上 下
61 / 92

第60話 旅の再開

しおりを挟む
 大騒ぎをしながらも何とか無事に朝食を食べ終えると、私たち三人は宿を後にした。

 宿屋のヤギ亜人の店主がほっと肩を撫で下ろす姿を見て、うるさくしてスミマセン……と心の中でそっと謝る。相当うるさかったのは確かだから。特に二日目は、ロウがワンワン吠えるから初日よりうるさかった筈だ。

 町の外に出ると、緑の草原と連なる山々、それに青い空が私たちを迎えてくれた。済世区サイセイ・ディストリクトからはいつも全体的に灰色がかった空しか見られなかったけど、この辺りは山から吹き下ろしてくる風のお陰で、他よりも空気がいいらしい。亜人街がこの地に作られたのもその為なんだと、サーシャさんとタロウさんが教えてくれた。

 地形に合わせながら、地図とにらめっこをする。

「死都はあっちの方ってことだよね?」

 山の形と配置を見て、山の間を指差した。シスが真後ろに立って私の肩の上から手を伸ばし、地図と地形を見比べ始める。だから近いってば。頭の上に顎が乗ってるし。

「小町の持ってるコンパスを見せてみろ」
「あ、うん」

 実は、旅の必需品だと思って小型コンパスも持参してきていた。だけど、肝心の進むべき方向が一切定まっていなかったので、ここまで一度も出番がなかったのだ。

 コンパスと地図を眺めたシスが、珍しく真面目そうな表情でまともな説明をし始める。

「小町、よく見てみろ。あの山がこれだとすると、地図にあるコンパスの針の向きがおかしいだろー」
「あ、本当だ」

 地図の左端にコンパスの向きが書いてあったことに、指摘されて初めて気付いた。くるくると地図を回すと、シスが小さく笑ったのが分かった。……くそう、まさかシスに笑われるなんて。

 シスが、私の頭の上で続ける。

「だから、死都へのルートはこの赤い道だから、山の麓に沿って右に向かって歩いて、山と山の間にある街道を行く感じだなー」
「シ、シスって地図が読めるんだね」
「まあなー。これくらいは。小町はちょっと苦手そうだなー」
「うっ」

 そう。私は地図が読めない女だった。ショッピングモールの地図なんかもう壊滅的に理解出来なくて、立体と平面図を頭の中でどう組み合わせたらいいのか理解出来ない。小桃はそういうのは読めるタイプだったので、買い物に行く時は大抵ついてきてもらっていた。別に私は方向音痴な訳じゃない。ただ読めないだけ。多分。

 地図を畳んでホルスターの穴に差し込むと、シスは優しい笑顔で私の頭を撫でた。

「大丈夫だ、俺がついてるからなー」
「た……頼むからね!」
「ふふ……素直な小町も可愛いな」

 そう言うと、当然の様にこめかみにキスをされる。うひゃっと内心飛び上がったけど、でも段々私も理解してきた。これは、ペットにチュッチュする飼い主の心理なんだと。シスにそれ以上の深い意味はないから、だからこうも気軽にキスをしてくるんだろう。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。反応を示さず、冷静を保つんだ小町。私が反応すればするほど、きっとシスは面白がってしつこくするだろうから。

 ――それに、たとえ女の子扱いされていなくても、好きな相手にキスされるのって悪くないし。ほ、ほら! 思い出づくりってやつになるし、うん。

 私は自分を納得させると、「じゃあ行こうか!」とシスの背中をぽんと叩いた。「おー」とシスも明るく返事をする。本当、仲直り出来てよかった。

「なあ小町……。山から先は行ったら呪われるって言われてるんだぞ……」

 怯えた表情で、少し離れた場所に突っ立っているロウが言った。

「悪魔の光が差して追いかけてくるとか、聞いたこともない甲高い亡霊の声が追ってくるとか」

 シスが、そんなロウに向かって一瞥をくれる。

「怖かったら来なくていいぞ。俺が小町と行くからお前はいなくても全然問題ないしな」
「なっ! 俺を置いていこうとするな!」

 ロウが慌てて追いかけてきた。シスは私の腰をこれまた当然の様に引き寄せると、フフンと意地の悪い笑みを浮かべる。

「弱虫に用はないからなー。なー小町?」

 相変わらずの強さ基準だけど、確かに無理についてくる必要はどこにもない。

 言ってしまった手前、やっぱりやめたって言えないだけなのかもな。親切心から、ロウに声を掛けた。

「ロウ、行きたくなかったら無理にとは言わないから大丈夫だよ」
「小町まで! ひ、酷い!」

 ロウは涙ぐむと、駆け足で私の隣までやってきて腕をぴとりとくっつける。シスがサッと間に自分を挟んだ。ロウがシスを睨む。

「顔くらい見て話したっていいだろ!」
「駄目だな。小町が減る」
「減らねーよ!」

 ロウは狼っぽい牙を剥いた顔をシスに向けた後、前から覗き込んで私と目を合わせた。

「小町! 俺がこのアホ吸血鬼から小町を守るからね!」
「弱い癖によく言うなお前」

 シスの容赦ないツッコミにも、ロウはめげない。

「うるせえ! お前がちょっと規格外なだけだろ! でも小町への愛は俺は負けない! 小町、好きだ! 俺と番になってくれ!」

 ロウが私に言った途端、シスのこめかみにビキビキイッと血管が浮き出た。怖い、滅茶苦茶怖い。

 また言い争いになってロウが怪我をしても面倒くさいし、シスの機嫌がどんどん悪くなるだけだ。ここははっきりと断った方が平和の為だと思い、私はきっぱりとお断りすることにした。

「ごめん、遠慮しておくね!」
「そんな……っ!」

 そんな思い切りショックを受けた顔をされても、昨日の今日で好きと言われても信用なんて出来る訳がないし。言われれば言われるほど、中身が軽いとしか思えなくなる。

 ロウは唇を噛み締めると、キッとなって叫んだ。

「お……俺、もっと小町に俺のことを知ってもらって、それでコイツより俺の方がいいって選んでもらうんだ!」

 なんの叫びだろう。とりあえず無視していると、シスがイライラした様子で私に尋ねてくる。

「小町、コイツどこかに埋めていっていいか?」
「殺すのは駄目って言ったでしょ!」
「……ちっ」

 眼光鋭くロウを睨みつけると、シスは突然私をひょいと抱き上げて走り出した。

「なら、まいてやる!」
「わっ! いきなりびっくりするでしょー!」
「ま、待って小町!」

 一気に賑やかになった旅は、こうして再開したのだった。

 ……うるさい。
しおりを挟む

処理中です...