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第五章 結婚前夜
助言
しおりを挟む「――レオニダスとも、よく街へ来るの?」
街の特産品や温泉の話をしていると、ふとキャロラインさまが呟いた。
「あ、はい、レオニダスは忙しいので、たまにですけど」
「そう。あの人、あまり話さないからつまらないでしょう」
困った人よねぇ、と笑う彼女に、小さく手を振って否定する。
「そんなことないですよ。街の様子はレオニダスも気にしていることだし、いろんな話をしながらたくさん歩くんです」
「歩く? 馬車ではなくて?」
「はい。お店に立ち寄って買い物をしたり、食事もするから、歩いているほうが楽しいんです」
街を歩いていると、彼が街の人々に慕われているのがよく分かる。尊敬や憧れ、敬うような視線や声がけを受けるから。これはやっぱり、寄り添って近くにあろうとする彼の心がけによるものだと思う。
「買うって、街のものを?」
「ええ、最近できた菓子店や雑貨屋に寄ったり……」
「雑貨ですって? まぁ、ふふっ! そうね、でも領主がお金を使うことも、領民へのアピールとしては効果的かもしれないわね」
「いえ、そういうことではなくて彼は……」
「その後の処分に困りそうだけれど、使用人に渡してしまえばそこでまた感謝されるからいいのかしら」
(処分……)
彼らを自分よりも下に見ることになんの抵抗も見せない彼女の発言に、どうしても嫌悪感が募ってしまう。
そういう育ち方をしていると、根本にそんな考えがあるのは仕方ないのかもしれない。
――でも……。
「ところで、街道の整備が行き届いているのは、兵士たちが管理しているの?」
興味なさそうに話を変えたキャロラインさまは、周囲を見渡して首を傾げた。
「はい。今は兵士の方たちが……」
「魔物が減ったというのは本当?」
「一時期よりは」
「よかったわ! 魔物が出る場所なんかで子どもを育てるなんて、考えただけでも恐ろしいもの」
道行く人々がチラチラとこちらに視線を投げてくる。キャロラインさまは、少し声が大きいので仕方ないけれど。
「兵士の方たちが警備も、街の維持も担ってくれています。皆が安心して暮らせるのは彼らの尽力あってこそです」
「そのためにいるのだから当然だわ」
(そうかも知れないけれど……)
話が通じない。
そもそも、スタートの感覚が違う。彼女の言うことが間違っていないとしても、そんなふうに言うものではないと、思ってしまう。
それは、その言葉に、彼らに対する感謝の気持が微塵も感じられないからだ。
「その兵士たちを統率するのが、レオニダスの責務であり義務ね」
「そう、です」
「ナガセさま、辺境伯夫人としての責務はどうお考えなの?」
「――私は」
「私ね」
キャロラインさまはニッコリと笑い、私の耳元に顔を寄せた。
「――レオニダスと婚約する予定だったの」
「――え?」
彼女の言葉に、ドッ、と心臓が跳ねた。
そんな私を見て、彼女はふふっと笑う。
「いろいろ事情があって、するには至らなかったのだけれど。彼の支えになって、この辺境を変えていこうって二人でよく話していたのよ」
「――そう、なんですね。知りませんでした」
「まあ! ごめんなさい、彼ったらもう話していると思ったのに。相変わらず秘密主義なのね」
クスクスと困ったように笑う彼女の意図が、分からない。モヤモヤと嫌な気持ちが胸を占拠する。
「だからね、相談というよりも、私からナガセさまに助言できたらいいなと思ったのよ」
「助言、ですか」
「貴族的な振る舞いや思考、必要な教養についてよ。ここで学ぶには難しいでしょう?」
先ほどから、言葉の端々にこの地を侮蔑するような含みを感じる。そう捉える私に問題があるのかと思っていたけれど、今ははっきりと、下に見ているのが分かった。
「学者の先生やマナーの講師に教わっているので、不便を感じたことはありません」
「それは比較するものがないからよ。私とナガセさまではどちらがより貴族として正しい姿だと思うかしら?」
「それは」
「私よ。あなたと明らかに違う、貴族としての気品は、平民と馴れ合っているナガセさまでは身につけるのが難しいことだわ」
彼女の挑発するような言葉に、ジリジリと胸が焼けるような思いがした。どうして、こんなことを言うのだろう。どうして私に、助言が必要だと?
「確かに、キャロラインさまのように生まれ持ったものも必要かもしれません。けれど私は、レオニダスとともにいるために必要なことを、この辺境で学んでいます」
「それがお菓子作りや雑貨店巡りだというの?」
「そうです」
「まあ」
うふふ、とおかしそうに、キャロラインさまは子どもを見るような目を向けた。
「それでは、レオニダスに釣り合うどころか、自分の格も落ちてしまうわ」
「自分の格は自分自身の振る舞いで決まるものです。決して周囲の影響だけではありません」
「――あら」
そこで初めて、キャロラインさまは目を細めた。口元は笑っているけれど、瞳に怒りの感情がチラリと見える。
「ナガセさまはご自身をどう捉えているの? 今のあなたが、辺境伯夫人に相応しいとお思いなの?」
「相応しくはないかもしれません。でも、相応しくあろうと努力はしています」
「それが街で平民と馴れ合うこと?」
「――そうです」
「違うわ」
彼女は私の返答に、バッサリと切り捨てるように断言した。
「高貴な血筋の彼を支えるのに必要なのは、貴族としての嗜みと品性よ。平民と馴れ合ってお菓子を作るあなたには難しいかもしれないけれど」
「レオニダスは自分の血筋にこだわりはありません。この地の人々を大切にすることを第一としています。彼らに寄り添い、守るために力をつけている。私はその隣にいたいし、そんな彼を」
「人の上に立ち、人を使うのも必要な能力よ」
グッとキャロラインさまが顔を寄せてきた。周囲に聞こえないように声を潜め、瞳は怒りに染まっている。
「使われる人間と同じ立場に身を落として、何になるの? 今のあなたはそっちの人間だわ。彼の隣に立ってもまったく釣り合わない。まるで使用人よ」
なぜ怒りを見せるのだろう。
私が釣り合わないから? だとして、彼女に一体、どう関係あるというのだろう。
「――レオニダスは、人々を大切にしている。彼が大切にしているものを、私は蔑んだりしません」
「頑固ね」
そう呟いて顔を離した彼女は、小さく首を傾げてふふっと笑った。
「彼に何かが起きてからでは遅いわ。あなたが支えられないのなら、支えられるべき人間がそばにいなければね」
「――人に恵まれているので、ご心配にはおよびません」
「まあ! ふふっ、その言い方、バーデンシュタイン卿にそっくりね」
「ありがとうございます」
私の返答が面白くなかったのか、キャロラインさまは腕を離して、正面から私を見た。
「思っていたよりご自分の意見をはっきりと口にするのね」
「貴族的な言い回しは苦手なんです。失礼があったらご容赦ください」
「いいのよ、私たちの仲ですもの」
そう言って、私の手を取りぎゅっと握りしめる。
「貴族としての嗜みはもちろん、レオニダスのことで知りたいことがあったら、いつでも聞いてちょうだいね」
「……」
「なんでもいいのよ。そうね、例えば――彼が何をしたら喜ぶか、とか」
含みを持たせるような言い方に、顔に熱が集まった。そんな私を見て、彼女は満足そうに笑う。
「恥ずかしがらないで。喜んでもらいたい、と思うのは女として当然のことでしょう?」
「――結構です」
「そう? たまには変化も大事なことよ?」
「昔の彼と私の知る今の彼では、違うでしょうから」
「あら、昔の彼を知りたいと思わないの?」
「私が愛しているのは今の彼です。そこには昔の彼もいる。それで十分です」
ピリッ、とキャロラインさまの雰囲気が変わる。
こうして短い時間に接しているだけでも、彼女は感情の起伏が激しい人だ、と思った。
お義兄さまとあまり仲が良くないのはなんとなく分かる。
「あなたの知らない彼を教えて差し上げると言っているのに」
「ナガセ」
突然名前を呼ばれ、ぐいっと後ろに引っ張られた。
腰に回されたたくましい腕と、背中に触れる大きく熱い身体。耳元でもう一度、「ナガセ」と名前を呼ばれる。
「レ、レオニダス?」
「――身体が冷えている」
彼の吐き出す息が、頬に触れる。
「どうしたの、仕事は……」
「まだ屋敷に戻っていないと聞いたから、探しに来た」
「ごめんなさい、ヴォワール夫人に街を案内していたの」
「――そうか」
柔らかかった気配が、一瞬だけ硬くなる。
彼は一歩、キャロラインさまから距離を取るように私の腰を抱えたまま後ろへ下がった。
足元にウルがすり寄って来て、オッテが私とキャロラインさまの間に立つ。
「ヴォワール侯爵夫人、申し訳ないがナガセはこのあと用事がある。街の案内を希望するのなら、他の者に任せるがいいだろうか」
レオニダスの突き放すような言い方に、一瞬だけ無表情になった彼女は、それでもすぐにニコリと笑顔を見せた。
「いいえ、結構よ。とても楽しい散策だったわ。ありがとう、ナガセさま」
「いいえ……」
「ではまた、近いうちにね」
キャロラインさまは膝を折ると、いつの間にか近くにいた護衛騎士とともに、その場を後にした。
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