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第69話 上書き作業

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 十分休めたと思ったけど、やっぱり取られた血の量は半端なかった上に寝不足が祟ったんだろう。結局は足が前に進まなくなって、歩き始めて一時間もしない内に私は膝を付いてしまった。

「小町、顔色悪いよ。それに眠そうだよね。前からの抱っこだと寝にくいのかな? だったらおんぶにしようか」

 そう言われて、私はロウの背に負ぶわれることになった。できる限り自力で進みたかったけど、足が前に進まない。だけど休憩していたら、もしかしたら目覚めたシスが追いかけてきちゃうかもしれない。

 シスはしつこいけど、私がさっさと先に進んでしまえばいい加減諦めるんじゃないか。だったら、とにかく進めるだけ進むしかない。

「ほら小町」
「うん……ごめんね」

 大人しくロウの背中に乗ると、ロウは私の足を抱えて体勢を整えた。くふ、と小さく笑っているのは何でだろう。

「どうしたの?」
「え? いや、柔ら……いやなんでもない」
「え?」

 聞き返すと、ロウは慌てた様に話題を変えた。

「そうそう! 狼の姿の方が早く進めるけど、やっぱり危ないんだよね?」
「うん。昨日のアレは、明らかにロウしか狙ってなかったしね。そう考えると、人型を取っていた方が安全だと思う」

 そう、私なりに考えた結論が、あの無人小型航空機は見た目で亜人かヒトかを区別しているんじゃないかってことだったのだ。現に、シスと私はちっとも狙われなかった。シスが怪我をしたのも、ロウが集中攻撃されていたところを助けに行ったからだけで、決してシスが狙われたからじゃない様に見えたから。

「分かった。そしたら少し早足で進むから、小町は寝ていいからね」
「……ありがと、ロウ」
「ううん、気にしないでよ。小町の為だけじゃない、俺の為でもあるから」
「うん……?」

 よく分からないなあ。謎に思いながらも、前に抱き抱えられるより安定した位置と、日光と人肌の温かさに体力の限界が加わり。

「……すー」
「小町? へへ……」

 揺れるロウの背中で、私はとうとう寝てしまった。



 ぐっすりと寝て、起きたら太陽は真上を少し通り越していた。

「ロウ」

 声を掛けると、ロウが茶色の長髪をさらりと傾けて私を振り返る。黄銅色の瞳が、私を捉えてにこりと笑った。

「小町、具合はどう?」
「あ、うん。寝てスッキリしたかも」
「ならよかった」

 ロウの背中から降りて伸びをすると、ロウは私のホルスターからするりと地図を抜き取り、「今はこの辺にいるよ」と教えてくれた。山をぐるりと迂回するルートは既に通り過ぎ、山間にある山道に入った辺りらしい。ネクロポリスは、山道を通り抜けた先、山の反対側にあった。

「ここが亜人街、今がここで死都の入り口がここだから、道の具合次第だけどあと半日もあれば着くんじゃないかな」
「え、本当!? やった!」

 昨日はシスが一日中走り続けてくれたお陰で、かなりの距離を稼げたみたいだ。今までののんびりとした足取りで向かっていたら、まだ何日も掛かっていたかもしれない。さすが亜人、健脚だなあと感心した。

「時間が勿体ないから、小町のあのご飯で済ませちゃおうか」
「あ、うん。そうだね」

 私が済世区サイセイ・ディストリクトから持ち出した携帯食糧は、かなり役立っていた。シスはあれだけじゃ味気ないと言っては狩りをしていたから、その分手間暇が掛かった。だけど、ロウはそこまで食事に拘りはないのか、とりあえずはお腹が膨れればいいというスタンスでいてくれるから、その部分は楽だった。

 そこまで考えて、いつまでもシスと比較していちゃ駄目だよね、と頭を振って考えを振り払う。

 ひと粒口に放り込むと、ロウが「ちょっとごめんね」と言って私に近づき、鼻をクンクンさせ始めた。え、な、何。

 それが私の肩と首辺りで止まると、ロウが申し訳なさそうな笑顔で私を見上げる。

「小町、この辺りに付いているアイツの匂いが強いから、夜にゆっくりと思ったんだけどどうしても気になってさ。だから、ちょっと先に上書きしておくね」
「えっ」
「このままだと追って来られるよ。目を瞑っていて。すぐに終わるから」

 一体何をされるんだと固まっていると、ロウがいきなり私の首を舐め始めた。

「きゃっ! ちょ、ちょっと!」
「じっとして」
「ちょっと待ってよ! ひやっ」

 ロウに両方の二の腕を痛いくらいに掴まれ、身動き取れない内にポンチョの前から顔を突っ込まれ、肩と背中の上の方も舐め取られていく。ひ、ひいいいっ!

 逃げようと藻掻くと、ロウが情けなく眉を垂らしながら、済まなそうに笑った。

「昨日アイツ、脂汗嗅いてたからな、それだよ。すぐ終わるから」

 キラリと一瞬黄色に光った目で見られて、私は文字通り固まってしまった。どうしよう、ロウは親切でやってくれてるんだろうけど、気持ち悪くて今すぐ逃げ出したい。ベタベタするしヌメヌメするし、正直言って嫌。

 余程私が引き攣った顔をしていたんだろうか。スンスン嗅いではその箇所を舐めていたロウが、私をちらりと見た後、悲しそうな顔になってしまった。……あ。

「……そんな顔しないでよ。アイツの匂いを取ってるだけだからさ」
「ご、ごめん……。その、舐められてびっくりして」
「……アイツはしなかったの?」
「え? う、うん。してないよ」

 シスは唇を押し当てることはあったけど、舐められたことは……あ、血の痕は舐められたな。

「……舐めもしないでこんなに匂い付いてるなんて、どれだけくっついてたんだよアイツ」

 答えにくい質問を投げかけないでほしい。とりあえず隙きあらばくっついていた。それだけは確かだ。

 ロウがようやく顔を離した。私の正面に立ち、スンスンと甘めの顔に付いているツンとした鼻を動かす。その動きが止まると、困った様に笑った。

「小町、あと一箇所凄い付いている所があるんだけど……」
「まだある?」

 自分では、シスの匂いは分からない。どこかなあと首を捻ったその瞬間。

 目の前が突然陰ったかと思うと、ロウが私の唇をベロンと舐めた。

「――ッ!」

 思わず目を剥くと、ロウが目を細めながら、感情の読めない表情で私をじっと見下ろす。

「……まだ少し残ってるけど、これで大体上書き出来たかな」
「う、上書き……」
「そう、これはただの上書き作業だから」

 ロウはにっこりと笑うと、「さ、行こうか」と私の手を取り、引っ張って進み始めたのだった。
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