この青く美しい空の下で

しんた

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少女が"選んだ"もの

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「イリスさんはどんな能力がいいですか? お勧めは"身体能力上昇"です。
 この能力は言葉通り身体機能を上昇させる効果があります。当然、凄まじい能力はありませんが、あると色々便利だと思います。
 例えば、ちょっと走った程度では疲れなくなったり、普段よりちょっと重い荷物を持てるようになったり、ある程度の身体的な丈夫さは手に入れる事が出来ますよ。
 他は何が良いですかね。……武術能力上昇とかも良いかもしれませんね。旅をしてると出会うであろう魔物に対処するには、ある程度武器を扱う能力が必要になります。
 この能力は先ほどの身体能力上昇の、武器や防具の扱いが高くなる能力と思って頂いて構いません」

 さりげなく勧めるこの能力は特別製だ。これさえあれば、生きるのに必要な力を全て含めてある。
 これを選んでくれるのなら、通常の魔物の扱いをされていない、特殊な強さの魔物でも戦える術を身に付ける事が出来る。
 そして、鍛えれば鍛えるだけ強くなれるようにエリーは調整をするつもりだ。あくまで"エリルディール"に生きている人の中でも辿り着ける領域までという制限はあるが、必要以上の強さは却って敵を作りかねない。この辺りが丁度良いだろう。
 これは本人の意思次第で強さを手に入れられる能力で、最初から強い訳でもない。流石に行き成り最強の力などを与える事は出来ないが、これなら悪目立ちはしないはず。
 丁度良い強さというだけではなく、本人が強く望むのならば、望んだ分だけその強さに辿り着く事が出来る。これならばポワルも安心して送り出せるだろう。

 少女は考えていた。何が自分に必要なのかを。
 その瞳を見たエリーは不安を感じてしまう。
 確証は持てないものの、胸騒ぎがする。
 そう思わせる瞳の色をイリスはしていた。

 暫し考えていたイリスは、エリーへと質問をした。

「こういった能力は、"エリルディール"にいる人たちも、持っているものなのでしょうか?」

 びたっと固まってしまうエリー。
 イリスはポワルから賢い賢いとしつこく聞いていたが、どうやらその程度では収まらない聡明さを持っているようだ。
 そしてこの子は、心の何処かでそれに気が付いているのだろう。
 こんな能力を世界にいる人々は、誰一人として持っていないのだという事実に。

 言葉に詰まらせるながらも答えるが、雲行きが怪しくなってきてしまう。

「いいえ、この世界にいる殆どの人は、能力を持っていません」

 咄嗟に嘘をついてしまうエリー。なるべく当たり障りの無いように話したつもりではあったのだが、イリスにはそれが通じないようで、どんどん悪い方向へと進んでいってしまう。

「えっと、ということは、つまり……。ずるいことなんじゃ――」

 イリスがそう言いかけた瞬間、今まで静かに聴いていたポワルが強い口調でイリスに反論していった。
 その瞳と表情はとても必死な、今にも泣きそうな顔をしていた。

「ずるくないよ! イリスちゃんは何にも知らない場所に放り出されるんだよ!? 
 知識はあっても今までの常識は通用しなくなっちゃうんだよ!? 
 魔物がいない世界の住人が、行き成りそんな所に落っことされたら、
 不安になって怖くなるのが当たり前なんだよ!?
 ……魔物に追っかけられて逃げるイリスちゃんなんて、見たくないよ……」

 次第に勢いが無くなっていくポワル。
 その表情はとても寂しそうな顔をしていた。
 それはイリスを心から心配している気持ちがはっきりと伝わり、とても嬉しくも思うも悲しい想いをさせてしまっている事に、申し訳なさを感じてしまうイリスだった。

 ポワルは心を落ち着かせて言葉を続けていく。
 その声はとても悲しそうな声だった。

「お願いだから、そんな風に考えないで? 
 ……ね? 何か能力を持っていないと、本当に危ないから」
「……ポワル様」

 今にも泣きそうなポワルの顔に、イリスはズキンと胸が痛くなる。
 そんな悲しい顔で懇願されるように言われては、流石に心が揺らぐイリスであったが、どうしても伝えるべき言葉が出来てしまっていた。

 イリスはゆっくりと、丁寧に言葉を話し始めていく。
 はっきりとした口調で。でも、しっかりと理解して貰えるように。

「ごめんなさい、ポワル様。それでも私は受け取れません。
 何か能力を貰ってしまったら、私はきっと後悔するような気がするんです。
 "持っていない人たち"がいる世界で、"持っている私"がいると、
 私自身が許せなくなるような、そんな気がするんです。
 その世界に立つのなら、同じ条件で立ちたいから」

 この選択に後悔はしない。自分で考え、選んだことなのだから。
 そしてこれはきっと、やってはいけないことなんだ。
 そう思いながら、イリスは言葉を丁寧に紡いでいく。

「"努力した"人達が必死で手に入れたものを、
 "努力なし"で軽々しく手に入れて良いものではないと思うから」

 ――だから、とイリスは言葉を続ける。
 自分の口から言わなければならない。
 これは私の覚悟にもなるのだから。

 そしてイリスは、はっきりとした声で、二柱の女神に宣言していく。

「能力はいりません」

 しんとした管理世界に響く少女の声と、その名を小さく呼ぶポワルの声。
 少女の瞳は今まで過ごしてきた平和な世界の出身者では、
 とても出来ない様な美しい決意の色をしていた。
 その輝きにポワルは一瞬どきっとするも、しっかりと少女の言葉を聞いていく。
 表情はやはり、とても寂しそうな顔をしているようだ。

 エリーは少女の、まるで光り輝くようなその美しい瞳を真っ直ぐ見つめていた。
 その瞳の奥には揺らがぬ決意の色に見え、彼女の意思はとても固く心を決めてしまっているのが、手に取るように理解出来た。

 静かに瞳を閉じ、考えるエリー。

(本当に後悔しない? ……いえ、貴女はきっとしないわね。後悔するのは、きっと私。それなら――)

 ゆっくりと静かに口を開いていく。
 なるべく優しく、穏やかな声で。
 でも、覚悟を確認出来る強さで。
 そして少女を怖がらせない様に。

「イリスさん」
「はい」

 瞳を開け、エリーは告げる。この世界の"真実"を。

「この世界はイリスさんが思っている以上に、辛く、厳しく、残酷で、無慈悲です。……それでも」

 彼女の瞳は、真っ直ぐエリーを見つめていた。その瞳の色になんと美しい色なのだろうかと思うエリー。
 それでもエリーは聞かなくてはならない。イリスの意思を。そして覚悟を。

「それでも、能力はいりませんか?」

 イリスは瞳を閉じ考える。もし覆したとしても、誰もそれを責められない。
 この世界、エリルディールは理不尽・・・だ。努力で為し得たものですら、軽々と踏み躙るほどに。魔物に倒される大人など珍しくない。寧ろ武芸に秀でた者でなければ、退く事が出来ない程の強さだ。

 それだけではない。魔物がいる程度・・では、エリーはここまでの心配はしない。
 理由はもっと別にある。だがこの子にはそれを伝えていない。
 いや、今のイリスには伝える事が出来ない事実が魔物にはあった。
 もしそれを知ればイリスは、心が折れてしまうかもしれない。

 ポワルもそれを知っている。だからこそ、"エリルディール"に向かうと知った時、取り乱すように驚いてしまったのだ。
 ここで魔物について教えてしまうと、将来の可能性をいくつか消してしまう事になってしまう。エリーは魔物についてイリスに詳しく教えるべきだろうかとポワルを一瞥すると、それを察したように彼女は首を横に少しだけ振る。
 そしてその瞳が語っている。イリスなら大丈夫だと。それを信じていると。

 信頼している彼女の瞳にも戸惑うエリーは、それでも思わずにはいられない。
 能力を貰ってくれた方が安心する、と。それほどまでに厳しい世界なのだから。

 ゆっくりと開かれる彼女の瞳には、決して揺らがぬ決意が見て取れた。
 エリーは思う。ああ、決意も覚悟も足りないのは私の方なのね、と。

 そして少女は答えていく。

「はい。能力はいりません」

 その言葉にもう誰も口を挟む事は出来なかった。

「そうですか。わかりました」

 瞳を閉じながら、静かに答えるエリー。
 そのまま事間を続けていった。

「ではイリスさん。これから貴女を、"エリルディール"へ送ります。
 辛く、厳しい事が貴女を待ってるやもしれません。ですが――」

 瞳をゆっくりと開き、とても穏やかで優しい表情で伝えていく。

「貴女ならきっと大丈夫。どんな困難に突き当たっても、貴女なら乗り越えられると信じています」
「ありがとうございます」

 目を細めて答えるイリスに釣られ、微笑んでしまった。

「イリスちゃん」
「ポワル様」

 もうじき別れなければならないと感じてしまい、急に寂しくなってしまう。
 そんなイリスへポワルはとても美しい笑顔で微笑みながら話していった。

「タウマスとエレクトラから、言葉を貰って来てるよ」
「え? お父さんとお母さんから?」

 言葉とはどういう意味だろうか。お手紙だろうかとイリスは思っていたが、どうやら言葉通りのものらしい。

「ちゃんとした"言葉"を預かっているよ。聞いてあげてね」
「はい」

 イリスにその意味は理解出来ないが、暫くするとポワルの胸の前に出した両手がやんわりと優しい光に包まれて、
 次第に優しく、大好きな父の声が響いてきた。

『――イリス。父さんだ』


 *  *   


 次第に光は収まっていき、大切な"言葉"を受け取ったイリスは、涙が止め処なく流れていた。今まで気が付かなかった。気づく事すら出来なかった、その大切な想いに。
 イリスはこんな事になって初めて、自分がこんなにも愛されていたという事を知った。止まらない涙を流しながら瞳を閉じた少女は、胸に両手を当てながら呟くように言葉を紡いでいく。

「ごめんなさい、おとうさん、おかあさん。気づいてあげられなくて。……だいすきです」

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