祈りの夢現

西薗蛍

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Day5 大切なひと

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 今日もまた夢を見た。大人になった少女と自分の夢だ。

 彼は楽しく少女の話を聞いていた。彼女も同じように、この日も笑顔を絶やさない。二人でいる時間はとても穏やかで、心地がいいものだ。

 けれど、彼の中には違和感がある。彼女を大切に思う気持ちは変わらないのに。自分が、自分だけがおかしい。この違和感は二度目だ。以前の彼はそれに翻弄されるままだった。ただ苦しい、辛い、そればかりで。

 しかし、今日ははっきりとその理由を自覚していた。

 自分はもうすぐ死ぬのだ。

 決して彼女に悟られてはいけない。



 彼はハンモックに横たわったまま、しばし空を眺めていた。

 どんよりと厚い雲がかかる空の中、先ほどの夢と以前の記憶を重ね合わせる。どうにも夢見が悪いのは、この間自分が死んだのではないかと思ったせいだろうか。いや、そもそも体の感覚が薄いのだ。自分が死にかける夢など、いつ見ても不思議ではない。誰かに殺される夢よりまだましなのかもしれない。

 彼はため息をついた。

 重暗い雲が、狭苦しい空をのっそりと進んでゆく。

 その灰色に、夢の少女の姿が重なった。夢を見ながらぼんやりと自覚していたが、彼女の夢ばかり見る。覚えている中で、彼女が出てこなかった夢は一度もなかった。
 今、自分の知る人物はこの空間にいるライネという女だけ。他の知り合いは思い出せない。順当に考えれば、夢に出てくる少女はライネということになる。

「……それはないな」

 彼は吐き捨てると、ハンモックの上で器用に寝返りを打った。

 夢の少女とライネは、まず顔立ちが違う。目の色も、髪も、記憶に残る声だって。会話は思い出せないから、話し方での比較はできないが。無理矢理共通点を探すとするならば雰囲気だろうか――彼は漠然と思案する。が、あまりにも抽象的なイメージしか沸かず、それ以上考えることをやめた。

 夢は夢だ、自分とは何の関係もない。単調な灰色の世界にある唯一の変化。彼にとってはそれだけだった。

「今日はそのまま眠りますか?」

 くすりと笑う声が頭上から降ってくる。顔を上げると、ハンモックの傍らに立つライネの姿があった。

 自分だけ寝転がっているのがどうにも落ち着かず、彼は慌てて上体を起こす。体を支えるハンモックが不安定に揺れた。

「いや……」

 不自然な揺れが止まった後、彼はゆっくりと立ち上がる。その最中、ライネの顔を窺った。やはり夢の彼女とは別人だ。瞳の色はもう少し明るいし、あいつはもっと平和そうな顔をしている。足下へふっと笑みを零して、しばし。

 ……なんで今俺は笑った?

 意味が分からなかった。理解もできない。その理由を辿っていると、先ほどの夢の景色を思い起こす。よく分からない。よく分からないが、自分が今、夢の中と同じ感情を抱いていることだけは理解できた。

「どうかしましたか?」
「女の夢を見るんだ。あんたとは全然違う性格の」

 ライネは薄く開いていた唇を閉じ、真っ向から彼に向き合う。

 彼もまた、改めてライネの姿を正面から見た。すると、先ほど脳内で不要だと片付けた言葉が浮かんできた。

「見た目も全然似てないんだがな。けど、なにか……雰囲気が、似てるような気がした」

 あまりにも抽象的過ぎる表現。そのまま飲み込もうとしたが、彼女であれば、なにか明確な言葉で捉えるかもしれないと期待した。

「……どうでしょうか。私には分かりません」

 しかし、彼女の口から出たのは、予想を大きく外れる答えだった。ほとんど感情の載らない声が、明らかに哀を帯びた気がして、彼は思わず顔を上げる。ライネは森のどこかを見つめていた。以前結界を見た時と同じように、どこか遠くを見ている目だ。けれど、そこにある感情は明らかに異なる。

 哀色の瞳が、彼をゆっくりと捉えた。

「あなたは、その方をどう思いますか?」
「嫌ってはない……、悪くは思ってないんだろ、多分」

 大切。ふっと、脳裏にそんな言葉がよぎる。けれどそれを口にするのはどこか気恥ずかしい。少なくとも夢での扱いはぞんざいじゃないと蓋をして、胸の奥にしまい込んだ。

「夢の俺に聞いた方が正確かもしれないな」
「そうですか」

 ライネは最低限の言葉を返すと、濃い雲のかかる空を見上げる。

「降りそうか?」
「恐らくは」

 黒い雲がこちらに向けてゆっくりと流れてきた。湿気のにおいが鼻に付く。湿度による不快感は分からない。が、常時晴れているここにも雨は降るのか、と彼は妙に感心した。

「本日はそちらでお休みください。このあたりは安全ですから」

 彼が頷くと、ライネは背を向けてどこかへ歩き去った。


 やがて、小雨が音もなく降り始めた。

 ライネの言葉通り、ハンモックの周りには雨粒一つ落ちない。この周辺の地面だけが、不自然に乾いた色をしていた。

 安全という言葉の真意を理解し、彼は自分の意思で眠りについた。
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