心が聞こえる二人の恋の物語

たっこ

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 湯船につかっていると、また黒木の母親が脳裏にちらつく。
 できることなら、いますぐ過去に行って小さい黒木を救ってやりたい。
 過去の黒木になにもしてやれない自分がもどかしくなる。過去なのに。もう終わったことなのに……。
 出会ったときから、黒木の心が静かなことが不思議だった。あんなに心が聞こえない人は黒木が初めてだったから。
 でもあの母親のせいだと、いまならわかる。
 あの短時間で黒木のことを数えきれないくらい「化け物」と呼んだ。そしてただの一度も名前を呼ばなかった。
 あの拒絶具合なら、もしかすると育児放棄に近かったんじゃないかな。
 子供が当たり前にもつ欲求を、黒木はきっと持つことも満たすこともできなかったんだ。
 欲求が満たされる経験がなければ、なにも期待しなくなる。そうやって子供の頃からずっとなにも期待しない毎日だったんだ。
 そんなの、心が静かになって当たり前だ。期待も欲求もなにもないんだから。
 
 黒木は家から追い出されて正解だった。あの母親と十二歳で離れられたのは逆に幸運だったんだ。
 追い出してくれて感謝すら感じる。
 
 そこでふと疑問に思った。
 あれ……? 黒木の父親っていまアメリカにいるんだよな。  
 確かマンションは父親が用意してきたって黒木が言ってた。
 いつから向こうにいるんだろ。
 黒木にマンションを用意したときにはもうアメリカだったのかな。
 もしそうだとしたら、自分のテリトリーから追い出すっていうのとは違うよな。
 もしかして追い出したんじゃなくて、黒木を母親から守るためだったんじゃ……。
 
 自分はアメリカにいて守ってやれないから黒木にマンションを用意する。家のことはハウスキーパーに頼む。黒木は毒親から離れられて心の安定が保てる。
 
 ……あれ? そういうこと?
 いまの黒木が安定してるのって父親のおかげじゃね?
 黒木の父親って、本当に黒木のこと化け物って思ってるのかな。母親だけなんじゃねぇのかな。
 でもじゃあなんでいままで黒木をアメリカに連れていこうとしなかったんだろ。なんでいまごろになって連れていこうとしてるんだろ。
 あ、でも父親は黒木の力を利用しようとしてるんだっけ。そっか。化け物とは思ってないけど利用価値があると思ってんのか。
 だから黒木を守ってる……?
 どうも、なんかしっくりこない。
 わからないことだらけだけど、結果的に父親のおかげでいまの黒木がいる。それは事実だ。
 どっちにしても、黒木を心配してる人ではあるみたいだ。きっとそうだと思う。

「黒木、アメリカでは嫌な思いしてねぇといいな……」

 なんかちょっとだけ安心できたかも……。
 
 風呂上がりに黒木の紺色パジャマに着替えると、気分が上がった。
 やっぱ持ってきて正解。黒木に包まれてる気がしてなんかすげぇ幸せだ。
 でも、下をはかなくてもいいくらいシャツの裾が長い。そして半袖だから袖は問題ないけど下はアウト。俺は引きずるくらい長いすそをまくった。
 ……めっちゃツッコまれそうだけど、まあいっか。

 脱衣所を出ると、ちょうどリビングのほうから父さんが来た。
 大丈夫だったかな。
 
「お、徹平ー。お前のおかげで母さんの機嫌直ったぞーありがとなぁっ」

 ウッウッと泣き真似をする父さんに「ん? なんのこと?」としらを切る。
 二人がケンカしてたことを、俺は本当は知るはずもないからこれで正解だ。

「ああ、いやいやなんでもねぇ」
  
 母さんの機嫌直ったんだな、よかった。父さんドヤ顔したのかな? 想像するとおかしかった。

『ん? そんなパジャマ初めて見るな』
「……おい徹平、それまさか今日黒木くんの家から持ってきたのか?」

 父さんには、黒木の家に母親がいて、忘れ物を持って帰って来たと話してあった。

「うん」
「……黒木くんのだろ、それ」
「うん、そう」
「うん、そうってお前……」
『母さんになんて言うつもりなんだよ。好きな男のパジャマ着て喜んでるのバレバレだぞ……?』

 父さんは俺が黒木を好きなこと、絶対に母さんには話そうとしないよな。
 確かに母さんに話すと反対されそう。前にも変な方向に行っちゃわないかって心配してたしな。
 
「母さん変に思うかな?」
「思うだろうな……」
「やばいかな?」
「うーん……」
「まあいいや。適当にかわしとく」
「……おお、頑張れ」
「父さん今日ハンバーグだってさ。早く風呂入ってきてよ。俺腹空いた」
「おう、待っとけっ」

 と言っても父さんはカラスの行水だから心配ないけどな、と笑った。
 リビングに行くと母さんがさっそくパジャマに反応する。

「なに、どうしたのそれ。買ったの? ずいぶんサイズ合ってないわね」
「うんと……黒木が買ったんだけど、ちょっと小さかったから俺にくれた」
「ええ? あははっ。黒木くんに小さいのがあんたにはブカブカなんだっ」
『やっぱり黒木くんとケンカしたわけじゃないのね。アメリカ行きが寂しかったのか。そっか。じゃああとは無事に帰ってくることを祈ろうっ』
 
 ケラケラと笑いながらも、心の中ではちゃんと俺を心配してる。胸があったかい。
 
「……だからチビって笑うなよっ」
「いやチビとは言ってないでしょうよ」
 
 母さんと言い合っていると姉ちゃんが帰って来て、開口一番に笑われた。

「なにあんたそれ、まるで彼シャツじゃん」

 ギャハハと指をさして笑うから「指さすなって!」と手をはたき落とした。

「え、あんたなんで顔赤いの?」
「は? あ、赤くねぇだろっ」
「ちょっとなにどもってんの?」
「う、うっせーわっ!」

 なんだよ彼シャツって。
 急にそんなこと言われたら意識しちゃうだろっ。
 これ、本当に黒木のパジャマだから……本当に彼シャツじゃん……。
 うわ、やば、どうしよ……心臓うるさい……。
 横から母さんの視線が痛いほど刺さる。
 
『徹平、やっぱり黒木くんのこと……いやいやまさかね。え、でもじゃあなんで顔赤いの……?』

 あーもー! 姉ちゃんのあほうっ!
 

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