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妻との距離を詰めかねておりまして①
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「めずらしく遅い時間に出てきたかと思えば、いつも陰気臭い顔のお前が浮かれている様子だったから、ミスの一つでもあればからかってやるつもりだったんだがな……突っ込みどころが見当たらなくてつまらん」
エミリオの差し出した書類に目を通したクロードが最初に口にした台詞がそれだった。
国王の執務室にいるのは二人だけで、彼の軽口はいつにも増して遠慮がない。
「褒めてるんですか、けなしてるんですか」
「もちろん褒めている。正確な仕事はありがたいからな。それに、弟の結婚生活が順調なのは喜ばしいことだ」
さらりと言いつつ書類に判を捺してエミリオに返す。彼にとってそれは他愛ない雑談だったらしいが、その中に含まれた『順調』という単語に、エミリオはほんのわずかに反応してしまう。
「――なんだ? なにか問題でもあったのか」
即座に追及されて、エミリオは一瞬前の油断を悔やんだ。
セレナとの結婚は彼の命令でもあったので、その経過を一応は気にかけてくれているのだろう。とはいえ、そこはあまり踏み込んでほしくないところだった。
「……生活自体は順調です。ただ、なにぶん急に決まった結婚ですので、距離を詰めかねている、と言いますか……」
慎重に言葉を選びつつ答える。
クロードの関心を引かぬよう心がけたつもりだったが、人並みの情緒には無頓着なくせに、勘だけはやたら鋭いのがこの王の厄介なところなのだ。
手の甲に顎を乗せたまま、彼の薄い唇が面白そうに弧を描く。
「もしや、まだ手を出していないのか? 結婚したのだから遠慮する必要などないだろうに」
「……下世話な話はやめてください。彼女は貞淑な女性なんです。男慣れもしていない。夫婦なのだからと思うさま振る舞って、無理をさせたくないのです」
「ああ、セレナは繊細だからな。そこが少しめんどくさい。まあ、お前には合っているだろうよ」
人の妻を気安く名前で呼ばないでいただけますか。
反射的にそう言いたくなって、虚しくなりそうだからやめた。陛下に対して醜い嫉妬をいだいていることは、ほかでもない自分自身がよく理解している。呼び方など上っ面の問題でしかない。
それに、大雑把なように見えて抜かりないこの兄のことだから、エミリオがわざわざ訂正させずとも公的な場では適切に呼びかえるに違いないのだ。
ただし、妻に対する誹りだけは見過ごすわけにいかなかった。
「……まさか、そういう理由もあって私に下げ渡したんだとは言いませんよね?」
エミリオにはめずらしく、地を這うような声ですごんでやったというのに、腹が立つくらいにクロードはどこ吹く風だった。
「当たり前だろう。彼女は繊細だが、公の場では私情を挟まず適切な行動をとれる人材だ。頭の回転も速い。状況に合わせた柔軟な対応を安心して任せられる伴侶は得がたいものだ。誰が進んで手放そうとするものか。――ふ、その顔は本気で怒っているな」
「妻を侮辱するようなことを言われたのですから当然の反応です」
「妻……か。果たして理由はそれだけかな」
なにかを見透かすように彼は目をすがめる。
「おちょくらないでください」
その視線から逃れるように執務室を出て、エミリオはやれやれと息をついた。
せっかく朝からセレナと過ごして幸せな気持ちに浸っていたのに、陛下のせいで台無しだ。相手が身内だからというのは一因としてあるのだろうが、どうしてああも歯に衣着せぬもの言いができるのか不思議でならない。
血のつながった兄弟であり、同じ父母から生まれたのも間違いないというのに、二人の性格はまるで似ていなかった。合理性と結果を重視し、感情論を切り捨てる。そんなクロードの考え方は、エミリオには理解できても共感はできない。
だが、そういった思想を持つ彼だからこそ、あの若さで国という巨大な組織を統率できているのだろう。そして、彼に欠けている細やかな配慮や綿密さを自分が補っているのだとすれば、現在の体制はおおむねうまく機能している。
だから、彼の在り方に口出しするつもりは毛頭ないのだ。
――セレナのことを除けば。
エミリオの差し出した書類に目を通したクロードが最初に口にした台詞がそれだった。
国王の執務室にいるのは二人だけで、彼の軽口はいつにも増して遠慮がない。
「褒めてるんですか、けなしてるんですか」
「もちろん褒めている。正確な仕事はありがたいからな。それに、弟の結婚生活が順調なのは喜ばしいことだ」
さらりと言いつつ書類に判を捺してエミリオに返す。彼にとってそれは他愛ない雑談だったらしいが、その中に含まれた『順調』という単語に、エミリオはほんのわずかに反応してしまう。
「――なんだ? なにか問題でもあったのか」
即座に追及されて、エミリオは一瞬前の油断を悔やんだ。
セレナとの結婚は彼の命令でもあったので、その経過を一応は気にかけてくれているのだろう。とはいえ、そこはあまり踏み込んでほしくないところだった。
「……生活自体は順調です。ただ、なにぶん急に決まった結婚ですので、距離を詰めかねている、と言いますか……」
慎重に言葉を選びつつ答える。
クロードの関心を引かぬよう心がけたつもりだったが、人並みの情緒には無頓着なくせに、勘だけはやたら鋭いのがこの王の厄介なところなのだ。
手の甲に顎を乗せたまま、彼の薄い唇が面白そうに弧を描く。
「もしや、まだ手を出していないのか? 結婚したのだから遠慮する必要などないだろうに」
「……下世話な話はやめてください。彼女は貞淑な女性なんです。男慣れもしていない。夫婦なのだからと思うさま振る舞って、無理をさせたくないのです」
「ああ、セレナは繊細だからな。そこが少しめんどくさい。まあ、お前には合っているだろうよ」
人の妻を気安く名前で呼ばないでいただけますか。
反射的にそう言いたくなって、虚しくなりそうだからやめた。陛下に対して醜い嫉妬をいだいていることは、ほかでもない自分自身がよく理解している。呼び方など上っ面の問題でしかない。
それに、大雑把なように見えて抜かりないこの兄のことだから、エミリオがわざわざ訂正させずとも公的な場では適切に呼びかえるに違いないのだ。
ただし、妻に対する誹りだけは見過ごすわけにいかなかった。
「……まさか、そういう理由もあって私に下げ渡したんだとは言いませんよね?」
エミリオにはめずらしく、地を這うような声ですごんでやったというのに、腹が立つくらいにクロードはどこ吹く風だった。
「当たり前だろう。彼女は繊細だが、公の場では私情を挟まず適切な行動をとれる人材だ。頭の回転も速い。状況に合わせた柔軟な対応を安心して任せられる伴侶は得がたいものだ。誰が進んで手放そうとするものか。――ふ、その顔は本気で怒っているな」
「妻を侮辱するようなことを言われたのですから当然の反応です」
「妻……か。果たして理由はそれだけかな」
なにかを見透かすように彼は目をすがめる。
「おちょくらないでください」
その視線から逃れるように執務室を出て、エミリオはやれやれと息をついた。
せっかく朝からセレナと過ごして幸せな気持ちに浸っていたのに、陛下のせいで台無しだ。相手が身内だからというのは一因としてあるのだろうが、どうしてああも歯に衣着せぬもの言いができるのか不思議でならない。
血のつながった兄弟であり、同じ父母から生まれたのも間違いないというのに、二人の性格はまるで似ていなかった。合理性と結果を重視し、感情論を切り捨てる。そんなクロードの考え方は、エミリオには理解できても共感はできない。
だが、そういった思想を持つ彼だからこそ、あの若さで国という巨大な組織を統率できているのだろう。そして、彼に欠けている細やかな配慮や綿密さを自分が補っているのだとすれば、現在の体制はおおむねうまく機能している。
だから、彼の在り方に口出しするつもりは毛頭ないのだ。
――セレナのことを除けば。
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