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【スイの魔法 4 魔女の代償】 別章 ヴェルディア逃走編
役目
しおりを挟む窮地を脱したアーシャであったが、眼前に佇む“断崖の魔女”ことアンビーを前に、先程の戦闘以上の緊張感を抱いていた。
アルドヴァルドのお抱え魔女。
そんな一面を持っていたはずのアンビーが、何故この状態で自分を助けたのか。
その目的、真意は一体何処にあるのか。
思考を巡らせようにも、『自分の製作者』という彼女の立ち位置しか知らず、時代を崩壊させてきたこれまでの過去において、アンビーから接触してくる事など一度たりとも無かったのだ。
あまりにもアンビー自身に対しての情報が少ない。
緊張するのも無理はなかった。
「……はぁ、強情ッスね」
対して、気の抜けるような声を呟くアンビー。
自分を睨み続けるアーシャに対して、アンビーは率直にそう感想を述べると、トレードマークとも言える大きな丸眼鏡を外した。
「でも、予想外ッス。まさか容器に自我が芽生えるなんて思ってなかったッスから。個人的にもキミは興味の対象に成り得る存在ッスね。だけど、二人の魔女を敵に回すなんてしたくないッスから……。惜しいけど、当初の目的だけ遂行するのがベターッスかね。あー、まったく、ツイてないッス……」
ブツブツと、アーシャに向けてではなく自分で今後の行動を確認するかの様にアンビーは呟いた。
「二人の魔女……?」
「“氷界”と“白銀”ッスよ」
「……え?」
「あぁ、うん。そうッスね。キミは自分がどうやって、どうして、何の為に生まれたのか知らなかったッスね。そういったものも説明する必要があるッスね」
「ちょ、ちょっと、何を言っているの……?」
「そもそも“白銀”の髪を使って造ったのがマズかったッスね。見た目が派手で分かりやすいって思ったッスけど、そのせいで目立ってしょうがないッス。アルドヴァルドも、ウチら魔女が寝てる間に勝手に使ってたなんて、冗談じゃないッスよ、ホント」
会話とは決して呼べないようなアンビーの独り言を前に、アーシャは困惑していた。
生まれた時から兵器として扱われたアーシャ。
しかしアンビーの言い分では、自分が造られた理由は他にあるかのような、そんな言葉が紡がれている。
説明してくるつもりならばまだしも、そもそも独り言を呟いているかの様な振る舞いを続けるアンビーに、アーシャもすっかり毒気が抜かれてしまっていた。
「主様」
困惑し、事態に追いつけないままでいたアーシャと、独り言をひたすらに呟き、その声にようやく我に返ったアンビーが、同時に声の主に向かって振り向いた。
白い翼を携えた天使。アンビーの〈使い魔〉だ。
「お帰りッス、メルメル」
「はい。仰せつかっていた伝言は無事に届けました」
「あぁ、了解ッス。ご苦労様ッス」
「それにしても……。お久しぶりですね、トワ」
天使の〈使い魔〉、メルメルと呼ばれた女性がアーシャに向かって声をかけた。
「……トワ?」
「メルメル、この子ちょっと変化が起きたみたいッスから、昔の名前とか分かってないと思うッスよ」
「そうでしたか。ですが、当初の目的はしっかりと果たしていたのではありませんか?」
「目的?」
「トワが造られた目的は、あの“白銀の子”を護衛する事だったと記憶してます。共にいたのなら、それはしっかりと果たしていたのではありませんか」
メルメルと呼ばれた天魔がアーシャに向かって告げる。
困惑したアーシャと首を傾げるメルメルを見つめ、アンビーは面倒臭そうに嘆息すると、アーシャに向かって声をかけた。
「あー、なんかもう面倒ッス。色々説明する事もありそうッスから、とりあえずしばらくはウチらと付き合ってもらうッスよ」
「断ると言ったら?」
「機能を停止して、無理やり連れて行くだけッスね」
脅しですらないただの通達。アンビーの口調はまさにそんな雰囲気であった。
下手に抵抗しようにも、断崖の魔女との正面衝突はアーシャにとってもうまくない。
僅かな逡巡の後で、アーシャは頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「あれが、ベルージですか」
先の騒動から一週間程かけて、野営続きであった道中を何とか無事に乗り切ったスイら一行はベルージへと辿り着いた。
あの夜、アーシャとはぐれてからと言うものの、それらしい連絡も一切なければ、スイの腕に刻まれた〈誓約の輪〉は今も変わらずに腕に残っている。つまり、アーシャは無事だろうという事だ。
「無事にアルドヴァルド側とはぶつからずに済んだ事だしね。何者かは知らないけど、“断崖の魔女”に感謝しよう」
「ルスティアさん達も、“断崖の魔女”とは会った事がないんですか?」
「ないわね。そもそも、ノルーシャ様以外の魔女なんて会った事ないもの」
ネルティエが告げる。
実際、魔女と呼ばれた者達が生きている事自体が驚きなのだ。それと一人でも会った事があると言うなら、それだけで驚きの事実である。
「まぁせめて渾名の由来さえ分かれば、どんな魔法を使うのかも分かるんだけどね。今僕らに分かるのは、螺旋の魔女――つまりノルーシャ様だけだ」
「螺旋、ですもんね。竜巻や風の魔法、ですか?」
「ご名答。まぁその他の魔女も基本的には属性をモチーフにしている名前だけど、何もその魔法だけしか使えない訳じゃないからね。どの魔法であっても一流以上には使いこなせてしまうし、見た目だって誤魔化せてしまう。見つけるなんて簡単な事じゃないね」
言われてみればその通りであった。
史実上、魔女の存在は定かではない。実在したのかさえ怪しいと言われているのが現実的な所なのだ。
そんな魔女に関して思考を巡らせた所で意味がない。
頭を切り替えるかの様にルスティアが続けた。
「とにかく、早く船の手配をしよう。ヴェルディア大陸を出てさえしまえば、追手がかかる可能性はだいぶ減るはずだよ。アーシャさんが気がかりなのは分かるけど、“断崖の魔女”が一緒なら大事には至らないはずだ」
いずれにせよ、今の状況でスイに出来る事などほぼないと言えるだろう。
気持ちを切り替える様に小さく頭を振って、スイはルスティアへと振り返ると改めて尋ねた。
「ベルージからは定期船が出てるんですか?」
「いや、定期船ではないんだ。漁船にお金を払って、とある小さな孤島まで乗せてもらうのさ」
「そこには古い魔導力船が隠してあるのよ。そこからはルティと私が魔力を使って船を操縦するつもりよ」
「魔動力船、ですか。聞いた事はありますけど、乗った事はないですね」
「ノルーシャ様の船だからね。きっとアンタだって見た事がない形よ」
ネルティエが控えめな胸を張って堂々と宣言する。決してネルティエが胸を張れるような事でもないのだが、スイも無粋な事は口にすまいとそっと言葉を呑み込んだ。
下手な事を口にしようものなら、すぐにヘソを曲げてしまうと感じ取ったのだ。
そんなスイの目を歩くネルティエへ、ルスティアが歩み寄って声をかけた。
「そういえば、ネル。そろそろ話しておいたらどうだい?」
「話す?」
「決まってるだろう。本物の後継者として、風を受け継ぐのは自分だって宣戦布告をすれば良いのさ」
「な……ッ!」
「ネルがスイ君を敵視してる理由はそれじゃなのかい? ノルーシャ様がずっと気にかけていた銀の少年、つまりはスイ君に対する嫉妬だろう?」
「……ッ、余計なお世話よ……!」
否定はしないのか、と肩を竦めながらルスティアはそれ以上を口にはしなかった。
後ろを歩いている当のスイは、そんな二人の会話には一切興味を見せず、キョロキョロと周りを見回している始末である。
そんなスイに歩調を合わせ、ルスティアがスイの肩へと手を置いた。
「大変だね、スイ君」
「え、ちょっと何ですか、その憐憫の眼差し……」
「いやいや、何でもないさ」
「あの、涙を拭う様な素振りとかされても……」
お世辞にも本当に心配しているとは言えない、ルスティアであった。
「いずれにせよ、ヴェルディア大陸には暫く戻れないだろうね。覚悟は出来てるかい?」
「……はい!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アルドヴァルド王都、アクアリル。
『水の国』と呼ばれる所以は、この王都アクアリルの景観によるものだ。
楕円形の広い大地の中央部。その中心にぽっかりと穴が空いた様な、巨大な湖。
その湖の中心に塔がそびえ立ち、巨大な塔は雲に届く程の高さを有している。
塔を中心に湖の上に浮かぶ、住居や商店。街の中を行き来する通路とは別に、荷物などを運ぶには水路を利用し、船を用いている。
このアクアリルのある湖は海と繋がっている為、直接海への出入りを可能にしているのだ。
そんなアクアリルの中央に位置する塔は、アルドヴァルドの中枢として機能しており、王国とは名乗っているものの、その実王政は既に廃されたも同然である。
対外的に王政が敷かれているままとは謳っているものの、それはあくまでも権力の集中を表に見せているだけに過ぎないものであり、国の決定権は『五芒星の賢者』と呼ばれる者達に委ねられている。
その一角に王の席も用意されてはいるのだが、結局の所はただの一角に過ぎず、絶対的な権力には繋がっていないのである。
しかしこれは、アルドヴァルドの上層部にしか知らされていない真実であり、国民達もまた王が政治を統治しているものだと思い込んでいるのであった。
そんなアルドヴァルドの塔内部。
全体的に白を基調とした内部は、左右の壁沿いに水が流れている水路が設けられている。そこを流れる水には濃度の高い魔素が含まれており、それが塔内にある魔導具に魔素を運び込んでいるのだ。
窓のない塔内は時間の感覚を狂わせるように常に明かりが灯されている。
カツカツと乾いた靴音を鳴り響かせて歩いていた、白いローブを羽織った、年の頃は二十代中盤程度の女性。
明るく柔らかな茶色に染まったセミロング程度の長さ髪。額には青い宝石のついた銀色のサークレットをつけ、瞼は閉じられている。
「襲撃は失敗したそうじゃな」
若い女性に似つかわしくない口調で、女性は足を止めて口を開く。
《申し訳ありません》
「“断崖の魔女”が裏切ったそうではないか。よもや下手な手出しをすればこちらが痛手を負う事になろう。手を引こうかのう」
内容は苦々しい結果ではあるものの、その口調は実に愉しげなものだ。
「飼い主が出てきた、という事じゃ。一筋縄にはいくまい。しばらくは泳がせよ」
《……ハッ》
気配が消えるのを確認すると、女性はスッと歩き出す。
「ククッ、面白い。銀の意志にいつまでも引きずられた死に損ないの老害共め。何を企んでおるのやら。しかし、あの馬鹿な弟もたまには役に立つ」
女性は自身の弟――アジベル・ノストラにつけておいた自分の部下から上がってきた報告を思い返す。
――「銀の人形より面白い物が見つかりました」
ブレイニルに捨て駒として派遣した弟。
生死を確認させる為だけに、愛人のふりをさせた自分の部下がブレイニルから戻り、開口一番にそんな言葉を伝えてきたのは、彼女にとって思いがけない興味を示す対象であった。
銀の人形と一見すれば同じ様な容姿をした少年――スイの存在だ。
「何百、何千という時を経てなお、この世界に痕跡を残すとは。その執念だけでも賞賛に値するものじゃな、銀の魔女め。しかし、我らアルドヴァルドの邪魔はさせぬぞ」
忌々しげな言葉とは裏腹に、愉悦とも喜色とも呼べる感情を表に出して、アジベル・ノストラの姉であるリーネ・ノストラは呟いたのであった。
それぞれに動き出した魔女達。
そんな魔女と敵対するかのような素振りを見せるアルドヴァルド。
スイの知らない場所で、世界は大きく動き出そうとしていた。
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