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第3話 人狼VS小町

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 暗い林に全速力で近付くと、それまで石を投げては罵倒を繰り返していた魚人の声が、段々と遠のいていった。

 あ、あれ……もしかして助かった?

 そう思って、街道を振り返る。魚人は、街道の前辺りでモリを持って悔しげに立っていた。こっちには近付きたくない理由があるのか、飛ぼうとして屈んではやめる、を繰り返している。

 でもやっぱり、私のことは諦めたくないんだろう。じっとこちらを睨みつけているので、早くあいつの視界から消えたかった。

 出来れば今すぐ街道に戻りたい。けど、アイツの視界にいる以上、怪しげな素振りを見せたらすぐに追いかけてくる筈。

 街道から外れるのは嫌だけど、背に腹は変えられない。先が見通せない闇が続く林に近付き過ぎず、かといって街道からは離れ過ぎず、なるべく早くアイツの視界から消えよう。それから街道に戻ったらいい。

 そう決めると、林に沿って先に進むことにした。

 自分の選択が如何に甘いものだったのかを知ったのは、その数分後のことだ。

 林の奥に、キラリと黄色く光るものがある。そのことに気付くのが遅くなったのは、魚人がまだ視界にいるか、背後を振り返りつつ気にし過ぎていたからだ。

 カサカサという草を掻き分ける微かな音も、自分が立てている音だと思い込んでいた。いくら町を出たことがなかったからといって、対亜人の警戒の心得は幼い頃から学んでいた筈なのに。

 知識というのは、実際に試さないと案外役に立たない。百聞は一見に如かずの典型例だ。テストでは成績いいけど要領悪い奴って必ずいるよねーいるいるーアハハって妹の小桃と笑っていた、ついこの前までの自分に飛び蹴りしたくなった。

 もう一度、魚人の方を振り返る。諦めたらしい魚人が、ぴょんぴょんしながら河へと戻っている姿が、豆粒程度だったけど確認出来た。

 ――街道に戻るなら今だ!

 これまで林と並走していた私は、林から離れるべく一気に角度を付けて右手、街道に向かって方向転換する。

 その直後。

「バウッ!」

 犬っぽい咆哮が聞こえたなと思った瞬間、ドン! と何かに背中を押されて転びそうになった。

「うわわっ!」

 どうにか次の足を出して踏ん張る。草が足にバチバチ当たるのも構わず、もつれそうになる足を必死に前に出し続けた。街道目指して、一直線に駆け続ける。

 左肩にぶら下げたリュックの所為で、走りにくいったらない。

「このヒト、弱そうだぞ!」

 少し声の高い男の声が、怒鳴った。

 背中に当たったのは、亜人の手か何かだったらしい。多分、斥候なんだろう。私に反撃されるかもと様子を見つつ近付いたのに、抵抗しなかったから、私を弱っちいと判断したらしい。――拙いって!

 振り返って亜人の正体を確認する余裕は一切なくて、振り向きたい欲求を必死で堪えながら前へ前へと走った。

「はあ……っ! はあ……っ!」

 すると、もう少し低い男の声が、最初の声の方を静止する。

「待て、武器を持っているぞ! 迂闊に近付くな! 俺が行く!」

 俺も来なくていいから! そのままそこにいていいよ! と願いながら、全速力で走り続けた。街道まではあと僅か。あそこまで辿り着けば、助かる筈。

 それに、折角持ってきたエアガンは魚人にはちっとも効果がなかった。初めから複数いるのが分かっている以上、大した射撃の腕なんて持っていない私がエアガンで戦うのは得策じゃない。だったらとにかく、逃げて逃げるしかない!

「さすがはロウ様! 格好いい!」

 後ろでは、何か知らないけどワチャワチャ楽しそうにやっている。勝手にやっていてくれていいけど、緊張感ないことこの上ない。出来ればそのまま消えてくれ、と正体が分からない亜人の男たちに向かって心の中で吐き捨てた。

「はあっ! はあっ!」

 やがて、街道の土が見えてくる。走る度に草が勢いよく足に当たったけど、長いブーツを履いてきているので皮膚が切れる心配はない。服装は残念だったけど、これだけは偉かった私! よくブーツを選んだ!

 自分で自分を褒めつつ、焼けそうな肺の存在を感じながら、もう目前まで来た街道目指して足を回転させ続けた。

 ――もうすぐ……っ!

 思わず手を伸ばすと、またもや突然背中に激しく何かが当たり、そのまま足がもつれて地面の上をもんどり打つ。

「ぎゃっ!」

 先程怪我を負った肩に草の葉先がピッと当たってしまい、激しい痛みに息が止まった。傷を抉らないで……痛い……っ!

 そのままゴロゴロと草の上を転がる。でも、なりふり構ってはいられない。転がった勢いで立ち上がると、一瞬方向を見失ったけど、すぐに林と反対方面に向き直って大きく一歩踏み出した。

 ぶにゅっ!

「うげえっ!」

 何か大きな物を踏んだ気がしたけど、暗くてよく見えないのでそのまま通り過ぎる。

「待て!」

 ロウと呼ばれていた男の声が背後に迫ってきた。直後、後頭部に何かが激突する。ドン! という衝撃に、思わず叫び声が出た。

「きゃあっ!」
「逃がさないぞ!」

 再び地面に投げ出された私は、頭の上に乗っかって私を押さえ込んでいる何かふわふわの大きい物を、必死に掴んで押し返す。

「痛っ! つねるな!」
「知らないわよ! 人の頭を突き飛ばしといて何言ってんのよ!」
「ぐえっ! 首を掴むな!」

 ゴロゴロと転がっている内に、仰向けで上から押さえつけられている状態になってしまった。月光で逆光となっている、私の上に乗る影を見る。訳が分からないまま必死で鷲掴みしていたのは、大きな黒っぽい犬の喉だったらしい。

「い、犬!?」

 それは、どう見ても大きな犬だった。

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