キャベツとよんでも

さかな〜。

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お帰りなさいませお嬢様

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 今夜は冷え込んでいる。お嬢様の部屋の暖炉に火を起こす。お嬢様お気に入りの揺り椅子を側に寄せ、暖かな毛皮を掛ける。
 寝台に湯たんぽを用意していれば、ガラガラと馬車の音が聞こえた。お嬢様が帰って来たようだ。

 私の仕えるハイデマリーお嬢様は、建国から続く由緒あるハウザー男爵家の一人娘だ。由緒だけは売るほどあるが、その懐事情は潤沢とは言えない。迎えに出たい所だが人手が足りないので、そのまま飲み物の準備に入る。

 用意が調ったタイミングでドアが開けられた。

「帰ったわよ。ああ、ここは暖かいわね」

 綺麗な金髪と睫毛を震わせながら冷えた空気と共に入ってくるお嬢様は、雪の精の様だ。深い海を思わせる瞳も今は影になって凍て付いて見える。

 冷え切ったコートを預かる。玄関ホールで脱がないのは、寒いからだ。
 一人では手の届き難い背中の釦を手伝うと、お嬢様は衝立の陰で着替える。お湯とタオルも置いてあるので、身綺麗にされる事だろう。
 その間に私はコートを片付け、ホットミルクの用意だ。本日はお疲れの様子なので、少し贅沢にハチミツとシナモンも入れる。

「あら、いい匂いね」

 ナイトガウンの上に毛皮のショールまで羽織ったお嬢様を揺り椅子に座らせ、サイドテーブルにホットミルクを置く。
 目を細めて両手で暖を取りながら飲むお嬢様の後ろで髪飾り、そしてピンを外して櫛を入れる。

「美味しいわね。温まるわ」

「それは宜しゅうございました」

 ゆったりとしたこの時間、お嬢様はその日の出来事を話してくれる。

「今日はね、グスタフと街に出たのだけど」

「レースを見に行かれたのでしたね」

 ワンピースをアレンジしたいと仰られていたはずだ。馬丁で御者で従者のグスタフは護衛も兼ねている。街歩きには最適の人選だ。というか他に居ない。何故なら使用人は他に庭師兼従僕の爺さんギードと、家令で執事で料理人の私、ギュンターしか居ないからだ。

「そうなの。グスタフは大きいし店内は狭くて。彼が繊細なレースを引っ掛けるとでも思ったのかしら、店員さんが凄く気にしてチラチラ見るのよ」

 グスタフは大変逞しく無骨な外見をしている。しかし実際の彼は編み物が趣味の繊細な男なのに失礼な話だ。彼のぶっとい指から生み出される繊細な毛糸のパンツと腹巻きには、この屋敷の者全員がお世話になっている。勿論お嬢様もだ。

「客は殆ど女性だし、変に目立っちゃったので外に出ていてもらったの」

「外と言うと入り口で?」

「馬車よ。寒いもの」

 眉根に皺が寄った。

「ハイデマリーお嬢様。グスタフは護衛ですよ。離してどうするんです」

「他の客も居る店内よ。……まあでもやはり近くに置いた方が良かったとは思ったわ」

 これは何かあった。

 暖炉の火とミルクに温められた頬と唇が色付き、雪の精から無事に綺麗な人間になられたお嬢様の正面に回り、目を見据えた。

「何がありました?」

「何も無いわよ」

 極自然に答える。嘘はないようだ。

「店を出た後、ちょっと右と左を間違えただけよ」

「ボケぇぇええ!!」

「え、なんですって?」

「何でもございません」

 汚い言葉が出てしまった。綺麗なお嬢様の耳を汚してはいけない。

「でも本当に大丈夫だったのよ。近くに居た子が道を教えてくれたの」

 得意げに話してくれるが、その内容は子供以下の方向音痴である事と、教えて貰わなければ気付かなかったという事だ。
 グスタフには命令に背いても離れないように念を押しておこう。

「その子は八歳くらいかしら? クルトって言うんだけどね、とても話が合ったのよ」

 街に詳しい子供と話が合う? 貴族のお嬢様と? 無いな。

「クルトはね、沢山の布を継ぎ合わせた服を着ていたの。なんでも服が買えないから工夫していんですって! まさに私と同じじゃない?!」

「全く同じではありませんよ」

 私の意見は耳に届かなかったようで、興奮したように話を続けている。

「私が共感したら、向こうも親近感を覚えてくれたのか、食事の話もしたのよ。最近はお芋も中々手に入らないそうよ。ウチも花壇を兼ねた畑でしょう? 鉢でも出来る家庭菜園をお勧めしてきたわ」

 その少年は物乞いだったんだろうな。つい遠い目をしてしまった。

「さらにはお母様がご病気なんですって!」

「それはお気の毒ですが、まさか」

「ええ、私の母も流行病で亡くなっているでしょう? 症状を詳しく聞いたわ。歩けないというので、クルトが外にいる間はどうしてるのかとか、他にも咳と鼻血と耳血が出て喋れなくて足の臭いが強烈で、もうとにかく色々よ」

 後に引けなくなった感が凄い。
 お嬢様は目を伏せた。

「残念ながらもう助かりそうにもないと思ったわ」

「……左様ですか」

 これ、他に何か言える?

「だから少しでも楽に過ごせるように、力を入れなくても体位を交換出来る方法とか、消毒や痛みを抑える効果のある、その辺の草を教えて来たわ。途中からはグスタフも混ざって、街中でも果実のなっている木の穴場を教えていたわ」

 それは私も知りたい。

 少しは力になれたと思うのよ、と微笑むお嬢様は雪兎の様な可憐さだった。

 庶民にはなれない、でも貧乏貴族のお嬢様。

 その少年にまた会えるかは分からないが、グスタフには自家製のドライフルーツと雑巾にするには惜しい古着を預けておこう。

 話の真偽はどうあれ、お嬢様を助けてくれたのは間違いないのだから。







 ウチも崖っぷちだけどな!!

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