一人語り

木ノ下 朝陽

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駅前のカラオケルームにて(十九)・「天祐神助」と「怨敵退散」

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バルコニーと地上との間を挟んだ男女のやり取りには違いない…とは言うものの、『ロミオとジュリエット』とは程遠い「舌戦」、…下からひたすら怒鳴り上げるばかりの押谷教職員はともかく、上からの女の子の声は、口調こそ陽気で、ちょうど、地面より高いところには登って行けない犬を、猫が高い塀の上からからかう様子にも似ていましたけれど、…でも、舌戦と言っても、『から騒ぎ』のベアトリスとベネディックとでも言うような可愛いらしいものではなくて、まるで、…ちょうど『マクベス』の大詰、マクベスに妻子を殺されたマクダフと、当のマクベスとの一騎打ちの場面のような 、より殺伐としたものを秘めているということは、この「舌戦」に関してだけ言えば、単なる一人の傍観者に過ぎない私にも、言葉尻やら口調やらの雰囲気から感じ取ることができました。いえ、今、私は思い付くままに『マクベス』を挙げただけなのですけれど、…その、半地下の駐車場に匿われた時点では、全く知りませんでしたけれど、私は追々、両者の…いえ、正確に言えば、お互いの属する両陣営の間に、マクダフがマクベスに抱くのと同じくらいの、怨みや怒り、それに復讐心が介在していた、という事実を知る、と言うか、知らされることになるのですけれど…。
それはともかく、結局、マクベスの一時退却…ではないですけれど、押谷教職員が舌戦の挙げ句、捨て台詞を吐いて学校の方に戻って行ったらしい気配を察知して、ようやく安堵すると同時に、私は改めて、自分の隣の、どうやら、私の『逃亡』に手を貸してくれたらしい人物の、その姿形をつくづくと観察しました。
相手は既に私の肩からは手を放して、私を半ば自分の背で庇うようにして、携帯電話を手に、その壁の窪みの陰から駐車場の入り口の方を窺っていました。私より心持ち…握り拳ひとつ分くらい目の位置が高い、どうやら当時の自分と大して歳の変わらない「男の子」でした。…恐らくは同い年が、それともひとつかそこいら歳下かとは思われましたけれど、小学生にしては、雰囲気が少し大人び過ぎているように思えました。さすがに「絶世の美男子」という訳ではありませんでしたけれど、感じの悪くない、もし共学校の生徒だとしたら、一緒のクラスに一人か二人は密かなファンでもありそうな…といった雰囲気の顔立ちに、全体にすらりとした、標準体型よりやや痩せ型といった身体付きで、身に付けているのは、繰り返し水を潜ったという印象の、有名ジーンズメーカーのロゴの入ったパーカーと、こちらもかなり洗い晒した雰囲気の、比較的タイトな仕立てのデニムパンツでしたけれど、でも、元の物が良いのと、手入れがきちんとされているらしいのとで、みすぼらしいという印象はなく、むしろ「こなれた感じ」に映りました。頭に被った、ぐるりにつばのある帽子…ハット、とでも言うのでしょうか?それに上から羽織った、見た感じでは幾分サイズが大きめのダウンジャケットと、あと、履いているスニーカーはまだ新しいようでしたけれど、その、いかにも「街育ちの男の子の普段着」というスタイルは、彼には良く似合っていました。
男の子は表の方を警戒しながらも、暫く携帯電話の画面と睨めっこをしていましたけれど、不意に彼の手の中の携帯電話が光って、その、マナーモードで受信したらしいメールを、素早く右の親指で開封すると、「ん、…『我ハ敵哨戒艇一艘ヲ撃退セリ、敵退却。但シ横須賀入港ハ不可』か…。 りょーかい」と呟きました。
それから、携帯電話の画面を閉じてポケットの中に仕舞って私の方に向き直ると、…女子校に入学して以来、学校でも、それに祖母の茶道教室でも、「同年代の男の子」という存在が物珍しいこともあって、それまでの間、初めて出会う異世界の住人であるかのように、自分の傍から、じいぃー…と、事態の動向を含めて、それこそ穴が開くくらい、自分の方を観察していた私に向き直って、やや大きめの犬歯が目立つ、にっという感じの笑顔を作って見せた…と思うと
「ああ、…ごめんねえ、立花サン。さっきは色んな意味でびっくりさせちゃったよね?…あれ、立花…葵サン、だよね?そうそう、花が二つ並ぶ名前のヒト。ええとね、俺、河近青司。青信号の青に司るって書いて、セイジ。で、さっき上から、あのクソみたいなセンセーおちょくってけらけら笑ってたのが、ウチの姉貴の河近紅麗、…って言や、立花サンなら事情は分かるでしょ?…でも、考えてみると、我が姉ながら凄い…っつーか、凄まじい名前だよねー、やたら無駄にゴージャスっつーか…。『唐くれない』の『紅』に『麗しい』でアカリ、なんてさぁ…。そんなことない?綺麗で素敵な名前?立花サン、やっぱ優しいね?つーか、はっきり人好すぎだよ?そんなんだから、あのマジモンのクソセンセーに付け込まれるんじゃないの?」
と、…まるで、おもちゃの機関銃を、ぽんぽんぽこぽこと景気良く続け様に撃ち鳴らすような調子で、そこまでほぼ一気に喋り倒すと、河近青司と名乗った男の子は、その間、一言二言口を挟むのがやっとで、ほとんど彼の目の前でぽかんとした顔をしていた私に、再び、…何だか悪戯小鬼のような笑顔で、にぃっと笑って見せました。
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