自殺写真家

中釡 あゆむ

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第二章

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 今日の夕日は太陽が一際近いのか、赤い。真っ赤に染まった遠くの空が青年に近付くにつれ、ピンク色に変わり、やがて紫色になっている。高校のグラウンドに忍び込み、目立たないように脇に生えた木の陰に隠れて指示された通り、焼却炉のある裏側へ向かった。 


 焼却炉の鉄の扉の前に、少女はいた。昨日はブレザーとセーターを羽織った格好をしていたのに今日は半袖のセーラー服だ。そのせいで、痛ましいリストカットが露になっていた。右腕にも左腕にも、袖までぎっしりと傷は敷き詰められている。 彼女よりも存在感を放ち、傷が自我を持ち始めているよう。目を惹かれていると、少女が心許無さそうにそわそわし始めたため青年は頭を下げた。 


「見ていてください」 


 もう彼女の目は青年を映さずに座っている。役者さながらの集中力で、スカートのポケットからカッターを取り出し、自分の腕にあてがった。 


 横には水が張ったバケツが置かれている。恐らくそれで血を促すのだろう。 


 押し当てられたカッターが肌を凹ませた。そのまま滑らせ、手首にたどり着いた途端、思いっきり引いた。血がぷくりと顔を出して止めどなく流れ始めた。それは腕を伝って地面に落ち続ける。土を、雑草を、赤く濡らす。彼女の後ろの鉄の扉が夕日の色を鈍く反射していた。 


 彼女は続けて、スカートを捲って太ももを、ふくらはぎを、お腹を、胸を、首を切り裂いていく。地面に落ちたセーラー服が赤く水玉に色付き、スカートに黒い染みを作る。生唾を飲み込む。 


 青年はそれまで時間を忘れて茫然と眺めていたが、慌ててお腹の上で垂れ下がったカメラを手に取り、ファインダーを覗き込んで、切り刻んでいく彼女にシャッターを切っていった。もはやほとんど裸に近い彼女を撮っていきながら、傷を作り血を流す彼女にドキドキして喉が渇いた。傷が口みたいに見え、流れ出る血が舌みたいに見える。いやらしく彼女の肌に吸い付いて舌を垂らす大量のそれき痛みに正気を失われているはずの彼女が物憂いに表情の力を抜いていき、何よりもエロティックに見えた。日が暮れてきても一秒一秒変わる舌使いに、夕日の色に、表情に、取り残されないようにシャッターを切り続ける。そして彼女は、バケツの中の水を被った。 
 彼女の血は情熱的で、紺色になっていく世界の中で色を失わずに、水と共に滑らかに滑っていく。 


 青年は、終わりのシャッターを切った。 


 彼女は力尽きたのか、倒れてしまう。濡れた土の上で後ろに倒れ、頭を打った音が聞こえた。彼は彼女の横に行き、座り込んだ。ジーンズが湿っていく。 
 彼女の息は浅くなっていた。今の衝撃がとどめを刺したのかも知れない。口をパクパクと金魚みたいに動かして、しかし吹き出す息が弱々しい。 


 青年は何も言わなかった。ただ、フラッシュを炊いて彼女が死ぬ瞬間を待ちわびる。夕日はすっかり沈んで、彼女は眠ろうとする。静かにカメラを切った。 


 それから二日後、自殺写真家にはもう依頼が来ていた。しかし今回は自分が依頼させてしまったように感じられる。 


 電車に乗って田舎で降り、とりあえず指定された場所まで歩いていく。タバコ屋があって、駄菓子屋があり、線路を抜けていく。遠い向こうは木々が茂って山を作っていた。 


 そういえば、山と森の違いは何だろうか、と青年は考えてみた。遠くから見れば山も森も一緒だ。脇に田んぼがある道を歩いた。夕日で青がかったオレンジ色になっている。空は筆で乱雑に塗られたように、疎らに夕日の色が描かれていた。少し肌寒い。人通りも少なく、孤独感を煽られる。 
 だから、青年は田舎が好きだった。人はみんな孤独だということを知れるから。 


 昨日、男のところへ行き、写真を渡してお金を受け取った。帰りに、飛び込み自殺を試みていた女子高校生を見つけてしまい、つい撮ってしまったのだ。しかし未遂に終わってしまう。恐らく知り合いではないのだろう女性に、邪魔をされたことで彼女は憤慨して走り去った。 
 女性は彼女の後を追いかけ、青年も人混みに紛れて追いかけたが、あの女性の様子がほんの少し気になった。何かを落としてしまった表情をして、振り返っていた。
 本当に落し物ならいい。けれどあの女性が、何かを見落としたことに気付いたのだとしたら……。 


 考えながらも走り続け、やがて女子高校生に追いついた。興奮でつい口走ってしまった。 


「あなたの自殺写真を撮らせてくれませんか」 
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