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鳥籠ロマネスク
鎌鼬養斎
しおりを挟む鎌鼬養斎。
彼は町外れの裏路地に店を構えている男だ。
ひそひそ。
またひそひそと。
人の噂が飛び交う藤代街。
郊外と言えばいいだろうか。地図上での、じめっとしているような、人気がなく、気味の悪い街。
それはただの先入観であり、実際はそうでもないのだが、ここには金のない貧乏人が多く住む。
今私が向かっている鎌鼬養斎の店はそんな街にあるのだ。
彼は金がない訳ではないものの、人に命を狙われやすく、また恨みを買いやすい仕事をしているため藤代の近寄り難い町並みにその身を隠している。
「鎌鼬さんかぁ……お会いするのは一月振りですかね?」
藤代の入りを歩いている時、齋藤がその呑気な口を開いた。
外国のスラムのような家屋が立ち並ぶ様を見て、街の偉いさんが外観ばかり取り繕っている様がまざまざと目に映る。
「言われてみればそうだな。
鎌鼬はどうでもいいが、ロムに会うのは楽しみだ。」
「全く……本当に女の子がお好きですね。」
ハァ、とため息をつく齋藤を軽く鼻で笑ってやった。
「仕事柄、男共と関わる事が多いからな。
それとも何か?自分に女の影が無いのを恨んでいるのか?」
「そ、そんなことありませんよ!!
がっ学生時代は恋文を貰ったりしておりましたから!!!アハハッ!嫌だなぁ先生たら!!」
滝汗を流す齋藤に呆れた視線を飛ばす。
わかりやすい見栄だが揶揄い甲斐のある助手がいることは酷く愉しい。
「ほぉ。しかしこういった話の相場は決まっていてな、二十代の男が女関連で学生時代の話を持ち出す時は大方」
「あーーっ!!あーーっ!!
養斎さんのお店に着きましたよ!!ねっ!!」
齋藤が声をあげて道の向こうを指さす。
彼の命拾いをしたといったような安堵の顔が憎たらしい。
「チッ」
歩並みが速くなった齋藤を一瞥し、自分もその後を追った。
鎌鼬の店はこの街にしては異色なのだろう。
店の名前は『絶筆堂』。
幅は狭いが黒塗りがしてある壁に、しっかと強く貼られた硝子障子、して外観はどことなく旅館のような気品が感じられる。
この街の人間にとっても外部の人間にとっても近寄り難い場所のはずだ。
「店の前にいるのはロムか。」
「そのようですねぇ。風邪の方はすっかり治られたようで良かったです。」
一人の少女が店の前に箒をかけているのが見えた。
輝く白いおかっぱ髪に、透き通った青い目、自分よりやや低い身長。一目で異国の人間だとすぐに分かるが、日本の紅着物が良く似合う子だ。
年齢は不明であるが見た目で判断すれば12歳ほどであろうか。
「ロム!」
声をかけるとその可憐な目が1度大きく見開かれ、次には花が咲いたような笑顔を見せる。
「やぁ」と挨拶代わりに手を挙げると、ロムは箒を手にしたままこちらに駆け寄った。
「チカゲさん!クニヒロさん!」
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
「ハイ!
クニヒロさんから貰った薬が良かったミタイです!」
ありがとうございます、とロムが頭を下げると齋藤は首を振った。
「いえいえ!それなら良かったです。
東西堂さんのお薬は治りが早いと有名なんですよ。」
「なるほど……!ヨウサイにも教えます!!」
カタコトな日本語がまた可愛らしい。
齋藤も元気そうな彼女を見て、笑みを零している。
「所で、鎌鼬は店にいるか?」
「ハイ!いつもの書斎にいますヨ。」
「ありがとう。失礼するぞ。」
店の硝子障子を開け、私と齋藤で中に入る。
黒と黄金で統一された店内の厳かな雰囲気で喉が詰まりそうになるが、その空気がまた好ましくもある。
店に入ってすぐ見えるのは目の前にある階段。左右に廊下が続き、奥と手前それぞれに右手には客間、左手には和室がある。
鎌鼬がいる書斎は2階にあるので階段を登らなくてはいけない。
埃一つない階段の手すりを見るに、ロムの掃除の手が行き届いているとすぐに分かる。
玄関先の花瓶も綺麗なままであるし、硝子もしっかり磨かれているようだ。
店の2階も左右それぞれに廊下が続いており、右手にはロムの私室、左手に鎌鼬の私室と書斎がある。
ロムが今よりもっと幼い頃はよくこの2階を走り回された。
廊下を左に曲がり、目の前にした重厚な扉。ここが鎌鼬の部屋だ。
数回ノックをし、声をかける。
「鎌鼬、鈴木だ。」
『智景くん?いいよ、入って。』
鎌鼬の許しを得、扉を開けると、ガチャリという鍵音が絶筆堂に大きく響いた。
中には所狭しと本棚が並んでいる。
部屋の奥の方に客用の椅子とテーブル、そして彼の職務用の机と椅子があり、書類が散らばった机の前でその椅子に座る鎌鼬がいた。
座っていてもわかる、細身ながら大柄な男。
ロムと揃った白髪だが彼女とまた違うのは顔立ちが異国の人間ではなくれっきとした日本人であること。前髪の隙間から見える黒目がそれを主張している。後ろ髪はやや長く、床屋にも行けてないと見えた。
年齢は齋藤よりやや年上。おおよそは二十代後半から三十代初めらしいが、実は本人もよく分かっていないらしい。ロムと鎌鼬はこういった共通点が多いのだ。
「失礼。」
「智景くん、久しぶり。齋藤くんもいらっしゃい。」
「こ、こんにちは!」
カーテンの隙間から漏れる明かりが彼を穏やかに照らし出す。
しかし包容感のある、優しさを孕んだ男の声が未だに彼の人物像にうまく馴染まない。付き合いは長いものの、未だに彼について知らない事が多すぎるのだ。
鎌鼬は立ち上がると黒い着物を翻し、私と齋藤を椅子に座るように流した。
「今日は何をお求めで?」
客用の椅子に腰をかけながら口を開く。
「ここの所、鳥が殺されるという事件があるのは知っているか?それについて何か情報があれば聞きたいのだが。」
「ああ。知っているよ。
……まぁ鳥だからね。智景くんは常連さんだし、今回だけ無償にしてあげる。」
狐のように微笑む目の前の男は、この街きっての情報屋だ。
絶筆堂は本来絶筆された……例えば作者が死んだだとか著名人が中途半端にした物語を売り物にしている店だ。マニアがそれらを買い求め、品物も高価な物が多い為それなりに儲けているようだ。
しかしそれは表の事業であり、本来は情報屋『かまゐたち』として仕事に就くことが多い。
だからこそ恨みを買いやすく、しかしながら彼は平穏を望むため、今の生活を続けるための努力は惜しまない人間だ。ロムを危険に晒すことにもなり、彼もまたそれを望まない故に。
「助かる。このような事件の資料まであるとは……流石だな。」
「君の言う“逢魔”とやらには興味があるからね。
鳥殺しからはあの事件と同じ匂いがしたんだ。こちらから連絡しようと思っていたから丁度良かった。」
逢魔。
あの事件。
自然と顔から表情が飛ぶ。
隣の齋藤もそんな私を察したのか表情を曇らせた。齋藤は私の事情を知らないが、それでも付き合いを経て何か分かるようになったらしい。
奴らは逢魔が時だけに現れる妖怪とも言うべきか、概念とも言うべきか……まるで姿形は分からぬものの、だが確かにそこにある奇怪な存在だ。それらを逢魔と私は呼んでいる。……人はそれを幽霊や物怪と称したりもする。
奴らに憑かれることは人としての死と同義なのだ。
「逢魔なんぞただの毒だ。程度を弁えねば私のようになる。
それより情報をくれるか?」
「……。
分かったよ。その代わり事件を解決したら犯人について事細かく教えてくれよ?」
「ああ。」
鎌鼬が椅子から立ち上がり、部屋の隅にある本棚に手をかける。今はあすこに年代が1番新しいものを置いているのだろう。
「これだよ。」
鎌鼬が1冊の本をこちらに渡し、再び椅子に座る。本とはいっても分厚いだけで、中身は写真やら何やらが所狭しと貼られている。間には彼の汚い文字で詳細書かれていた。
ふと、大きな邸宅の写真が目に付く。
「……これって、さっき先生が警察で言っていた後藤伯爵邸ですよね?」
「そうだ。」
「何故、後藤伯爵の邸宅なんです?事件に異なりはありませんし、地位の高い方ですから他の現場でも……」
困惑している齋藤を他所にさっさと資料に目を通していく。そんな補佐に鎌鼬は助け舟を出した。
「ここの事件だけ、他の鳥殺しとは違っていてね。
だから警察の写真だけでこれに気づくのは凄いことなんだよ。」
「違う所、ですか……。」
「詳しい事は明日で構わん。予備知識があるのは良い事だ。」
袋の鳥。
消えた首。及び内蔵。
壁の飛沫血痕。
床に滴る血液。
全てに共通するこれらは、極めて残忍である。
だが、後藤邸だけ他とは相違する部分があった。
「この資料貸してくれないか?」
「いいよ。最後のページだけ空けてるから、解決したらそこに事件の詳細を書いて。」
「了解した。助かる。」
齋藤に資料を渡し、彼がそれを自分の肩下げ鞄に入れていく。
するとトントンと階段を上がる足音が聞こえ、やがて書斎のドアがノックされた。
「はーい。ロムかな?」
『紅茶を持ってキマした』
「ありがとう。入って。」
そっと扉が開かれ、カップが3つ置かれたお盆を持ったロムが現れた。
ぐらぐらと傾いた食器は見ていてとても危ない。
「齋藤。」
「はっ、はい!」
齋藤に顎で指示をすると、ぴゅんとロムの元に飛んでいった。
「ろ、ロムさん!お盆は私が持ちます!ドアを閉めてくれますか?」
「クニヒロさんすみまセン……!ありがとうございます!」
ロムが重たい扉を閉め、齋藤がお盆に乗せられた紅茶を椅子に囲まれたテーブルの上に置いていく。
紅茶に詳しい訳では無いが、それでも漂う香ばしくも華やかな匂いなら品質の良さを感じられる。
「ロムの分が無いじゃないか。
ココアでも煎れておいで。みんなでティータイムにしよう。」
「えっ!いいノ?お仕事の話は?」
「話はもう終わったから大丈夫。ついでにお菓子も持っておいで。」
彼の言葉を聞いたロムが表情を明るくさせると「うん!」と無邪気に笑う。
齋藤も彼女につられて微笑み、ややしゃがむと彼女と目線を合わせた。
「ロムさん良かったですね。
私もお付き合いしていいですか?こう見えてもココア煎れるの上手いんですよ。」
「ほんとですか!
クニヒロさんは何でも出来ルですね……!お願いします!」
きらきらと輝く彼女の目を見て、鎌鼬も何か安堵したようだ。
「じゃあクニヒロくん、ロムをお願いね。
いってらっしゃい。」
「はい!いってきます。」
ロムのはしゃぎ声が遠くなると扉が閉まる。
二人が部屋からいなくなり、私と鎌鼬が取り残された。
食器の音と時計の音がやけに五月蝿く耳に入るようになる。
「君も大変だね。」
沈黙が訪れない内に、鎌鼬が口を開いた。
「なんだ?」
「ううん。毎度毎度、事件に追われてさ。
先月は何件遭遇した?」
珈琲の白い煙が鎌鼬の顔を隠した。
彼の不穏な空気に逆らうよう、珈琲を一口啜る。
「さぁな。
奴を見つけるまでは数を数えるより、動くしかないさ。」
「そう。」
白髪のその向こう、彼の黒い目がこちらをじっと睨んでいる。
この男のこのような眼差しが一番嫌いだ。
憂いを帯びつつも、とても小馬鹿にされているような……して、私の身を案じているなんとも不愉快な視線。
“鈴木智景”という人物を全て理解しているような。
「今回の事件も逢魔によるものかもしれない。その可能性が高い。
もしこの予感が当たり、逢魔の仕業だったとしてまた君は」
「それ以上は言うな。
貴様など“俺”には容易く殺せるぞ。」
鎌鼬の言葉を途中で遮り、睨み返す。
ほんの数秒のことではあったが、ぶつかり合った視線が鎌鼬の方から外され彼は小さく笑った。
「そのうち死ぬんじゃない?君。」
感情が抜かれたような淡々としたその言葉に私は大きくため息をつき、わざと音を立てて自分の背中を椅子に預けた。
「死んでもいいさ。
復讐さえ、出来ればな。」
その言葉を聞いた鎌鼬の目に、一時だけ憐憫が浮かんだが、小さなノックの音がそれを遮った。
「話は終わりだ。」
『菓子をお持ちしました!』
一言違いにロムの声が扉の向こうから聞こえる。
「おかえり。入って。」
「ただいまです!」
先ほどまで硬かった鎌鼬の表情は跡形もなく笑みに染まり、私も平静を装った。
扉が開く音と共に菓子箱を抱えたロムと、盆を手にした齋藤が書斎にはいる。
「じゃあティータイムにしよう。」
午後5時。
鈴木智景と齋藤国弘が帰り、店が静まり返る。
この時間はロムも部屋で大人しくしているので、夕焼けの中でとあるアルバムを見返すのが鎌鼬の日課となっていた。
部屋の角、一番古い本棚に数冊揃えられた黒い背表紙。
なかにあるのは彼の懐かしき思い出でも、かといって事件の資料でも無いが、これに目を通す時鎌鼬はそこはかとない幸福感に浸ることができていた。
『title 逢魔』
真っ黒な表紙に白文字でそう彫られている。これが例のアルバム。
ページを一枚めくり、最初に目に飛び込んでくるのは“少年の背中”だった。
体をくねらせてこちらをじっとりと見つめる幼い視線と艶やかな黒髪が恐ろしくも見えるその若さを際立たせているが、それよりも目を疑うようなものを彼の背中は持っていた。
黒が。
紫が。
焔のような曲線が彼の背中を蠢いている。
ただ一言、歪。
火傷とも言い難い。
刻印とも言い難い。
背骨に沿って伸びた影形から枝のようにそれらは広がっていた。
酷く大きいそれはおぞましい紋様となり、彼の背中に巣食っていたのだ。
人買いに出されたわけでもない。
かといって両親にこのような虐待されていたわけでもないだろう。
何故、彼の背中にこのようなものが出来たのか……鎌鼬はそれを『逢魔によるもの』だと考えていた。
ただ一人、書斎の中で恍惚を交えた息を吐く。
「綺麗だなぁ。」
夏の初め、
黄昏が少年の写真を焼いていった。
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