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釘抜き

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母方の実家を母と片付けに行った時の話しだ。

その築六十年ほどの古い家には母の両親が他界した後は
母の父親の妹、つまり大叔母がずっと一人で住んでいた。
その人は不幸というほどではないが
孤独な人で、旦那とも死に別れ
一人で暮らしていたところを、母の父
つまり自分からみると祖父が呼び寄せて
生前は、祖母から早くに他界された祖父と共に
年老いた兄弟二人で一緒に住んでいた。

そして祖父が先に亡くなって、大叔母が一人残されたのだが
元々、あまり生活すること自体が上手くない大叔母は
近所に住む親せきを頼りに何とか暮らしていて
痴呆も入ってきたのでその後、施設に入所した。

そういうことで誰も住む人のいなくなった実家に
当時、仕事を辞め、実家で時間を持て余していた自分が
力仕事担当と運転手役で母と共に、片付けに行くことになった。

母の実家に入ってすぐ目についたのは無数のゴミだった。
紙から謎のプラスチック片まで
あらゆるものがそこら中にばらまかれていた。
ただこの程度は想定していたので二人で片付け始める。
次に目についたのは
あらゆる部屋中の壁や柱の中ほどに打ち付けられた太い釘と
それらを繋いでいるビニールのロープだった。
気味悪がる自分と対照的に
母はすぐにそれが、小柄で腰痛持ちの大叔母が
洗濯を干したり、部屋から部屋への移動補助のために
苦心した末に、工夫をしたものであると見抜き
冷静な表情で、自分に釘を抜くように言ってきた。

釘を一本ずつ抜いていると、最初の不思議なことが起こった。
少し黴臭かった室内の換気のため
開きっぱなしの玄関に、近所の猫が上がりこんで来て
「にゃー」
と鳴いたのだ。
すぐに様子を見に行くと、首輪をしていたその大きな三毛猫は
自分と母の顔を見上げ、もう一度
「にゃー」
と鳴いて、サッと外へと立ち去った。
「近所の猫が、様子見に来たんやな」
母はそう言って片付けに戻り、自分も釘抜きに戻った。

片付けて足場を確保しつつ
さらに釘抜きをしていると、ふと、天井付近から視線を感じた。
見上げると、インド風の弓矢を掲げた緑色の神様、
確か、毘沙門天のような風貌の
高い位置にかけられた絵画が自分を見下ろしていた。
元々の持ち主だった生前の祖父は背が高かったので、
高い位置に写真や絵画などはかけられていて、埃が被ったままだった。
絵の中の神様は、別に目玉が動かして、自分を見ていたわけではない。
たまたま絵画の中で下を睨んでいた顔と視線が合ったのだ。
しばし、見つめ合った後に
「心配せんでも、そこまで見るんやったら、うちの家に持って帰るわ」
と一応絵に告げて、釘抜き作業に戻ると
不思議と視線は消えた。

狭い仏間で釘抜きを続けていてふと横を見ると
壁にかけられていたスーツ姿や晴れ着姿のご先祖たちの厳めしい白黒写真たちが
何となく笑っていた気がする。
やっぱり、何かこの家、おかしいなと首をかしげながら
自分はとにかくゴミを片付け続け
あらゆる場所に打ち付けられた太い釘を抜き続けた。

さらに生前祖父が寝室として使っていた
畳み部屋までに及んでいた釘群を
ひたすら脱ぎ続けていると、開きかけの古い棚があり
何となく開いてみると、中から包装を開けてない古い
コンドームの箱が見つかった。
青地に銀の装飾がされているパッケージに
「いつのだこれ……しかし高そうだな……」
と思いながら棚に戻す。
すると、スッと背後を背の高い大きな気配が通り過ぎて
「じいちゃん……?」
と呟いて、振り向くが当然、誰も居なかった。

食堂の裏にある勝手口の内側付近にも
打ち付けられていた錆びた釘を抜いていると
また外から
「にゃー」
という恐らく先ほどと同じ猫の嬉し気な鳴き声がして
その後、不思議なことはピタッと止まった。
翌日、室内と共に、庭や倉庫も分別して
さらに翌日数回にわたって、ゴミ処理場へと出しに行った。
当然抜いた釘も、近くの埋め立て地に持っていって
許可をもらって捨ててきた。
神様の絵画は、車に積んで実家へと持って帰った。
自分の部屋にかけているが、あれ以来
視線を感じることもなかった。

母方の実家は、我々が帰った後にさらに業者が入って
本格的な整理と査定をした後に売りに出され
すぐに買い手がついたそうだ。
施設に入っていた大叔母もそれから数年後に
眠るように息を引き取った。

何となく、あの釘抜きは
無人の古い家に残っていた様々な淀んだものを
解き放って浄化させたような気がするが
たぶん、気のせいだろう。
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