脱出ホラゲと虚宮くん

山の端さっど

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ラヴリィ・ラヴリィ・リリー@アパートA一室

らゔりり⑴

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『ロードに失敗しました
 不明なデータの読込を開始します……』


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 見参みまいり 雪佳せつかは、アスファルトから立ち上る熱気からようやく逃れるようにアパート「アリスハウス」の軒下に入り、二階の角、自分の部屋に駆け込んだ。大学生用の小さい建物ながら、たまたま改装したての頃に入居して二年、壁から何から自分好みのピンク系に染まった部屋には満足している。何より、冷凍庫にはアイスが入っている。
 玄関から左右にキッチンとバスルームへ続くドアが見えて、正面には奥の部屋に続く間仕切りのカーテン。まずはカバンを置こうと、雪佳は鼻歌を歌いながらカーテンを引いた。

「えっ……」

 そして、固まった。

「ん……もう無理だって……重、そんな引っ付くなよ……」

 高校生くらいの知らない男子が、寝言を言いながらタオルケットを胴に掛けてベッドに寝ていたのだ。


「っきゃあああああああっ!」

 雪佳は叫んだ。隣の部屋に迷惑になるとかそういう事は咄嗟に考えられない。

「ん……うるさ……んあ?」

 その声に流石に起きた男子は、仰向けのままキョロキョロと天井や左右を見渡してから、何故か顔だけを上げて雪佳を見た。

「あー、こういうパターン……」
「いやっ、だ、誰っ!!」
「俺? ……虚宮うつみやくんだよ」

 男子はまだ眠そうな顔と口調のまま、落ち着いて雪佳に名乗る。大きく跳ねた長めの猫っ毛に白い肌、制服らしいシャツとズボン、どれも見覚えがない。

「いや、いやいやいや、不法侵入して勝手に女の子のベッド使って、なんで平然としてるわけ?! 通報するよ変態! 早く降りて!」
「……警察は呼ばない方が良いんじゃない?」

 パニックになる雪佳をよそに、虚宮くんと名乗った男子は、1つ大あくびをしてから脚でタオルケットを蹴った。

「だって、君も捕まりそうだし」

 蹴るなんて、と文句を言いかけて、すぐにそうするしか無かったと分かる。……その下にあったのは、ベッドに太い鎖で胴を縛り付けられて、両手は鎖を通すように手錠もかけられた姿だった。


「ひっ、嘘、なんでこんな」
「しかも手首に謎の切り傷あるんだよね。血は止まってるけど無理に手動かそうとすると手錠に当たって痛いから探索もめんどそうだし」
「し、知らないあたし! 知らないもん!!」

 雪佳はパニックになっていた。放り出したカバンをひったくるように取って、ハイソックスで足を滑らせながらも玄関に駆け出す。鍵をかけていなかったはずのドアを開けようとして、


 ガチャガチャ ガチャガチャ


……何をしても開かないことに、気がついた。

「ど、どうして、中から開かないわけないのに、鍵開いてるのに」
「おーい、俺動けないし状況説明してくんない?」
「黙っててよ!」

 雪佳は呑気な虚宮の声にイライラをぶつけた。あんなに縛られていて自作自演は無い事は分かる。ずっと縛られていた彼が、雪佳が部屋に入ってきた後のドアを壊せるわけがない。分かっていても怒鳴らずにはいられなかった。

「し、修理、電話」

 冷蔵庫に貼っておいた修理業者のマグネット広告を見て、ハッとスマホを取り出した雪佳は、今度こそ、頭が冷えた。感情が収まったというより、異常事態にようやく気付いた。ついでに、手も冷えていた。

 雪佳のスマホは氷の塊の中に封じ込められていた。



 ◇◇◇



「……あの、さっきは怒ってごめんなさい」
「あー、それ、面倒臭いな」
「えっ」
「スマホ。近くで見ていいか?」

 急に勢いしぼんで戻ってきた雪佳を、虚宮は変わらない調子で迎えた。氷漬けのスマホを見ても顔色ひとつ変えない。確かに動いているけど人形のようだ、と雪佳は思ってしまった。目に光が灯っていないような気もする。

(それはそうとして、よく見たらイケメンだけど……)
「このクソ暑い日に出しておいたらすぐ溶けて水になるだろ。濡れてスマホ駄目になるぞ。まあ、今既にダメになってなければだけど」
(って、そんな事考えてる場合じゃない)

 真面目な言葉に、雪佳は首を振って邪念を飛ばした。

「それは困る……貴方もスマホ持ってないんでしょ?」
「アイスピック持ってないか? それか最悪、フォーク」
「なんで?」
「なんとかスマホ傷つけないように氷割って取り出すしかないだろ。俺は出来ないけど」

 虚宮は手錠のかかった手を開いてみせた。

「フォークはあるけど、む、無理、そんなのあたしできない……」
「じゃあ俺が手使えるようになるまで冷凍庫にでも入れとけ」
「……分かった」

 雪佳はカバンを下ろして立ち上がる。冷蔵庫は玄関とリビングの間のキッチンにある。とりあえずフリーザーバッグに入れてから冷凍庫に入れるついでに、雪佳は冷蔵庫を開いてみた。

「あれ……」
「どうした?」
「冷蔵庫の中に百合が入ってる……」
「百合? 花が?」
「うん……」

 白百合が、黄色い雄しべを取られ、茎を短く切った状態でコップに挿されていた。冷蔵庫の大きなスペースを占めていて、逆にそこに入っていたはずのキャベツとヨーグルトが無くなっていた。

「持って来れるか? それ」
「いや、本当にただの花だから」

 リビングから聞こえる声に返事して、雪佳は扉を閉める。

「……なんで」

 口の中だけで小さく呟く。


「……百合っていえば、そこにも飾ってあるよな」
「嘘!」

 再び駆けつけると、リビングの棚の上に白百合が一輪、また飾ってあった。花瓶は雪佳のものだが、百合を飾った覚えはない。雪佳は反射的に花を引き抜こうとして、やめた。虚宮が話しかけてきたからだ。

「それともう一つ、気になる事があるんだけど。今日のこの地方の天気って何?」
「え、普通に晴れだけど……っ?!」

 雪佳はすぐ隣の小窓を見て、ようやく異変に気付く。虚宮、スマホ、開かないドア、百合に気を取られて、窓の景色すら見えていなかったのだ。見ていれば、もっと冷静ではいられなかった。

「どっ……うして、こんな……おかしい……」
「ホラゲあるあるだけど、実際見るとやっぱキツいよなこれ系」

 虚宮が何を言っているのかも聞く余裕がない。雪佳はドア上の小窓を見返し、ベランダへ続くガラス戸のカーテンを引き開け、よりはっきりと現状を自覚する。
 窓の外は全て、ショッキングピンク色の濁りのある液体で満たされていた。



 ◇◇◇



「……OK、状況を確認しよう。今は7月6日の午後。俺は朝学校に向かってたら途中からの記憶が無くて、気づいたらここにいた。あ、別に君が犯人だとは思ってない。で、君は学校が早く終わって帰ってきたらこんな事になっていた。合ってるよな?」
「合ってるけど……こう見えても私、大学生で19なんだけど」
「たった2歳差だろ。それとも先輩って呼んで欲しい?」
「……生意気な親戚の子って思う事にする」

 雪佳はため息をつく。

(こんな見目の子、親戚にいても困るけど)

 その年下に仕切られているのも変な気分だった。雪佳は年上で、しかもこの部屋の主なのに。

「まず窓の外がおかしい。本当に見た通りの状態なら、この部屋かアパート全体が謎の液体に水没してる事になる。ドアが開かなかったのは水圧のせいだろうな。次に、氷漬けのスマホと、何故か冷蔵庫と棚に飾られてる白百合。バスルームに続くドアには数字錠が掛かってて開かない。壁掛けの時計の針が指してるのは君の帰宅時間と計算が合わない午前か午後の7時。消して出たはずの部屋の電気が点いてたし、ちゃぶ台の上には謎の封筒がある。こんなところか、君が気づいた中では。……あ、俺が縛られてこの部屋に居るのも異変か」

 ざっと見た限り、部屋の異変は8つ。ベッド脇にクッションを置いて座って、雪佳はミニテーブル上のシンプルな封筒を手にした。こうすると虚宮にも何をしているのか見える。

「……開けたくない」
「開けるだけなら俺がやるか?」
「いや、さすがに自分でやるよ……」

 渋々封筒の上を切って、雪佳は中の紙を取り出した。

「えーっと、手書きじゃないね……『下水道修繕工事のお知らせ』? 下水道って……どういう事?」
「めんどいから見せてくれるか?」

 雪佳は虚宮の顔の向きに紙を傾けて差し出した。シンプルなデザインはいつも電気や水道、ガスの業者から点検や停電の連絡で届くようなものだ。ただ、一枚くらいの紙の場合封筒に入れられていた記憶はない。そして、その内容にもおかしな所があった。

 ◇

『皆様には平素より工事にご理解とご協力を頂き深く感謝申し上げます。さて、今回、○○地区○○○ アリスハウス208号室周辺にて発生した突発的な小規模浸水により下水管から排水できないトラブルが発生しております。このため、101号室より適宜下水管修繕を施工させて頂きます。少々お時間を頂くため、208号室のお客様は1時間ほどお待ちいただきます事お願い申し上げます。また他の部屋の皆様には騒音・通行等ご迷惑をおかけ致します事、重ねましてご理解・ご協力のほど宜しくお願い致します』

 ◇

「……この部屋って208号室?」
「……うん。二階の角部屋。……これ、浸水ってこの事だよね、絶対……」
「だろうな。にしても、排水できないって何だよ。水詰まるのか?」
「うう……不用意に水流さないようにしよう……」
「上水については書いてないな。水出せるのか?」
「やってみる……あ、出た。とりあえず透明」
「よし、水があれば生きられる。水道管に残ってる分だけかもしれないけど浪費しなければいいだろ。にしても……この部屋の住人には騒音と通行止めを謝る必要がないってか。はは、そうだよな。外の音も聞こえないしこの部屋内しか動けないもんな」
「それに、ご理解も何も、お問い合わせ先書いてあるけど電話もできないもんね」

 雪佳は首をすくめた。何となく悪意を感じるし、そもそもこの部屋が中心ならこの部屋から工事して、とか、工事するなら助けてよ、と言いたいけれど言っても仕方がない。だって唯一の連絡手段、雪佳のスマホは氷漬けだ。

「まあ、今が7時だから8時くらいに何かあるって事だろ。今はそれで良い」

 虚宮は一人で頷いていた。鎖に繋がれて異常のある知らない部屋で目覚めたばかりとは思えない落ち着きっぷりだ。

「で、次どうするかな」
「私、ずっと気になってたんだけど」
「ん?」

 雪佳は棚の引き出しから簡単な救急キットを取り出した。

「手首見せて。ガーゼだけでも巻いておくから」
「このくらい放っといても……」
「ダメ。痛いんでしょ? って、ちょっとだけど血出てるじゃん! アルコールかぶれる体質?」
「いや、大丈夫だけど……」
「はい、じっとして。手錠の隙間からだからうまくできないかもしれないけどちょっと痛いのは我慢して」

 傷は手の平側に横向きにまっすぐついていた。血が止まって間もない感じで、手錠と擦れて再出血していたようだ。リスカの跡にも見えるが、本人が知らないというなら違うのだろう。

「……上手いな」
「慣れてるから。……なんか、手熱くない?」
「寝起きだからな……」

 ガーゼを当てようとして、雪佳はふいに手を止めた。虚宮の左手首に傷口ではなく、何か赤い糸のようなものが絡まっているように見えたのだ。もちろん消毒した時には無かったし、見返してもそんなものはない。

「どうした?」
「あっ、ううん、何でも……」
「言ってみろよ、笑わないから。もう色々変なんだから今更って感じだろ」
「本当、何でもないの。なんか赤い糸が見えた気がしただけ……あ、運命の糸とか、そういうのじゃないから」
「……それは、気のせいだろうな」
「?」

 少し返答に不思議なものを感じながらも、雪佳はガーゼを巻き終える。手首の傷を覆ったので手錠と傷口が擦れて痛くはならない。

「サンキュ。じゃ、気になるところ片っ端から調べてみるか」
「調べるのは私だけどね?」

 雪佳はちょっとだけ頬を膨らませながら、何か変なものが落ちていないかあたりを見回した。
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