春きたる虚舟

山の端さっど

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蛇足

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 はいつも虫となって現れる。

 ボタン恐怖症になったのはボタンの穴から細い青虫が這い出してくる幻覚を見たからだった。今も怖い。
 実家の石塀に大人の人間ほどの大きな蜘蛛がいつも張り付いていてかすかに動くのを幼少期には見ることができた。きっと子供にだけ見えるかみさまだった。今でも存在は確信している。



 死告蝶、という概念がある。「しこくちょう」か「しつげちょう」か分からないが、とにかく、死が近い人間の周りには黒い蝶が寄るのだという。外国の伝承にあるらしい。
 生前母が一度だけ、その話をした。
「私は蝶があんまり好きじゃない」と母は言った。ひらひらと動く羽の動きが上品に見えないと。あんなのに自分の死を告げられたいとは思わないね、と。

「その時は薄羽蜉蝣に来て欲しい」

 うすばかげろう。黒く薄いトンボにも似た形の羽を4枚持ち、少し薄暗いところなどをすうっと静かに飛ぶ虫だ。図鑑で見返したその姿は、昔、小学校の理科室裏に溜まっていた虫の不気味なイメージとは大きく異なっていた。



 母の死から数日の間、やけに黒い蝶が庭をつきまとうようになった。
 もう、母は亡くなったのに。なぜ今になって。なぜ痕を踏み荒らすように。見かけるたびに棒を持って追い払った。

 祖父が急死したのは、母の葬儀のすぐ後だった。
 役目を終えたとでもいうように、蝶はぱたりと来なくなった。



 ところで母は、全ての蝶が嫌いだったわけではない、と思う。
 少し霧がかった夏の朝にはいつも思い出す鮮明な記憶がある。

「ハンコ蝶ってどうしてハンコ蝶って名前か分かる?」

 いたずらっぽく言った母が、ふわふわと夏の朝をつまんでみせた。そこには黒い縁取りの可愛らしい小さな蝶がいた。母が指をゆるめると、少し弱ったようにまたふわふわと飛んでいく。
 母の指に残る、くっきり移った鱗粉の鮮やかさを、文字通り鮮明に覚えている。

 祖父の葬儀は流れるように終わってしまい、我が家の一室にはゆらゆらと光がたゆたうようになった。とりどりの色をこぼす電子灯篭がゆるゆる回る。死者をか、生者をか、慰めようとする。いつまでも祭壇の前に座っていられた。
 ふいに、何かが畳の上に落ちているのに気づいた。近づけば、ハンコ蝶の死骸だった。ついさっき命を失ったかのように綺麗で、指でつままれたかのように少し羽が弱っていた。母の写真をもうすぐ目の前にして、死んでいた。
 やっと私は、馬鹿、と言った。
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