煙草屋さんと小説家

男鹿七海

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最終章

誕生日の温度

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 霧弥の誕生日当日。昼下がりの柔らかな光が二階の窓から差し込む。
 霧弥は机に向かい、書類や帳簿を整理していた。集中している様子を、龍二は横目で見つめる。

「……昼食、済ませたか?」短く訊きながら、霧弥は手元の書類に目を落とす。

 龍二は軽く頷き、作業を止めずに言った。
「うん、さっき食べた」

 それだけで、二人の間の静かな了解が成立する。
 龍二は机に置かれたコーヒーを一口飲み、立ち上がる。
「ちょっと出るね」

 言葉は短い。けれど、霧弥は何も聞かない。聞く必要がないことも知っている。
 エンジン音が二階に微かに響き、龍二はバイクに跨る。冬の空気が顔に当たり、革のジャケットの感触が心地よい。



 1

 向かう先は、三ヶ月前に予約していた革専門店。ブラックのブライドルレザー、イニシャル「KA」の刻印入りの長財布。同じ道沿いで予約していたケーキ屋も寄る予定だ。
 革専門店では、注文通りの財布を受け取る。手に馴染む革の質感、深い黒。刻印されたイニシャルを確認し、龍二は静かに満足する。
 そこから少し先のケーキ屋へ。小さな箱に収められた誕生日ケーキを手に、再びバイクに跨る。

 帰り道、日が傾き、空は橙色から藍色へと移ろう。バイクの風を切る音の中で、龍二は深呼吸する。
 今日という日が、静かに、しかし確実に特別であることを噛みしめながら。



 2

 夜が更け、街の明かりが商店街に反射する頃、龍二は帰宅した。
 二階で書き物をしていた霧弥が、階段を上る足音に気付く。
「おかえり」
 声は柔らかく、いつもより少しだけ距離を縮めた音だった。

「ただいま」龍二は手に持った箱を霧弥に渡す。

 箱を受け取り、蓋を開ければ中にはブラックのブライドルレザーの長財布。指先で革のしっとりとした手触りを確かめる。
指先に伝わるしなやかさが、思わず笑みを誘う。

「……誕生日、おめでとう」
 龍二の言葉は短いが、心が込められている。

「…ありがとう」
 霧弥の声に、二人だけの空気が震える。

 晩御飯が終わり、二人はリビングで落ち着く。
 龍二が先ほどケーキ屋で受けとった箱を差し出すと、霧弥は微笑みながら開ける。ろうそくはなく、シンプルな姿のままケーキが顔を出す。

「……一緒に食べよう」
 龍二の小さな声に、霧弥は笑みを返し、ナイフでケーキを切り分ける。

 二人は黙って食べる。ケーキの甘さとコーヒーの香り、夜の静けさ。
 自然な沈黙の中で、霧弥はふと小さく口を開いた。
「……昨日、言おうとしてたこと、ある」

 龍二は顔を上げず、ただそっと頷く。

「……龍二が、そばに居てくれたから、特別なことじゃなくても、毎日があったかいってことを、改めて感じられた」

 龍二はわずかに笑い、肩越しに視線を向ける。
「そっか……それなら良かった」

 二人は言葉を交わさず、ただそれぞれの時間を味わう。財布の革の香り、ケーキの甘い匂い、窓の外の夜風。
 昨日言えなかったことも、今日この瞬間には、言葉にしなくても伝わる気がした。

 夜が更け、時計の針が深夜を指す。
 龍二は手に持ったコーヒーカップをゆっくり置き、霧弥の肩に軽く触れるようにブランケットを掛ける。
 霧弥は小さく息を吐き、肩越しに暖かさを受け取る。

 言葉はない。
 けれど、二人の間には何よりも確かな温度があった。
 夜の静寂に包まれ、窓の外には月の光。
 二人はただ並んで座り、日常の延長の中で、特別な時間を共有していた。





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