20 / 31
妻からお誘いを受けまして②
しおりを挟む
妻の艶やかな栗色の髪に、エミリオはそっと手を添わせた。彼女の長い睫毛が震え、視線が下を向く。
侍女たちによって日夜丁寧に手入れがなされているのだろう、美しく伸ばされた髪の手触りは極上で、自然とため息がこぼれた。
そのひとすじを持ち上げ、己の唇に押し当てる。
「……っ」
呼吸を詰めるような気配が伝わってきて、上目遣いでセレナの反応を窺った。
「いやじゃないか?」
こくんと彼女の首が縦に動く。
「……いやじゃないです」
「なら、これは?」
髪から手を放したエミリオは、膝の上に置かれていた彼女の小さな手を拾い上げた。そして、指と指を絡める。互いに手袋は着けておらず、なににも遮られることなく肌が密着する。その感触に意識を集中させるよう促すように、すり、と手を擦り合わせた。
「いやじゃ、ないです……」
返事をする声がかすかに揺れる。
異性の肌に直接触れる機会などこの国ではめったにない。それこそ肉親か、恋人や夫婦でもない限り。
恥ずかしくなってきたのか、セレナが顔を背けて表情を隠そうとするので、すかさずエミリオは空いているほうの手で頬を捕らえて持ち上げた。二人の視線が間近で交わる。
「これは?」
「……っ、平気、です……」
「顔が熱いな……」
呟きつつ、その桃色の唇を親指でそっとなぞる。彼女の神秘的な紫の瞳がじわりと潤んだ。その美しい輝きにエミリオは魅入られる。
ああ、なんて可愛らしいのだろう。
キスしたい。彼女の全てを自分のものにしたいと思う。妻にしただけでは足りない。心も、身体も……。
壊れ物を扱うような手つきで細い腰を引き寄せたエミリオは、妻の唇に己のそれを近づけていく。それはほとんど無意識の動作だった。
だが、触れ合う直前で、白い指先が間に差し込まれた。
――やりすぎたか?
一瞬ひやりとしたものの、間髪を入れず「いやなわけじゃないんです……」と蚊の鳴くような声が目前で発された。
「でも、その、このあと仕立て屋が来るので……採寸もあるので、体温があんまり上がってしまうと、その……っ」
汗をかいてしまう、と言いたいのだろう。
生理現象なのだから少しくらい汗ばんでいても仕立て屋は気にしないだろうに、そういう生真面目さが彼女らしくて、好ましいと思ってしまう。
「申し訳ありません……」
心からそう思っているのだろう、肩を落とすセレナの頭をエミリオは優しくぽんぽんとたたいた。
「私のほうこそ、タイミングがよくなかったな。すまない」
謝罪を口にすると、彼女は気を遣わせまいとして懸命に首を左右に振る。
直後、ノックの音が室内に響き、使用人が扉の外から来客を知らせた。
セレナはハッと立ち上がり、軽く身なりを整えると、こちらにひと言かけて部屋を出ていく。
一人取り残されたエミリオは大きく息を吐いて長椅子の背にもたれかかった。
彼女の健気さは、まるで劇薬のようだ、と思う。
大切にしたいのに、欲望のまま触れたい衝動にかき立てられてしまう。
嫉妬や欲で彼女を傷つけることだけは、絶対に避けなければならないのに……
『いやじゃ、ないです……』
そう言った彼女の声がいまだに耳に甘い響きを残している。
たぶん、いやじゃないというのは事実だ。クロードへの想いも残しているのかもしれないが、エミリオのことも夫として少しずつ受け入れてくれている。
だからこそ、本当に困ってしまう。
寛容な彼女が全然拒まないからと、欲望のままにどこまでも踏み込んでいってしまいそうで。
セレナのペースに合わせてやりたいと思っているのに。
「少し頭を冷やすべきだな……」
意識的に口にして無理やり頭を切り替えようとしたエミリオは、ふとあることを思い出す。
セレナはドレスのための採寸を受けるのだと言っていた。そこで思い起こされるのは、妻と初夜に交わしたやりとりだ。意外なほど豊かなその胸を彼女は普段布やコルセットでつぶしているらしい。そして結婚してからも、どうやらその習慣を継続しているようだ。
ふむ、と小さな声を漏らし、エミリオは彼女が出ていった扉を振り返った。
侍女たちによって日夜丁寧に手入れがなされているのだろう、美しく伸ばされた髪の手触りは極上で、自然とため息がこぼれた。
そのひとすじを持ち上げ、己の唇に押し当てる。
「……っ」
呼吸を詰めるような気配が伝わってきて、上目遣いでセレナの反応を窺った。
「いやじゃないか?」
こくんと彼女の首が縦に動く。
「……いやじゃないです」
「なら、これは?」
髪から手を放したエミリオは、膝の上に置かれていた彼女の小さな手を拾い上げた。そして、指と指を絡める。互いに手袋は着けておらず、なににも遮られることなく肌が密着する。その感触に意識を集中させるよう促すように、すり、と手を擦り合わせた。
「いやじゃ、ないです……」
返事をする声がかすかに揺れる。
異性の肌に直接触れる機会などこの国ではめったにない。それこそ肉親か、恋人や夫婦でもない限り。
恥ずかしくなってきたのか、セレナが顔を背けて表情を隠そうとするので、すかさずエミリオは空いているほうの手で頬を捕らえて持ち上げた。二人の視線が間近で交わる。
「これは?」
「……っ、平気、です……」
「顔が熱いな……」
呟きつつ、その桃色の唇を親指でそっとなぞる。彼女の神秘的な紫の瞳がじわりと潤んだ。その美しい輝きにエミリオは魅入られる。
ああ、なんて可愛らしいのだろう。
キスしたい。彼女の全てを自分のものにしたいと思う。妻にしただけでは足りない。心も、身体も……。
壊れ物を扱うような手つきで細い腰を引き寄せたエミリオは、妻の唇に己のそれを近づけていく。それはほとんど無意識の動作だった。
だが、触れ合う直前で、白い指先が間に差し込まれた。
――やりすぎたか?
一瞬ひやりとしたものの、間髪を入れず「いやなわけじゃないんです……」と蚊の鳴くような声が目前で発された。
「でも、その、このあと仕立て屋が来るので……採寸もあるので、体温があんまり上がってしまうと、その……っ」
汗をかいてしまう、と言いたいのだろう。
生理現象なのだから少しくらい汗ばんでいても仕立て屋は気にしないだろうに、そういう生真面目さが彼女らしくて、好ましいと思ってしまう。
「申し訳ありません……」
心からそう思っているのだろう、肩を落とすセレナの頭をエミリオは優しくぽんぽんとたたいた。
「私のほうこそ、タイミングがよくなかったな。すまない」
謝罪を口にすると、彼女は気を遣わせまいとして懸命に首を左右に振る。
直後、ノックの音が室内に響き、使用人が扉の外から来客を知らせた。
セレナはハッと立ち上がり、軽く身なりを整えると、こちらにひと言かけて部屋を出ていく。
一人取り残されたエミリオは大きく息を吐いて長椅子の背にもたれかかった。
彼女の健気さは、まるで劇薬のようだ、と思う。
大切にしたいのに、欲望のまま触れたい衝動にかき立てられてしまう。
嫉妬や欲で彼女を傷つけることだけは、絶対に避けなければならないのに……
『いやじゃ、ないです……』
そう言った彼女の声がいまだに耳に甘い響きを残している。
たぶん、いやじゃないというのは事実だ。クロードへの想いも残しているのかもしれないが、エミリオのことも夫として少しずつ受け入れてくれている。
だからこそ、本当に困ってしまう。
寛容な彼女が全然拒まないからと、欲望のままにどこまでも踏み込んでいってしまいそうで。
セレナのペースに合わせてやりたいと思っているのに。
「少し頭を冷やすべきだな……」
意識的に口にして無理やり頭を切り替えようとしたエミリオは、ふとあることを思い出す。
セレナはドレスのための採寸を受けるのだと言っていた。そこで思い起こされるのは、妻と初夜に交わしたやりとりだ。意外なほど豊かなその胸を彼女は普段布やコルセットでつぶしているらしい。そして結婚してからも、どうやらその習慣を継続しているようだ。
ふむ、と小さな声を漏らし、エミリオは彼女が出ていった扉を振り返った。
32
あなたにおすすめの小説
夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
さよなら 大好きな人
小夏 礼
恋愛
女神の娘かもしれない紫の瞳を持つアーリアは、第2王子の婚約者だった。
政略結婚だが、それでもアーリアは第2王子のことが好きだった。
彼にふさわしい女性になるために努力するほど。
しかし、アーリアのそんな気持ちは、
ある日、第2王子によって踏み躙られることになる……
※本編は悲恋です。
※裏話や番外編を読むと本編のイメージが変わりますので、悲恋のままが良い方はご注意ください。
※本編2(+0.5)、裏話1、番外編2の計5(+0.5)話です。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜
橘しづき
恋愛
姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。
私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。
だが当日、姉は結婚式に来なかった。 パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。
「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる