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最後の逢瀬
しおりを挟む呆然としたように私を見て呟いた。
「リリス……どうしてこんな所にっ…。その紋章は…」
「殿下。私達は初対面です。私はエミリア・ジェーン・アドラー。貴方に貶められたアドラー公爵家の生き残りです。」
青白い顔を更に青くさせた第一王子が、そんな…とよろけそうになるのを、一緒に馬に乗っていた男が支えた。
「殿下!!」
しっかりしてください!と叱責する男の顔は見慣れない者だった。彼にいつも付いていた護衛の中にもこの者はいなかったと思う。かといって貴族の子弟という訳でも無さそうだ。
しかし第一王子の為に動いているのは彼だけのようだった。
「私は…私は何ということを…。」
彼の悲哀は、愛した女に酷いことをしてしまったという後悔の念からくるものだろうか。
私がいくらリリスではないと否定しようと彼が私を見間違う筈も無い。しかし、ここで私がリリスであると認めるわけにはいかなかった。
アドラー公爵令嬢…いや、現アドラー公爵という女は悲劇の乙女だ。そしてそれは…純潔な乙女でなければならなかった。決して、生きる為に男に身体を売るような、浅はかで汚れた女であってはいけないのだ。
公娼であったことが広まれば、私の立場は無くなるだろう。世間は私を汚い女だと見る。どんな言葉で取り繕ってもそれは覆ることはない。そして、これは仕方のないことであった。
だからせめてこの戦争が終わるまでは、私は初な乙女を、復讐に燃える乙女を演じ切らねばならない。何せ、これだけ多くの人が私や勇者を信じてこちらについてくれたのだから。今、あの数の人々に反乱を起こされればこの戦争は失敗に終わる。第二王子を国王にするどころではなくなってしまうのだ。
だからこそ、彼の個人的な感傷も、私の心の痛みも配慮されるべき物事ではなく、ただそれぞれがこの大きな歴史的転換に対して、各々が各々の役目を果たすより他無かった。
「殿下、お逃げください。」
男が馬を降り、私に剣を向けて言った。
そんな男と私の間にすかさずマスターが割って入る。
「マスター…。」
「踊り子ぴょん、言ったよね。私がいる限り、誰にも踊り子ぴょんには指一本触れさせないって。」
マスターと男が激しく打ち合った。
上空では、勇者二人とミキ様が魔法の撃ち合いをしていた。どう見てもミキ様の有利は揺らがない。
遠くにいるはずの軍勢の一部が、こちらに加勢しようと向かってくるのを感じる。
どうやら、彼等の戦いは終結を迎えたらしい。
当たり前だ。
十倍以上の人数差で、寧ろここまでよく持ったと感心してしまうほどだ。
「殿下…。こちらに軍勢が向かってきています。」
「そうか。もう終わりだな。」
「降伏を…なさいますか?」
「無理だ。私が生きていればアレの治世の邪魔になる。私達は…誰か一人だけしか生き残ることの出来ない運命だったのだ…。」
アレ、とは第二王子の事だろうか。
私達、とは誰のことだろうか。
幼い頃は、第一王子と第二王子の関係は悪くなかったと聞く。幼い頃の第二王子からはたまに「兄上」という言葉を聞いていた。優しい兄がいるのだと、柔らかい顔で話していたのに…。
一体、どうしてここまで拗れてしまったのだろうか。
「リリス。最期に、お前と話がしたい。」
「踊り子ぴょん!!」
行ってはいけないとマスターが声を上げた。
だれど私の手は…差し出された彼の手を取って、彼と共に馬に乗っていた。
マスターがこちらに向かおうとするのを、男が阻んだ。男の瞳は真っ赤に染まっている。
多少腕が立つようだが、マスターとの戦闘では彼に分が悪すぎる。
「………すまない…。」
それが分かっているのかいないのか、第一王子は馬上で男に謝罪し、馬の手綱を引いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それから、どれほど駆けたろう。
短いような、長いような、そんな時間が過ぎた。
馬上で一言も発さずに二人でただ、黙って身体を寄せ合う。
彼の鼓動が伝わってくるのが、どうにも哀しくて、やるせない気持ちになった。
小高い丘に辿り着くと、彼と私は馬を降りた。
そのまま彼は馬の背を叩き、馬が遠くまで走っていくのを見送った。
「殿下、何を……。」
「すまない。リリス。最後に、そなたと少し話をしたかったのだ。」
向き合った彼は、以前よりも更に痩せていた。
「ここならば誰もいない。だからどうか。最後だから…。」
「……クロウ様。」
自然と口から出たのは彼の名前だった。それはアドラー公爵である私から出た言葉ではない。リリスとして…ただの女として出たものであった。
「……まだ、名で呼んでくれるのだな。」
ふっと目元を和らげた彼は、どこまでも愚かで優しい、私の知る第一王子のままだった。
「…逃げてください。」
思いもよらない言葉が、私の口から飛び出した。どうしてか、哀しくて哀しくて堪らなかった。
「リリス…愛しい人。どうか泣かないでくれ。」
そっと添えられた掌の温かさで、自分が泣いているのだと気が付いた。
困ったように微笑む彼が、今にも消えてしまいそうに感じて、私はただその掌をそっと握る事しか出来なかった。
「ずっと、長い間、辛い思いをさせてしまったな。家族を殺した憎い男に抱かれるのはどれだけ辛かったろうに。………私は、そなたに振り向いて貰おうと必死で、そなたがつれない態度を取るのも、私に力が無いからだと愚かにも誤解していた…。」
「違うのです…。憎いと思うこともありましたが…違うのです…。」
この人はただ奔流されただけなのだ。
宮廷の参謀術数に長けた貴族や王族達に、抗う術も知らず利用されただけなのだ。優しくしてくれた人を、私の事を一番に大切だと言ってくれた人を、どうして憎み続けることが出来るだろう。
この日が来るのが怖かった。
彼に、私がアドラーの生き残りだと知られることが怖かった。
隠れて二人で生きることが出来るのならばそれでも良いと思っていたのに。
「困ったな…そんなに泣かれては、私の覚悟も揺らいでしまう。」
覚悟、その言葉に寒気がした。
はっと顔を上げるとそこには、王の顔をした男が立っていた。
「いけません。クロウ様…。」
イヤイヤと子どものように首を振った。
とうに覚悟を決めていたのは私の方だった筈だ。なのにどうしてこの時になってこんな気持ちになるのだろう。
仕方ないな、そう言って彼は私を抱き締めて髪を撫でた。
身じろぎして抵抗しようとしたが、身体に力が入らない。いや、本気で抵抗しようと思えば弱った彼の身体など簡単に跳ね除けられただろうが、どうしてかそれをしたくなかった。
とんとんと私の背中を優しく撫でて、そのまま彼は昔話を始めたのだった。
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