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第34話 シスVS小町

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 現在私は、シスの膝枕で寝ている。瞼の上に乗せられた濡れタオルは冷たくて気持ちがよく、シスの筋肉がついた腿も弾力があって悪くない。

 でも。

「小町、大丈夫かー?」
「大丈夫じゃない……」

 弱々しい声で答えた。無理。全然大丈夫じゃない。身体的にも精神的にも、ダメージは大きすぎる。

 いつになく弱った様子の私に、シスは気持ち悪いくらい優しかった。

「小町……俺と離れたばっかりに可哀想に……」

 悔しそうに言いながら、人の頭をそっと撫で続けているシス。慈しむ様な動きの柔らかさから、シスが心底私のことを心配しているのは分かった。分かってはいるけど、そうじゃない。

 シスと離れたからというのは間接的な原因であって、直接的な原因はシスが素っ裸のまま女湯で騒ぎ続けたことにあるからだ。

 私の悲鳴を聞きつけたシスは、護衛らしく私を助けに飛んできた。生まれたままの姿で。

 当然ながら、私も素っ裸のままだった。ついでに他の亜人たちも。

 鳥亜人のお姉さんはナイスバディなだけあって自信があるのか「あら」なんて言って口を押さえて笑いながら翼で自分の身体の際どい部分だけを隠していたけど、私にはそんな便利な翼は存在しない。というか、近くにいたんだから私も隠してよ。

 私の名を大声で呼んだシスは、裸のまま突っ立っていた私を見つけるとほっとした笑顔になった。そしてあろうことか、前を一切隠すことなくずんずん歩いてきたのだ。いや、隠そうよ。思わずまじまじと見ちゃったじゃないの。

 うら若き乙女である私に一体何を見せてるのこのアホ吸血鬼は。私が固まっていると、シスは私の身体も思い切り見た。ちょっと鼻の下が伸びた気がしないでもない。

 いくらシスがお子ちゃまでも、多少何かは思ったに違いない。ちょっと目も笑った様に見えたし。――このアホえろ吸血鬼!

 その瞬間、当然私は叫んだ。湯船にダイブしながら。

「きゃあああああっ!!」
「どうした小町!」

 シスはそう叫ぶと、湯船に身体を沈めてシスから目を背けている私に遠慮なく向かってきた。どうしたじゃない。遠慮しろ! 私は手で目を覆い隠しながら、きゃーきゃー叫び続けた。

「あっち行ってよ馬鹿! 見ないで! ぎゃーっ!」
「小町! 一体どうしたんだよー!」

 私のあまりの狼狽ぶりとシスの無邪気な心配の仕方に、番台の魚人のお姉さんと鳥亜人のお姉さんは察してくれたらしい。シスにお湯を掛けて湯船の中を逃げ回る私と、小町どうしたと私を追いかけ回すシスの間に、鳥亜人のお姉さんが翼を割り込んできてくれた。

「ちょっと貴方。この子恥ずかしがってるでしょう。やめてあげなさいよ」

 呆れた様に言うお姉さんの言葉は、残念ながらシスには響かなかったみたいだ。私に手を伸ばしながら、大声を張り続ける。

「恥ずかしいとかじゃなくて小町! 齧られてないか確認をっ!」
「大丈夫だからあああっ! あっち行ってえええっ!」
「そんなっ! 小町!!」

 シスはしつこくて、翼を押しのけて私を覗き込む。ぎゃー!

「――ッ! お姉さん助けて!」

 思わずヒシ、と鳥亜人のお姉さんの裸のお胸に抱きつくと、お姉さんは「あらあら」と微笑みながら私を翼の中に覆い隠してくれた。その時の、明らかにショックを受けたシスの顔。

「……やだーっ!」

 出た。自分より年上の男の「やだー」は毎回違和感満載だ。

「小町は俺のだー! 他の亜人になんか絶対やらないぞ!」

 いつ私がシスの物になった。

 シスは涙目になりながら、私に手を伸ばしてくる。鳥亜人のお姉さんは、翼でシスを押し退けながら私を庇ってくれた。

「あのねえ! この子は無事だから、いい加減女湯から出ていきなさい!」
「小町っ! 何で俺に冷たいんだよおおっ!」

 湯船の中で、クルクルと回り続ける私たち。埒が明かないと判断したのだろう、番台の魚人のお姉さんが、手に持っていた先が輪になった縄をシスの首に投げつけると、キュッと引っ張った。お見事。

「ぐえっ!」
「女湯から出る!」
「わ、わがっだがら……っ」

 シスは苦しそうだ。でもやっぱり目は私を見ている。かなり怖い。

「あ、その豹の子はそのままで大丈夫だからー!」

 魚人のお姉さんは、素っ裸のシスの首を腕で締め上げると、そのままズリズリと表へ引っ張り出していく。

 ひらひらと手を振ると、私たちに向かって言った。

「じゃあ後でねえー!」
「小町いいいっ!」

 シスの素っ裸の足が木板の向こうへと消えていった。

 鳥亜人のお姉さんが、呆れた様にクスクスと笑う。

「あれがお嬢ちゃんのご主人様? まあ随分とご執心みたいで……あらあら?」
「ふ、ふええ……」

 元々血を吸われて貧血気味だったところに、突然襲われ、更にシスに追いかけられ湯船の中を走り回った私は、一気に逆上のぼせてその場で目を回してしまったのだった。

 それまで壁に張り付いて気配を殺し切っていた小人亜人が、鳥亜人のお姉さんと一緒に私の身体を拭いて服を着せてくれたらしい。番台の裏側にある一時休憩所までえっちらおっちらと運ばれたところ、心配でウロウロしていた服を着たシスが飛んできて、私の膝枕を始めた、という訳だ。

 小人亜人は「じゃあね」と小さく言って立ち去り、鳥亜人のお姉さんは翼で私に涼しい風を送ってくれている。

「大体ね、貴方デリカシーがなさすぎるのよ」

 私が常々思っていたことを、鳥亜人のお姉さんはきっぱりと代弁してくれた。ああ、この亜人はいい亜人。

「若い女の子の裸を堂々と見た上に、自分も裸じゃないの。若い女の子っていうのは恥ずかしがり屋さんなのよ。そんな無神経なことじゃ、この子に嫌われちゃうわよ」

 お姉さんの言葉が一体どこまでシスに響いたかは分からないけど、最後のだけは相当効いたらしい。

「小町に嫌われる……? い、いやだ……!」

 寝っ転がっている私の手を握ると、人の指を唇に当て始める。何してるのコイツ。

「ぐず……っ小町、俺を嫌わないでくれ……!」

 メソメソし始めてしまった。これはこれで面倒くさいな、と濡れタオルで目が隠されているのをいいことに、私は無視を決め込んた。

「小町いいいっ」

 はあー、というお姉さんの長い溜息が聞こえる。分かるでしょ、私のこの苦労。

 すると、突然別の人物の声が聞こえてきた。

「サーシャ、おまたせ……てあれ? どうしたの?」

 若そうな男の声だ。それに応えたお姉さんの声は、明るい。

「タロウ!」

 ――ん?

 不審に思った私は、濡れタオルをそっと取った。
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