35 / 52
ヨシュカ
しおりを挟む「俺がまだ騎士団に顔が利いて良かったよなあ」
「くどい」
馬に跨った旅装姿のウェイが馬車の御者台に座るアミアに声を掛けると、アミアは被せるようにウェイに答えた。クスクスとキャンがその隣で笑う。
元騎士であるアミアとウェイの入国許可証を手に入れ、支援物資を運ぶ輸送団に紛れ込めたのはウェイの働きによるものなのだが、移動の間、ことある毎に感謝を求めるウェイをアミアはすっかり相手にしなくなった。
「ウェイさん、ありがとうございます」
「甘やかしちゃだめだよ、キャン」
アミアはへらへら笑うウェイを横目で睨む。
「その腹でよく乗れる馬があったな?ウェイ」
「この腹は俺の人当たりの良さを表現するために態と作り上げたもんなんだよっ」
「はっ、何を言っている、馬鹿め」
支援物資を運ぶ一団は他国の国境を越え船に乗り、無事シュバルツヴァルドと隣接する公国へ入国した。港町から更に奥地へと入り、シュバルツヴァルドを目指す。
港では公国の騎士団が合流し、ここまで気を張り詰めていた騎士達も漸く一息つくことが出来た。これまでの道中では、騎士団に護衛された輸送団を襲うような蛮族も現れず、他国の越境も滞りなく済ませることが出来た。
緊張から解放されたのか、団員達の空気も柔らかなものになっている。自然と会話も増え、笑顔で騎士と話をする者もいた。
だが、周囲の柔らかな雰囲気とは裏腹に、港に到着してからキャンの顔色はどんどん悪くなる一方だった。
微かに漂う、嫌な匂い。
内陸に進むほど匂いが強くなり、キャンの身体に澱のように積もっていく。胃の腑が重く、視線がどうしても足元に落ちる。この、常とは程遠い異様な空気に、キャンは飲み込まれていた。
公国とシュバルツヴァルドの国境には、今回制定された同盟加入国が設営した医療施設があり、逃げてきたり怪我を負ったシュバルツヴァルド人を保護している。
施設では特に子供や年寄り、重症者を多く受け入れ、同盟国から派遣された医師や看護師、薬師が軍隊の護衛の下、その地で活動を行なっていた。
更に同盟国は軍隊をシュバルツヴァルド国境に派遣し、外海には船団を配置した。
彼の国とシュバルツヴァルドの間に横たわる二カ国は既に同盟への参加を表明し、同盟国軍は彼の国国境まで迫っているという。
それらの采配を全てユリウス第三王子が執っていると、道中で団員達がよく話題にしていた。
己の国の王子が彼の国に対し圧力を掛け、シュバルツヴァルドを救うため活躍しているのだと興奮気味に話しているのを、キャンは複雑な思いで聞いていた。
*
見渡すと木々はすっかり葉を落とし、道端の草もすっかりその色を失い風に吹かれている。
低く垂れる鈍色の雲からはチラチラと雪が舞い、時間の間隔を失わせた。
御者台に座りガタガタと馬車に揺られていると、吹く風が服の隙間に入り込み余計に寒さが身に染みた。ここでは雪は積もらないが寒風は王都よりも強く、落ち込むキャンの心を追い詰めるようだった。
アミアが隣に座るキャンにそっと声を掛ける。
「キャン、大丈夫? 今朝もほとんど食べていなかっただろう」
「あ、大丈夫です、お腹が空かなくて……」
へらりと笑って見せるその顔色は悪い。
アミアが何事か言おうと口を開いた瞬間、パッと視線を道の先に向けた。
「キャン」
アミアに促され前方に目を凝らすと、かなり離れた位置にシュバルツヴァルドの騎馬隊が五騎、行く手を塞いでいるのが見えた。
王国の騎馬が数騎、一行から離れて騎馬隊に向かうと、ゆっくりと馬車が停車した。
それまで緩んでいた空気が一瞬で張り詰める。
突如現れた彼らの気配にキャンの心臓が激しく音を立てた。
五感全てが彼等の中にいる一人に囚われ視線が外せない。
アミアは眼鏡の向こうの瞳が大きく瞠かれるのを見て、キャンの手をギュッと握りしめた。
その手は氷のように冷たい。
暫くして騎士団とシュバルツヴァルドの騎馬が一騎ずつ一団に向かって来た。囚われたかのように目が離せない、あの獣人だ。ウェイが馬を促しキャン達より前に出て騎士と話をする。
その騎乗の獣人は迷うことなくキャンを見つめている。キャンが獣人だとすぐに分かったのだろう。
銀色の大きな三角の耳と薄い紫眼が真っすぐにキャンに向けられていた。
(ティエルネさんと同じような気配がする)
キャンは僅かに身体が震えた。この覚えのある気配、薄い紫の瞳。重かった気持ちが深く深く沈んでいく。目の前が暗くなり、自分の鼓動がガンガンと頭の中に鳴り響いた。
―― お前に流れる血を呪う者がいることを忘れず生きていけばそれでいい――
ティエルネの言葉が頭の中に響き渡る。
どのくらいの時間が経ったのだろうか。
やがて獣人の騎士は一言二言ウェイに声を掛けると、静かにキャンとアミアが乗っている馬車に馬を寄せた。
キャンの心臓が激しく音を立て、無意識にアミアの手を強く握り締めると、アミアが宥めるようにキャンの手の甲を指で撫でた。
「キャン」
隣に座るアミアがそっとキャンに声を掛け、背中を撫でた。
無意識に息を止めていたのか、はっ、と小さく息を吸うと心が少しだけ落ち着きを取り戻す。アミアはもう一度、優しくキャンの背を撫でた。
「……リュディア?」
そっと囁くようにキャンに掛けられたその声の、思いもよらない柔らかさと心地よい響きに、キャンの鼓動がふわりと楽になった。
ティエルネにそっくりな銀色のサラサラと靡く髪、薄紫の瞳。目の前の騎士が口にしたその名を聞いて、キャンはゆっくりと息を吸い静かに答えを返した。
「……はい」
騎士はキャンの視線を受け止めると、銀色の耳をぴくぴくと震わせ柔らかく破顔した。
「初めまして、僕の姪」
騎士は何も言えず固まっているキャンに近付くと、そっと手を差し出す。吸い込まれるようにその掌に手を乗せると、騎士は両手でキャンの手を柔らかく包み込んだ。
「無事でよかった」
キャンの手を持ち上げ、祈るように自分の額を寄せる。その手は微かに震え、キャンが思わず手を握り返すと、俯いていた顔をパッと上げた騎士は泣きそうな笑顔を向けた。
その優しい薄紫の瞳を見上げた途端、ギリギリと張り詰めていたキャンの心が、ゆっくりと解けていった。
54
あなたにおすすめの小説
ちょっと不運な私を助けてくれた騎士様が溺愛してきます
五珠 izumi
恋愛
城の下働きとして働いていた私。
ある日、開かれた姫様達のお見合いパーティー会場に何故か魔獣が現れて、運悪く通りかかった私は切られてしまった。
ああ、死んだな、そう思った私の目に見えるのは、私を助けようと手を伸ばす銀髪の美少年だった。
竜獣人の美少年に溺愛されるちょっと不運な女の子のお話。
*魔獣、獣人、魔法など、何でもありの世界です。
*お気に入り登録、しおり等、ありがとうございます。
*本編は完結しています。
番外編は不定期になります。
次話を投稿する迄、完結設定にさせていただきます。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】2番目の番とどうぞお幸せに〜聖女は竜人に溺愛される〜
雨香
恋愛
美しく優しい狼獣人の彼に自分とは違うもう一人の番が現れる。
彼と同じ獣人である彼女は、自ら身を引くと言う。
自ら身を引くと言ってくれた2番目の番に心を砕く狼の彼。
「辛い選択をさせてしまった彼女の最後の願いを叶えてやりたい。彼女は、私との思い出が欲しいそうだ」
異世界に召喚されて狼獣人の番になった主人公の溺愛逆ハーレム風話です。
異世界激甘溺愛ばなしをお楽しみいただければ。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果
てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。
とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。
「とりあえずブラッシングさせてくれません?」
毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。
そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。
※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる