自殺写真家

中釡 あゆむ

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第二章

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 収穫という収穫はあまりなく、今日は来月号出す女性誌の執筆に取り掛かっていた。それが書き終わればイラストレーターがイラストを描き足してくれるのだが、まず書き終わらなければ話にならない。 
 ひたすらパソコンと向かい合いながら、言葉を選ぶために時折グーグルを開いては類語を調べて打ち込んでいく。その作業を五年してきたが菊は一向にキーボードを打つのが早くならず、仕事が遅いことを痛感していた。 


 腕を上へ伸ばし、窓の外を見た。鳥の鳴き声が聞こえる。水色の空が延々と広がり、遮断するものは何もない。外に出たいなあ、と思いながら欠伸を一つ零すと横の同僚に睨まれ、縮こまった。 
 何を書けというのだろう。生憎文章力はなく、取材したメモを見ても埋まらない。苛立ちだけが募り、無能力がひしひしと突き刺さってくるだけだ。 


 外へ出ることにし、立ち上がった。恐らく職場にいるから、そう思うのだろう。帰ってから一人でやることにし、出ようとすると、馬鹿はいいよなあ、そんな声が聞こえ、振り返った。同僚の女性と先輩が菊の方を見ていた。二人は慌てて顔を見合わせて密やかに笑う。 


「聞こえたじゃん」 


「いいんですよ、どうせ何も言えやしないんです。のろまだし、何も言えないし、本当よく記者してますよ、あの子」  


 誰にでも聞こえるように彼女たちは言い、今度は含み笑いを浮かべて菊を見た。


 唐突に体温が火照り、顔が一際熱くなった。ところが後頭部の髪の毛が引っ張られたみたいに冷えていく。心臓が引き攣った頬みたいに痛い。 


 走って外へ出た。そうするしかなかった。これが、もし、まだ入りたてだったなら。笑い飛ばすことが出来ただろう、冗談だって言えた。
 けれど――吹き抜ける風が会社の前の木を揺らす。柔らかな太陽光が菊の持ってきた埃に照らされ、きらきらと木の葉と菊の間を流れた。 


 けれど、もう五年も経ってしまった。時の流れは溝を生み、孤立し、流されてしまった離島さながら海のど真ん中で住み着いてしまった。辞めることも、時間を巻き戻すことも出来やしない。社員たちの引き締まった顔色を伺い続け、学生時代とは違った、プライドや責任感に付いていけずに、その表情を崩すことはおろか凝固させていくばかりで、次第に恐くなった。ここにいる意味はあるのだろうか。取り残された私は、結局身動き出来ない。 


 ゆっくりと歩き始める。柔らかいはずなのに、陽光の温もりが心に染み渡ってきて痛かった。感じていた熱全てが目頭に集中し、雫となって零れる。 
 慌てて拭った。暗くなった心に喝を入れ、前を向く。今日はこれから主婦たちの声を聞いていくつもりだ。例えば、政治家のこと、芸能人の熱愛、薬物、治安、事件などだ。 


 気を取り直して歩みを早めた。 
 住宅街への入り口付近、ゴミ置き場の前で主婦が五人、円を描いて談笑していた。 
 菊はなに食わぬ顔でその輪の中に入っていく。 


「こんにちは、最近あそこのマンションに引っ越してきた佐々中と申します」 


「あら、こんにちは」 


 一人の主婦が挨拶してくれ、習ってほかの人達も挨拶してくれる。特別特徴のない人達だが、子どもを生んだ貫禄と穏やかさ、それに陽光が差してきているためか、それぞれ女神のような笑みを称えていた。 


 菊は、外に出れば言葉は簡単に出た。笑い声は軽やかに、自然に飛び出した。
 持ち前の明るさを駆使して、自分の登場のせいで中断された話題を引っ張り出す。そうそう、と一人の主婦が招き猫みたいな仕草をした。 


「園谷さんっていう、ほら、そこの家の人なんだけど、届いたそうなのよ。アレが」 


「アレ……ですか?」 


 彼女は奥の家を――連なっているからどれかわからないが――指しながら言った。菊が首を傾げると正面の女性が大きく頷く。マスコミさながらの目の輝きを宿し、女神のような風格はもう既になかった。 


「……自殺写真よ」 


 え、と声が漏れた。生唾を飲み込む。 
 そうか、と一人納得をした。自殺写真を送られた人物が一人で抱え込むとは限らない。母に言い、主婦たちに伝わったのだろう。 


「あの、見せてもらったんですか?」 


 一同頷き、口々に言い始める。 


「あれは悪趣味よ」 
「とても衝撃を受けたわ」 
「私なんてトラウマよ」 
「というか園谷さん、みんなに見せてたのね」 
「あの人、注目されたがりだから」 
「ああ、そうよね、この前だって町会議の時に……」 


 脈絡のない話に逸れてきたため、菊は時期を見計らって、そろそろ、と抜け出させてもらった。マンションに戻るふりをして、裏から回り込み、主婦が指していた園谷という表札を探すつもりでいた。 


 しかし回り込めないようになっているらしい。仕方なく、翌日来ることにし、来た道を戻っていく。 
 自殺写真――やはり、悪用する人間はいるようだ。注目を集めたいから人の死を見せびらかすなんて可笑しい。記録として写真に残すのもやはり理解し難い。みんな狂っている。 


 太陽を見上げるとチカチカと空が迷彩柄の模様を作った。太陽が黒い丸として縁どられる。空はこんなに汚かっただろうか。世の中のことを知る度に思った。昔は果てしなく青く、高く、広がっているように感じたのに。今は電線に囲まれ、どこかで空は途切れてしまっているように思えてしまう。 


 どうして自分の命を自ら断つのだろう。せっかく与えられた命なのに、最大限まで使いたくないのだろうか。どこまでが限界なのか知りたくないのか。苛立ちは、どこにもぶつけられやしない。ため息をついた。 


 学校付近まで戻ってきた。この前と同じように聞き込みをしようと思ったがさすがに警戒されているのか、少年たちはどの大人に対しても用心深く歩いている。 
 困り果て、やはり会社に戻ることを考えた。歩きながらとりあえず今まで得られた情報などを頭の中で整理していくが、得られたのは彼女たちの思想だけだったのを思い出しげんなりした。 


 踏み切りの音が鳴って遮断機の前で立ち止まる。向こう側の人々と車はお利口に佇んでいる。他に女子高生が一人いた。 
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