコミュニケーションの技能しか身に着けていない。友達との付き合い方は未だに発展途上なので、そこを問い詰めても仕方がなかった。
由希奈の場合もまた、発達障害という生来の気質のせいで、コミュニケーションそのものが苦手だというのは予想できる。そもそも別名の一つからして、軽度自閉症なのだ。人付き合いで嫌な思い出が重なればその分、気持ちが内向的になってしまっているのも頷ける。
そして厄介なことに……二人は彩未と違い、一人で活動することになっても、まったく苦にしていなかった。無言の昼食になってもどこ吹く風で、黙々と食事を口に運んでいる。
「ごめん……私が耐えられないから、話振っていい?」
幸か不幸か、『ブギーマン』を立ち上げる程には統率力がある彩未が、この場を纏めなければならない。そう感じての提案だが、当の二人は特に気にせず、
「好きにすれば?」
「あ……じゃあ、お願いします」
ほぼ流すようにして、面倒事を押し付けてきた。
(これ……もしかして怒っていいやつ?)
集団行動の際、やる気のない人間が他者に丸投げすることはよくある話だが、投げられた側からしたら堪ったものじゃない。場合によってはいない方がましだというのに、状況が人員の脱退を許さないことの方が多かった。
話し合いを円滑に進める為にあえて口を閉ざす者もいるが、大抵の場合は何を話していいのかが分からず、自身の考えも纏まっていない状態にいることが大半だ。それだけであれば、相手に考える時間と検討材料をある程度与えれば、大体何とかなる。
しかし、彩未の目の前にいる二人は違う。それぞれが傲慢と嫉妬の感情に支配され、思考と共に言葉が固まってしまっている。いつ衝動に駆られるかが予想できない分、下手な痴話喧嘩よりも厄介だった。おまけに口だけでなく、一挙一動だけでも状況が動きかねない。
その為、彩未は逃げる選択肢を取ることができなかった。
「とりあえず……一度、話を整理させて」
もう睦月連れてきた方が早いのでは? と思った彩未だったが、緘黙症の姫香と秘密の相談中の由希奈では話が纏まるどころか逆走しかねないと、泣く泣く断念することに。
(今度睦月君に会ったら、思いっきり引っ叩こう……)
心の中でそう決意し、彩未はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「どうせ遅かれ早かれだからぶっちゃけるけど……由希奈ちゃん、睦月君を映画に誘おうとしているの」
「ふぅん……」
「…………っ」
手に持っていたカトラリーを一度皿の上に置き、軽く頬杖を突きつつ、興味なさげな眼差しを向ける姫香。まるで相手にされていないと思い、由希奈の手に力が込められていくのが、雰囲気だけで伝わってくる。
「なのに姫香ちゃんが余裕綽々な態度取っちゃうから、立場気にせず苛立っている、ってのが現状」
「……そういうあんたは、どうなのよ?」
そこでようやく、姫香の視線が彩未の方に向けられた。しかしその問い掛けに対しては、諸手を挙げるに留めるしかない。
「私は中立。というか……身体の関係手前までなら、練習も兼ねて好きにすればいいんじゃないかな、って思ってる」
「適当ね……まあ、『詐欺師』相手に処女まで持ってかれたら、そんな考えも浮かぶか」
「一言余計っ!」
思わず立ち上がりかけた彩未だったが、周囲の視線に晒されたことで冷静になり、再度腰を降ろした。
「とにかく……姫香ちゃんは睦月君の女ではあっても、別に恋人とかじゃないんでしょう? だから睦月君が他の女の子とデートしてても気にしていない、っていうのが私の認識。それで合ってる?」
「失礼な……普通に嫉妬はするわよ」
でも止めないんでしょう、と彩未はもう知らないとばかりに姫香から由希奈に視線を移し、説明を続けた。
「そして由希奈ちゃん、先に聞いときたいんだけど……睦月君と、どこまでいきたいの?」
「えっと……駅前のショッピングモールにある映画館に行こうと思っています」
「……由希奈ちゃん。天然でも照れ隠しでもいいけど、その返しはベタ過ぎるからね」
しゃべり過ぎたので一度水を飲んでから、彩未は由希奈に改めて問い掛けた。
「要するに……由希奈ちゃんは、睦月君とどうなりたいわけ?」
少しの間、机上に沈黙が流れた。
どう返せばいいのか、由希奈は内心で考えているのだろう。彩未もまた急かしてしまわないよう、静かに返答を待つ。できるできないに関わらず、無理に相手に何かを強要させれば、問答無用で『できない』に変わりかねない。
実際、『ブギーマン・ネットワーク』の中には、配属されたばかりの職場でろくな情報共有が行われないまま電話応対(ほぼ無関係の部署宛)を強要され、一時期精神的外傷になってしまった社会人も居た。時間が掛かり過ぎるのならまだしも、結局は『急いては事を仕損じる』のだ。
なので今の内に、少しだけ料理を口に運ぶ彩未。
落ち着く為に、当初の目的である食事を行うことにした。決して、待ってる間は暇だった上に、冷めてしまう前に食べてしまいたいと思っての行動ではない……と、彩未は誰にするでもなく、内心で言い訳を重ねていく。ちなみに姫香は由希奈の方を一切気にせず、興味を無くしたと言わんばかりに、パクパクと食事を再開していたが。
やがて、考えが纏まったのか……由希奈はゆっくりと、自らの考えを、
「私は…………睦月さんを異性として好きなのか、それが知りたいんです」
自らの気持ちを、告げた。彩未と……姫香に向けて。
「そういえば睦月~……」
「ん……?」
コインランドリーでの洗濯が終わり、弥生を伴って帰宅した睦月が、スッポンの『グザイ』を水槽からバケツに移している時だった。そう声を掛けられたのは。
「……勇太から連絡あった?」
「ぶっ!?」
思わず吹き出してしまう睦月。
無理もない。記憶から抹消してしまいたい相手の名前が、弥生の口から急に飛び出してきたのだから。
「……あいつが何だって?」
「だから~……」
取り外した換気扇にキッチンペーパーを巻き付けながら、弥生は睦月の方を向かずに口を開いた。
「……勇太から仕事の依頼があったか? って聞いてるの」
「いや、今のところないけど……」
噛み付かれないよう、睦月はバケツからすぐに手を抜いてから首を振る。しかし弥生は振り返らないまま、納戸に仕舞っていた洗剤入れの箱から重曹を取り出し、沸騰したお湯の入った別のバケツに中身を入れていた。
お湯と重曹を掻き混ぜながらにはなるものの、ただ黙々とやるには退屈過ぎたのか、弥生の話は途切れずに続く。
「この前麻薬組織狩りした帰りに言ったじゃん、『技術屋』の仕事があるって。あれ依頼したの、勇太だよ?」
「また面倒臭そうな話だな……内容は?」
「要望通りの部品の作成。でも明らかに車の物だった」
守秘義務なんてないのか、そもそも口止めすらされていないのか……弥生は昔馴染みがしていることをあっさりとばらしてきた。
「てっきり、また組むんじゃないかと思ってさ……ほら、丁度ボクが留学していた時に、勇太や創と何かやってた、って言ってたじゃん」
「ああ……『走り屋』のことか?」
睦月にとっては、大した話ではない。
弥生と別れた後の睦月は成人する頃まで、『運び屋』になる為の修業をしながら、本物の免許を取得する日々を送っていた。しかし、それだけではさすがに時間がもったいないからと、偽造免許片手にストリートレースに混ざっていたことがある。
最初は一人で、人気のない公道を走り回っていただけだったが……免許証の偽造を依頼した『偽造屋』と、痕跡の隠滅を生業としている『掃除屋』の三人でつるむようになり、いつの間にか、一つのストリートレースチームが出来上がっていた。
活動こそ、それぞれが本格的に家業に関わるまでだったので短かったが、未だにそのチーム名は、伝説となっているらしい。
限界という数多の境界を、まるで存在しないかの如く走り抜ける最強のチーム――
――『NO BORDER』の異名は。
由希奈にとっての睦月はおそらく、初めて恋した相手だった。
恋人という異性交遊が盛んになる思春期に入る頃には、すでに陸上競技に取り組んでいたので、特定の異性に好意を抱くことはなかった。それ以前に、由希奈の周りにいるのは精神的に未熟な者か、発育の良い身体目当ての変質者しかいなかったので、愛どころか恋にすら発展したことがない。
そして事故に遭い、特待生として入学した高校を退学し、リハビリを経て現在に至る。男性と関わる機会自体は幾つかあったものの……過去にも現在にも、はっきりと好意を抱ける相手は、睦月が初めてだった。
「多分、私は……まだ、子供なんだと思います」
姫香のような覚悟もなく、彩未のような潔さもない。
自分を理解しきれず、自身の気持ちすら分からないまま、生き続けるのは辛かった。たとえ相手が、法の外側を歩く裏社会の住人でも、複数の女性と関係を持つ好色漢でも関係ない。
相手が誰であろうと、どんな立場に居ようと……結局は、自分で決めなくてはならなかった。
その為にも、由希奈には必要なのだ。
睦月のことを、そして……自身の想いを知る為に。
「それなのに……姫香さんは、嫌じゃないんですか? 睦月さんが、他の女性と一緒に居るのが」
だからこそ、由希奈は知りたかった。
おそらくは、一番近い場所にいるであろう……姫香の気持ちを。
弥生の工房も存在する、地方都市から北の方にある工場地帯内に、一つの工場があった。より正確に言えば、経営不振で潰れていたところを、ある男によって買い叩かれたのだが。
「…………」
工場内の人員は今、男を除いて出払っている。休日ということもあるが、住み込みで働かせている作業員達に紙幣を掴ませ、しばらくは戻ってこないように厳命したからだった。
「どうにか……間に合いそうだな」
平均以上の巨体と引き締まった筋肉に、遠目からでも目立つドレッドヘアの風貌。しかし、その指先は力を籠めないように加減して、工場内の中心に鎮座している車に触れていた。
「にしても……面倒な車作らせやがって」
実際、注文が細かかった。
技術の発展や用途が限られる理由で、今ではほとんど出回っていないエンジン二基搭載の改造車。他にも様々な仕掛けはあるものの、全て性能に関わるものばかりだ。
しかし、その代償は大きい。
ただでさえエンジンを二基搭載している上に、さらに『魔改造』を加えられたこの改造車は、言うなれば怪物だ。生半可な腕前では乗りこなすどころか、最初の加速でどこかに衝突するのがオチだろう。
もっとも、車自体が手動変速機仕様なので、現在ではたとえ免許を持っていたとしても、自動変速機仕様に慣れきっている人間ではまずエンストを起こすだろうが。
「とりあえず、車はこれでいい。後は……運転手だな」
それが一番厄介だと、男は自慢のドレッドを掻き毟りながらぼやく。
そして、空いた手に取り出したスマホを握り……どこか女々しく、指を彷徨わせていた。
(……無理しちゃって)
近年の研究でようやく判明したことだが、自閉症の人間が他者と視線を合わせないのは、脳の一部が過剰反応してしまうかららしい。視線を合わせた際に不快感を覚え、ストレスを抱え込んでしまうのだ。だから健常者と違い、ただ顔を合わせることすら苦痛に感じてしまうこともある。
それは軽度の自閉症とも呼ばれる発達障害もまた、例外ではないはずだ。
こればかりは、本人でないと程度が分からない。しかし、互いに視線を交わすことすら過敏になるというのに、目の前にいる由希奈という少女は、姫香から視線を逸らさなかった。
不快感からか、微かではあるが眉間を顰めている。そんな彼女を見ていると、覚悟や真剣さが伝わってくるように思えるから不思議だ。
はっきり言って、由希奈の想いに応える義務はない。それでも姫香は、自らの権利を持ってそれに応えた。
「もちろん嫌よ。でも、仕方ないでしょう……」
頬杖を外し、顔を上げて……真っ直ぐに見つめ返す。
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そして姫香は、自らの気持ちを堂々と告げた。
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