マンドラゴラの王様

ミドリ

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第三章 根子神様

27 根子神様の伝承

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 夜になると、私は眠くなる。それは今日も同様で、母と山崎さんに居間を明け渡すと、眠い目を擦りながら久々に自分の部屋に布団を敷いた。

「美空」

 この部屋には、布団を二枚敷けるスペースはない。その為、ゴラくんは母達と布団をギリギリ三枚敷いた居間で寝ることになっていた。

 父と母が寝ていた部屋は、今はちょっと使えない。居間にあった大物を運び込んでしまったからだ。それに、あの部屋のエアコンは不調であまり効きもよくない。

 だからわざわざ私だけ部屋に引っ込んだのに、障子の隙間から寂しそうに覗いている顔がある。勿論、ゴラくんだ。入っちゃ駄目と言い渡してあるので入っては来ないけど、物凄く入りたそうだ。

「こっちがいい」
「場所がないの。ね?」
「美空、やっぱり怒ってる」
「怒ってないよ」

 今日何度目かになる、同じやり取りを繰り返す。

 結局、母には親離れの話は聞けなかった。山崎さんの根子神様とは、という話を聞いていたらどんどん眠くなってきてしまい、話が終わった時点で重い身体を引き摺り、何とか風呂に浸かるので精一杯だった。

「ほら。ゴラくんも眠いでしょ。早く寝よう」

 ゴラくんの目も、とろんとしている。彼も私と同様、夜は弱かった。それでも、その目を一所懸命大きく広げて粘ることにしたらしい。

「美空と寝る」

 見た目は大人でも、中身は本当に子供なのだ。これまでは素直なところしか見せていなかったからあまり認識していなかったけど、この強情さを見てようやく気付いた。本当にまだ卵から孵った雛そのもので、離れると怖がる。親のぬくもりをまだ必要としている。離れると不安になるだけだ。それは理解しているけど、でもそれとこれとは話が別だ。

「駄目。狭いから」
「何で! 昨日まではよかった!」

 確かに昨日までは、布団を二枚横に並べても、ゴラくんは私の布団に潜り込んで抱きついて寝るのが定番になっていた。私が拒否していなかったのは、単純に暖かかったという理由もある。

 ――いや、違う。嫌じゃなかったからだ。だから、庇護者の立場に甘えて、あれこれ理由をつけて、ゴラくんに仕方ないなあなんて笑顔を見せながら受け入れていた。だけど、それも今日でおしまいだ。

 ゴラくんに、諭す様に話す。

「今日、山崎さんから話を聞いたでしょ? 本当は、そういうのは好き同士でやるものなんだよ」

 ゴラくんは必死だ。

「僕は美空が好きだよ! 美空は僕のこと嫌いなの!」
「嫌いじゃないよ、でもね、そういうことじゃなくて……」

 ああ、もどかしい。もどかしいけど、山崎さんの話を聞いてしまった以上は、きっちりと線引きをせねばなるまい。私は一向に引かないゴラくんから目を逸らしながら、山崎さんが語ってくれたその内容を思い返していた。



 山崎さんが話してくれた、根子神様伝説。それは、この辺り一帯に古くから存在する伝承だった。

 かつて深い山間に点在していた三つの村は皆貧しく、時折起こる土砂災害に怯えながら暮らす毎日だったという。そこで、村長達は毎年山神様に人身御供を捧げることでその被害を抑えようと思いついた。

 問題は、誰にするかだ。男は、村では重要な働き手だから駄目だ。だけど、女もいなければ困る。ならいっそ、歳を取って労働力には数えられない者を人身御供にすればいいという案も出た。だけど、若い者でなければ神様の気を損ねるのでは、とその案は即座に却下された。これを話し合っている村長達が皆高齢で、自身に番が回ってくるのを恐れた所為かもしれない。

 そうすると、自ずと対象は若くて労働力となり得ない子供か、病弱な者にしぼられる。だけど、子供は時に負担となるが、いずれは労働力となる貴重な芽だ。これを早期に摘むことで、将来自分達の首が絞まっては本末転倒だ。

 そこで、最初の人身御供は、心の臓に問題があり激しい動きが出来ない若い男が選ばれた。無論、男に拒否権などない。逃げようにも、男の体力で別の集落への山越えはそもそも無理な話であり、それに彼には老いた母がいた。彼が逃げられたとしても、残された母はどうなる。卑怯者の親だと冷遇され、村から見放されるのは火を見るより明らかだ。

 泣く母を説き、男は人身御供を受け入れた。時は、雨が降り始める時期。地盤が緩み、土砂崩れが起きる前に神に身を捧げることで、きっと今年の被害は抑えられるに違いないと村長達は考えた。

 身を清め、これまで着たことのない様な上等の着物を着させられ目隠しをされた男は、村を見下ろす山の中腹にある聖域と呼ばれる高い崖の上に立たされた。ここに来るだけで息も絶え絶えになっていた男が要求されたのは、自分の足で前に進むこと。勧んで自ら身を捧げることで、山神様に認められるのでは。

 誰が言い出したか分からないそれを実践させられる側は、堪ったものではなかっただろう。いつ落ちるか分からない恐怖に足は竦み、男の歯の根は合わずガチガチと音を立てる。その儀式に立ち会った者は、皆一様に暫くその音を繰り返し夢で聞いたのだという。

 勿論、いくら震えようが涙を流そうが、誰も止める者はいない。最後の一歩は、空を踏み抜いた。落下の途中、出っ張りに着物が引っかかり、切れ端だけが残り風になびく。崖下には深い森が広がり、その先には村がある。若者が落ちた先は分からない。だけど、遥か下にある底に落ちた男が無事でいられる訳はなく、これで今年は安泰だ、と村長達はほっと息を撫で下ろした。

 そもそも、土砂崩れ自体はそう毎年起こるものではない。昨年はここで起きたと思えば翌年はなく、忘れた頃に全く別の所から地鳴りが響いてきたりもする。だから、たまたまその空白の時期に当たったのかもしれない。その年は土砂崩れは起こらず、村から大分離れた場所で小規模なものは起きたけど、これは山神様が人身御供に満足され本来ここで起こるべき災害が他へ移ったのだ、と噂された。

 翌年、今度は別の村から、病弱な若い娘が人身御供に選出される。父親は泣き叫び、こんなのは無意味だと村長に訴え、もう人が住まわない流行り病の時にしか使用されない小屋へと縛ったまま放置された。

 父親を助けたければ自ら人身御供となることを宣言せよと言われた娘は、覚悟を決める。最初の人身御供と同じ様に身を清め綺麗な着物を着、聖域である崖の上に立った。だけど、娘は目隠しを取る。村長達が騒ぎ始めると、娘は振り返って笑い、そのまま身を投げた。二年目も、同じ出っ張りに着物が引っかかり、一年経ち色褪せていた最初の男の切れ端に彩りを加えた。

 その年は、近隣に土砂崩れは起きなかった。目隠しがなかったからではないか。誰かが、そう言い出す。

 翌年、三つ目の村から選出された人身御供は、始めから目隠しなしで自らの足で身を捧げるよう説かれた。女は、村で身体を売るしか生きる術がなくなっていた者だった。一度村の男に乱暴されたのを機に、女を皆で分け合うことが村での共有認識となってしまったのだ。女は、喜んで人身御供となることを引き受けた。

 女を抱いてきた男の中には、女に惚れている者もいた。だから、一緒に逃げよう、そう言う者もいた。だけど女は、これでやっと自由になれる。男達の慰み者と扱われ、周りの女からは恨めしい目で見られることもなくなると喜び、逃げることを拒否した。

 一度も着たことのない綺麗な着物を身に纏い、神の嫁としてこの地獄から去ることが出来ると、幸せそうに笑ったという。神に捧げられる一月前から身を清める為に男性との接触を禁止され隔離された女は、数年ぶりに訪れた自由を噛み締めたそうだ。

 身投げの当日。女は念願の綺麗な着物を着、山神様の嫁となるべく喜んでその身を捧げた。村長達が崖下を覗くと、三人分の着物の切れ端が、崖の中腹を彩っていた。
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