71 / 192
071 信用の代償(その1)
しおりを挟む
それは……睦月が姫香を拾ってから少し経ち、共に仕事をし始めた頃のことだった。
『がっ!?』
『たく、面倒起こしやがって……』
鵜飼理沙という、黒のショートヘアを持つ……姫香と同年代の少女を蹴り転がしながら、睦月は前へ出た。
『……待たせたな』
目の前にいる、ドレッドヘアが目立つ筋肉質の男は、近付いてくる睦月の方へ、ゆっくりと振り向いてくる。
『あの娘は?』
『とりあえず、車のとこに置いてきた』
二丁の自動拳銃が納められているウエストホルスターを巻き付けてから、睦月は空いた手で頭を掻きつつ、溜息を吐いた。
『……お前こそ、いいのかよ?』
顎で指された先には、睦月が蹴り転がした少女が横たわり、未だ痛みに呻いている。軽い脳震盪も起こしているのか、しばらくは起き上がってくる気配もない。
『こいつ庇って……俺を敵に回す気か?』
『……もう手遅れだろ』
それが、男の答えだった。
『理沙が勝手にやったこととはいえ、その責任を負うのが今の俺の立場だ。それに……もう俺を信用してないんじゃないのか? 睦月』
廃村になった田舎町出身の昔馴染み内では、仲はかなり良い方だった。だからこそ……睦月が今、自分に対してどう考えているのかは理解できてしまうのだろう。
『…………そうだな』
そう肯定した睦月は、手をホルスターに納められている自動拳銃の銃把に添えた。
『それにな、実は俺も……お前と戦ってみたかったんだよ』
同時に男もまた、先程の戦闘で姫香に弾かれて地面に転がっていたショットガンを蹴り上げ、浮き上がった銃身をその剛腕で掴み取ってくる。
『どうせ手遅れなんだ。だったら……とことんやってやるさ』
『そうか……だったら、』
ある意味では、最悪のタイミングだったと言えるだろう。
『後悔するなよ……』
睦月は二丁の自動拳銃を、『FIVE-SEVEN STRIKER』を引き抜き、両手にそれぞれ構えた。
『まさか、お前が新しい自動拳銃の最初の相手だとは、思わなかったけどな…………勇太っ!』
ショットガンの銃口が向けられたのを合図にして、睦月は挑みかかった。
――『掃除屋』、鵜飼勇太に。
そんな過去があってか、睦月は今でも、下手をすれば久し振りに再会した英治の時以上に、勇太を警戒していた。
仕事用の車に今では使い込まれた自動拳銃も載せ、さらには『ペスト』を引き連れてようやく、目の前に立つ準備ができる程に。
しかし、それもまた予想できていたのか、勇太は特段気にすることなく、睦月達を出迎えてきた。
「てっきり『傭兵』辺りを連れてくるんじゃないかと思ってたんだが……」
「何、勇太? 『技術屋』じゃ不満なの?」
弥生は停車させた小型二輪にもたれかかりながら不満げな顔をし、指先でペストマスクを弄んでいる。しかし勇太は肩を竦めるだけで、そんな意図はないとばかりに首を横に振ってきた。
「いや……ついでに挨拶しとこうかと思っただけだ。英治、日本に帰って来てるんだろ?」
「都合良く物事考えてんじゃねえよ……」
タイミングが合えば、もしかしたら英治を誘っていたかもしれなかっただけに、睦月は否定できなかった。やはり濃い付き合いがある分、勇太はこちらのことをよく理解しているらしい。
「……で、俺に何を依頼するつもりだ?」
「それなんだが……」
少し言い澱んだものの、勇太は背後の建造物を指差して、中へと促してくる。
「……先に見せた方が早いな。ちょっと来てくれ」
背中を向けて数歩進むと、ふと勇太は睦月達に……睦月に声を掛けた。
「ああ……銃口向けたきゃ、好きにしていいぞ」
「……それこそ、いまさらだろ」
それでも、ウエストホルスターを腰に巻き付けつつ、睦月は勇太の後を追って行く。銃は抜かないまでも、半端に警戒する様子に呆れた弥生もまた、その後に続いた。
レストランを出た姫香は二人と別れた後、自宅に戻らないまま、公園の奥へと足を踏み入れていた。
「…………」
食後の散歩であれば、そのまま自宅への帰路だけで事足りる。けれども、姫香は口を閉ざしつつ、武器になりそうな物が周囲にないかと、視線を彷徨わせていた。
(……ま、何とかなるか)
特にはなさそうだったものの、後ろ腰には護身用の特殊警棒を隠し持っている。一先ずは、それで対処するしかない。
公園の奥に進めば、もう公園の敷地の端だ。適当な施設の裏に回れば、人気も何もない。
……迎え撃つには、十分だった。
「相変わらずのようだな……」
姫香は無言のまま、声のした方を振り向く。
予想通り、建物の陰から、姫香の顔馴染みが顔を出してきた。
……黒のショートヘアで、姫香と同年代の少女が。
丁度ジョギングでもしていたのだろう、今はランニングウェアとウエストポーチしか身に着けていない。けれども、彼女もまた姫香と同様に、身近な物を武器として扱う訓練を受けている。
「しかし、未だに話せないとは……それだけでも私の勝ちがあああっ!?」
油断はできないものの、姫香には相手の話を聞く理由はない。だから先手を打った。
人間の眼球は構造上、上下左右には動かせても、斜めに動かすことができない。なので、正面に立つ相手が身体を斜めに動かしてくれば、視線だけで追い掛けるのは難しかった。
視線以外で追い掛ければいいのだろうが……残念なことに、反応しようにも姫香の動きの方が速かった。
「きっさまぁああああ……!?!?」
背後に回ってのバックドロップ。辛うじて後頭部への直撃を免れた少女は、防御の為に地面に回していた腕を片手だけ外し、姫香に向けて伸ばそうとしてくる。
その前に姫香は組んでいた両手を離すと、素早く地面に突いた手で反動を生み出して跳び、少女から距離を取った。反転して膝立ちになったまま姿勢を低くし、いつでも引き抜けるように特殊警棒の持ち手へと腕を伸ばす。
「本当、貴様。あの『運び屋』に似てきたな……」
姫香が距離を取った後、背中から地面へと倒れ込んだ少女はそのまま下半身を持ち上げ、首跳ね起きの要領で飛び上がっていた。
「少し嫌味を言っただけで、容赦がなさすぎだろうが……」
溜息を吐きつつ……両手を上げた少女、鵜飼理沙を見て、姫香もまた構えを解いた。
もっとも……相手は姫香にとって緘黙症の対象で、自分から口を利くことはできないが。
「……あれ? そういえば勇太、理沙ちゃんは?」
「あいつは休日だ。今頃公園辺りでも、走ってるんじゃないか?」
工場地帯内にある工場の一つ。その中へと入り、奥へと進む道すがら、弥生は勇太の連れがどこにいるのかを聞いていた。
「というか……今回の件、あいつは外した。他にも仕事あるし、今はそっちを任せてる」
「景気がいいことで……」
人は生きる上で、必ずものを廃する。ゆえに、職種の差はあれど、清掃業界の需要は高い。それこそ、免許的な問題で高給取りなことの多い運送業者よりも高額かつ簡易的に、だ。
それは裏社会でも例に漏れず、犯罪現場の隠蔽や痕跡の排除、死体の処理だけでも巨利多売が見込める。常にではないが……ガキ大将の少女の実家を除けば、勇太の家は地元で一番の金持ちだった。
「だったら『掃除屋』に転職するか? お前なら免許がある分、最初から高給取りだぞ」
「断る。女に逃げられるだろうが……」
それでもなお、清掃業者になろうと思わない人間の方が多い理由は、そのイメージの悪さにある。
何しろ、相手にするのは廃棄物なのだ。外見や仕事に対する負のイメージだけでなく、染みついた匂いは身体から中々剥がれることはない。
特に裏社会では、処理するのはただのゴミでは済まなくなる。犯罪で用いられた機材や違法な消耗品はまだましな部類だ。犯罪の痕跡を消すのも違法性を除けば、専門の清掃業者だと思っても差し支えない。対象が人間の死体でも、状況にもよるが、別業種である葬儀屋の仕事と大差はなかった。
だが、一番の問題は……その廃棄物が、生者にまで害を及ぼす可能性があることだ。
たとえ、誰かがやらなければならない問題だとしても、自ら貧乏クジを引きたがる人間はまずいない。ゆえに、就職活動において清掃業界は、就職難であっても選ぶ者は極端に少なくなる。
「……それ以前に、まずお前の所は選ばねえよ」
「そりゃ残念」
そうこう話している内に、勇太の足が止まる。工場内の中心、どうやら目的地に到着したらしい。
「あれが……今回のお前の仕事だ」
勇太が横に逸れることで、睦月の視界に一台の車が映る。
塗装前の、金属が剥き出しになっている状態の車体だった。2シーターのスポーツカーで、デザインだけでも高速仕様だということが分かる。
「『走り屋』として運転手に徹するでも、『運び屋』として結果を運んでくるのでも構わない。俺の依頼……要求はたった一つ」
横並びに歩き、一台の車の前に立つ三人。その車体に掌を当てながら、勇太は睦月の方を向き、言い放ってきた。
「……『レースに勝て』、それが俺の依頼だ」
「お前達……『クリフォト』と戦り合ったんだってな」
両手は挙げたままだが、理沙は未だに戦意を喪失していない。会話の応対次第では、第二ラウンドも辞さない構えだ。
その気配を感じ取ってか、姫香はゆっくりと腰を持ち上げてから首を振り、指を一本だけ立てた。
数字の一、つまり姫香が言いたいのは一月、
「ああ……戦り合ったのは『運び屋』の方か」
……睦月のことだった。
「だが、『運び屋』から話は聞いているんだろう?」
いつもなら腕を組むところだが、姫香は憮然とした表情のまま、頷くだけに留めた。たとえ自分以下とはいえ、相手が相当の実力者だと知っているからだ。
「そのメンバーが他にも、日本に来ている。少なくとも今、その一人が好き放題やっているらしい」
目の前にいる少女は、決して味方ではない。けれども、理沙は姫香に、場合によっては代価が発生しかねない情報を伝えてくる。
理由は様々あれど、結論としての本質はただ一つ。
「その件で……近い内に、義兄が『運び屋』に依頼するそうだ」
その情報に、関わることになるからだ。
「……ストリートレーサーの勧誘?」
「聞こえはいいが、実際は違う……ぶっちゃけると、古き悪き人間爆弾だな」
弥生に、勇太と周囲の警戒を指示した後、睦月は用意された車をあちこち確認して回っている。最初から運転席には座らず、前方と後方に設置されたエンジンの状態を見ながらにはなるが、睦月の口は依頼内容と状況把握の為に疑問を吐き出していた。
「車は手始めだ。要は乗り物に爆弾と人間を載せて、そのまま運転して突っ込ませる、ってとこだろう」
「それで……野良のストリートレーサーを勧誘してる、ってことか」
「勧誘の女の容姿に惹かれる奴もいれば、実力であっさりと従わされる奴もいる。従わなかった連中は全員、不慮の事故に巻き込まれちゃいるが……記録を見る限り、人為的に起こせるものばかりだ」
「美人に弱い馬鹿ばっかなのは、相変わらずだな……」
勇太の説明を要約すると、こうだ。
レーサーをはじめとしたプロドライバーの勧誘と称して、運転技術の高い人間を掻き集めて爆弾の材料にする。それを目的にして『犯罪組織』のメンバー、もしかしたら幹部かもしれない人間が動いているらしい。
手始めこそ列島の南側から徐々にだが、すでに何人も勧誘され……ある国に連れ去られている。
「……で、今度の標的は俺達の古巣、ってことか」
「ああ、昔の伝手で泣き付かれてな」
警戒されているはずだが勇太は気にせず、手近に置いてある椅子に腰掛けだした。
「もう引退したとはいえ、ほっとくのも目覚めが悪いし……何より、狙いの中に『最期の世代』が含まれている可能性もある」
その指摘に、おそらく間違いはないだろう。
以前、睦月が対峙したアクゼリュスもまた、『最期の世代』の面々に並々ならぬ怨嗟の念を抱いていた。勧誘の最中であれ目標の達成後であれ、また襲い掛かってくる可能性はゼロじゃない。
感情論でもそうだが、国家権力以外で(実績込みで)対抗できうる戦力を放置するなんて、間抜けもいいところだ。大なり小なり対策を練ってくるのは、火を見るよりも明らかだった。
「だから先手を打って、こっちの代表と向こうでレースをやる。負ければ有志数十名が勧誘されるが……勝てば向こうの面子は丸潰れだ。これ以上勝負を挑まれることはない」
「でもそれって……結局は力尽くで拉致される可能性もなくない?」
「だったら、最初からやってるはずだ」
座席の具合を確かめてから腰掛け、ハンドル周辺を弄りつつ、睦月は弥生の疑問を否定した。
「派手にやれば、さすがに国が動くとでも思ってるんだろう。だが逆に言えば……」
「……なりふり構ってる内に潰しておかないと、後々面倒なことになる」
睦月の言に、勇太が引き継いで告げる。
「いつも通り、段取りはこっちで済ませてある。後はお前が請けるかどうか、だけだ」
そこで勇太は立ち上がり、ハンドルグリップやシフトレバーの握り具合を確かめている睦月から数歩離れた場所に移動した。
「…………で、どうする?」
『がっ!?』
『たく、面倒起こしやがって……』
鵜飼理沙という、黒のショートヘアを持つ……姫香と同年代の少女を蹴り転がしながら、睦月は前へ出た。
『……待たせたな』
目の前にいる、ドレッドヘアが目立つ筋肉質の男は、近付いてくる睦月の方へ、ゆっくりと振り向いてくる。
『あの娘は?』
『とりあえず、車のとこに置いてきた』
二丁の自動拳銃が納められているウエストホルスターを巻き付けてから、睦月は空いた手で頭を掻きつつ、溜息を吐いた。
『……お前こそ、いいのかよ?』
顎で指された先には、睦月が蹴り転がした少女が横たわり、未だ痛みに呻いている。軽い脳震盪も起こしているのか、しばらくは起き上がってくる気配もない。
『こいつ庇って……俺を敵に回す気か?』
『……もう手遅れだろ』
それが、男の答えだった。
『理沙が勝手にやったこととはいえ、その責任を負うのが今の俺の立場だ。それに……もう俺を信用してないんじゃないのか? 睦月』
廃村になった田舎町出身の昔馴染み内では、仲はかなり良い方だった。だからこそ……睦月が今、自分に対してどう考えているのかは理解できてしまうのだろう。
『…………そうだな』
そう肯定した睦月は、手をホルスターに納められている自動拳銃の銃把に添えた。
『それにな、実は俺も……お前と戦ってみたかったんだよ』
同時に男もまた、先程の戦闘で姫香に弾かれて地面に転がっていたショットガンを蹴り上げ、浮き上がった銃身をその剛腕で掴み取ってくる。
『どうせ手遅れなんだ。だったら……とことんやってやるさ』
『そうか……だったら、』
ある意味では、最悪のタイミングだったと言えるだろう。
『後悔するなよ……』
睦月は二丁の自動拳銃を、『FIVE-SEVEN STRIKER』を引き抜き、両手にそれぞれ構えた。
『まさか、お前が新しい自動拳銃の最初の相手だとは、思わなかったけどな…………勇太っ!』
ショットガンの銃口が向けられたのを合図にして、睦月は挑みかかった。
――『掃除屋』、鵜飼勇太に。
そんな過去があってか、睦月は今でも、下手をすれば久し振りに再会した英治の時以上に、勇太を警戒していた。
仕事用の車に今では使い込まれた自動拳銃も載せ、さらには『ペスト』を引き連れてようやく、目の前に立つ準備ができる程に。
しかし、それもまた予想できていたのか、勇太は特段気にすることなく、睦月達を出迎えてきた。
「てっきり『傭兵』辺りを連れてくるんじゃないかと思ってたんだが……」
「何、勇太? 『技術屋』じゃ不満なの?」
弥生は停車させた小型二輪にもたれかかりながら不満げな顔をし、指先でペストマスクを弄んでいる。しかし勇太は肩を竦めるだけで、そんな意図はないとばかりに首を横に振ってきた。
「いや……ついでに挨拶しとこうかと思っただけだ。英治、日本に帰って来てるんだろ?」
「都合良く物事考えてんじゃねえよ……」
タイミングが合えば、もしかしたら英治を誘っていたかもしれなかっただけに、睦月は否定できなかった。やはり濃い付き合いがある分、勇太はこちらのことをよく理解しているらしい。
「……で、俺に何を依頼するつもりだ?」
「それなんだが……」
少し言い澱んだものの、勇太は背後の建造物を指差して、中へと促してくる。
「……先に見せた方が早いな。ちょっと来てくれ」
背中を向けて数歩進むと、ふと勇太は睦月達に……睦月に声を掛けた。
「ああ……銃口向けたきゃ、好きにしていいぞ」
「……それこそ、いまさらだろ」
それでも、ウエストホルスターを腰に巻き付けつつ、睦月は勇太の後を追って行く。銃は抜かないまでも、半端に警戒する様子に呆れた弥生もまた、その後に続いた。
レストランを出た姫香は二人と別れた後、自宅に戻らないまま、公園の奥へと足を踏み入れていた。
「…………」
食後の散歩であれば、そのまま自宅への帰路だけで事足りる。けれども、姫香は口を閉ざしつつ、武器になりそうな物が周囲にないかと、視線を彷徨わせていた。
(……ま、何とかなるか)
特にはなさそうだったものの、後ろ腰には護身用の特殊警棒を隠し持っている。一先ずは、それで対処するしかない。
公園の奥に進めば、もう公園の敷地の端だ。適当な施設の裏に回れば、人気も何もない。
……迎え撃つには、十分だった。
「相変わらずのようだな……」
姫香は無言のまま、声のした方を振り向く。
予想通り、建物の陰から、姫香の顔馴染みが顔を出してきた。
……黒のショートヘアで、姫香と同年代の少女が。
丁度ジョギングでもしていたのだろう、今はランニングウェアとウエストポーチしか身に着けていない。けれども、彼女もまた姫香と同様に、身近な物を武器として扱う訓練を受けている。
「しかし、未だに話せないとは……それだけでも私の勝ちがあああっ!?」
油断はできないものの、姫香には相手の話を聞く理由はない。だから先手を打った。
人間の眼球は構造上、上下左右には動かせても、斜めに動かすことができない。なので、正面に立つ相手が身体を斜めに動かしてくれば、視線だけで追い掛けるのは難しかった。
視線以外で追い掛ければいいのだろうが……残念なことに、反応しようにも姫香の動きの方が速かった。
「きっさまぁああああ……!?!?」
背後に回ってのバックドロップ。辛うじて後頭部への直撃を免れた少女は、防御の為に地面に回していた腕を片手だけ外し、姫香に向けて伸ばそうとしてくる。
その前に姫香は組んでいた両手を離すと、素早く地面に突いた手で反動を生み出して跳び、少女から距離を取った。反転して膝立ちになったまま姿勢を低くし、いつでも引き抜けるように特殊警棒の持ち手へと腕を伸ばす。
「本当、貴様。あの『運び屋』に似てきたな……」
姫香が距離を取った後、背中から地面へと倒れ込んだ少女はそのまま下半身を持ち上げ、首跳ね起きの要領で飛び上がっていた。
「少し嫌味を言っただけで、容赦がなさすぎだろうが……」
溜息を吐きつつ……両手を上げた少女、鵜飼理沙を見て、姫香もまた構えを解いた。
もっとも……相手は姫香にとって緘黙症の対象で、自分から口を利くことはできないが。
「……あれ? そういえば勇太、理沙ちゃんは?」
「あいつは休日だ。今頃公園辺りでも、走ってるんじゃないか?」
工場地帯内にある工場の一つ。その中へと入り、奥へと進む道すがら、弥生は勇太の連れがどこにいるのかを聞いていた。
「というか……今回の件、あいつは外した。他にも仕事あるし、今はそっちを任せてる」
「景気がいいことで……」
人は生きる上で、必ずものを廃する。ゆえに、職種の差はあれど、清掃業界の需要は高い。それこそ、免許的な問題で高給取りなことの多い運送業者よりも高額かつ簡易的に、だ。
それは裏社会でも例に漏れず、犯罪現場の隠蔽や痕跡の排除、死体の処理だけでも巨利多売が見込める。常にではないが……ガキ大将の少女の実家を除けば、勇太の家は地元で一番の金持ちだった。
「だったら『掃除屋』に転職するか? お前なら免許がある分、最初から高給取りだぞ」
「断る。女に逃げられるだろうが……」
それでもなお、清掃業者になろうと思わない人間の方が多い理由は、そのイメージの悪さにある。
何しろ、相手にするのは廃棄物なのだ。外見や仕事に対する負のイメージだけでなく、染みついた匂いは身体から中々剥がれることはない。
特に裏社会では、処理するのはただのゴミでは済まなくなる。犯罪で用いられた機材や違法な消耗品はまだましな部類だ。犯罪の痕跡を消すのも違法性を除けば、専門の清掃業者だと思っても差し支えない。対象が人間の死体でも、状況にもよるが、別業種である葬儀屋の仕事と大差はなかった。
だが、一番の問題は……その廃棄物が、生者にまで害を及ぼす可能性があることだ。
たとえ、誰かがやらなければならない問題だとしても、自ら貧乏クジを引きたがる人間はまずいない。ゆえに、就職活動において清掃業界は、就職難であっても選ぶ者は極端に少なくなる。
「……それ以前に、まずお前の所は選ばねえよ」
「そりゃ残念」
そうこう話している内に、勇太の足が止まる。工場内の中心、どうやら目的地に到着したらしい。
「あれが……今回のお前の仕事だ」
勇太が横に逸れることで、睦月の視界に一台の車が映る。
塗装前の、金属が剥き出しになっている状態の車体だった。2シーターのスポーツカーで、デザインだけでも高速仕様だということが分かる。
「『走り屋』として運転手に徹するでも、『運び屋』として結果を運んでくるのでも構わない。俺の依頼……要求はたった一つ」
横並びに歩き、一台の車の前に立つ三人。その車体に掌を当てながら、勇太は睦月の方を向き、言い放ってきた。
「……『レースに勝て』、それが俺の依頼だ」
「お前達……『クリフォト』と戦り合ったんだってな」
両手は挙げたままだが、理沙は未だに戦意を喪失していない。会話の応対次第では、第二ラウンドも辞さない構えだ。
その気配を感じ取ってか、姫香はゆっくりと腰を持ち上げてから首を振り、指を一本だけ立てた。
数字の一、つまり姫香が言いたいのは一月、
「ああ……戦り合ったのは『運び屋』の方か」
……睦月のことだった。
「だが、『運び屋』から話は聞いているんだろう?」
いつもなら腕を組むところだが、姫香は憮然とした表情のまま、頷くだけに留めた。たとえ自分以下とはいえ、相手が相当の実力者だと知っているからだ。
「そのメンバーが他にも、日本に来ている。少なくとも今、その一人が好き放題やっているらしい」
目の前にいる少女は、決して味方ではない。けれども、理沙は姫香に、場合によっては代価が発生しかねない情報を伝えてくる。
理由は様々あれど、結論としての本質はただ一つ。
「その件で……近い内に、義兄が『運び屋』に依頼するそうだ」
その情報に、関わることになるからだ。
「……ストリートレーサーの勧誘?」
「聞こえはいいが、実際は違う……ぶっちゃけると、古き悪き人間爆弾だな」
弥生に、勇太と周囲の警戒を指示した後、睦月は用意された車をあちこち確認して回っている。最初から運転席には座らず、前方と後方に設置されたエンジンの状態を見ながらにはなるが、睦月の口は依頼内容と状況把握の為に疑問を吐き出していた。
「車は手始めだ。要は乗り物に爆弾と人間を載せて、そのまま運転して突っ込ませる、ってとこだろう」
「それで……野良のストリートレーサーを勧誘してる、ってことか」
「勧誘の女の容姿に惹かれる奴もいれば、実力であっさりと従わされる奴もいる。従わなかった連中は全員、不慮の事故に巻き込まれちゃいるが……記録を見る限り、人為的に起こせるものばかりだ」
「美人に弱い馬鹿ばっかなのは、相変わらずだな……」
勇太の説明を要約すると、こうだ。
レーサーをはじめとしたプロドライバーの勧誘と称して、運転技術の高い人間を掻き集めて爆弾の材料にする。それを目的にして『犯罪組織』のメンバー、もしかしたら幹部かもしれない人間が動いているらしい。
手始めこそ列島の南側から徐々にだが、すでに何人も勧誘され……ある国に連れ去られている。
「……で、今度の標的は俺達の古巣、ってことか」
「ああ、昔の伝手で泣き付かれてな」
警戒されているはずだが勇太は気にせず、手近に置いてある椅子に腰掛けだした。
「もう引退したとはいえ、ほっとくのも目覚めが悪いし……何より、狙いの中に『最期の世代』が含まれている可能性もある」
その指摘に、おそらく間違いはないだろう。
以前、睦月が対峙したアクゼリュスもまた、『最期の世代』の面々に並々ならぬ怨嗟の念を抱いていた。勧誘の最中であれ目標の達成後であれ、また襲い掛かってくる可能性はゼロじゃない。
感情論でもそうだが、国家権力以外で(実績込みで)対抗できうる戦力を放置するなんて、間抜けもいいところだ。大なり小なり対策を練ってくるのは、火を見るよりも明らかだった。
「だから先手を打って、こっちの代表と向こうでレースをやる。負ければ有志数十名が勧誘されるが……勝てば向こうの面子は丸潰れだ。これ以上勝負を挑まれることはない」
「でもそれって……結局は力尽くで拉致される可能性もなくない?」
「だったら、最初からやってるはずだ」
座席の具合を確かめてから腰掛け、ハンドル周辺を弄りつつ、睦月は弥生の疑問を否定した。
「派手にやれば、さすがに国が動くとでも思ってるんだろう。だが逆に言えば……」
「……なりふり構ってる内に潰しておかないと、後々面倒なことになる」
睦月の言に、勇太が引き継いで告げる。
「いつも通り、段取りはこっちで済ませてある。後はお前が請けるかどうか、だけだ」
そこで勇太は立ち上がり、ハンドルグリップやシフトレバーの握り具合を確かめている睦月から数歩離れた場所に移動した。
「…………で、どうする?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる