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君の中にある、好き

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「これが図書館……!」

 重厚な扉を開けて入ったそこは、高い天井まで届く背の高い本棚がずらりと並ぶ空間だった。
 天井にある明り取りの窓から差し込む光が優しく降り注ぐ館内は、静かに読書に耽る人々しかいない。大きな机が所々に設置され、山のように本を積み何やらノートに書き込んでいる人もいる。
 なんだか心が落ち着くような気がした。
(私、ここが好きだわ)
 キョロキョロと見渡していると護衛騎士が大きな窓がある席を案内してくれて、そこに腰を落ち着けた。
 机のすぐ横は魔術書のコーナーになっている。

「殿下が、ヘルマン嬢のお好きな席はここだから案内するようにと」
「……っ、そ、そう、ありがとう……」
(また先回りされたわ!)

 小さな声で護衛騎士に礼を言うと、優しく微笑み適度な距離まで離れて行った。ユリは席が気に入ったらしく、窓辺の日当たりのいい席に腰を下ろし、手持ちのバッグから刺繍枠と眼鏡を取り出した。丸い眼鏡が陽の光を跳ね返す。
 私は何冊か魔術書の本を手に取ると、静かにページを捲り、そして没頭していった。

 ――ふと、手元の影が変わって来たことに気が付いた。
 どのくらい経ったのだろう。そう言えば、王太子と昼食の約束をしていた気がする。……気が、じゃなくてしていたわ!
 突然我に返って顔を上げると、目の前の席に頬杖を突いて静かにこちらを見ている王太子が座っていた。

「……!」
「しぃっ」

 王太子は人差し指を口元に立てると、視線で自分の後ろを示す。そちらに視線を向けると、ユリがうつらうつらと温かな日差しの下で身体を揺らしていた。

「疲れているみたいだ」

 王太子は優しく笑うと、私が開いていた本を指でトン、と突いた。

「何か面白い本でもあった?」

 声を落とし囁くように話すその声に、心臓がドキドキと落ち着かない。一体何なのだろう、この人がいるとどうも落ち着かない!
 
「ま、魔術書が少し……読んだことがあるかもしれないのですが、覚えていなくて」
「面白い?」

 私の本を覗き込む様に前かがみになる王太子の、濡れ羽色の髪がさらりと落ちて白皙の肌に影を落とす。
 絵画のような美しさに動揺してしまう。そんな動揺に気付かれないよう、できるだけ平静を装うけれど、ちゃんとできているかしら。

「面白いです。この魔法陣や古代魔術とか、組み合わせたら面白そうだなと思って」
「さっきも廊下で熱心に魔法陣を見ていたね」
「あれは」

 ふと脳裏に先ほどのご令嬢方に囲まれていた王太子の姿を思い出す。
 頬を染め憧れの眼差しで王太子を見つめていた美しい令嬢たち。そうよね、こんなに美しい人なのだから、近付きたいと思うのは当たり前よね。
 逃げ出すようにその場を離れたことを申し訳なく思い、けれど何故か、あの時は気持ちがモヤモヤしたのを思い出す。
 王太子がふっと視線を上げたのを避けるように本に視線を落とし、描かれている魔法陣を指で意味もなくなぞる。
 
「とても素晴らしい魔法陣だと思って」
「結界魔法と攻撃魔法を組み合わせているんだけど、柱に施すために小さくまとめる必要があったんだ」
「それで古代語で書かれていたのですね。とても複雑な文字が描かれていました」
「古代語はたった一文字で私たちの言葉の多くの意味を含むことができるからね。複雑だけどとても面白い言語だと思うんだ」
「絵のようでとても美しかったです」
「……ありがとう」

 王太子は嬉しそうに瞳を細め、私の髪をそっと耳にかけた。その優しい手つきにぶわりと身体に熱が灯る。
 
「君は昔から本当に魔法が好きだね」
「そう、みたいです。ユリにも言われました」

 顔を見ていられなくて視線を手元の本に移す。王太子の指がつん、と私の手を突いて、その甘えるような仕草にまた顔が熱くなった。
 
「記憶を失っても好きなものは変わらないね」
「はい。教えられなくても自分で好きなんだと分かりました」
「では、私のことは?」
「え?」

 その言葉に顔を上げると、頬杖を突いた王太子がまっすぐ私を見つめていた。上目遣いで私を見るその瞳は、昼の日の光でキラキラと輝いている。

「私のことは、好き?」
「……っ! そ……っ」

 前髪の向こうから覗く瞳に捕われ視線を外せなくなった。顔がじわじわと熱くなる。
 
 王太子のことは、初めて会った知らない人の様にしか感じない――、感じなかった。
 美しい顔の人だと思っただけ。
 でも、この人に何をされても嫌な気持ちにならない。
 それは今の私の気持ちなのか、私の中にあるはずの記憶の欠片のせいなのか、私にはまだ分からない。

「君の中に好きなものが残っているのなら、私のことも残っていないかな」

 王太子が指で私の指先を掬うように持ち上げ、すりすりと擦り合わせた。
 私の方が体温が高いのだろうか、ひんやりとした王太子の指先が触れるのを振り払うことも出来ず、動けないまま黙ってその指の動きを追う。

「……少しでいいんだ。少しでも、君の中に私のことが残っていたらいいな、と思ってね」
 
 王太子は何も言えない私を見て微笑んだ。その優しい笑みに、なんだか悪いことをしているような気持ちになりチクチクと胸が小さく痛む。
 (何か、少しでも思い出せたら……)
 けれど、王太子のその言葉に返す言葉を、私はまだ持っていない。
 何と返したらいいのか分からずにいると、「さて」と王太子は姿勢を正し、隣の椅子に置いていた籠から包みを取り出した。

「なんですか?」
「ふふ」

 しいっと人差し指をまた唇の前に立て、少年のような表情で私を見る。
 
「お腹が空いただろう? 約束の、君の好きなものを持ってきたよ」
「え?」

 小さなグラスもテーブルに並べ、取り出した瓶から透明な液体を注ぐ。包みを開くと、中身は美味しそうなサンドイッチだった。

「流石にここで葡萄酒は開けられないから果実水を持ってきたんだ」
「こ、ここで飲食をしてもいいのですか?」
「内緒」

 ふわりと優しく微笑む王太子は私の前にグラスを置き、自分もそのグラスを掲げる。
 私もそれに倣いグラスを掲げ、カチンと小さくグラスを合わせた。

「これで私たちは共犯だね」

 言いながら嬉しそうに果実水を飲む王太子にじわりと胸が温かくなり、それと同時に得体のしれない罪悪感のような、不安な靄が心の隅で渦巻いていた。
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