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第4章 ダンジョン攻略
93.作戦会議
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「これからのダンジョン攻略に今までの常識は通用しないことが分かった」
全員が部屋の登録を終えて、全員がテントを出てすぐにバルドルが言い切ったのが、それだった。
「鉄級はまだいいとして、銅級ダンジョンなら8階層ごとに外に出て気持ちを立て直さなきゃやってられなかったのにな……」
「次の8階層を攻略するまでは外に出られないって思うだけで憂鬱になったよね!」
「途中で食材が尽きてひもじい思いして、結局耐えられなくて上に戻って次の8階層を一からやり直したこともあった!」
エニスに続き、ウーガ、ドーガが言う。
クルトも真剣な顔で頷いていた。
「俺も似たようなものかな……ダンジョンは魔物との戦闘より環境との戦いの方が辛い……」
「そうだ、それが俺たちの知るダンジョン攻略だ……、だが!」
バルドルは見た目だけは普通のテントを指差して泣きそうになっている。
どうやら俺がお披露目したテントは、それだけの価値があるものだったらしい。
「レンのおかげで俺たちは恐ろしいテントを手に入れた! 余裕をもって準備出来る食材! ドーガのいびきに妨害されず眠れる個室! まさかのシャワーにトイレまで!! ダンジョンの中だというのに文明的な生活が出来るとなれば一体どれほどの時間短縮が可能になるか……!」
「俺のいびきよりエニスの寝相の方がひどいと思いまーす」
「それ言ったらバルドルの飯が最悪だと思いまーす」
「静まれぃ!」
よく解らないテンションになって来たが、原因が俺の出した神具なのは判っている。
とりあえずウーガには特に問題がなしとメモしておこう。
「レンくん、レンくん」
「はい」
「このテント、ただの魔導具じゃないよね?」
「神具です」
「しんぐ……」
「主神様からのご褒美というか……いろいろあって、造ってくれました」
「そ、そう……神具か……」
クルトさんが頭を抱えてしまったのは、ある意味では通常運転かもしれない。
「はい!」
さすがにそろそろ話を進めるべきだと思って手を上げると、バルドルから「おう」と促される。
「このテント、使いますよね?」
「……これを見た後で使わないと言えるヤツがいると思うか?」
「いない」
「いたら置いてく」
「黙らせる」
バルドルパーティの息はぴったりだ。
俺は心配になってクルトを見るけど、彼も苦笑しつつ「同意するよ」と。
「いままでの苦労とか、いまも苦労しながら攻略している人達の事を考えるとモヤッとはするけど、あれを見てしまったらダメだよね」
「ぁ……でも、ほら、いろんな大陸で獄鬼をぶっ飛ばすご褒美の前払いだと思えばいい感じに差し引きゼロです! たぶん!」
「ふふっ、そうだね」
「はいっ」
というわけでテントの利用は決定。
「じゃあ出発日に向けて食材を買い込み、下拵えを済ませた状態で持っていきたいので、都合つく日に手伝って欲しいです」
「そのテントの中で作業するか?」
「そう、ですね。それならそのままパントリーに入れていけるから楽です」
「ん。それから必要なのは防具と武器の新調だな? 今回はレンの初ダンジョンだからトゥルヌソルの鉄級ダンジョンを考えているが、異論があれば」
「なーし」
「鉄級から始めるのが妥当だろ。どのみち10か所の踏破は必須なんだし」
「ん。トゥルヌソルの鉄級、銅級の後はローザルゴーザからオセアン大陸に移動でどうだ」
「え……プラーントゥ大陸にはもう一つ銅級がありますよね?」
「ある。けど移動に時間が掛かるし、金への昇級に必要な踏破数は銅が5だ。残り4つと考えるとオセアン、キクノ、インセクツ、グロット、ギァリッグのいずれかで攻略した方が移動時間の短縮になる」
「なるほど……」
そうか、コンプリートを目指すんじゃなければそういう考え方もあるんだ。
銅を5つクリアしないと銀級に挑んではいけないという条件があるわけでもないし。
「まぁ更に上……白金級を目指すなら銀級を20カ所踏破しなきゃならんから、プラーントゥ大陸の銅級を後半に攻略する形で予定を組んでも良いと思うが」
「いえ、地理は勉強不足で他の大陸についてはほとんど把握していないからお任せします」
「了解」
――といった具合に作戦会議は進み、決定したのは最初にトゥルヌソルの鉄級ダンジョン(商門近くの森の中)を踏破、次にトゥルヌソルの銅級ダンジョン(ソワサン・ディズヌフ診療所近く)を踏破。
この二つが終わったらオセアン大陸に移動するという予定で、グランツェに相談してみようという結論に至った。
翌日、セルリーに一番近い鉄級ダンジョンに挑むことを伝えに行ったら「気を付けて行ってらっしゃい」と励まされ、鉄級ダンジョンで採取して来てほしい素材のリストを手渡された。
以前、工房で図鑑を購入したからにはセルリーが必要な素材を採取してくる事という条件が付けられていたが、今となっては弟子が師匠にお使いを頼まれているのと同じである。
「これって花、キノコ、果物、それから薬草ですね」
「鉄級ダンジョンは初級素材、稀に採れても中級素材だもの。必然的に植物に偏るわ」
「なるほど」
もちろん植物の中にも幻と言われるような超級素材が存在するし、魔物素材に初級素材も存在する。
あくまでも錬金術師や薬師が欲しがる素材として、鉄級ダンジョンからは植物が多くなるのだ。
以前にリーデンから聞いた通り、素材は魔素量に比例する。
鉄級ダンジョンで初級素材。
銅級と銀級ダンジョンで中級。
金級と白金ダンジョンで上級。
まだまだ手の届かない神銀ダンジョンで超級素材が採れるというのが常識になっているが、4階層まで進んでいるインセクツ大陸の神銀からも真新しいものは何一つ見つかっていないというから、幻の素材が実在するのかどうかは実際には誰も知らないのだ。
(うちには知っていそうな人がいるけど、せっかくなら自分の目で確かめに行きたいな)
生きている内に神銀が踏破されることはないだろうと主神様は言ったが、この先は読めないとも言っていた。
可能性はゼロじゃない。
(師匠にも幻の素材を研究して欲しい)
主神の角を、不敬だと口では言いながらも意気揚々と研究しているのを知っている。
その調子でいつまでも元気でいて欲しい。
「初回は半月くらいの予定で行ってきます。戻ったらすぐに採取した素材を届けに来ますから」
「ええ。クルトやバルドル達を見ても問題ないと思うけど、決して油断しないようにね」
「はい! じゃあ、行ってきます師匠」
「ん。行ってらっしゃい」
さらに翌日、冒険者ギルドを通して約束をしたうえでグランツェパーティのクランハウスを訪ねた。
レイナルド達のクランハウスからそれほど離れておらず、冒険者ギルドよりは少し遠くなる地区に建っていた家はL字型で真っ白な壁が涼し気な二階建てだった。
入口でベルを鳴らすと、出迎えてくれたのはグランツェの妻で、儀式で雌体になったモーガンと、二人の一人娘だというエレイン。一方的な初対面は『猿の縄張り』で遠目に見た4歳の女の子だったが、さすが成長の早い獣人族と言うべきか6歳になったエレインはすっかりお姉さんになっている。
「こんにちは」
「こんにちは、エレインです」
「よく来たね、どうぞ」
モーガンに促されて中に進む。
グランツェは金髪に見えなくもない茶髪、モーガンは銀髪に見えなくもない灰色で、エレインのストレートな長い髪は赤茶色。髪の色は全然違うのに顔立ちはよく似ていて、二人のお子さんなのがよく解る。
「最初はお父さんそっくりって思ってましたけど、いまはお母さんにそっくりですね」
「そう?」
モーガンが擽ったそうに笑う。
剣を振り回す姿は「狂犬だ」と他の金級冒険者達が言い切るくらい容赦なく敵を屠っていくそうだが、娘の隣で微笑むモーガンは優しさに満ちたお母さんだ。
(男性から雌体に変わった人、周りにあまりいないから、話を聞かせて欲しいな)
体力や筋力、戦い方に変化があったのか。
子どもを産むって決めた時、実際に産んだ時、この世界の雌体はどういう環境に身を置くのか、とか。
(べ、別にまだ『雌雄別の儀』を受けるとは決めてないけどっ。後学のためにだよっ、そう、僧侶だしね!)
って、なんで自分に言い訳してるんだ俺……。
「レン?」
「はっ、はい!」
「大丈夫かい、急に黙ってしまったけど」
「全然大丈夫ですっ。その……落ち着いたらモーガンさんからもお話を伺えたらって思って」
「話?」
「はい……三つ目の儀式の……」
「ああ」
それでモーガンは察したらしい。
「そっか、レンは嫁候補だってレイナルドが言ってたね」
「っ……」
誰の嫁か連想したせいで、最近のリーデンを思い出し、発熱する。
真っ赤になった顔を見てモーガンが笑った。
「ははっ。うん、いいよ。船旅は暇だしゆっくり話そう」
「ありがとうございます……」
気恥ずかしくて逸らした視線が、エレインに止まる。
少女は視線を落とし、モーガンの服を掴む手にぎゅっと力を込めると、俺の視線から逃げるように母親の後ろに隠れてしまった。
(ぁ……)
その仕草を見て、俺は地球にいた頃の気持ちを思い出した。
「グラン、レンが来たよ」
「おう」
「お茶の準備をして来るね」
執務机に座って書類に目を通していたグランツェは応接用の椅子を俺に勧めてから見ていた書類をそのままに立ち上がる。
「事務仕事、ですか?」
「え? あぁ、レイナルドもしているだろ。金級パーティは依頼を受ける以外にも拠点地域のあれこれを任される代わりに幾らかの活動費が支給されるからな」
「そうなんですか?」
レイナルドが事務仕事をしている姿なんて見たことがないが、よく考えれば自室に入ってしまえば何をしているかなんて知りようがないのだ。
「パーティリーダーって忙しいんですね……」
「はははっ。まぁ、レイナルドの場合は自分から好んで仕事を増やした気もするけど」
はい、主に俺関係ですよね。
マーヘ大陸から帰って来たらたくさん労いたいと思います……。
「さて、うちに来たって事はダンジョンの攻略を開始するのかな」
「そうです。まずは商門に近い鉄級ダンジョンに挑戦して、ここが踏破出来たら教会に近い銅級ダンジョン。その後はオセアン大陸に渡るのはどうかとご相談に来ました」
バルドル達と話したことを伝えると、グランツェは「うん」と頷く。
「トゥルヌソルの街中にある二つから攻略を開始するのは、ここを拠点にするなら当然の順番だが、いいね。その後でオセアン大陸に向かうのも了解した。俺たちも準備しておくよ」
「よろしくお願いします」
「ん。それにしても……そうか。いよいよか」
しみじみと呟くグランツェには、レイナルド達がマーヘ大陸に渡ってからのこの一年間で本当に世話になっているから、彼自身、俺たちが着実に前進していることを喜んでくれているのだと思う。
「オセアン大陸までは船で二日くらいだって聞いてます。王都に到着して、獄鬼関連で約一週間。その後は鉄級ダンジョンに移動して踏破まで1ヶ月、銅級ダンジョンで2か月……最短でも3か月以上はトゥルヌソルを離れることになるんですよね」
「うん、そうだね」
グランツェは当然のように頷く。
しかも。
「ただしトゥルヌソルを離れるのはそれ以上かな。一度こちらに帰って来るより、そのままインセクツ大陸に移動した方が大幅な時間短縮になる」
「え」
「ん? あ、もしかしてトゥルヌソルに戻って来ないといけない理由があるのか?」
「いえ……」
以前ならリーデンに会うためにも戻りたいなと思ったかもしれないが、そもそも船が個室だから夜に少し会いに行くくらいは出来ただろう。
だから、帰りたいのは自分じゃなく……。
「グランツェさん、……今回の旅への同行をお願いしたのは俺なので、こんな事を言うのは変だと判っているんですが」
「ん?」
「……エレインちゃんはトゥルヌソルに残るんですか?」
「当然だね」
即答された。置いていく、って。
「3カ月以上……他の大陸にも続けていくなら、半年とか、それ以上戻って来られないかもしれないんですよね……?」
「ああ。5大陸を巡って鉄級ダンジョン10か所を終わらせてから戻るなら、……ついでに銀級や金級にも挑戦して、白金冒険者を目指すのもいいね。そうなると数年は戻れないかな」
「……っ」
待って欲しい。
数年もトゥルヌソルを、家を空けるのに、そんな当たり前の顔で言っちゃう?
パソコンや電話もないロテュスじゃ『顔を見て通話』なんて不可能だ。つまり娘の顔を、成長を、声を、それだけ長期間に渡って確かめられないということだ。
(テレビ電話出来たって無理……!)
親の気持ちは想像出来ない。
だけど、親を待つ子どもの気持ちは……絶対に迎えになんて来ないと判っていて、判っているからこそ、親と手を繋いで歩く余所の子が羨ましかった。
妬ましかった。
そうして子どもの心はゆっくりと歪んでいく。
生きるには誰かの役に立たないといけない、って。
自分とエレインは違う。
判る。
だけど――。
「……不在の間、エレインちゃんはどうするんですか?」
「俺の両親も、モーガンの両親も健在だから実家に預けるよ」
「一緒に連れて行かないんですか?」
「俺たちは仕事で行くんだ。しかも今回は獄鬼戦、ダンジョン攻略と、傍にいられないどころか危険な目に遭うのが判り切っている。あの子を連れて行くつもりはない」
「モーガンさんも、来るんですよね……?」
「もちろん。うちの貴重な戦力だ」
「……グランツェさん、娘さんに忘れられちゃいますよ? 次に会ったら、……ものすごく嫌われちゃってるかも……」
言うと、グランツェは驚いたように目を瞬かせたけど、すぐに苦い笑みを零す。
「気遣ってくれるのはありがたいが、うちのことにまで君が思い悩む必要はない。いまは、初めてのダンジョン攻略に向けて万全に整えなさい。いいね?」
子どもに言い聞かせるような言い方をされてしまうと「はい……」以外の返答は出来なかった。
全員が部屋の登録を終えて、全員がテントを出てすぐにバルドルが言い切ったのが、それだった。
「鉄級はまだいいとして、銅級ダンジョンなら8階層ごとに外に出て気持ちを立て直さなきゃやってられなかったのにな……」
「次の8階層を攻略するまでは外に出られないって思うだけで憂鬱になったよね!」
「途中で食材が尽きてひもじい思いして、結局耐えられなくて上に戻って次の8階層を一からやり直したこともあった!」
エニスに続き、ウーガ、ドーガが言う。
クルトも真剣な顔で頷いていた。
「俺も似たようなものかな……ダンジョンは魔物との戦闘より環境との戦いの方が辛い……」
「そうだ、それが俺たちの知るダンジョン攻略だ……、だが!」
バルドルは見た目だけは普通のテントを指差して泣きそうになっている。
どうやら俺がお披露目したテントは、それだけの価値があるものだったらしい。
「レンのおかげで俺たちは恐ろしいテントを手に入れた! 余裕をもって準備出来る食材! ドーガのいびきに妨害されず眠れる個室! まさかのシャワーにトイレまで!! ダンジョンの中だというのに文明的な生活が出来るとなれば一体どれほどの時間短縮が可能になるか……!」
「俺のいびきよりエニスの寝相の方がひどいと思いまーす」
「それ言ったらバルドルの飯が最悪だと思いまーす」
「静まれぃ!」
よく解らないテンションになって来たが、原因が俺の出した神具なのは判っている。
とりあえずウーガには特に問題がなしとメモしておこう。
「レンくん、レンくん」
「はい」
「このテント、ただの魔導具じゃないよね?」
「神具です」
「しんぐ……」
「主神様からのご褒美というか……いろいろあって、造ってくれました」
「そ、そう……神具か……」
クルトさんが頭を抱えてしまったのは、ある意味では通常運転かもしれない。
「はい!」
さすがにそろそろ話を進めるべきだと思って手を上げると、バルドルから「おう」と促される。
「このテント、使いますよね?」
「……これを見た後で使わないと言えるヤツがいると思うか?」
「いない」
「いたら置いてく」
「黙らせる」
バルドルパーティの息はぴったりだ。
俺は心配になってクルトを見るけど、彼も苦笑しつつ「同意するよ」と。
「いままでの苦労とか、いまも苦労しながら攻略している人達の事を考えるとモヤッとはするけど、あれを見てしまったらダメだよね」
「ぁ……でも、ほら、いろんな大陸で獄鬼をぶっ飛ばすご褒美の前払いだと思えばいい感じに差し引きゼロです! たぶん!」
「ふふっ、そうだね」
「はいっ」
というわけでテントの利用は決定。
「じゃあ出発日に向けて食材を買い込み、下拵えを済ませた状態で持っていきたいので、都合つく日に手伝って欲しいです」
「そのテントの中で作業するか?」
「そう、ですね。それならそのままパントリーに入れていけるから楽です」
「ん。それから必要なのは防具と武器の新調だな? 今回はレンの初ダンジョンだからトゥルヌソルの鉄級ダンジョンを考えているが、異論があれば」
「なーし」
「鉄級から始めるのが妥当だろ。どのみち10か所の踏破は必須なんだし」
「ん。トゥルヌソルの鉄級、銅級の後はローザルゴーザからオセアン大陸に移動でどうだ」
「え……プラーントゥ大陸にはもう一つ銅級がありますよね?」
「ある。けど移動に時間が掛かるし、金への昇級に必要な踏破数は銅が5だ。残り4つと考えるとオセアン、キクノ、インセクツ、グロット、ギァリッグのいずれかで攻略した方が移動時間の短縮になる」
「なるほど……」
そうか、コンプリートを目指すんじゃなければそういう考え方もあるんだ。
銅を5つクリアしないと銀級に挑んではいけないという条件があるわけでもないし。
「まぁ更に上……白金級を目指すなら銀級を20カ所踏破しなきゃならんから、プラーントゥ大陸の銅級を後半に攻略する形で予定を組んでも良いと思うが」
「いえ、地理は勉強不足で他の大陸についてはほとんど把握していないからお任せします」
「了解」
――といった具合に作戦会議は進み、決定したのは最初にトゥルヌソルの鉄級ダンジョン(商門近くの森の中)を踏破、次にトゥルヌソルの銅級ダンジョン(ソワサン・ディズヌフ診療所近く)を踏破。
この二つが終わったらオセアン大陸に移動するという予定で、グランツェに相談してみようという結論に至った。
翌日、セルリーに一番近い鉄級ダンジョンに挑むことを伝えに行ったら「気を付けて行ってらっしゃい」と励まされ、鉄級ダンジョンで採取して来てほしい素材のリストを手渡された。
以前、工房で図鑑を購入したからにはセルリーが必要な素材を採取してくる事という条件が付けられていたが、今となっては弟子が師匠にお使いを頼まれているのと同じである。
「これって花、キノコ、果物、それから薬草ですね」
「鉄級ダンジョンは初級素材、稀に採れても中級素材だもの。必然的に植物に偏るわ」
「なるほど」
もちろん植物の中にも幻と言われるような超級素材が存在するし、魔物素材に初級素材も存在する。
あくまでも錬金術師や薬師が欲しがる素材として、鉄級ダンジョンからは植物が多くなるのだ。
以前にリーデンから聞いた通り、素材は魔素量に比例する。
鉄級ダンジョンで初級素材。
銅級と銀級ダンジョンで中級。
金級と白金ダンジョンで上級。
まだまだ手の届かない神銀ダンジョンで超級素材が採れるというのが常識になっているが、4階層まで進んでいるインセクツ大陸の神銀からも真新しいものは何一つ見つかっていないというから、幻の素材が実在するのかどうかは実際には誰も知らないのだ。
(うちには知っていそうな人がいるけど、せっかくなら自分の目で確かめに行きたいな)
生きている内に神銀が踏破されることはないだろうと主神様は言ったが、この先は読めないとも言っていた。
可能性はゼロじゃない。
(師匠にも幻の素材を研究して欲しい)
主神の角を、不敬だと口では言いながらも意気揚々と研究しているのを知っている。
その調子でいつまでも元気でいて欲しい。
「初回は半月くらいの予定で行ってきます。戻ったらすぐに採取した素材を届けに来ますから」
「ええ。クルトやバルドル達を見ても問題ないと思うけど、決して油断しないようにね」
「はい! じゃあ、行ってきます師匠」
「ん。行ってらっしゃい」
さらに翌日、冒険者ギルドを通して約束をしたうえでグランツェパーティのクランハウスを訪ねた。
レイナルド達のクランハウスからそれほど離れておらず、冒険者ギルドよりは少し遠くなる地区に建っていた家はL字型で真っ白な壁が涼し気な二階建てだった。
入口でベルを鳴らすと、出迎えてくれたのはグランツェの妻で、儀式で雌体になったモーガンと、二人の一人娘だというエレイン。一方的な初対面は『猿の縄張り』で遠目に見た4歳の女の子だったが、さすが成長の早い獣人族と言うべきか6歳になったエレインはすっかりお姉さんになっている。
「こんにちは」
「こんにちは、エレインです」
「よく来たね、どうぞ」
モーガンに促されて中に進む。
グランツェは金髪に見えなくもない茶髪、モーガンは銀髪に見えなくもない灰色で、エレインのストレートな長い髪は赤茶色。髪の色は全然違うのに顔立ちはよく似ていて、二人のお子さんなのがよく解る。
「最初はお父さんそっくりって思ってましたけど、いまはお母さんにそっくりですね」
「そう?」
モーガンが擽ったそうに笑う。
剣を振り回す姿は「狂犬だ」と他の金級冒険者達が言い切るくらい容赦なく敵を屠っていくそうだが、娘の隣で微笑むモーガンは優しさに満ちたお母さんだ。
(男性から雌体に変わった人、周りにあまりいないから、話を聞かせて欲しいな)
体力や筋力、戦い方に変化があったのか。
子どもを産むって決めた時、実際に産んだ時、この世界の雌体はどういう環境に身を置くのか、とか。
(べ、別にまだ『雌雄別の儀』を受けるとは決めてないけどっ。後学のためにだよっ、そう、僧侶だしね!)
って、なんで自分に言い訳してるんだ俺……。
「レン?」
「はっ、はい!」
「大丈夫かい、急に黙ってしまったけど」
「全然大丈夫ですっ。その……落ち着いたらモーガンさんからもお話を伺えたらって思って」
「話?」
「はい……三つ目の儀式の……」
「ああ」
それでモーガンは察したらしい。
「そっか、レンは嫁候補だってレイナルドが言ってたね」
「っ……」
誰の嫁か連想したせいで、最近のリーデンを思い出し、発熱する。
真っ赤になった顔を見てモーガンが笑った。
「ははっ。うん、いいよ。船旅は暇だしゆっくり話そう」
「ありがとうございます……」
気恥ずかしくて逸らした視線が、エレインに止まる。
少女は視線を落とし、モーガンの服を掴む手にぎゅっと力を込めると、俺の視線から逃げるように母親の後ろに隠れてしまった。
(ぁ……)
その仕草を見て、俺は地球にいた頃の気持ちを思い出した。
「グラン、レンが来たよ」
「おう」
「お茶の準備をして来るね」
執務机に座って書類に目を通していたグランツェは応接用の椅子を俺に勧めてから見ていた書類をそのままに立ち上がる。
「事務仕事、ですか?」
「え? あぁ、レイナルドもしているだろ。金級パーティは依頼を受ける以外にも拠点地域のあれこれを任される代わりに幾らかの活動費が支給されるからな」
「そうなんですか?」
レイナルドが事務仕事をしている姿なんて見たことがないが、よく考えれば自室に入ってしまえば何をしているかなんて知りようがないのだ。
「パーティリーダーって忙しいんですね……」
「はははっ。まぁ、レイナルドの場合は自分から好んで仕事を増やした気もするけど」
はい、主に俺関係ですよね。
マーヘ大陸から帰って来たらたくさん労いたいと思います……。
「さて、うちに来たって事はダンジョンの攻略を開始するのかな」
「そうです。まずは商門に近い鉄級ダンジョンに挑戦して、ここが踏破出来たら教会に近い銅級ダンジョン。その後はオセアン大陸に渡るのはどうかとご相談に来ました」
バルドル達と話したことを伝えると、グランツェは「うん」と頷く。
「トゥルヌソルの街中にある二つから攻略を開始するのは、ここを拠点にするなら当然の順番だが、いいね。その後でオセアン大陸に向かうのも了解した。俺たちも準備しておくよ」
「よろしくお願いします」
「ん。それにしても……そうか。いよいよか」
しみじみと呟くグランツェには、レイナルド達がマーヘ大陸に渡ってからのこの一年間で本当に世話になっているから、彼自身、俺たちが着実に前進していることを喜んでくれているのだと思う。
「オセアン大陸までは船で二日くらいだって聞いてます。王都に到着して、獄鬼関連で約一週間。その後は鉄級ダンジョンに移動して踏破まで1ヶ月、銅級ダンジョンで2か月……最短でも3か月以上はトゥルヌソルを離れることになるんですよね」
「うん、そうだね」
グランツェは当然のように頷く。
しかも。
「ただしトゥルヌソルを離れるのはそれ以上かな。一度こちらに帰って来るより、そのままインセクツ大陸に移動した方が大幅な時間短縮になる」
「え」
「ん? あ、もしかしてトゥルヌソルに戻って来ないといけない理由があるのか?」
「いえ……」
以前ならリーデンに会うためにも戻りたいなと思ったかもしれないが、そもそも船が個室だから夜に少し会いに行くくらいは出来ただろう。
だから、帰りたいのは自分じゃなく……。
「グランツェさん、……今回の旅への同行をお願いしたのは俺なので、こんな事を言うのは変だと判っているんですが」
「ん?」
「……エレインちゃんはトゥルヌソルに残るんですか?」
「当然だね」
即答された。置いていく、って。
「3カ月以上……他の大陸にも続けていくなら、半年とか、それ以上戻って来られないかもしれないんですよね……?」
「ああ。5大陸を巡って鉄級ダンジョン10か所を終わらせてから戻るなら、……ついでに銀級や金級にも挑戦して、白金冒険者を目指すのもいいね。そうなると数年は戻れないかな」
「……っ」
待って欲しい。
数年もトゥルヌソルを、家を空けるのに、そんな当たり前の顔で言っちゃう?
パソコンや電話もないロテュスじゃ『顔を見て通話』なんて不可能だ。つまり娘の顔を、成長を、声を、それだけ長期間に渡って確かめられないということだ。
(テレビ電話出来たって無理……!)
親の気持ちは想像出来ない。
だけど、親を待つ子どもの気持ちは……絶対に迎えになんて来ないと判っていて、判っているからこそ、親と手を繋いで歩く余所の子が羨ましかった。
妬ましかった。
そうして子どもの心はゆっくりと歪んでいく。
生きるには誰かの役に立たないといけない、って。
自分とエレインは違う。
判る。
だけど――。
「……不在の間、エレインちゃんはどうするんですか?」
「俺の両親も、モーガンの両親も健在だから実家に預けるよ」
「一緒に連れて行かないんですか?」
「俺たちは仕事で行くんだ。しかも今回は獄鬼戦、ダンジョン攻略と、傍にいられないどころか危険な目に遭うのが判り切っている。あの子を連れて行くつもりはない」
「モーガンさんも、来るんですよね……?」
「もちろん。うちの貴重な戦力だ」
「……グランツェさん、娘さんに忘れられちゃいますよ? 次に会ったら、……ものすごく嫌われちゃってるかも……」
言うと、グランツェは驚いたように目を瞬かせたけど、すぐに苦い笑みを零す。
「気遣ってくれるのはありがたいが、うちのことにまで君が思い悩む必要はない。いまは、初めてのダンジョン攻略に向けて万全に整えなさい。いいね?」
子どもに言い聞かせるような言い方をされてしまうと「はい……」以外の返答は出来なかった。
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