このたび、片思い相手の王弟殿下とじれじれ政略結婚いたしまして

むつき紫乃

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妻からお誘いを受けまして②

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 妻の艶やかな栗色の髪に、エミリオはそっと手を添わせた。彼女の長い睫毛が震え、視線が下を向く。
 侍女たちによって日夜丁寧に手入れがなされているのだろう、美しく伸ばされた髪の手触りは極上で、自然とため息がこぼれた。
 そのひとすじを持ち上げ、己の唇に押し当てる。

「……っ」

 呼吸を詰めるような気配が伝わってきて、上目遣いでセレナの反応を窺った。

「いやじゃないか?」

 こくんと彼女の首が縦に動く。

「……いやじゃないです」
「なら、これは?」

 髪から手を放したエミリオは、膝の上に置かれていた彼女の小さな手を拾い上げた。そして、指と指を絡める。互いに手袋は着けておらず、なににも遮られることなく肌が密着する。その感触に意識を集中させるよう促すように、すり、と手を擦り合わせた。

「いやじゃ、ないです……」

 返事をする声がかすかに揺れる。
 異性の肌に直接触れる機会などこの国ではめったにない。それこそ肉親か、恋人や夫婦でもない限り。

 恥ずかしくなってきたのか、セレナが顔を背けて表情を隠そうとするので、すかさずエミリオは空いているほうの手で頬を捕らえて持ち上げた。二人の視線が間近で交わる。

「これは?」
「……っ、平気、です……」
「顔が熱いな……」

 呟きつつ、その桃色の唇を親指でそっとなぞる。彼女の神秘的な紫の瞳がじわりと潤んだ。その美しい輝きにエミリオは魅入られる。

 ああ、なんて可愛らしいのだろう。
 キスしたい。彼女の全てを自分のものにしたいと思う。妻にしただけでは足りない。心も、身体も……。

 壊れ物を扱うような手つきで細い腰を引き寄せたエミリオは、妻の唇に己のそれを近づけていく。それはほとんど無意識の動作だった。
 だが、触れ合う直前で、白い指先が間に差し込まれた。

 ――やりすぎたか?

 一瞬ひやりとしたものの、間髪を入れず「いやなわけじゃないんです……」と蚊の鳴くような声が目前で発された。

「でも、その、このあと仕立て屋が来るので……採寸もあるので、体温があんまり上がってしまうと、その……っ」

 汗をかいてしまう、と言いたいのだろう。
 生理現象なのだから少しくらい汗ばんでいても仕立て屋は気にしないだろうに、そういう生真面目さが彼女らしくて、好ましいと思ってしまう。

「申し訳ありません……」

 心からそう思っているのだろう、肩を落とすセレナの頭をエミリオは優しくぽんぽんとたたいた。

「私のほうこそ、タイミングがよくなかったな。すまない」

 謝罪を口にすると、彼女は気を遣わせまいとして懸命に首を左右に振る。
 直後、ノックの音が室内に響き、使用人が扉の外から来客を知らせた。
 セレナはハッと立ち上がり、軽く身なりを整えると、こちらにひと言かけて部屋を出ていく。

 一人取り残されたエミリオは大きく息を吐いて長椅子の背にもたれかかった。

 彼女の健気さは、まるで劇薬のようだ、と思う。
 大切にしたいのに、欲望のまま触れたい衝動にかき立てられてしまう。
 嫉妬や欲で彼女を傷つけることだけは、絶対に避けなければならないのに……

『いやじゃ、ないです……』

 そう言った彼女の声がいまだに耳に甘い響きを残している。

 たぶん、いやじゃないというのは事実だ。クロードへの想いも残しているのかもしれないが、エミリオのことも夫として少しずつ受け入れてくれている。

 だからこそ、本当に困ってしまう。

 寛容な彼女が全然拒まないからと、欲望のままにどこまでも踏み込んでいってしまいそうで。
 セレナのペースに合わせてやりたいと思っているのに。

「少し頭を冷やすべきだな……」

 意識的に口にして無理やり頭を切り替えようとしたエミリオは、ふとあることを思い出す。

 セレナはドレスのための採寸を受けるのだと言っていた。そこで思い起こされるのは、妻と初夜に交わしたやりとりだ。意外なほど豊かなその胸を彼女は普段布やコルセットでつぶしているらしい。そして結婚してからも、どうやらその習慣を継続しているようだ。

 ふむ、と小さな声を漏らし、エミリオは彼女が出ていった扉を振り返った。
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