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第79話 恋せよ乙女

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 シスはこれまで、可愛い以外の言葉を私に言ってくることはなかった。だからペット感覚なのかな、と態度から見て思ってしまった訳だけど、あながち方向性は間違っていなかったみたいだ。

 そのことが、シスの口から次々と飛び出してくる言葉から分かった。

「警戒心丸出しのちっこくて可愛いのが頑張って意地張ってるのって、滅茶苦茶可愛いだろー? それが段々俺に対する警戒を解いていって俺の側では安心して寝るとか、可愛く思わないなんてあり得ないぞ!」
「……は?」

 ちょっと何言われてるんだろう。脳みその処理が追いつかない。思わずぽかんと口を開けると、シスは更に続けた。

「最初の頃、小町が俺を警戒しまくっていたのは匂いで何となく分かったからな! それが段々俺が抱き上げても警戒が薄れて、そんなの嬉しいに決まってるだろー?」
「き、決まってるって言われても……」

 え、嘘。そんなところまでシスに筒抜けだったの? 吸血鬼より人狼の方が鼻がいいってロウが言ってたけど、吸血鬼だって鼻がいいじゃない! 恐るべし、亜人の嗅覚。

 シスは止まらなかった。さすがお喋りシス。よく舌が回る。

「小町の匂いがどんどん求愛の匂いに変わってきてたのに、小町ってば相変わらずつれない態度なんだもんなー! ちょっと油断して笑うと、我慢し切れなくなりそうで我慢するのが大変だったんだぞー!」
「……ちょっと待って。求愛の匂いってなに」

 聞き捨てならない言葉が出てきた。思わず目を瞠ると、シスはもう一度チュッと唇にキスをしてから目を細めつつ答える。

「小町、分かってなかったのかー? ヒトって全然匂いが分からないんだな」
「だから、その匂いって何よ」
「あまーい匂いだぞ。小町の血の味を更に甘くした感じだな!」

 味とか匂いを聞いているんじゃない。

「番にしてくれって毎日言われてる様なもんだから、もう噛みつきたくて堪らなかったんだぞ!」
「……はい?」

 私が? シスに番にしてくれって匂いで訴えていたと? ――いつ、そんなことになっていた。

 愕然としてシスを見上げると、シスがはにかんだように笑う。いや可愛いけど、滅茶苦茶眼福だけど、そうじゃない。

「俺もこの感情が好きってことだって言われるまで分かってなかったけど、小町を自分のものにするのは決定してたからな。だけどサーシャにヒトと亜人の求愛は違うって言われて、とにかく口説いて落ちるまでは手を出すなって言われてなー」

 サーシャさん。一体何のアドバイスをしているんだ。そしてやっぱり決定事項。私の意見は――あ、匂いで知ってたのか。

 シスの笑顔が急に消えて真剣なものに戻る。私を見る目には、どう考えたって熱すぎる熱が込められていた。……つまり、私は今口説かれている最中ってこと?

「……だから、じっくり口説こうと思ったら、あの馬鹿狼に危うく番にされるところだった」
「そ、それはごめん……」

 それに関しては、ロウをあっさり信用してしまった私が完全に悪い。亜人の矜持や執念を知らなさすぎたが故の結果だから、これからはもう少し亜人について学ばないといけないとは分かってる。

「しかも、俺の匂いを全部上書きされてる」

 シスの目には、怒りの炎が灯っていた。ひい……っ! だから、ごめんってば!

「ちょ、ちょっとシス! さっきの『判断を間違えた』って結局何のことなの!」

 このまま流されないぞ! 確固たる決意を以てきっぱりと尋ねた。

「他人の番に手を出したら、一族もろとも滅ぼされても文句は言えねえ」
「そ、それはさっきロウも言ってた、けど……?」

 だから何なんだろう。本当に分からなくて首を傾げていると、シスから驚愕の答えが返ってきた。

「いくら小町の態度が可愛すぎるからって、呑気に見て楽しんでる場合じゃなかった。小町をさっさと番にしなかった俺に落ち度がある」
「……は?」

 見て楽しんでたってどういうことかな。やっぱりコイツ、私をペット感覚で見てるよね。

「鳥……サーシャの言うことなんて聞かずに小町の願い通りすぐに番にしておけば、今回小町がこんなに怖い思いをすることもなかった。ごめんな小町」
「シス……」

 ちゅ、とまた優しくキスをされているんだけど、ちょっと待って、私の願い通りってなに。

 シスが、可愛らしく懇願してきた。

「だから、今すぐ俺と番になろう。な?」
「な? て……え、ええええっ!?」

 思わず左右を見回して、逃げ道を探す。――うん、ない! どこにもない! 袋の鼠とは正にこのこと!

 シスが、目を細めながら私の肩をゆっくりと押す。

「痛かったら言ってくれ。吸血鬼の唾液は鎮痛効果があるからな」
「え、えええっ!?」

 乙女小町の貞操の危機が突然訪れ、当然ながら私の脳内は超混乱状態に陥っていた。

 シスが、獲物を捕らえたとでもいう様に、首をペロンと舐める。ロウのと違って、滑らかで――嫌じゃないのが、腹立たしい。

「小町、お願い。――な?」

 それでも、シスは私に聞いてくれる。そんなシスのおねだりに、私は弱い自覚がある。だから。

「う……うん……」
「――小町っ!」

 シスが飛びついてきたかと思うと、ぎゅうぎゅうに抱き締められた。逞しい背中に手を這わせると、まだ血がこびりついているのが分かる。

 こんなになっても好きって言われるなんて、マッチングじゃ絶対あり得ないかもなあ。

 我ながらチョロいな、と内心苦笑しながら、私は夢中になり始めたシスのキスを受け入れた。息苦しくて逃げようとすると追いかけてくる唇に、やっぱりシスってしつこいんだけど、と可笑しくなってくる。

「小町、一生大切にするからな……っ」

 余裕のないシスの声と吐息の熱に、幸せすぎて涙が目尻から流れた。

「当然でしょ、泣かせたら承知しないんだから」
「小町……っ」

 恋せよ乙女。心の赴くままに。

 そんな言葉が、浮かんで消えた。
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