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第二十話 「殺生石の河原」

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<我が領域に踏み込む事は許さぬ!>

大気を震わせる様な声が周囲に響いたかと思うと、彼方此方から刃の形となった霊気が降り注ぐ。

「な、なんや!」
「敵! 環藻?」
覇智朗と紫理がほぼ同時に手印を結ぶ。

「古往今来、護り給え!」
「伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、恐み(かしこみ)白す(もうす)!」

<ヴンッ>
という音が聞こえたかと思うと、彩暉達8人を庇うかの様に立った覇智朗と紫理の前に極彩色の壁が現れた。

<ヒュン・ヒュン>
<ビシッ・バシッ>
霊気の刃は極彩色の壁にぶつかると、音を立てて砕け散って行く。

「やるもんだね。ハチコー」
「へっ、わいかて百地の当主や。これくらいは、なんでもあらへんわ」
「ちょっとは、見直したわ」
「そりゃあ、えらいおおきに」
「歩南、結那! 皆を下がらせて!」
覇智朗の後ろに立ち、印を結ぼうとする2人を紫理が制した。

「なんで?」
「どうして?」
歩南と結那は紫理の言葉の意味を察するのに一瞬の間を要した。

「紫理さん!」
「覇智朗!」
彩暉達6人も走り寄って来ようとするが――

「アカン! 来るなぁぁっ!」
覇智朗の声が響く。

「紫理はん。済まんけど、後は頼むで」
「・・・分かった。ここは、お願いっ」
「任せんかい! 男・百地覇智朗、一世一代の大見せ場やでぇ!」

 紫理が手印を解いた。
「紫理さん!」
慌てて印を結ぼうとする彩暉達に歩南が叫ぶ。

「やめろっ!」
ビクッとした彩暉達の動きが止まった。

「ハチコーは、うちらの為に時間を稼いでくれているのよ」
静かに結那が語り出す。

「どうして? 一緒にっ」
「そうよっ! 皆で一斉にっ」
血気に逸る彩暉達に――

<パシーンッ>
紫理の平手が彩暉の頬を捉えた。

「いい加減にしなさいっ!」
「ゆ、紫理さん・・・」
「彩暉ちゃんっ」
頬を叩かれ勢い余って倒れた彩暉に、遼歌が駆け寄る。

「あたし達の為・・・、なんですね」
奈々聖が強い意志を込めた視線を紫理に向けた。

「そう・・・。悔しいけど、私達にはこれ位の事しか出来ないの」
紫理の顔が苦渋に歪んだ。

「環藻を甘く見過ぎていた事は私の失策。でも、もう引き返せないの」
紫理の言葉に誰も言葉を発せない。

「環藻はこちらの世界に自由に攻撃を仕掛けられるけど、私達は」
紫理の言葉の意味を慮る彩暉達。

「環藻に攻撃出来ない・・・」
「そ、そんな」
栞寧と慧が思わず口を開いた。

「環藻の居る空間へと入るには、4つの宝玉で道を開かなければならないって事だよな?」
「そして、それには・・・」
「そう、時間が必要なのよ」
歩南と結那の言葉に紫理が応えた。

「じゃあ、覇智朗さんはっ」
「あち等の為に、その時間を稼いでくれているんだ」
望永の問いに応える様に、歩南も覇智朗へと振り向く。


「フンガアァァァァッ!」
覇智朗の突き出した両掌はまるで、飛んでくる細かいガラスの破片に晒されている様に無数の細かい裂傷が発生して、そこから血が滲みだしている。

「まだや、まだやっ。わいの術を崩したかったら核弾頭でも持って来んかいぃぃぃっ」
両目を見開きも鼻腔からも血を流しながら必死に耐える覇智朗。

(頼むで、皆。わいの出来る事はここ迄や。皆に逢えてホンマに嬉しかったで)
覇智朗の心の声が聞こえた様な気がする彩暉達――

「時間が無いわ。百地が持ち堪えている間に、貴女達を環藻の居る空間に送り込む。私の力の全てを使って!」
紫理の迫力に皆は黙って頷く。

「でも、これだけは絶対に忘れないでちょうだい。環藻の居る空間に入ったら、恐らく戻っては来れない。もし、環藻に勝てたとしても、そのまま女媧との戦いになるわ。貴女達には休む暇も、傷を癒す暇も無い」
「つまり、連戦覚悟って事か」
歩南の言葉に皆が唾を飲み込む。


「面白ぇ、やってやろうじゃねぇか」
「そう、歩南の言う通り。その為にうち等はここに集ったんだから」
「言うじゃねぇか、結那」
「負けるって決まってる訳じゃ無いしね」
「慧ちゃん、強気! でも、その通りじゃん!」
「あの、栞寧ちゃんまで・・・」
「大丈夫だよ、遼歌ちゃん。ボク達、8人が揃ってるんだから!」
「そうね。望永ちゃんの言う通り。さぁ、行こう、彩暉」
「うん。紫理さん、お願いします!」
8人の視線が紫理に集まった。


(皆・・・。もし、無事に戻って来れるなら)
そう言いたい気持ちを抑えて、紫理は声を張り上げる。

「栞寧と慧は青龍石を持って西。結那と奈々聖は朱雀石を持って南。歩南と遼歌は白虎石を持って北。彩暉と望永は玄武石を持って東へ!」

「はいっ」
彩暉達はそれぞれが指示された方角に陣取り2人1組で各々が宝玉を掲げ支えた。


(これが定めと言うなら・・・。神は何と言う残酷な定めをあの娘達に背負わせたのですか?)
紫理の頬を涙が伝う――


<ビシ・ピシピシピシッ・ビシッ、ビシビシビシ>
覇智朗が支え続ける防壁に少しずつヒビが入り、それが少しずつ広がって行く――

(まだや、まだ・・・。例え、わいの命と引き換えにしても絶対に耐たせて見せるでぇ)
眦と口元からも血を流しながらも、覇智朗は耐える。

(覇智朗、百地の当主としての気構え・・・。確かに見せて貰ったわ)
満身創痍の覇智朗を一瞬顧みた紫理が決意を固め、彩暉達の中央に入った。


<シャン>
神楽鈴の音が軽やかに響く――


「掛けまくも畏き伊邪那岐大神」
息を整えた紫理は祝詞を唱え、神楽鈴を振り鳴らしながら舞った。

「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等」
ヒラリヒラリと舞う紫理の目から流れ落ちた涙がキラキラと輝く。

「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし召せと」
紫理の目が8人の少女達と覇智朗の姿を移す。

「恐み恐みも白す」
<シャンシャンシャンシャン>

 神楽鈴の音が重なり聞こえ、紫理の舞が止まった。

<ピカ・ピカ・ピカピカピカ・ピカピカピカ>
彩暉達の掲げていた4つの宝玉がそれぞれ光出し――

<ゴ・ゴゴゴゴゴォォォォッ>
彩暉達の中央で舞っていた紫理の上空に漆黒の空間が出現した。


「あれが・・・。魔空間・・・」
紫理はその場に力尽きて座り込む。

「へっ、間に合ったみたいやな・・・。これで、わいも・・・」
覇智朗の両手がダラリと下がった。

(行け、行くんや・・・。わい等に出来るのは・・・ここまでや。後は、頼んだで)
<バタリッ>
覇智朗はグラリと傾き、そのまま地面へと倒れたのであった。



「行くよっ!」
歩南の合図で7人の少女達は上空に現れた空間へと手を伸ばす。


「ごめんね。連れては行けないの」
彩暉は胸ポケットの『チュウ太郎』と肩に止まっていた『ぴぃ助』をそっと地面に下ろすと一呼吸遅れて上空に向けて手を伸ばした。


<スウゥゥゥッ>と8人の少女達はまるで吸い込まれるかの様に漆黒の空間へと飛び込んで行く。


<チュウゥゥゥゥッ!>
『チュウ太郎』が上空を見上げて鳴き――

<フィィィィッ!>
『ぴぃ助』は彩暉達の後を追う様に舞い上がった。


「環藻・・・。覚悟しなさい!」
彩暉の目には、これ迄とは比較にならない決意の光が宿る。
そして、7人の少女達の目にも――



<パチパチ・パチパチ>
「う、うぅ~ん」
何度か、頬を叩かれて覇智朗は目を開けた。
ぼんやりとした視界に紫理の顔が映り、少しずつピントが合って来る。

「ゆ、紫理はん?」
「気が付いた?」
「あ、あぁ・・・」
まだ覚醒には程遠い覇智朗は左右に頭を振る。

「わい・・・、確か・・・。っ!」
これまでの事を思い出した覇智朗は、慌てて周囲を見回した。

「ゆ、紫理はん! あの娘らは?」
「行ってしまったわ」
「そうか、行ってしもうたんやな」
「百地」
「ん?」
普段とは違う紫理の雰囲気に戸惑う覇智朗。

「よく頑張ってくれたわ。お疲れ様」
そう言って、紫理は取り出したハンカチを覇智朗に渡す。

「ぎょーさんやられたさかいな。アチコチ、血だらけや。でも、どうせやったらキスで起こして欲しかったわ」
「冗談が言えるなら、心配する事はないわね」
顔面の血糊を拭き取る覇智朗を見て、紫理は<クスリ>と笑った。

「ねぇ、百地。私達のした事は、本当に正しかったのかしら」
黙って空を見上げる紫理――

「紫理はん、何言うてんねん。エライ目に負うたけど、わい等のした事は間違うて無いで。そやろ?」
「そうね」
「こんだけ出血したんや。ええダイエットになったやろ。後は・・・、信じて待つしかないわな」
覇智朗も紫理と同じく空を見上げていた。



 漆黒の空間へと吸い込まれた彩暉達であるが――

「はっ!?」
我に返った彩暉達は周囲を見回す。

「ここは? 何処?」
「さっきと同じ場所?」
先程迄と同じ殺生石だけの乾いた河原が無限に広がっている――

「そんな筈は・・・。紫理さーん!」
「おーい、ハチコー!」
「返事をしてえぇぇぇ」
彩暉達8人以外に人影は無い。

「何だか、おかしいわ。気を付けて」
結那が皆に注意を促した。

「どうしたんだ? 結那?」
「歩南・・・。見て」
結那が歩南の足元を指差す。

「別に何も・・・。何ィ?」
歩南は自分の足元を見て、驚く。

「か、影が無い」
「そう、こんなに明るいのに誰にも影が無いのよ」
【影使い】の結那にとってこれほど不利な状況は無い。

「結那さん、歩南さん」
「どうした? 彩暉?」
「動物の・・・。生き物の気配が全くしないの」
「本当だ。音もしない」
歩南の顔に緊張が走る。

「あたしも感じる。ここには、虫が一匹も居ない」
「草も木も無い」
栞寧と遼歌も顔を見合わせている。

「水も何処にもないわ」
奈々聖の顔にも焦りの色が見え始める。

「慧、この石、動かせる?」
結那の言葉に皆の視線が慧に集まり、慧は手印を結ぶ。

「駄目。【土使い】のわたしでもこの殺生石は使えない」
「もしかしてっ?」
望永が片手を振った。

「ここでは、風も起こせないみたい」
肩を落とす望永。

「チッ!」
歩南も何度も掌で火打石をすり合わせるが着火しない。

「あち等の術は、全く使えねぇって事か」
歩南が毒づこうとした時であった。



「お前等ごとき、我が手に掛ける迄も無いが」
突然、声が聞こえて慌てて振り向く彩暉達。

「あ、貴方が」
「環藻・・・。なのか?」
そこには、平安貴族の様な衣裳を見に纏った眉目秀麗な青年の姿が有ったのである。

「理由は尋ねぬ。守護者を倒し、宝玉を奪ったモノは・・・。全て、敵だ」
「待って、環藻!」
そう彩暉が言い掛けた瞬間、環藻の視線が8人の少女達の瞳を捉えた。


「【幻影の魔鏡】、お前達はここで朽ち果てる」
環藻がそう言ったかと思うと、彩暉達は虚ろな目となり、案山子の様に立ち尽くしたのであった。

「愚かな人間よ。我は最も神に近いモノ。永遠に魂を彷徨わせるがよい」
環藻の言葉が風に乗って8人の少女達の耳へと届いた。



(ここは、何処?)
真っ暗な闇の中、栞寧はそっと目を開けた。

(ここは、飛鳥の宮? 間違いない)
目を開けた栞寧が見たものは、懐かしい飛鳥の宮だった。

(帰って来た? 帰って来れたんだ、あたしの時代に)
自然と涙が溢れ、栞寧の頬を伝う。

(そうだ、中大兄様は。中大兄皇子様は何処に?)
栞寧は自分の時代に戻れた事を喜び、中大兄皇子を探して走り出す。

(何処? 何処に居られるの?)
気の逸る栞寧の耳に懐かしい話声が聞こえて来る。

(中大兄様と中臣鎌足様だ)
嬉しさのあまり飛び出そうとする栞寧、だが――

「蘇我入鹿の首は跳ねた。蘇我蝦夷も自害したとな」
「これで我らの世ですな」
(えっ、何を言ってるの?)

「しかし、あの妖術師。雑賀の【蟲使い】でしたか。なかなかに、役立ってくれましたな」
「我らがあの様な下賤の輩を、まともに取り合う事など無いと言うのに」
「愚かな程に信じおって。笑い種ですな、はっははははっ」

(そ、そんな・・・。この国の民の為にって、言ってたのに)
栞寧はその場に立ち尽くした。

「おや、噂をすれば」
「何じゃ、こんな所で立ち聞きとはの。やはり、虫とはその程度じゃな」
(う、嘘・・・。中大兄様はそんな人じゃない)

「蟲を自由に扱うなど・・・。あぁ、気持ちが悪い。用済みじゃ、早く消えるが良い」
「もう、お前など虫以下なのだ、さっさと消えぬと・・・。儂が踏み潰してくれようぞ」
栞寧の眼前に居た2人の男は急に巨大化し、栞寧に向かって巨大な足を踏み下ろした。


「きゃあぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げながら、栞寧は絶望の沼に引き吊り込まれる。

(あは、あははは・・・。あたし、今まで何してたんだろ、こんな奴等の為に。もう、どうでもいいや・・・)
栞寧の瞼が静かに落ちようとしていた。


※次回の公開は、3月20日(月) 0:00を予定しています※


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