踏み出せない一歩

れい

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踏み出せない一歩

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一体誰が言い出したんだと、俺は一人、ため息を吐いた。


大学の研究室棟の屋上で、一筋の白い煙が上がった。
空はもう真っ暗だ。向かいの棟にも点々と灯りが見えるが、昼間の大学に比べたら嘘みたいな静けさが広がっている。
俺はふぅー、とフェンスに背を預けて、タバコの煙を月に向かって吐いた。煙は月をうっすら覆って、少し落ちると風に溶けて消える。
先程まで誰もいない研究室の一角で、俺は卒業論文に使うデータを整理していた。だけど少し目が痛くなったので、まさに小休止の真っ最中である。この屋上はあまり人が来ないから、休憩はいつもここでしていた。寒さが厳しくなって来たこともあって、昼間もそうだが、夜は尚更、一人ぼっちである。

俺の研究テーマは、最初はざっくり言うと新たな病因遺伝子の発見だった。だが何かを発見する、というのは、そう上手く行くはずもなく。遺伝子に着目したままとはいえ、そのテーマは少しずつ形を変えていった。
大学四年時に内定を貰えなかった俺は大学院の修士過程に進み、修士一年でも就活に失敗をし、結果博士課程へと進んだ。
博士課程ももう四年目だ。気付けば28歳になる。
ここまで来ればいい論文を出して、大学に残れれば准教授を経て将来は教授という道もあるが、生憎その道は優秀な同期に盗られていた。
先生も俺の研究には期待していない。博士課程の論文は厳しいが、それをクリア出来る範囲で、徐々に研究内容のレベルを落とそうと先生が俺を操作していることにも、俺は気付いていた。
俺に必要とされているのは、就職することだ。

昨今の就活生は、ネットで調べれば調べるほど、様々な言葉で分類されていく。
高卒、新卒、既卒、第二新卒、第三新卒…。
俺が大学四年生だったときに、第三新卒なんて、聞いたことがあっただろうか。興味がなかっただけかもしれないが、そんな言葉、なかったと思う。
今ではみんなは当たり前に使っているけれど。
だけどそんな言葉は、なんだか、何でも新をつければ良く見えるみたいな風潮にしか、俺には見えなかった。
各呼び方ごとに有利な点とか、メリットとか、多くのまとめサイトがあるけど、不利な点はあまり書かれていない。
いいことばっかり書いて、もしかしたら、読んだ人をやる気にさせることもあるのかもしれないが、生憎疑い深い俺はそんな文書を見る度、嫌気がさしていた。

28歳。そう言えば、新卒で大手に就職した友達は、今年婚約したことをSNSで幸せそうに記事にしていた。
他にも、最初ブラックIT企業に就職してしまったあいつも、この間ホワイトめなところに転職したって、言っていた。

俺には将来の道が見えない。
就職も上手くいかない、論文だって上手くいかない、そもそも卒業出来るのかも怪しい、奨学金だけが膨れ上がっていってて、人望もなければ伝手もない。
連絡出来る友達も減ったし、彼女だってもちろんいない。
昔の友達とたまに飲みに行くけど、正直話は合わない。俺だけに分からない未知な世界の、大変だと言いながらそれでも楽しそうに話す奴らに、燻った胸をビールを煽りながら相槌を打つことしか、俺には出来ないのだ。

就職をする、となると、俺は所謂第三新卒にあたる。
第三新卒はその分野に特化した知識を持っているから研究職に有利。
これまで研究をやり込んできた真摯な熱意を力に変えて、企業にアピール出来れば有利。

誰だ、そんな都合のいいことばかり、言い出した奴らは。

第三新卒の就活なら〇〇就活サイト!……結局は、就活サイトが企業からマージンを貰うためとか、そういうことなんじゃないのか。

一年後、いや、半年先でもいい。せめて未来に光があることが見えれば、良かったのに。
俺には足元に続く道が、1メートル先すらも真っ暗で見えない。
そもそも一歩踏み出した先に、道があるのかすら見えていない。

タバコはもう短くなっていた。
俺は月にため息を吐いたが、白いため息はすぐに風が攫って行く。
目を閉じて、このまま眠れたらいいのに、とすら時に過ぎる。
それなのに、前にも横にも進めない俺なのに、背中を預けたフェンスを越える道だけは、選ぶつもりがなかった。
選ぶ勇気なんて、そもそも持ち合わせていないのだ。

本当は分かっていた。
俺は心の底で、まだ暗闇の中の光を、期待しているんだと思った。
だから俺は、今日も論文のデータを片すことしか、出来ないのである。
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