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第十三章 嵐の前の
87.水龍の噂
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廃寺へ赴く当日、帰宅後五時間程寝させてもらい、亮太は急いで支度をしていた。
この四時帰りというのもそろそろ何とかしたかった。
そもそも三時まで店を開けていても客は終電でほぼ帰ってしまう。人件費と体力の消費具合を考慮すると、開店時間を早めて終電前に閉店させることもそろそろオーナーと話して決めたかった。これは亮太が結婚を意識したことによる心境の変化だ。少しでも日中に活動したいのだ。
あれからタケルも大分慣れ、今では辿々しくはあるが年上の客達と楽しく会話も出来る様になった。疲れただの文句は多いが、シュウヘイと一緒に毎日楽しそうにしているのを見ると、無理矢理にでも接客業をさせてみてよかったと思った。
まあ合わない場合もあったので、荒療治ではあったが。
タケルの面倒を見るのが楽しいのか、シュウヘイもあれからは女性客との距離感をうまく保っている様だ。タケルがお姉様方に狙われたりするのを見て庇ったりしていたので、何か思うところがあったのかもしれない。
今回も一泊の予定だが、アキラの体力回復に時間がかかることを想定して二連休を取っておいた。最悪寺で二泊することも考慮し、また濡れることもあるのでとりあえず二日分の着替えを持った。
「コウ、お待たせ。行こうか」
「うん」
「わかったのー」
二人のコウが返事をしたので亮太はつい笑う。
家を出て当たり前の様にコウと手を繋ぎ駅へと向かいながら、数ヶ月前までは予想も出来なかった現在の状況に「本当にこんなに幸せで大丈夫なのだろうか」とまたしても思う。
多分これは結婚して、もしかしたら子供も生まれて毎日当たり前の様に平穏な日々を過ごすことになっても、時折ふとした瞬間に感じるのではないか。
正にこれぞ僥倖だった。これまでの空白の様なただ重ねた年数は、全てここに辿り着く迄に必要な過程だったのかとすら思う。
前回同様、京王井の頭線に乗り明大前で乗り換えをする。駅から駅まで1時間もかからないので、近い。
「リキ達ももう向かってるのかな?」
「あ、朝一で椿さんからメールが来てた。朝ごはん食べたら向かうって」
「随分早いな」
「何でもリキさんに女子高校生時代の制服を着て見せるとか何とか」
「ふふ、そういうことか」
何とも呑気なものであるが、あの椿という底抜けに明るい人がいるからこそ、本来であれば気の重い八岐大蛇退治にもあのリキですらこうして気負うことなく対峙することが出来ているのかもしれなかった。
「そういえばコウは高校は制服だったのか?」
「そうだけど、セーラー服だとあいつが寄ってくるから断固拒否して上下ジャージを貫き通した」
成程、女らしい女性が好きだからコウは 猿田毘古神に寄って来られない様男装を始めたと言っていたが、セーラー服も着なかったとは少々憐れである。好きにお洒落したい年頃だってあっただろうに。
まあこの少しダボっとした男っぽい服もコウにとてもよく似合っているからいいはいいのだが。
車内は空いているが、コウはいつも立って車窓から外を眺める。亮太はその横顔を眺めるのが好きだった。
他愛もない話をしていると、あっという間に駅に着いた。前回同様タクシーを拾うと、運転手の顔に見覚えがある。向こうもそれは同じだったらしく、「あ」という表情になった。
「今日もまたあそこの寺ですか?」
「はい、枯葉が多い時期なのでまた掃除です。滝の汚れとかもまだまだ落とさないとなので」
「へえー、結構本格的に掃除してるんですねえ」
「定期的に綺麗にしないと傷みますからね」
亮太は適当に話を合わせた。だが別にこれは事実でもある。
あれから二週間経っている。ミニ滝の水も止めていったので、恐らくまた多少は汚くなっているのは想定範囲内だ。なので荷物の中に亮太のサイズの長靴もちゃんと入れてきた。
食材がどうなっているのかだけは蓮に聞いてからにしようと思っているが、買い込むとアキラが食べてしまう可能性があるので恐らく買ってはいないだろう。
亮太がそんなことをつらつらと考えていると、運転手がまた話しかけてきた。
「そうそう、お客さん達を乗せたすぐ後に、夜空を龍が登っていってる、なんて目撃情報があってね、私なんかは眉唾物かなと思って聞いてたんですけど、お寺さんの滝を掃除されたんなら、水神様がお喜びになったって考えるとロマンチックですよねえ」
「へえーそんな噂があったんですか。素敵ですね」
「でしょー? あはは」
人の良さそうな笑顔を貼り付けたまま、亮太は内心ヒヤリとしていた。どうも誰かにがっつり見られていたらしい。蓮にこのことがばれたりしたらまたお小言を喰らう案件だ。
上目遣いで亮太を見るコウが、悪戯っ子の様に舌をぺろっと出した。ここに共犯がいた。亮太一人ではないのは心強い。
「ここのお寺もね、場所は悪くないんだから、何かやればいいと思うんだけどねえ」
「何か、ですか?」
運転手が物知り顔で話し続ける。
「最近は後継ぎがいないとかで廃寺が増えてるらしいんだけど、そこを買い取ってカフェにしたりするのが流行ってるらしいですねえ」
「へえ」
お寺でメイドカフェ、冥土にご案内。そこまで考え、これを口に出したらさすがにコウにも冷たい目で見られるかもしれないと思い、慌てて口を閉じた。リキと椿を見ているとどうしても秋葉原的発想に寄って行ってしまう様だった。後半はただのオヤジギャグだが。
亮太と運転手が当たり障りのない会話を続けている内に、あっという間に寺に着いた。前回同様、山門の前で降ろしてもらう。
人の良さそうな笑顔でぺこりと会釈し去っていくタクシーを見送り、亮太達は山門を潜った。
すると、隣を歩くコウが足を止めた。
「亮太、待って」
「ん?」
コウに静止され亮太も足を止めると、胸の上の八尺瓊勾玉が熱を持っているのに気が付いた。これは。
慌ててコウの方に向く。
「これ、八岐大蛇が!」
頷くコウの表情は真剣だった。ポーチの中で蛟がもぞもぞと動く。
「お堂の中にリキ様がいるのー」
「アキラは?」
「んー、いないみたいなの」
アキラがいない? リキがお堂にいて、八岐大蛇の気配がする? 訳が分からなかった。
「とりあえず向かおう」
「ああ」
亮太とコウは小走りでお堂へと向かうと、閉じた木戸の前に寄りかかり座り込む人影に気付いた。椿が頭を抱え込んで震えていた。
「椿さん!」
亮太の声を聞くと、椿がハッと顔を上げた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。コウが椿の横に駆け寄りその肩に触れる。すると、椿の周りに漂っていた薄い黒いもやが瞬時に晴れた。
すると椿が一瞬で泣き止んだ。
「あ、あれ? 俺、今何で泣いて」
「悪い夢だ、もう祓ったから大丈夫」
亮太の女神が、思わず嫉妬してまう程の天女の様な笑顔を椿に見せた。こんな状況なのに、椿がコウに惚れたらどうするんだなどとつい思ってしまった。我ながら狭量な考えだが、惚れられたら困るのは事実だ。
「椿さん、何がどうなってる? リキさんは? アキラ達はどこに?」
亮太が椿の前に膝をついて問う。先程までとは一転、椿の目には力があった。
「アキラちゃんとレンくんは分からない。俺たちが来た時にはお堂は開いていて、そんで中にこの前よりは少し小さい八岐大蛇の首が泳いでたの見て、俺もう……」
「それでリキさんは?」
「リキの奴、俺の近くに首が寄って来た時に俺がおかしくなっちゃったのを見て、亮太さん達が来るまで何とかするからってにっこり笑ってさ、扉閉めちまって」
「え? じゃあ今、中で一人で」
草薙剣もないのにか? 椿がおかしくなったのを見て、怖いからとアキラの首を絞めたリキが?
「どうしよう亮太さん、亮太さんに電話してって頼まれたのに、俺今の今まで頭の中ぐしゃぐしゃで」
椿は混乱していた。当然だろう、前回は結界の外に居て影響はなかった。それがいきなりこれだ。亮太は椿の頭をぐしゃ、と撫でた。
「大丈夫、俺が今から行くから。コウ、剣をくれ」
「分かったのー」
次いで椿の横にいるコウに言う。
「椿さんについててくれ。やばそうだったらちゃんと呼ぶから、八咫鏡で助けて欲しい」
「分かった。……気を付けて」
「うん、コウもな」
安心させる為ににっこりと笑ってみせた。ああ、リキもこういう心境だったのかと思う。大好きな人を不安にさせない為だ。
「亮太!」
口から草薙剣を出している蛟が亮太を呼んだ。亮太は急いで駆け寄ると柄を握り、お堂内部へと続く戸に手をかけた。
「行くぞ」
「おう! なのー!」
亮太は戸をガラガラッと一気に開け放った。
この四時帰りというのもそろそろ何とかしたかった。
そもそも三時まで店を開けていても客は終電でほぼ帰ってしまう。人件費と体力の消費具合を考慮すると、開店時間を早めて終電前に閉店させることもそろそろオーナーと話して決めたかった。これは亮太が結婚を意識したことによる心境の変化だ。少しでも日中に活動したいのだ。
あれからタケルも大分慣れ、今では辿々しくはあるが年上の客達と楽しく会話も出来る様になった。疲れただの文句は多いが、シュウヘイと一緒に毎日楽しそうにしているのを見ると、無理矢理にでも接客業をさせてみてよかったと思った。
まあ合わない場合もあったので、荒療治ではあったが。
タケルの面倒を見るのが楽しいのか、シュウヘイもあれからは女性客との距離感をうまく保っている様だ。タケルがお姉様方に狙われたりするのを見て庇ったりしていたので、何か思うところがあったのかもしれない。
今回も一泊の予定だが、アキラの体力回復に時間がかかることを想定して二連休を取っておいた。最悪寺で二泊することも考慮し、また濡れることもあるのでとりあえず二日分の着替えを持った。
「コウ、お待たせ。行こうか」
「うん」
「わかったのー」
二人のコウが返事をしたので亮太はつい笑う。
家を出て当たり前の様にコウと手を繋ぎ駅へと向かいながら、数ヶ月前までは予想も出来なかった現在の状況に「本当にこんなに幸せで大丈夫なのだろうか」とまたしても思う。
多分これは結婚して、もしかしたら子供も生まれて毎日当たり前の様に平穏な日々を過ごすことになっても、時折ふとした瞬間に感じるのではないか。
正にこれぞ僥倖だった。これまでの空白の様なただ重ねた年数は、全てここに辿り着く迄に必要な過程だったのかとすら思う。
前回同様、京王井の頭線に乗り明大前で乗り換えをする。駅から駅まで1時間もかからないので、近い。
「リキ達ももう向かってるのかな?」
「あ、朝一で椿さんからメールが来てた。朝ごはん食べたら向かうって」
「随分早いな」
「何でもリキさんに女子高校生時代の制服を着て見せるとか何とか」
「ふふ、そういうことか」
何とも呑気なものであるが、あの椿という底抜けに明るい人がいるからこそ、本来であれば気の重い八岐大蛇退治にもあのリキですらこうして気負うことなく対峙することが出来ているのかもしれなかった。
「そういえばコウは高校は制服だったのか?」
「そうだけど、セーラー服だとあいつが寄ってくるから断固拒否して上下ジャージを貫き通した」
成程、女らしい女性が好きだからコウは 猿田毘古神に寄って来られない様男装を始めたと言っていたが、セーラー服も着なかったとは少々憐れである。好きにお洒落したい年頃だってあっただろうに。
まあこの少しダボっとした男っぽい服もコウにとてもよく似合っているからいいはいいのだが。
車内は空いているが、コウはいつも立って車窓から外を眺める。亮太はその横顔を眺めるのが好きだった。
他愛もない話をしていると、あっという間に駅に着いた。前回同様タクシーを拾うと、運転手の顔に見覚えがある。向こうもそれは同じだったらしく、「あ」という表情になった。
「今日もまたあそこの寺ですか?」
「はい、枯葉が多い時期なのでまた掃除です。滝の汚れとかもまだまだ落とさないとなので」
「へえー、結構本格的に掃除してるんですねえ」
「定期的に綺麗にしないと傷みますからね」
亮太は適当に話を合わせた。だが別にこれは事実でもある。
あれから二週間経っている。ミニ滝の水も止めていったので、恐らくまた多少は汚くなっているのは想定範囲内だ。なので荷物の中に亮太のサイズの長靴もちゃんと入れてきた。
食材がどうなっているのかだけは蓮に聞いてからにしようと思っているが、買い込むとアキラが食べてしまう可能性があるので恐らく買ってはいないだろう。
亮太がそんなことをつらつらと考えていると、運転手がまた話しかけてきた。
「そうそう、お客さん達を乗せたすぐ後に、夜空を龍が登っていってる、なんて目撃情報があってね、私なんかは眉唾物かなと思って聞いてたんですけど、お寺さんの滝を掃除されたんなら、水神様がお喜びになったって考えるとロマンチックですよねえ」
「へえーそんな噂があったんですか。素敵ですね」
「でしょー? あはは」
人の良さそうな笑顔を貼り付けたまま、亮太は内心ヒヤリとしていた。どうも誰かにがっつり見られていたらしい。蓮にこのことがばれたりしたらまたお小言を喰らう案件だ。
上目遣いで亮太を見るコウが、悪戯っ子の様に舌をぺろっと出した。ここに共犯がいた。亮太一人ではないのは心強い。
「ここのお寺もね、場所は悪くないんだから、何かやればいいと思うんだけどねえ」
「何か、ですか?」
運転手が物知り顔で話し続ける。
「最近は後継ぎがいないとかで廃寺が増えてるらしいんだけど、そこを買い取ってカフェにしたりするのが流行ってるらしいですねえ」
「へえ」
お寺でメイドカフェ、冥土にご案内。そこまで考え、これを口に出したらさすがにコウにも冷たい目で見られるかもしれないと思い、慌てて口を閉じた。リキと椿を見ているとどうしても秋葉原的発想に寄って行ってしまう様だった。後半はただのオヤジギャグだが。
亮太と運転手が当たり障りのない会話を続けている内に、あっという間に寺に着いた。前回同様、山門の前で降ろしてもらう。
人の良さそうな笑顔でぺこりと会釈し去っていくタクシーを見送り、亮太達は山門を潜った。
すると、隣を歩くコウが足を止めた。
「亮太、待って」
「ん?」
コウに静止され亮太も足を止めると、胸の上の八尺瓊勾玉が熱を持っているのに気が付いた。これは。
慌ててコウの方に向く。
「これ、八岐大蛇が!」
頷くコウの表情は真剣だった。ポーチの中で蛟がもぞもぞと動く。
「お堂の中にリキ様がいるのー」
「アキラは?」
「んー、いないみたいなの」
アキラがいない? リキがお堂にいて、八岐大蛇の気配がする? 訳が分からなかった。
「とりあえず向かおう」
「ああ」
亮太とコウは小走りでお堂へと向かうと、閉じた木戸の前に寄りかかり座り込む人影に気付いた。椿が頭を抱え込んで震えていた。
「椿さん!」
亮太の声を聞くと、椿がハッと顔を上げた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。コウが椿の横に駆け寄りその肩に触れる。すると、椿の周りに漂っていた薄い黒いもやが瞬時に晴れた。
すると椿が一瞬で泣き止んだ。
「あ、あれ? 俺、今何で泣いて」
「悪い夢だ、もう祓ったから大丈夫」
亮太の女神が、思わず嫉妬してまう程の天女の様な笑顔を椿に見せた。こんな状況なのに、椿がコウに惚れたらどうするんだなどとつい思ってしまった。我ながら狭量な考えだが、惚れられたら困るのは事実だ。
「椿さん、何がどうなってる? リキさんは? アキラ達はどこに?」
亮太が椿の前に膝をついて問う。先程までとは一転、椿の目には力があった。
「アキラちゃんとレンくんは分からない。俺たちが来た時にはお堂は開いていて、そんで中にこの前よりは少し小さい八岐大蛇の首が泳いでたの見て、俺もう……」
「それでリキさんは?」
「リキの奴、俺の近くに首が寄って来た時に俺がおかしくなっちゃったのを見て、亮太さん達が来るまで何とかするからってにっこり笑ってさ、扉閉めちまって」
「え? じゃあ今、中で一人で」
草薙剣もないのにか? 椿がおかしくなったのを見て、怖いからとアキラの首を絞めたリキが?
「どうしよう亮太さん、亮太さんに電話してって頼まれたのに、俺今の今まで頭の中ぐしゃぐしゃで」
椿は混乱していた。当然だろう、前回は結界の外に居て影響はなかった。それがいきなりこれだ。亮太は椿の頭をぐしゃ、と撫でた。
「大丈夫、俺が今から行くから。コウ、剣をくれ」
「分かったのー」
次いで椿の横にいるコウに言う。
「椿さんについててくれ。やばそうだったらちゃんと呼ぶから、八咫鏡で助けて欲しい」
「分かった。……気を付けて」
「うん、コウもな」
安心させる為ににっこりと笑ってみせた。ああ、リキもこういう心境だったのかと思う。大好きな人を不安にさせない為だ。
「亮太!」
口から草薙剣を出している蛟が亮太を呼んだ。亮太は急いで駆け寄ると柄を握り、お堂内部へと続く戸に手をかけた。
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