一途彼女と誘惑の彼

山の端さっど

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∽1∽[誘惑]の事情

§07[脅迫]

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『おーい、すみれ、調子良くなった?』

 ぽん、とメッセージが飛んでくる。私はタイミングの悪さに戸惑いながらも、そのままタブレットを手に取った。

「うん。お見舞いありがとね、絵美里えみり
『いやー、行ってないけどね。寮長に止められちゃったよ』
「だろうね。四十度近かったから来なくて良かったよ」
『何その角度°』
「温度℃です」
『おぅ……一体何があったのさ』
「季節の変わり目ってうっかり調子崩すよね」
『うっかりで出せる数字じゃないんだよねえ』
「ご心配おかけしました、母上」
『お母さんじゃないけど心配はするんだよ』
「はい。……ありがと」
『ん。色々心配事もあるし、相談にはいつでも乗るからね』
「……うん! 明日からはばっちり登校するから」
『良い返事だ! じゃあ今日はまだゆっくり休んでね』
「了解。じゃあね!」

 メッセを切って、ベンチに座る。ついでに、表情筋をオフにした。無理に緩めていた筋肉を緊張状態に戻したから、ある意味オンだ。

「愛想笑い上手いじゃん」
「……そうですね」
「僕には見せないんだ?」
「品切れです」
「わざわざこんな所に呼び出したのに?」

 ここは私が住んでる寮の裏手にあるベンチだ。できるだけ人気ひとけのない場所をと考えて思いついた。うまい具合に木陰で、寮室の窓からも見えない。これ幸いと煙草を吸ったりする悪い生徒はいるけれど、数日後にお祈りスキャンがあるから、今吸っていると健康診断で引っかかって大幅に評価が下がってしまう。そういう頭の悪いことはやらないみたいだ。
 そこで、私と円居まどいレン先輩は待ち合わせた。ちなみに、温室のような天井ガラス張りなので梅雨に傘を無くしていても来やすい。

「……来て頂いたのは、感謝してます」

 私は言葉を選んだ。笑顔になれるわけがない。

 ポストに入っていた写真は、昨日、私が円居先輩と玄関口で会ったときのものだった。
 絶妙なタイミングで撮られた写真は、まるで私が先輩とただならぬ雰囲気で話してるようにも見える。何より私の顔が赤いし、表情が柔らかい。
 本当に、天才的なタイミングだ。この一枚だけ出されたら、私が円居先輩と浮気しているように、見える、んだと思う。
 昨日話しかけてきたのは、戦場先輩の話をしたのは、このためだったんだ。
 これがいきなり公にされないということは、たぶん、脅迫きょうはくなんだろう。何を要求されるか見当がつかなかったけれど、それならなおさら、早いうちに先輩の真意を確かめたかった。

 ……気が急いていたせいで、友達や知り合いに元気になった報告をするより前に円居先輩に連絡を取っていた。すぐに返事が来て出たから、妙なタイミングで連絡が来てもしょうがない。私が悪かった。



「それで、用件は何?」

 先輩は腕を組んで、私をじっと観察している。

「……それは、先輩の方がご存知ですよね」
「何?」
「は、はぐらかさないでください。昨日のことです」
「……ああ、言い忘れてたけど、体調は」
「大丈夫です。外に出る元気も出ました」

 本当はまだ安静にしているように言われてたのに、部屋を出ることになったのはこの人のせいだ。精一杯の皮肉を込めたけれど、涼しい顔をしているところを見ると多分伝わっていない。

「まだ疲れてるように見えるけどね」
「……これに関しては、先輩は悪くありませんので」

 勝手に飛び出したのは私だ。たとえ、傘を隠したのが先輩だとしても。どれだけ薬が優秀でも、一晩じゃ、すでに体にかかった負荷は治せない。治せたらゾンビだ。
 そうだ、傘も後で返してもらわないといけない。でも、今は写真の話が先だ。

「じゃあ、早く本題に入ろうか。『風邪を引いたのは自己責任なので気に病まないでください』って伝えたい顔には見えないし」
「気になさってたんですか?」
「……傘も差さずに雨の中走っていった人を心配しちゃ駄目?」
「……それもそう……ですね」

 そういえば奇行をしてたのは私だった。

「でも、それはその、関係ないんです。……と、ともかく、わたし、私は、」

 言いかけて、言葉に詰まる。

 まだ昨日のことも怒っていたし、あんな写真を送りつけてくるなんてどうかしている。しかも、あざ笑うみたいに、まず私に見せるなんて。
 それとも、もう学校の裏掲示板にでも流されていて、早く私が炎上に気づくようにというつもりだろうか。燃えた家を見せられるより、家が燃えていくのを無力に見届ける方が辛い。もしそんな理由だとしたら、意地が悪い。

 不満はこれだけあった。言ってやりたいこともいっはいあった。
 それなのに、本人を前にすると、何故だか体が震えた。
 怒りで震えてるんだろうか。
 それとも、まだ体が本調子じゃないのかも。
 怖いわけじゃない。怖くなんてない。円居先輩だけ涼しい顔して。振り回されてるのは私の方だけなんだ。

「た、たとえ何を言われても、噂にされても、絶対に屈しません」

 言い切ったら、初夏なのに体が冷えた。
 血の気が引いていた。勝手に歯が鳴って、ひざが笑う。拳を握って、私は唇を噛みしめた。
 彼は、円居先輩は平坦な表情のまま私の顔をじっと見る。こんな時なのに、頭のどこかで、リップを塗ってくれば良かったと思う自分がいた。寝てる時に布団を被ってしまったみたいで、少し荒れている。
 気まずくなるくらい、長い時間が流れた気がした。

「…………そう。勝手にすれば?」

 円居先輩は、面倒そうな顔をして目を逸らすと、頭をガシガシといた。

「僕は、ただの仕事を義務でしてるだけだから」
「……え」
「話は終わり? なら帰るけど」

 偽装写真を撮る手口に比べて、あまりにあっさりとした態度に、私は混乱する。
 どう考えても、まだ、それも彼の方から話があるはずだ。

「な、何が目的だったんですか。こんな、脅迫みたいなやり方で」
「脅迫って何? そこまでの事は、まだしたつもりは無いけど」
「ま、まだって……? これから、するんですよね」
「これからも、しないけど」

 この人の態度が、想像と、全然違う。私をけむに巻いているだけだろうか。それとも、あの写真を私に渡した事自体が、ただの嫌がらせだろうか? [誘惑]の為に、こんな事をする必要があるんだろうか。
 他に、何が考えられるだろう。……無言の圧力?

「……脅迫ではなくて、あくまでも[誘惑]なんですか。私があくまでも自主的に評価を下げるように、脅迫はなさらないんですね」
「……?」

 無言で首をかしげる先輩をまた、見上げる。

「でも、私は、優馬さんに後ろめたいことは絶対に、したくありません。しません。たとえ、どんな方法で優馬さんに疑われかねないものを捏造ねつぞうされてもおとしいれられても。私は、私の気持ちが優馬さんに伝わるって、信じてます」

 怖かったけれど、今度ははっきりと言えた。自分を見失わなくて済んだ。
 もし先輩がどんな要求をしてきても、圧力をかけてきても、私が揺るがなければいい。あんな写真かれたって構わない。私は、優馬さんの彼女として恥ずかしくないことをする。一途に優馬さんを想う。それだけだ。
 ただ、私の覚悟は伝えておきたい。もともと、そのつもりで呼んだはずだった。



「……そう。好き勝手、言ってくれるね。いや、別に良かったか。勝手にしろって言ったしね。きみの好きに受け取ればいい」

 私の宣言を聞いて、円居先輩の目が、……泳いだ。言葉が揺れている。ヒレを失った魚が、流れに呑まれているみたいに。

「きみも、だったってだけだ」

 苦笑いを含んだ声が、何故か、私の心を刺した。
 刺して、私の前のめりになった心を押し返していく。

 この人の言う言葉の意味が分からない。分からないはずなのに、あやまちを犯してしまったような焦りが走る。
 最初からずっと、だ。何か、私と円居先輩の言葉に齟齬そごがある。何かが、噛み合わない。



「……待って。待ってください。教えて、ください」

 彼は、怪訝けげんな顔で振り返った。

「何を? 何が?」

 そうだった。聞いているのは、最初から先輩の方だ。私がちゃんと表明しないから。
 この人は、私がはっきり言うのを待ってるんだろうか?
 罠、という言葉がまた頭をよぎったけれど、それでも、私は知りたかった。

 どういうつもりで写真をポストに入れたのか、まだこの人は言ってない。
 どうして何も言わないのか、まだ聞いていない。
 私はこの人のことを何も知らない。想像もできないし、思いつけない。聞かないと、言ってもらわないと、何も分かり得ない。

「ちゃんと誤魔化さないで、説明してください」

 私は結論をずっと保留している。円居先輩と向き合うのか、突き放すのか。[誘惑]のやり方が分かってきた今だって、先輩のすることは無駄だと言いながら、こうやってまだ話したいと思っている。中途半端でいい加減だ。そう思っていた。
 でも、避けたって[誘惑]の仕事中は関わらざるを得ない。話したって対立する[役割]の私たちが分かり合うこともない。結局宙ぶらりんになってしまうなら、考えることに何の意味も無かった。結論なんて要らなかった。
 私は、傷つかずに彼と関わりたかったのかもしれない。結論を出せば、必ず傷ついてしまうから。

(友達も要らないくせに、自分を傷つけたいと思っているこの人と?)

 まったく、何を考えているんだろう。私。



 円居先輩は、ただ私の前に立っていた。未知の生物でも見るような顔をして、傷ついた子犬のような目をして。無言だった。立ち去りたがっているようにも見えるし、私の言葉を待ってくれているようにも見えた。
 私は封筒を取り出す。中に、例の写真が入っている。

 関わりたいなら、傷ついてしまえ。

「はっきり言ってください。これのことです……!」

 私は封筒を先輩に差し出した。







 パシャ。

 フラッシュが、どこからか光って私と彼を照らした。





 ……?

 真っ白になった頭で、かろうじて私は、光の方向を見る。
 木々の間からカメラのレンズが飛び出して、それから、黒髪のおかっぱ頭が姿を見せた。パッとベンチの前に飛び出してくる。

「これは、確実にクロですね。[一途]なんて、笑わせるついでにヘソで茶が沸かせます」

 高い、まだ幼さの残る声は、少しかすれていた。それでいて、ひどく興奮している。

「これで町角すみれの評価は完全に落とせますよ、レンさん!」

 首からは一世代前のフラッシュ付きデジタルカメラを下げて、薄いメガネに、流れるような長い三つ編みが一つ、前に垂れている。どこかで見たことのあるような女子は私よりも小さく、一年生であることを示す青いリボンをつけていた。一見地味っ子の要素が集まっているけど、センスが良いのか野暮やぼったい感じがしない。

をレンさんに渡す図。我ながら完璧です。もう一枚と合わせれば、完全に学校中に話を広められますよ!」

 この一年生は、誰だろう。
 私は、やはり、だまされていたんだろうか。

 呆然としている私に、三つ編みっ子は近づいてくると、得意げに話しかけてくる。

「甘かったですね、センパイ。この私の腕なら、ここでもキレイに証拠写真を押さえられるんです。玄関よりは学習なさったみたいですけど、私がいました。いや、残念でしたね! [誘惑]についてはお気の毒様です、が、レンさんと私の間に入ろうとしたのが一番のあなたの失敗の原因です」
「えっと……」

 とても嬉しそうだってことは分かるんだけど、言葉の内容がうまく理解できない。思考が追いつかずに、私は、デジタルテレビのノイズが走ったみたいな目でこの一年生を見ていた。
 円居先輩の協力者、なんだろうか。
 それよりも、この声、どこかで……

「レンさんの右腕になるのは私です。大人しくレンさんに評価を差し上げて、その場所から早く退いてーー」



 三つ編みっ子は、意気揚々として言葉を言い終える前に、



「えっ……」
「思い出した。なんだ、古町こまち 紗羅さら、きみか」

 円居先輩が、横から片腕だけ割り込んで、三つ編みっ子の顔を掴んで地面に引き倒したのだ。
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