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雨降らしの舞
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ひどい日照りの続く、夏だった。
収穫を控える前の作物は萎びて、町の中を無数に走る水路は枯れ果てている。小屋の中の家畜たちも、日陰に身を寄せあって、ぐったりとして動かない。
私はその夜、しゃらん、と両手の中指につけた鈴を鳴らしながら、乾いた土を踏みしめて、歩いていた。
「雨巫女様のご登壇だ」
誰かがそう言う、声が聞こえた。
だが道を空ける人々は、皆地面に俯き、膝まづいているため、顔が見えない。
しゃらん、と再び鈴を鳴らしながら、私は祭壇への道を進む。
雨巫女というのは、ひどい日照りが続く時期に、雨を呼ぶ儀式を行う者だ。
毎年、町の住民から成人していない女子が一人選ばれ、雨巫女となる。
儀式は、供物と祈りの舞による、神への嘆願だ。
神よ、どうか我らに豊穣の雨を、と祈りを捧げ、踊るのだ。
たん、と私は、木で造られた祭壇への階段を登る。
雨巫女しか立ち入ることの許されない、神聖な場所。
周囲では、大人たちが囲うようにして、火を炊いて、私を見ている。暗がりの中を、赤い光がその横顔を照らす。皆、眉を寄せあって、なぜか睨まれているようにすら見える。
生存がかけられた儀式だ。必死になるのも、無理はない。
祭壇は、高さ60寸ほどの高さで、130寸四方の囲いをされた、最奥に依代を祀る、簡素な場所だった。
私は神前に置かれたマッチを擦り、蝋燭に火をつける。ゆらりと2本の火が、一瞬だけ揺らいだ。
手に持っていた、赤い実のついた柊を、そっと神前に添える。
そして、私は供物である酒を、一口含むと、そのまま盃にゆっくりと出した。
雨巫女の口噛み酒を捧げるのだ。私はことん、と丁寧に、柊の隣に盃を置いた。
白い装束の裾を持ち上げながら、ゆっくりと立ち上がる。腰につけた鈴が、しゃん、と小さく音を立てた。
私は祭壇の真ん中で、目を瞑り、静かに息を吐いて、胸の前で手を揃えると、しゃらん、と鈴を鳴らした。
指先に、つま先に、一つ一つの動作に意識を込めて、丁寧に動かしていく。
手は右から左へ水を掬うように、足は円を描くように木の床を擦り、伸びた髪を揺らしながら、中指を動かす。
しゃん、しゃん、しゃん。
上から横へ羽を広げるように、膝を沈めて、水面に降り立つように、空を仰いで、また目を伏せて。
しゃん、しゃん、しゃん。
私の動きに合わせて、赤い炎が視界を流れる。
大人たちの顔も、流れていって見えない。私を目で追う気配だけ感じる。
しゃん、しゃん、しゃん。
赤い炎の、明るさが薄れる。
空が白くなり始めた。太陽が徐々に登り始める。
しゃん、しゃん、しゃん。
汗が滴る。私が腕を振れば、汗は玉となって弾け飛んでいく。
髪が頬に張りついて、うっとおしい。
しゃん、しゃん、しゃん。
空が紅に染まる。やがて紫を帯びて、藍色の時間が訪れる。木の床に跡を作るのは私から滴る汗だ。目を伏せる度、一瞬の期待に絶望する。
しゃん、しゃん、しゃん。
二日目の朝だ。爛々と、私の周りで火は炊き続けられている。
温い風が熱気を運んで、装束の袂を揺らす。
しゃん、しゃん、しゃん。
太陽は私の真上。空を仰げば、その光に目が眩む。
だけど倒れてはいけない。私は神事の最中なのだから。
しゃん、しゃん、しゃん。
鴉の鳴く声が遠く聞こえる。
燃える空はもう静けさを取り戻した。
月が遠い。何故そんなに明るく、弧を描いて、私を嗤うのか。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
何日経ったかは、もう気にしなくなっていた。
手足の感覚はもうない。指先もつま先も必死に伸ばすが、きっともう伸びきってはいない。
汗はもう出なくなった。空はこんなに暗いのに、視界は徐々に白に染まっていく。
赤い炎が、流れる。それも白に呑み込まれて、薄れていく。
鈴の音と、私の足音しか聞こえない。
世界には私しかいない。
頭で唱えるようにしていた舞は、とうの昔に身体が覚えた。
耳元で脈打っていた心臓も、遠くなった。
いつまで踊れば、雨はまだか、などという浅はかな思考も、消え去って行った。
空っぽの身体が、心が、祈ることも忘れ、願うことも忘れ、ただただ踊り続ける。
遠く鈴の音に混ざって。
はた、と、音がした。
しゃん、しゃん、しゃん。
ぱた、ぱたぱた、ぱたぱたぱた。
生ぬるい液体が、頬を打った。
祭壇の蝋燭が消え、周りを囲う炎が、小さくなる。
高い、歓喜の声が、遠く鈴の音に混ざる。
それはやがて、低く打ち付ける雨音に、かき消されていく。
私は、ようやく、伸ばしていた腕を、おろした。
視界はほとんどが白く染まってしまって、正直見えていない。まるでその場で浮いているように、足の感覚はない。自分のものでないかのような腕の先で、しゃらん、と鈴の音がする。
こっちだよ。
呼ぶ声がした。顔を上げるが、何も見えない。
力の入らない足は膝から崩れ落ち、私は祭壇の、汗と血の染み込んだ床に、身を沈めた。
白い指先が見える。中指に、鈴がついている。ああ、私の手か。
徐々に勢いを増す雨が、もう出なくなった汗も、血も、思考も全て、流していくようだ。
私はそっと、目を閉じた。
低い雨音の中で、遠く鈴の音を聞いた気がした。
豊穣の雨。
それは、雨巫女が神に自らを捧げて降らす、美しき血の雨。
収穫を控える前の作物は萎びて、町の中を無数に走る水路は枯れ果てている。小屋の中の家畜たちも、日陰に身を寄せあって、ぐったりとして動かない。
私はその夜、しゃらん、と両手の中指につけた鈴を鳴らしながら、乾いた土を踏みしめて、歩いていた。
「雨巫女様のご登壇だ」
誰かがそう言う、声が聞こえた。
だが道を空ける人々は、皆地面に俯き、膝まづいているため、顔が見えない。
しゃらん、と再び鈴を鳴らしながら、私は祭壇への道を進む。
雨巫女というのは、ひどい日照りが続く時期に、雨を呼ぶ儀式を行う者だ。
毎年、町の住民から成人していない女子が一人選ばれ、雨巫女となる。
儀式は、供物と祈りの舞による、神への嘆願だ。
神よ、どうか我らに豊穣の雨を、と祈りを捧げ、踊るのだ。
たん、と私は、木で造られた祭壇への階段を登る。
雨巫女しか立ち入ることの許されない、神聖な場所。
周囲では、大人たちが囲うようにして、火を炊いて、私を見ている。暗がりの中を、赤い光がその横顔を照らす。皆、眉を寄せあって、なぜか睨まれているようにすら見える。
生存がかけられた儀式だ。必死になるのも、無理はない。
祭壇は、高さ60寸ほどの高さで、130寸四方の囲いをされた、最奥に依代を祀る、簡素な場所だった。
私は神前に置かれたマッチを擦り、蝋燭に火をつける。ゆらりと2本の火が、一瞬だけ揺らいだ。
手に持っていた、赤い実のついた柊を、そっと神前に添える。
そして、私は供物である酒を、一口含むと、そのまま盃にゆっくりと出した。
雨巫女の口噛み酒を捧げるのだ。私はことん、と丁寧に、柊の隣に盃を置いた。
白い装束の裾を持ち上げながら、ゆっくりと立ち上がる。腰につけた鈴が、しゃん、と小さく音を立てた。
私は祭壇の真ん中で、目を瞑り、静かに息を吐いて、胸の前で手を揃えると、しゃらん、と鈴を鳴らした。
指先に、つま先に、一つ一つの動作に意識を込めて、丁寧に動かしていく。
手は右から左へ水を掬うように、足は円を描くように木の床を擦り、伸びた髪を揺らしながら、中指を動かす。
しゃん、しゃん、しゃん。
上から横へ羽を広げるように、膝を沈めて、水面に降り立つように、空を仰いで、また目を伏せて。
しゃん、しゃん、しゃん。
私の動きに合わせて、赤い炎が視界を流れる。
大人たちの顔も、流れていって見えない。私を目で追う気配だけ感じる。
しゃん、しゃん、しゃん。
赤い炎の、明るさが薄れる。
空が白くなり始めた。太陽が徐々に登り始める。
しゃん、しゃん、しゃん。
汗が滴る。私が腕を振れば、汗は玉となって弾け飛んでいく。
髪が頬に張りついて、うっとおしい。
しゃん、しゃん、しゃん。
空が紅に染まる。やがて紫を帯びて、藍色の時間が訪れる。木の床に跡を作るのは私から滴る汗だ。目を伏せる度、一瞬の期待に絶望する。
しゃん、しゃん、しゃん。
二日目の朝だ。爛々と、私の周りで火は炊き続けられている。
温い風が熱気を運んで、装束の袂を揺らす。
しゃん、しゃん、しゃん。
太陽は私の真上。空を仰げば、その光に目が眩む。
だけど倒れてはいけない。私は神事の最中なのだから。
しゃん、しゃん、しゃん。
鴉の鳴く声が遠く聞こえる。
燃える空はもう静けさを取り戻した。
月が遠い。何故そんなに明るく、弧を描いて、私を嗤うのか。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
しゃん、しゃん、しゃん。
何日経ったかは、もう気にしなくなっていた。
手足の感覚はもうない。指先もつま先も必死に伸ばすが、きっともう伸びきってはいない。
汗はもう出なくなった。空はこんなに暗いのに、視界は徐々に白に染まっていく。
赤い炎が、流れる。それも白に呑み込まれて、薄れていく。
鈴の音と、私の足音しか聞こえない。
世界には私しかいない。
頭で唱えるようにしていた舞は、とうの昔に身体が覚えた。
耳元で脈打っていた心臓も、遠くなった。
いつまで踊れば、雨はまだか、などという浅はかな思考も、消え去って行った。
空っぽの身体が、心が、祈ることも忘れ、願うことも忘れ、ただただ踊り続ける。
遠く鈴の音に混ざって。
はた、と、音がした。
しゃん、しゃん、しゃん。
ぱた、ぱたぱた、ぱたぱたぱた。
生ぬるい液体が、頬を打った。
祭壇の蝋燭が消え、周りを囲う炎が、小さくなる。
高い、歓喜の声が、遠く鈴の音に混ざる。
それはやがて、低く打ち付ける雨音に、かき消されていく。
私は、ようやく、伸ばしていた腕を、おろした。
視界はほとんどが白く染まってしまって、正直見えていない。まるでその場で浮いているように、足の感覚はない。自分のものでないかのような腕の先で、しゃらん、と鈴の音がする。
こっちだよ。
呼ぶ声がした。顔を上げるが、何も見えない。
力の入らない足は膝から崩れ落ち、私は祭壇の、汗と血の染み込んだ床に、身を沈めた。
白い指先が見える。中指に、鈴がついている。ああ、私の手か。
徐々に勢いを増す雨が、もう出なくなった汗も、血も、思考も全て、流していくようだ。
私はそっと、目を閉じた。
低い雨音の中で、遠く鈴の音を聞いた気がした。
豊穣の雨。
それは、雨巫女が神に自らを捧げて降らす、美しき血の雨。
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