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第五章 結婚前夜
アルベルト1
しおりを挟む「ヴォワール侯爵夫人」
レオニダスとナガセが席を外したタイミングで、彼女に声を掛けた。
会うのは何年ぶりだろう。
特に思い出したことなどなかったけど、辺境へ入領した人物の一覧に名前を見て、嫌な予感しかしなかった。
いったい、なんのつもりで訪れたのか。
「――何かしら、バーデンシュタイン卿」
笑みを浮かべながらゆっくりと振り返った彼女は、手元の扇子で口元を隠した。
僕たちの様子を見たヨアキムが、ベアンハートとマダムを先に部屋へ案内する。
「そんな不機嫌な顔をしては、王国一と言われる美貌も台無しよ」
クスクスと扇子の向こうで笑いながら、彼女は目を細める。本当に笑っているわけではないことくらい、僕のギフトを使わなくても一目瞭然だ。
「褒められている気がしないな」
「あら、心外だわ」
大げさに目を丸くして肩をすくめた彼女は、またおかしそうに笑う。
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
「侯爵夫人が何の連絡もなしにわざわざこんな辺境へ来るなんて、構えるに決まっているだろ」
「あら、ちゃんと言ったでしょう?」
「何しに来たんだ」
僕の言葉に、彼女の雰囲気が変わる。
「レオニダスへお祝いを伝えに」
「ヴォワール侯爵夫人」
僕と彼女の微妙に開いた距離が、僕たちの心情を象徴している。だが、話すには離れすぎているこの距離は、彼女を観察するのに適していた。
「レオニダスの名前を軽々しく呼ぶな」
「あらごめんなさい、つい昔の癖で」
「それに」
彼女の全身を目を細めて改めて見る。その姿に昔を思い出し、感情が引っ張られそうになった。
「いったいなんのつもりで、レオニダスの色を着ているんだ」
「……」
笑顔を崩さないまま、彼女は改めて僕に向き直った。正面から僕を捉え、扇子の向こうで目を細める。
「自分に似合うものを身に纏っただけよ」
「あなたなら他に似合うものがあるだろう」
「まあ、ありがとう」
スカートをつまんで少しだけ膝を折った彼女は、首を傾げて僕を見た。
「あなたの妹さんだったかしら、レオニダスの……失礼、ザイラスブルク卿の婚約者は。彼女のために私を威圧しているの?」
「威圧?」
その言葉に思わず笑い声が上がる。我ながら乾いた笑いだ。
「それこそ心外だな、威圧なんてかけていないよ。質問をしているんだ」
「妹さんのために?」
「二人のためだよ」
「まあ、昔から変わらず忠義に厚いのね」
「それは褒め言葉だね」
彼女はゆらりと扇子を揺らし、品定めするかのような目を向ける。
「ナガセさまは異国の方なの?」
「僕の義妹だよ」
「あの髪と瞳……、よくここで受け入れられているわね」
「キャロライン」
こめかみがズキリと痛んだ。目の前が薄暗くなった気がする。
「ナガセはバーデンシュタイン家の大事な娘だ。そして次期バルテンシュタッド辺境伯夫人になる。軽々しく話題に挙げるな」
「――失言を謝罪するわ、バーデンシュタイン卿」
微塵も悪いと思っていない表情で、彼女はまた少しだけ膝を折った。
「ここの人たちは昔から閉鎖的だと聞いていたから。よそ者を受け入れる寛容さがあると知っていたら、少しは違ったかもしれないわ」
「ここを拒んだのは君だ、キャロライン。我々ではない」
「そうね。そのことは後悔していないわ。今でも当時の私には無理だったと思うもの」
「辺境が変わったのはナガセの力だ。君にはできないことだよ。そして、そんなナガセをレオニダスは愛している」
表情は一切変わらないのに、一瞬で彼女の纏う雰囲気が変わった。
「私は王都で侯爵夫人として地位を築いたわ。財力も人脈も、もちろん知識も誇れるほどある。昔の私とは違うのよ」
「だから、レオニダスとよりを戻そうって?」
「――」
「無言は肯定だよ、ヴォワール侯爵夫人」
腹立たしい。
正直、その一言に尽きる。
「そんなつもりはないわ。ただ、彼の役に立てるのなら話をしたいと思っただけ。あなたの大切な妹の婚約を邪魔しようなんて思っていないから、安心して」
「へえ? じゃあ、愛人にでもるなるつもりか? 侯爵夫人の君が」
「まさか。友人になりたいだけよ」
その言葉を信じろと?
「田舎なんて嫌だと言って侯爵を選んだのは君だろう。今さら何を求めている? まだ足りないのか」
「あなたには分からないでしょうね」
「ああ、分かりたくないね。君の強欲さなんて」
「――口が過ぎるのでは? バーデンシュタイン卿」
ただ細めていただけの瞳に怒りが宿った。口元を隠していた扇子をパチン、と閉じて僕を睨む。
「平民上がりの異国の娘では、この辺境を支えられるとは思えないわ。苦境に陥ったときに真に頼れるのは、貴族としての知識と人脈、そして財力よ。レオニダスに助言ができる知性を兼ね備えた、私こそがふさわしいと思わない?」
「――なるほど? 子どもを侯爵家の後継にした後の、身の振り方を考えた結果、昔の男に目を付けたのか」
「下品な言い方はやめて」
「品性のない君に合わせただけだ」
背後から、ガタン、という音がした。
驚いて振り返れば、ちょうど廊下の角からレオニダスとナガセが現れたところだった。
(わざと音を立てたな)
レオニダスには会話が聞こえていたのだろう。ちょうどいい、説明しようと思っていたところだし。
何も聞こえていないであろうナガセは、僕たちを見て意外そうな顔をした。
「お義兄さまに、キャロラインさま。どうかしました?」
「うん、ヴォワール侯爵夫人はお帰りになるそうだよ」
「そうなんですか? ごめんなさい、お忙しかったのにお引き留めしてしまって」
慌てる様子のナガセの腰に手を回して、レオニダスが目を細めて僕たちを見た。
「ヴォワール侯爵夫人、申し訳ないがベアンハート殿下を持たせるわけにはいかない。俺とナガセはここで見送りとさせてもらおう」
「ご丁寧にありがとう、十分だわ」
「僕が玄関まで送るよ」
キャロラインは膝を折り、二人に丁寧なカーテシーをした。そして僕の差し出した手を取り、ナガセへ笑顔を見せる。
「今夜は楽しかったわ。おいしいお料理もありがとう、ナガセさま」
「いいえ、こちらこそありがとうございました」
「今度、ゆっくりピアノを聴かせてね」
「はい、もちろん」
彼女の言葉にふわりと笑うナガセを、レオニダスが手を引いてその場を離れた。
「ずいぶんと過保護ね」
玄関へ向かいながら、キャロラインはクスクスと笑う。
「大切にしているだけだよ」
「そう」
「ヴォワール侯爵夫人」
玄関前に停まった馬車へ乗り込む彼女の背中に向かって声を掛ける。
振り返った彼女の表情は、それまでの作った笑顔でも怒りでもない、何もない無表情だった。
「君の子どもはどうしてる?」
夜の薄暗さが、表情のない顔を異質なものに見せる。僕の勘が、これはただ横槍を入れにきたのではないと、警鐘を鳴らしている。
「――こんな辺境まで、連れてくるはずないでしょう」
それは、初めて聞いた彼女の本心だろう。
馬車のカーテンを引いた彼女はそれ以上何も言わず、闇へ去っていった。
「――彼女の身辺調査を。王都での生活も調べるように」
暗闇へ消えていく馬車を見送りながら、背後の闇へ声を掛ける。
闇はゆらりと動き、すぐにその気配を消した。
(――嫌な感じだ)
胸の奥に生まれた火種が、ジワジワと燻り続けているのを感じた。
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