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 俺、さかきしんには、忘れられない記憶がある。
 穏やかで暖かい日差しが黄色く色づいたイチョウを輝かせ、どこか遠くで落ち葉を焚いている香りがかすかに漂ってくる。
 神社の境内は、柔らかいながらも凜とした空気が満ち、俺を間に挟んで手をつないだ両親は、よそ行きの服装で幸せそうに笑っていた。
 七五三のお祝いに、村はずれにある大きな神社へと家族3人でお参りに来た日のことだ。
 せっかくの晴れの日だというのに、まだ5歳だった俺は慣れない和装で機嫌が悪く、ご祈祷の瞬間までずっとぐずっていて大変だった、とあの日の思い出話になるたびに母から聞かされた。
 確かに、身につけている袴が苦しい、歩きにくい、早く帰りたい……そんなことばかり考えていた、とおぼろげに覚えている。
 不満ばかりだったけれど、ご祈祷のために拝殿の中に座った時、少し離れた場所に誰かがいるのを見つけ、俺は釘付けになった。
 自分が座っているのよりも少し奥。本殿と呼ばれる場所に、その人はいた。
 年の頃を推測するには当時の俺は幼すぎたけれど、父や母よりも若いように感じたから、20代半ばくらいだったのかもしれない。
 すらりと細い体に纏っているのは、俺の知っている着物とは違う、珍しいつくりの和服。白を基調としたシンプルなものだったけれど、襟のあたりの薄い紫色が差し色となって、良く映える。後ろでゆるく結わえてあるらしい長くてまっすぐな黒髪は、肩を経由して前へと流され、布に模様を描いていた。
 整った顔の作りはもちろん、佇まいや雰囲気にまで魅了され、子供心にとても美しいと思った。
(男の人? それとも女の人かな?)
 見知らぬその人は、中央にある台に寄りかかり、無表情のままぼんやりと視線をこちらに向けていた。
 時折、その口元が何かをつぶやくようにわずかに動く。
 形のいい唇に見とれているうちにご祈祷は進み、俺が両親とともに榊を奉納する番となった。
 拝殿の中央まで進み出て顔を上げた瞬間、正面にいたその人と目が合う。
(え……?)
 と思った時には、その顔はもう、すぐ目の前にあった。
「⁉」
 驚いて一歩あとずさった俺へと、その人はそっと手を伸ばした。
 気圧されて動けずにいる俺の頬に、ひんやりとした指先が触れる。相手が目の前にしゃがんでいるのだと、合った目線の高さで悟った。
「そうか、君が……」
 声が、微かに届く。男の人なのだと分かるやや低く優しい響きで、彼は言葉を続けた。
「やっと、会えた。ずっと君を待っていたんだよ。ねぇ、早く大きくおなり。機が熟せば、また会えるから。その時に、ね」
 ふわりと花が咲くかのように微笑むと、彼は更に近づいてきた。
 俺は、母がいつもそうするように、この人も俺を抱きしめるのかと思った。知らない人にそうされることが少し怖くて、思わず目を閉じる。
 しかし、いくら待ってみても予想した感触が来ない。おそるおそる目を開けると、触れられる距離にいたはずの相手はいなくなっていて、両親が不思議そうな顔で俺を見つめていたのだった。

 ——この日の記憶が、俺が覚えているものの中で最も古い。
 そして、あの日以来、大切に抱え続けてきたものでもある。
 たったあれだけの短い出会いだったけれど、“ずっと君を待っていた”という言葉が忘れられない。
 ただひたすらあの人に焦がれて、また会えるとの言葉を信じて。それなのに再会することは叶わないまま、俺は今年、19になる。



「ね、お願い。 臣くんしかいないのよ」
 目の前でぱん! と手を合わせて拝むように俺を見やるのは、小さい頃から深い付き合いのある女性。俺の幼なじみ……というか、唯一の友人である 天野あまのけいの母親だ。
「あー……アイツじゃダメなんですか? 俺は元々この土地の人間ではないですし……村の人たちだって……」
「それがあの子、バイトがあるから帰れないって言うのよねぇ」
 言いかけたところで、遮られる。
 ……絶対逃げただろ、それ。と心の中で悪態をつく。今年が“その年”だってことは、この村の人間なら誰だって分かっている。
 7年に一度行われる、村の神社の大きな祭り。その祭りの目玉として神楽が奉納されるのだが、啓の母親は、その舞い手をお願い出来ないか、と俺に頼みに来ているのだ。
「舞い手の条件がハタチ前の男の子なのは知ってるでしょう? 今、村に高校生はいないから、実質、臣くんと啓のどちらかなのよねぇ。自分の息子がいるのに臣くんに頼むのは申し訳ないなって思うんだけど、練習の度に下宿先から戻ってくるのも難しくてね……。なんだかんだ言っても、榊さんちの臣くんにお願いするしかないっていうのは、村の皆も分かってるのよ」
 お願い、と彼女はもう一度繰り返す。
 正直、言っていることが理解出来ないわけじゃない。神楽の舞い手を務められるのは、20歳に満たない男と決まっている。啓と俺のどちらかが引き受けなければ、その下は中学生になってしまう。その年齢の子供では、荷が重いのは明白だった。
 あー、おとなしく啓と一緒に進学するんだった、と後悔したところで今更どうにもならない。俺は高校を卒業するのと同時に、村役場へ就職したのだった。
 この地域の住民が進学しようとすれば、どうしたって村を離れることになる。限界集落なんて言葉に余裕で当てはまるほど、過疎と高齢化が進んだこの村では、高校ですら村外まで通わなくてはならないのだ。しかも村と外を繋ぐバスは、一日に数本しかない。
 進学も考えたが“あの人と出会った場所”である神社から離れがたくて、結局俺はここに住み続けることにした。
 まともな働き口のないこの村で、役場に就職できたのは奇跡だと思う。こんな時ばかりは、高齢者が多く、若い人の手が足りないことがありがたい。
 今回の頼み事だって、あの神社と関わりがあるのだから、むしろ積極的に引き受けるべきではないだろうか。そんな考えが頭をよぎる。
「あー……分かりました。確かに、中学生じゃ大変だろうし。いいですよ、俺がやります」
「本当に⁉」
「ええ」
「良かったー‼」
 ありがとう、と俺の手を取って満面の笑みを見せた啓の母親は、心底安堵した様子で帰って行った。
 こんなに人選に苦労するのであれば、やめてしまえばいいのに。そう思うが、簡単にはいかないのが田舎というものだ。
 年寄りたちは頑固で融通が利かない。
 実情に沿って柔軟に対応することよりも、古くさい慣習を守ることの方が大切だと思っている。状況の判断すらまともにできないくせに権力だけはがっちり握っているので、若い者が意見しようものならそれこそ村八分にされかねない。
 ド田舎のコミュニティは錆び付いたまま、未だ固く閉じられている。
 そんなことは、この村で育つ間に嫌というほど思い知ってきた。
 人口が少ないがために村内の誰もが顔見知りで、一見和やかに見える集落。しかしここに住む人々は変化を好まないし村意識が強いので、よそ者には驚くほど冷たい。
 この場所に娯楽がないということも、大きな要因だろう。よそ者の存在は、村の人々にとって格好の暇つぶしのネタなのだ。
 自分たちのことは棚に上げ、根掘り葉掘り話を聞きだしては、重箱の隅をつつくように難癖をつける。次のターゲットが現れない限り、何年この村に住んでいようが、いつまで経っても“よそ者”だ。
 終わりが見えかけているド田舎の集落に越してくるもの好きなど、そうはいない。
 だから村内で最も新参者の俺たち一家は、15年以上ここに住んでいるのにも関わらず、今でもよそ者のままだ。
 そんな“よそ者”に頼らなくては成り立たない行事など、さっさとなくなってしまえば良いのにと心底思う。
 けれど、祭りの日は奉納神楽目当てに村の人口を大幅に上回る数の観光客が訪れる。なんでも、何回か前の祭りの時に、テレビで取り上げられたことがあったんだそうだ。
 奉納神楽の、この世のものとは思えないほどに幻想的な雰囲気と、7年に一度しか見ることができないという物珍しさが話題となって、放送以降、ぜひとも見てみたいという人や希少な被写体を写真に収めたいカメラマンなどが押し寄せるようになったのだという。
 しかし、村は交通の便も悪いし、近くにホテルや旅館もない。そのため、どこの家もこっそりと民泊のまねごとをするし、この日ばかりは特産品もよく売れる。
 観光客が落としていく金を当てにしているのだから、普段は冷遇している“よそ者”の俺にすがってでも祭りを行いたいのだろう。



 ——両親がこの村に越してきたのは、俺が3つの時だったそうだ。
 この土地になんらかの縁があったわけではない。
 ただ、何もない場所を見ては笑い、誰もいないはずなのに人と会話をしているかのように言葉を発する。突然何かにおびえたように泣き出す。そんな、普通の人が見たら奇行とも思えるような行動を頻繁に繰り返す俺を見かねて、自然の豊かなところで育てた方がいいのではないか、と両親は都内のマンションを引き払ったのだという。
 まだ小さかった俺は、その経緯を何一つ覚えていない。けれどその奇行の原因は、年をとるごとにはっきりと自覚するようになっていった。
 自分にとって当たり前にそこにいるモノたちが、どうやら他の人には見えていないらしいと知ったのだ。
とはいえ、自覚する頃にはすっかり手遅れで、小学校に入ってすぐくらいには、“榊の家の息子は頭がおかしい”という評判がすっかり定着していた。
 それに、俺の外見も、異質なものを嫌う保守的な人々から疎まれる原因なのだと思う。
 俺は生まれつき色素が薄い。肌が白く髪は茶色いし、瞳も、日光の当たり方によっては金色に見えるほど明るい。
 顔立ちはどう見たって日本人のソレだし、残念ながら身長だって170をほんの少し超えたところで止まってしまった。筋肉が付きづらいせいで、体重は平均以下だ。
 外国人的な要素は色味だけなのだけれど、狭いコミュニティの中で悪目立ちするには十分だった。
 そんな風にあれやこれやと“普通の人と違う”ことが重なって、俺は早い段階で村の人たちから疎まれていたのだけれど、周りの声など気にせずに俺と友人でいてくれたのが、さっき頼みごとをしに来た女性の息子、 啓だったというわけだ。
 子供の少ないこの村で、彼とは奇跡的に同じ年だった。
 両親でさえ知らない、知ったところで理解できないであろう俺の秘密を、啓だけは知っている。他の人たちと同じように、啓も彼らを見ることはできないのだけれど、信じてくれているのだ。
 啓は、唯一の友人だ。他の人からは嫌がられてしまう俺を受け入れてくれた恩だってある。そんな彼の親に頼まれれば、断れるはずもない。
 
 奉納神楽の舞い手は、村に住んでいる20歳に満たない男が務めるのが習わしだ。
 この祭りで奉納される神楽は、ただ単に曲と振り付けがあるだけでなく、それ自体がひとつの物語になっている。
 ストーリーは簡潔だ。
 村に住んでいる若い男が、ある日、神社に祀られている神さまと出会う。やがて彼は神さまと心を通じ合わせるようになり、人として生きることをやめ、自ら望んで側に仕えるようになるのだ。
 舞い手は、この若い男の役を務めることになる。
 物語は村に残る伝説を元にしているそうなのだが、奉納神楽自体がいつから行われているのか、なぜ全国各地に残る生け贄に関する伝承のように、その役割を担うのが若い女ではなく、男とされているのか、どうして7年に一度しか開催されないのかなど、分からないことの方が多い。
 それなのに、この祭りは俺には想像もできないほど昔から、この地に住む人々の手によって守られ、受け継がれてきたのだ。
 そんな風に大事にされてきたものなのに、重要な役割を担うのがこの村の生まれではない俺でいいのだろうか。
 伝統が途切れることと、村の人々が長いこと厄介者として扱い続けてきた俺に頼ることでは、一体どちらがマシなのだろう。
 そこまで考えて、いや、大事なのは金がはいることか、と俺は皮肉な笑みを浮かべる。
 啓の母親が、俺たち家族に偏見を持っていないことはよく分かっている。そうじゃなかったら、小さかったアイツが俺に近づこうとしても、引き離されてしまったことだろう。
 実際には引き離されるどころか、高校を出るまでずっと一緒だったし、向こうが県外の大学に進学してしまった今でさえ、たまに連絡を取り合うくらいには付き合いが続いている。
 啓には感謝しているし、代わりに舞うことで彼の負担が減るのなら、引き受けても構わない。けれど、“よそ者”である俺が祭りの中心となる役を務めることをよく思わない人の方が多いことなんて、簡単に想像できる。
 きっと祭りが終わるまでに、今まで以上に嫌な思いをすることになるだろう。
 そもそも、俺は人前に立つことが苦手だ。多くの人の目にさらされる上に、嫌がらせを受けることも覚悟しなければならないのだ。
 傷つけられないように、自分を守れるように、できる限り感情を動かさずにやり過ごせ、と自分自身に言い聞かせる。
 “あの人”にもう一度会えるまで、俺は絶対にここを出て行かない。
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