聖魔の救済者

港瀬つかさ

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32.海原の果て

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 ぱしゃり。砂浜と海との境界線の辺りに、少年が立っていた。引いては寄せる波が、靴を脱ぎ捨てられた足にかかっていた。足首の辺りまで海水に浸かりながら、彼は表情一つ変えなかった。この辺りは世界の北の辺りに属し、水温は驚くほど低い。けれど少年の表情には、冷たさを感じているようなものは、何一つとして浮かんでいなかった。

「風邪を引くぞ。」

 低い、じわじわと染み込むような声が少年に告げた。声の主は少年の傍らにいるのだが、彼は浮遊しているため、波の洗礼を受けてはいなかった。ちらりと、少年が青年を見た。けれどまた、すぐに視線を水平線へと向ける。
 この海を進んでいけば、大陸の反対側にたどり着ける。この世界は綺麗な球体をしていたので、それは周知の事実である。ただ、恐ろしく時間がかかるため、実行する者は少ない。それをするぐらいならば、大陸内を横断した方が早い。
 黄金の髪が、吹き付ける潮風に踊った。鼻を突く潮の香りは、けれど決して不快なものではなかった。波にさらされた足は既に感覚を無くし、冷え切っている。けれど少年の表情には何も浮かばなかった。まるで、出来の良すぎる人形のように。
 風に嬲られる白銀の髪を押さえながら、青年は少年を見下ろした。何も考えていないように見える少年に、ため息をつく。冷え切って、色が不健康なまでに白くなった足首が映る。いい加減にしろと怒るように告げた後に、青年は少年の体を引き上げた。
 海水から離れ、冷えた足首が風に晒される。その瞬間、ぶるりと細い体が寒さに震えた。救いようのない阿呆だと言いたげに、青年は少年を抱えたまま、彼が靴を脱ぎ捨てた、砂浜のもう少し上流の辺りに移動する。放せとふて腐れる少年を無視して、彼は浮遊したまま移動した。
 岩の上に少年を座らせると、青年は靴を差し出した。さっさと履いてしまえと、低い声が告げる。けれど少年は、冷えた足を抱え込んで、動かなかった。指先まで冷えた足は、既に彼のいう事をきかなかった。小指一つ、満足に動かせない。それを滑稽に思ったのか、歪んだ笑みが端整な顔立ちに浮かんだ。

「フーア。」
「……今靴履いたら濡れるから、乾いてからにする。」
「阿呆。乾く前に冷え切って、風邪を引く。」
「いいんだよ。そこまでヤワじゃない。」
「こんな北の地で足を水にさらして、風邪にならない馬鹿がいるか。」
「俺は勇者様だから、平気だ。」
「…………どういう理屈だ、どういう……。」

 がくりと肩を落として、青年はため息をついた。多少なりともぬくもりを残している掌で、少年は自らの足を包み込んでいた。足が熱を奪い、掌までもが冷えていく。普通なら嫌がるその現象を、彼は淡々と見ていた。冷えていく掌と同じように、その顔から表情が消える。
 人形。不意に青年の脳裏に、その言葉が浮かんだ。何かの思い通りに動く、精巧すぎる操り人形。目の前の少年は、時折、人間である事を忘れさせてしまう。感情の欠落と、人間としての何かの欠落によって。
 青年は、掌にそっと大地の力を宿した。生命を育む暖かいぬくもり。それを宿した掌で、少年の冷えた足と掌に触れる。驚いて顔を上げた少年の表情は、年相応のものだった。それに気づかないフリをして、青年は暖め続けた。

「…………物好き。」
「同行者に風邪など引かれては困る。」
「だから、引かないっていってるだろう?」
「お前の事だ。もし引いた時には、俺の魔力を奪って回復を早めるだろうが。」
「………………その手もあったか。」
「……ヲイ。」

 ひくり、と片頬を引きつらせながら、青年が呻いた。名案だなぁ、などという少年がいる。こいつは正真正銘の鬼に違いない。そんな事を、青年は思った。
 だから、青年は見なかった。下を向いたままの彼の視界に、少年の双眸は映らなかった。海の果てを見つめる、その強い眼差しを。そして同時に、ひどく脆い眼差しを。


 自虐的な眼差しで見つめる海原の先には、大陸の反対側があり、そしてそこには、彼の故郷である、オメガ神殿があった…………。
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