翅を失い余命を抱えた異世界の妖精<エレナ>と僕たちの小さな奇跡

新発田 怜

文字の大きさ
1 / 11

第1話:見えない友達

しおりを挟む
 放課後の風が、黒髪と頬をかすめて通り過ぎた。冷たさは、心の奥にまで染み込むようだった。
 真冬の歩道の片隅には、雨に濡れたままの落ち葉が、踏まれるのを待つように横たわっていた。

 佐藤康太さとうこうたは、制服の襟を軽く立て、通学カバンを肩にかけながら歩いていた。駅へ向かう生徒たちの流れには加わらず、ひとり別の道を選ぶように、ゆるやかな坂を下りていく。目指すのは、小さな住宅街の一角にある公園だった。

 それは、彼にとっての”逃げ場所”だ。
 放課後の時間帯、この公園はいつもひっそりとしている。訪れる人影もまばらで、誰にも干渉されない静けさが、康太にとっては救いだった。
 彼は、すでに何度も腰を下ろしたことのある古びたベンチに、ため息まじりに体を預ける。カバンの中から、一冊の文庫本を取り出した。表紙の角はすっかり丸くなっていて、何度も読み返したことがわかる。活字の配置も、どのページにどんなセリフがあるかも、ほとんど覚えてしまっているくらいだった。

 だが、今日の彼は、その本の内容に心を寄せることができなかった。ページをめくりながら視線を落とす。けれど、文字は頭に入ってこない。目で追っているだけで、内容は霧の中に消えていく。ページは、開いたまま何分も止まったままだった。

(なんで、こんなに……疲れてるんだろ)

 琥珀色の瞳の奥がじんわりと痛むような感覚に、康太はそっと本を閉じた。
 その音さえも、やけに大きく響くように感じた。

 遠くで犬の鳴き声が聞こえる。枝の重なり合う木々が、風に揺られてささやき合っている。カラスの羽ばたく音、どこかの家から漏れてくるピアノの練習音、誰かの笑い声──そんな自然の音に混じって、確かに、別の音が聞こえた気がした。

「……さむいなぁ……」

 康太ははっとして顔を上げた。誰か、今、話した? あたりを見渡す。
 公園には誰もいない。ベンチも、遊具も、木立の隙間も、全て見慣れた静けさの中にあった。

(気のせいか……?)

 風が何かに当たった音か、それとも疲れているせいで幻聴でも聞こえたのかもしれない。そう思おうとした──その時だった。

「……ここ……みつけた……」

 今度は、はっきりと聞こえた。耳元で囁くような、けれど確かに外から届いた声。
 康太は思わず息を止めた。動けなかった。目だけが、自然と自分の膝の上へと向かっていく。

 ──そして、そこにいた。

 ほんの数十センチほどの、小さな”何か”が、すくっと立っていた。
 透き通るような白い肌に、淡い水色の髪と青い円らな瞳。ワンピースのような白い衣装。その大きさは、まるで妖精のようだった。

 だが、その背中には、あるはずのものがなかった。

 翅──透明で美しい羽根があるべき場所は、ぽっかりと空白だった。そこにあるのは、風がそのまま通り抜けてしまう、何もない空間。

「……君、誰?」

 康太は、我に返るようにそう声を発していた。まるで夢を見ているような、ぼんやりとした意識の中だった。幻覚だろうか。それとも、心のどこかが壊れてしまったのだろうか。

 少女はきょとんとした顔で康太を見上げ、そっと首をかしげた。

「君こそ、誰? 人間の子だよね?」

 康太は、思わず笑ってしまった。

「うん、人間の子。……一応、ね。高校生」

 少女は首をかしげながら、さらに質問してくる。

「こうこうせい……って、えっと、大人?」

「まあ、半分くらい、かな」

「ふうん……不思議なにおいがする」

 康太は目を瞬いた。

「におい?」

 少女は、そっと康太に顔を近づけるようにして、囁いた。

「心のにおい。ちょっと、さみしいけど、やさしい」

 小さな少女はふわりと微笑んだ。その笑みは、ほんの少し寂しさをたたえていた。

「エレナ……私は、エレナ。翅のない妖精、だよ」

 その声は、小鳥のさえずりのように柔らかく、けれど不思議と心の奥にまで届くような、芯のある響きだった。

「妖精……って、本当に?」

「うん。たぶん、そう。でも、今は翅がないから……」

 彼女は、ちらりと自分の背中に目をやった。そこにはやはり、なにもなかった。

「昔はあったの。でも、気がついたら……なくなってた」

「どうして?」

「わからない。でも、翅がないと、帰れないの」

「……ここに、ずっといたの?」

 康太の声が、ほんの少しだけ震えた。彼女の言葉のひとつひとつが、胸に静かに沈んでいく。

「うん。ずっと。でも誰も、私のこと見えなかった。声も、届かなかった。……君だけが、聞いてくれたよ」

 彼女の目が、かすかに潤んでいたように見えた。孤独に耐えてきた時間が、わずかにその表情に滲んでいた。
 しばしの沈黙があったあと、康太はそっと問いかける。

「ねえ、エレナ……その、怖くなかった?」

 エレナは少しだけ考えてから、かすかに首を横に振る。

「怖くはなかったよ。でも……さみしかった。すごく」

「誰にも気づいてもらえないって……きついよな」

 康太の声には、無意識の共鳴が混じっていた。彼自身が感じていた孤独と、どこかで重なっていた。

「でも、今は──君がいるから」

 エレナは、ほんのわずかに微笑んだ。その笑みは、どこか壊れそうなほど繊細で、けれど、確かに生きていた。

 康太はゆっくりと息を吸い、吐いた。
 自分はおかしくなったんじゃない。これは──現実なんだ。そう思いたかった。

「俺は康太。……寒いんだろ。うち、来るか?」

 自分でも驚くほど、自然にその言葉が口をついて出た。まるで最初からそうすることが決まっていたように。

 エレナは、ぱちぱちとまばたきをして、それから、そっと頷いた。

「……いいの?」

「もちろん。君がよかったら、だけど」

「……あったかいとこ、ひさしぶり」

 エレナは、ふわりと宙に浮かんだ。まるで翅の代わりに空気に乗るようにして、康太の胸元へと飛び込む。

 康太は制服の胸ポケットをそっと開いた。エレナはちいさく体を折りたたんで、その中にすっぽりと収まった。

「……くすぐったい?」

「いや、平気」

「……よかった」

 その一言に、康太の胸が少し温かくなった。彼女の声は、小さく、けれど確かに彼の心に届いていた。

 ポケットの中から、くぐもった声が聞こえた。

「ねぇ、康太」

「ん?」

「人間って……いつも、さみしいの?」

 その問いに、康太は少しだけ笑って、そして空を見上げた。

「さみしくないふりは、得意かもな。でも……たまに、本当にだれかに気づいてほしいって思うよ」

「ふり、かぁ……」

 エレナはその言葉を小さく繰り返すように、胸元で呟いた。

「私も、ずっと”大丈夫なふり”してた。誰も見てないのに、笑ってたんだよ?」

「それ……なんか、わかるかも」

 ふたりの間に、ささやかな共感が静かに芽吹いていく。

 康太は文庫本をカバンに戻し、立ち上がった。冬の風がまた、頬をなでていく。
 夕焼けは、街並みに長い影を落としながら、静かに今日という一日を包み込んでいく。

 帰り道の途中、胸のあたりがほんのりと温かく感じられた。まるで──

 心にぽつんと灯った、小さな光のように──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件

こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

俺が宝くじで10億円当選してから、幼馴染の様子がおかしい

沢尻夏芽
恋愛
 自他共に認める陰キャ・真城健康(まき・けんこう)は、高校入学前に宝くじで10億円を当てた。  それを知る、陽キャ幼馴染の白駒綾菜(しらこま・あやな)はどうも最近……。 『様子がおかしい』 ※誤字脱字、設定上のミス等があれば、ぜひ教えてください。  現時点で1話に繋がる話は全て書き切っています。  他サイトでも掲載中。

処理中です...