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意識の底編

しばしの別れ

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意外と普通に、有象無象の織り成すといわれる繁華街の飲食店で過ごした俺たちは
二時間ほど雑談して、すっかり真っ暗になっている
電飾が煌く繁華街のメインストリートを、四人で大学の方角へと戻っていく。
「しかし、何にも食べなかったな」
「にゃからんてぃが食べたからいいんじゃないん?」
「戦艦を撃沈すると旨いのであります。鉄塊が別れて海のモズクとなるのです」
「有象無象の方たちの食べ物だからねー私たちには縁が無いよ」
美射はそう言いながら、近くを歩いていく首の長い人
そうだ、轆轤ろくろ首というのだ、日本で有名なお化けのあれだ。
……を見つめながら、
「そろそろ夜も深くなってきたから、形が崩れ始めてるなぁ」
確かに、通行人がどんどん化け物じみてきている。
デッサンが崩れた人間や他種族が大量に徘徊している。
「深海魚と比べたら、いうほど大したこと無いなぁ」
ダガグロは欠伸をしながら、眠そうに歩く。
「……にゃからんてぃは大丈夫なの?」
有象無象の一部であるにゃからんてぃも形が崩れるのではないのか。
俺は心配して美射に尋ねる。
「寝言と言うのは霊が宿るのです。催眠術とミカン畑の相関性について
 数式を書くのに似ています。角度は七十二度です」
ちいさな身体でこちらを見上げながら
にゃからんてぃは相変わらず意味不明なことを喋る。
「どうかなぁ。外から来たのは本当らしいから、
 少なくとも姿は変わらないんじゃないのー?」
「ということはもしかして、本当に神だったの?すごいやん」
「神とミカン、二文字しか変わりません。"ん"という音は罪深いものです。
 ありとあらゆる文字を止める効果があります」
ダガグロが目を丸くして言った言葉に
にゃからんてぃは顔を赤くして、早口で意味不明な言葉を喋りながら耳を触る。
一方的だが、会話が通じているようだ。
そうこうしている内に大学の構内に入って、宿舎の前で俺たちは別れる。
「うち、あっちの学生寮やからな。嫁さんと一緒に今度おいで」
「ちょっと待て、嫁違……」
ケタケタ笑いながら、俺をからかったタガグロは寮の方角へと去っていた。
宿舎に入ると、ふつうににゃからんてぃが一緒についてきて玄関を潜る。
「あれ?お前、泊まるところは?」
「野良犬と言うのは非常に怖いものであります。
 しかし野良タヌキも中々だと言う他はありません。そういう類は常設展示中です」
といいながらにゃからんてぃは首を横に振る。
「宿無しだから、式神にするつもりならこれから泊めろって言ってるよ」
美射が微妙な顔をしながら意訳してくれる。
「まぁいいか。二足歩行する猫一匹くらいと思えば」
「そうだね。しかたないかなぁ」
「踊る吟遊詩人は鳴動を駆けると申します。つまりは一飯之恩と一宿一飯だと
 欠けている要素は一つだけだと言うことです」
にゃからんてぃは、意味不明なことを喋りながらも背筋を伸ばして
俺たちに深く頭を下げた。

それから百日はにゃからんてぃも加えた三人での生活をしつつ、
講義に真面目に出席し続けた。
時々はタガグロとにゃからんてぃと、他の学生も交えて
講義が終わった夜中に有象無象たちの世界に繰り出しては
その意味不明さに頭を抱えたり、笑ったりする日々が続いた。
ほぼ、予定されたカリキュラムが終わったらしい百三十二日目に
美射の姿を借りたリングリング教授が
「にゃからんてぃさんや、有象無象たちの言葉も少し勉強しましょうか」
といきなり授業を追加して、それから十八日は
にゃからんてぃたちの言葉を皆で学ぶという謎の講義が急遽繰り広げられた。
「つまり、ハートの深いところで理解しないといかんのやな」
いつのまにか俺の隣に座るのが定位置になっているタガグロが
ウンウンと頷きながら、高速で喋って板書する教授の言葉を聞く。
逆に俺は才能が無いようで、いくら講義を聴いても
にゃからんてぃの言っていることが、さっぱり理解できなかった。
卒業間近には、タガグロはクラス内で唯一
にゃからんてぃと会話できるようになっていた。

そして、この大学に来て百五十日目の最終日の、最後の講義の時間が終わり。
「では、長い間ありがとうございました。以上で言語コースの全過程を終了します。
 他学科での滞在延長希望者が居れば、私の部屋まで申し出てください」
パチパチパチと全員が拍手をして、百五十日に及ぶ長い講義は終わった。
これでこの世界の文字を全て読み書き、喋れるようになったようだ。
ただし、有象無象の言葉以外はだが……。
いつの間にか仲良くなったタガグロとにゃからんてぃは抱き合っている。
俺は教室を出て行く前に、勉学の友たちと、手を握りあったり
感謝を伝えたりしてから、にゃからんてぃを背中に乗せて
タガグロと教室を出て行こうとする。
すると、いきなり、今まで殆ど喋らなかった魔族のエッカルトが近づいてくる。
「君は、誰もが平等に生きていく制度は可能だと思うか?」
長身から見下ろして、いきなり重い問いを投げかけてきた、
虹色の髪の超絶美男子に戸惑いながら
「俺の世界に民主主義というシステムがある。誰もが平等ということは難しいが
 封建制よりは、多少は上手くいくぞ」
と俺は、その雰囲気に押されながら何となく答える。
「ふん……この問いに対する流れ人たちの答えは、大まかに分け、二つだ。
 絶対的な間違いの無い機械のようなものに支配を任せてしまうか、
 我々のような脆弱で不安定な人格が寄り集まってあくまで生きていくか。だ」
俺の答えを聞いていないようなエッカルトに気おされしながら
「そ、そうか」
何とか答えると
「我はお前をずっと見ていた。混沌としているが魅力的だ。
 二つの道がどちらも正しいのなら、我はお前の勧める、混沌とした方を選ぼう」
それだけ言うとエッカルトはサッと教室を出て行った。
「高枝バサミで切る木は、何年か後に同じ精霊を宿します。
 申し開きを白洲でやろうとしても、もう遅いことですね」
呆然としている俺の背中ので、にゃからんてぃが、謎の言葉を呟き
タガグロがすぐに意訳してくれる。
「『本当に重大なことは、意外と一瞬で決まりますよ』だそうやで」
「そうだな……。俺もそう思う……」
気を取り直し、俺たちは夕焼けの照らす大学の廊下をゆっくりと歩き
景色を見ながら外へと出て行く。

今日で終わりだと思うと、少し名残惜しい。
構内の庭の中心部にある噴水の端に、美射が腰掛けて待っていた。
手を上げて俺たちを呼び寄せると、隣に腰掛けるように言う。
四人でそこに腰掛けて、今後のことを話し合う。
「うちは、地元帰って、三ラグヌス(年)かけて色々準備するわ」
「私たちは予定通り、あと五百四十八日分、修行したら帰るね」
「長いなぁ。がんばってなぁ」
タガグロは少し涙ぐんでいる。
「あ、そうだ。何回も悪いけど、
 いきなり半ラグヌス俺が居なくなるときあるけど、冥界行ってるだけだからな」
一応、念のためだ。重要なことなので多分、三回くらい話してると思う。
「それもう三回くらいきいとるから大丈夫よ。ちょっと美射ぱいせん」
「なになに」
「たっくんの帰る正確な日付教えてほしいんやけど」
「いいよー。それルール違反だから、帰り際にこっそり囁くから覚えといてね」
「ういっす。にゃかも達者でなぁ。行ける様なったらすぐ行くからな」
「桃の葉というものは良い匂いがします。邪気は実以外も祓うのでしょうか」
「そうかそうか。私も寂しい。でも少しの辛抱やからな」
タガグロはにゃからんてぃをギュッと抱きしめて、
にゃからんてぃも気持ち良さそうに目を閉じる。
「ではそろそろ。またねぇ」
「そやね。別れを惜しんでたら、いつまで経っても帰れんしな」
「またすぐあとに」
「すぐあとに」
皆で目を合わせてそう言いながら、頷き合うと
タガグロの耳元で囁いた美射がパチッと指を鳴らし、
そのままタガグロは俺たちの目の前から消えて、
夕暮れに照らされた大学の庭や全ての設備も跡形もなく消えた。
あとには、真っ白な世界だけが延々と広がる。

「さー!!久しぶりで二人きりでデートだー!オフだー!」
と美射は思いっきり、手を伸ばして
そしてクイクイッと肉球で、足を引っ張られているのに気付く。
「晩秋の陽気はとても詩情をもたらすものです。それは青空が
 どこまでも伸びていくのに似ています」
にゃからんてぃが美射の足元に二本の足で立ち、見上げている。
「ああ……居たのか……しまった。直接、思念の部屋に送り込むのを忘れた」
「にゃからんてぃも、五百四十八日の修行に付き合うのか……」
「縁と言うのは、円と発音が似ています。
 円周率には人生が含まれるのを知っていますか?数字が全てを物語るのです」
「『ご夫婦にどこまでもついていきます』だって」
美射は仕方無さそうな顔をして、にゃからんてぃを抱き上げる。
「但馬と夫婦って言われたら、連れて行くしかないなぁ」
「美射の扱い方上手いな……」
いつの間にか馴染んでいるにゃからんてぃを見ながら
ちょっと羨ましく思う。俺にもその技を伝授してくれ。
「オフは無しかなぁ」
にゃからんてぃを肩車した美射が俺に問う。
「それがいいかもしれんな。にゃからんてぃも居るし」
冷静を装っているが、心の中はガッツポーズである。
アクロバティックデートがなくなるかもしれない。
「虹色のクローバーを探しに行っても四葉は滅多にありません。三つ葉で我慢すべきです」
「『私も交えた実戦訓練はどうですか?』だって」
「式神を使った戦闘?」
「そゆことになるね。まだ日にちあるし、ドーンと三百日くらいやっちゃう?」
「有限であるということは無限が伸びていくのと同識であると存じます」
「にゃからんてぃは大賛成だって」
「俺もそれでいいわ。脳内修行も、もう半分近いだろ?そろそろ本腰入れないとな」
「じゃあ、一気に流れ人手合わせ、三百いっちゃおうか」
「……大丈夫かそれ」
別に流れ人じゃなくてもいいと思うが……。
「こっちには式神いるからね。まぁ、向こうも大体いるんだけど。怖いのが」
「それやばいだろ……」
俺は美射に肩車された小さなにゃからんてぃを見ながら
かなり不安になる。当たり前だが、こいつの戦闘能力はかなり未知数である。
どんなにひいき目で見ても、とても強そうには見えない。
「世界は三つに分かれています。三つ目が通ります。残り二つは留まります」
「『ばっちり任せといてください』って言ってるよ」
美射は涼しげな顔で、パチッと指を鳴らして
石造りの巨大な古代闘技場に景色を変えてしまう。
周囲を円状に何段もある観客席が覆い、中心に円形の広い闘技スペースがある
美射は誰も居ない観客席で周りを見回す俺とにゃからんてぃーを
誰も居ない、闘技スペースに飛び降りるように促した。
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