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27 疲れているからこそ、会いたい
しおりを挟む神崎さんのことを考えている時、ちょうど着信音が鳴った。
「もっ、もしもし!」
「……ふっ」
慌てて電話に出た私の声を聞いて、彼は小さく笑った。
ワンコール目で出たせいか、少し照れくさそうな笑い方だった。
「突然電話してすみません。今から、会えたりしますか?」
「えっ!」
「少しでいいので」
「もちろんです! どこに行けばいいですか?」
通話をしながら、私は玄関に向かっていた。
コートを羽織り、鍵を掴み、靴を履きかけたその瞬間――。
「実は今、広瀬さんのマンションの近くにいるんです」
「っ!」
その言葉を聞いた途端、胸の奥で何かが跳ねた。
考えるより先に、私は外に飛び出していた。
秋の夜気が頬をなでる。
角を曲がると、街灯の下に立つ神崎さんの姿が見えた。
車のドアを閉める彼が、こちらを向いてふわりと微笑む。
「神崎さんっ!」
嬉しさと驚きとで、胸がいっぱいになる。
飛びつきたいほどだったけれど――
彼のネクタイは少し緩んでいて、目の下にはうっすらと疲れの影が見えた。
それでも、どこか絵になるほど整っていて、街灯の光に照らされた横顔が、ほんの少し儚く見えた。
その姿が、私の心をどうしようもなく掴んで離さない。
胸の奥が、痛いくらいに高鳴った。
「急に、すみません。少しだけ時間が取れそうだったので。広瀬さんがもう寝ていたら、諦めようと思っていたんですけど……会えてよかった」
その穏やかな声に、胸がきゅっと締めつけられる。
嬉しいのに、同時に心配で、涙が出そうになった。
「来週の土曜は、休みが取れそうなんです。もし予定がなければ、食事に行きませんか?」
「仕事で疲れてるのに……。それを伝えに、わざわざ来てくださったんですか?」
わざわざ来なくても、電話一本で伝えられるのに。
そう言うと、神崎さんは一瞬だけきょとんとした顔をして、それから柔らかく笑った。
「疲れているからこそ、広瀬さんに会いたかったんです」
「っ、」
その瞬間、私は息を呑んだ。
『仕事で疲れてるから、今日は無理』
倫太郎に何度も言われた言葉が、頭をよぎる。
けれど神崎さんは、その真逆を言った。
――疲れているからこそ、会いたい。
私を、癒しとして思ってくれている。
胸の奥が熱くなって、涙がこぼれた。
「広瀬さん……?」
「――好きです。私、神崎さんのことがッ!」
思わず告げてしまった言葉の途中で、そっと抱きしめられる。
突然の温もりに、心臓が暴れ回った。
「その先は、僕から言わせてください」
彼がゆっくりと体を離し、私をまっすぐに見つめる。
街灯の光が瞳に映り、夜風が髪を揺らした。
「広瀬紬さん。僕は、優しくて思いやりのあるあなたのことが好きです。僕の恋人になってくれませんか?」
夢を見ているようだった。
信じられない。
神崎さんのような人が、こんな平凡な私を――。
「ダメですか?」
少し不安そうに問いかける声に、胸が熱くなる。
「っ、そんなわけないです! ……ただ、信じられなくて……」
頬を伝う涙を見て、神崎さんがそっと笑った。
そしてもう一度、優しく包み込まれる。
「広瀬さんのことを思うたびに、息をするみたいに力が抜けていくんです。どんなに疲れていても、不思議と心が落ち着く。だからこれからも、あなたの傍にいたい」
その声は、夜気よりも温かかった。
世界が静まり返り、二人だけの時間が流れていた。
ゆっくりと腕の力がほどけ、互いの距離がわずかに開く。
離れていくはずの手が、名残惜しげにそのまま指先を掠めた。
指の腹をやわらかく重ねられ、心臓がまた跳ねる。
言葉はもういらなかった。
指先だけで、互いの気持ちが伝わる気がした。
夜風が静かに吹き抜けていく。
街灯の光の中で、二人の影が重なり、ひとつになった。
――きっとこの瞬間を、私は一生忘れない。
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