生意気従者とマグナム令嬢

ミドリ

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35 目玉の売買契約成立

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 結論から述べると、騎士団への『魔魚のホクホク目玉揚げ』の定期売買契約は、無事に締結された。ただし、あれは揚げたてが美味い。その為、騎士団の調理場担当に作り方とコツを伝授することを含め、材料販売を行なうこととなった。

 はじめは疑わしげな態度を見せていたムーンシュタイナー卿であったが、明らかに嫌がるキラとニッコニコのユーリスを見て何を思ったのか、途中から異様に乗り気になった。

 その為、話はトントン拍子に進み、週に一度の頻度で騎士団の厨房に材料を納品することになった。初回はキラが作り方を伝授するという約束を取り付けたユーリスの笑顔を見て、ムーンシュタイナー卿は何かを納得したかの様に繰り返し頷いていた。

 帆船については、有事に備えて王都の倉庫に厳重に保管されていたのだが、あまりにも出番がない上、場所と管理費用ばかりが嵩んでいたそうだ。

 そもそもウィスロー王国は海に面してもいなければ、大きな湖もない。広い河川は存在するが、そこから攻められればこんな小さな船で対抗出来るものでもない。

 つまりは、完全な宝の持ち腐れ状態だった帆船なのである。そもそも何故作ったのか、もう誰にも分からなかった。

 ユーリスは、そこに目を付けた。かつてムーンシュタイナー領は、国に支援を要求したにも関わらず、見事に無視されている。そんな領が、自力で復活を遂げようとしている。しかもかなり順調だ。

 ムーンシュタイナー領の魔魚料理の存在がこれ以上有名になると、王家の評判ないしは王都を守る騎士団の批判に繋がるかもしれない。そう騎士団長らに匂わせたのだ。

 元々、近年の王家は、世界の流れについていけていないと評判がよろしくない。その上、助けを求めてきた領に支援せずにいたことが明るみになれば、王家の威信は地に落ちるのではないか。

 ユーリスは、周囲に向けて涙ながらに語りに語った。ムーンシュタイナー領は王家を責めることなく、健気にも自力で這い上がろうと日々努力をしているのだと。世論はムーンシュタイナー領に同情的になるのが見込まれている以上、ここでせめて騎士団が少しでも助けになる意思を見せたら、多少なりとも名誉挽回出来るのではないか。

 そして騎士団長は、騎士団が保有する帆船の内、小型のものを『魔魚のホクホク目玉揚げ』に必要な魔魚の漁獲量を確保するという名目で不動在庫を処分出来る。帆船を提供したことで増える漁獲量から作る『魔魚のホクホク目玉揚げ』を定期購買することで、「騎士団が支援している」と対外的に主張することも出来る、という筋書きだ。

 騎士団は王家所有の団体である。その為、王家からの指示なくば、本来は大っぴらに支援することは難しい。だが、不動在庫処分という大義名分があるので、後ろめたい気持ちが王家に残っていれば、あまり声を大にして主張「勝手なことをするな」とは言えない。それに加え、『魔魚のホクホク目玉揚げ』が如何に美味かを熱烈に語るユーリスを見れば、人々は納得するのだ。「要はハマっちゃったんだな」と。これを相互利益とも言う。

 双方が契約書に署名し終わると、片方の契約書を丸めて内ポケットにしまったユーリスが、キョロキョロと辺りを見回した。誰かを探している仕草は若干どころでなくわざとらしさが漂っていたが、相手は騎士団員であり、且つ国の国境を守る辺境伯ネイワール侯爵家の次男だ。味方でいてくれる分には心強いが、敵に回せば瞬殺されるのが分かっている以上、余計な詮索は不要であった。

「さて……出来れば最後にマーリカ嬢にご挨拶したいのですが」

 ぱっと見には善人にしか見えない微笑みを絶やさぬまま、ユーリスは平然とムーンシュタイナー卿とキラに圧をかけてきた。会わせないと帰らないよ、と言外に言われているのは、二人とも瞬時に理解している。ムーンシュタイナー卿は、にこやかな笑顔をキラに向けた。

「キラ、呼んできてもらえるかい?」
「畏まりました」

 キラは無の表情のまま頷くと、静かに席を立つ。

 この国では、基本こういう場にはマーリカの様な令嬢は顔を出さないことになっている。以前サイファが言っていた様に、周辺国に比べてこの国の法律は古臭かった。他国の女性が少しずつ男性と肩を並べ前へと出る様になってきている中、旧態依然とした法律に縛られているのだ。

 男児のみにしか領地を継承出来ないこの制度に不満を抱えている貴族も多く、貴族の間では規制緩和を求める声も多い。だが、国家の中枢に居座る、ゴリゴリの男尊女卑な環境で育った頭の固い現国王や元老院が元気でいる限り、また余程王太子が革新派でもない限り、この制度はなかなか覆されそうにはなかった。

 そういった意味で、マーリカの前向きな考え方は先進的であり、王都から離れた人手が足りない場所では女性も密かに男性並みに家業に足を突っ込んでいたりするのだが、世間的にはまだまだ受け入れ難い突飛な行動と思われることも多い。一朝一夕で片付く問題ではないのだ。

 平民相手であれば、マーリカだって当たり前の様に表立って交渉に臨む。だが、相手は男爵家であるムーンシュタイナー家よりも遥かに目上の伯爵家の人間である。万が一粗相があってはならない、とムーンシュタイナーが配慮した結果であった。表向きと裏と、貴族社会はなかなかに面倒くさいのだ。

 ムーンシュタイナー卿とユーリスが当たり障りのない世間話をしていると、やがてキラがマーリカを伴って戻ってきた。

 マーリカの姿を見た途端、ユーリスが満面の笑みで立ち上がり、飛ぶ様にマーリカの元へと駆け寄る。咄嗟にキラがマーリカを背に庇うのも無理はない勢いであった。

「やあ! お呼び立てして申し訳ない! 先日お会いした時はまさかそんなこととはつゆ知らず、帰宅後妻から散々絞られましてね!」
「は、はあ……?」
「ぜひともマーリカ嬢について詳しく尋ねてくる様にと、厳しく言われて参ったのです!」
「わ、私について、ですか?」

 突然の言葉に、マーリカは混乱した。何故騎士団員のユーリスの妻がマーリカについて詳しく知りたいと言っているのか。王都までもマグナム令嬢の名はとどろき始めているのだろうか、とマーリカが考えてしまっても不思議ではない。

 背の高さはキラと同程度だが、騎士団なだけあって体格がかなりいい。サイファと同じくらい、がっちりとしている。あまりよく知らないそんな男が、にっこにこの笑顔で今にもマーリカの肩に掴みかかりそうに上から見下ろしてきたのだ。これが怖くない訳がない。

 失礼にあたるのではとマーリカが不安に思いつつも思わず顔を引き攣らせていると、ユーリスは更に一歩近付いてくる。

「はい! 一体どんなご令嬢がこの堅物のここ……むぐうっ!」

 ユーリスの影がマーリカを覆った、その瞬間。

「メイテール卿、恐れ入りますが少し距離が近いようですので、お下がりいただいても?」

 マーリカとユーリスの間にスッと身体を入れたキラが、手で思い切りユーリスの口を塞いだ。マーリカはキラの背中に隠れてしまった為、何が起きているか見えていない。だから、キラが視線だけで殺せそうな鋭い目つきをし、声を出さずに「黙れ」と言ったことに、気付いていなかった。

 ギチ、とユーリスの顎が音を立てる。ユーリスは慌てた様子でこくこくと頷くと、素直に一歩退しりぞいだ。

 キラはユーリスの顎を掴んでいた手を離したが、バキバキと挑発する様に鳴らしている。

 二人のそんな様子を薄い笑顔で見守っていたムーンシュタイナー卿が、言った。

「キラ、条件を忘れないでね」
「……分かってます」

 ユーリスが片眉を上げる。

「条件? 一体何の……」

 直後にキラにギロリと睨まれて、ユーリスは微妙な笑顔のまま、大人しく口を閉じた。

「あの、キラ……?」

 大分不敬になるのでは、とキラの背中から声を掛けたマーリカを、キラが背中越しに振り返る。

「さ、お嬢。メイテール卿を船着き場までお見送り差し上げましょうか」
「え、ええ……?」

 こんなにすぐに返してもいいものなのかと思いつつも、ユーリスの顔にも苦笑が浮かんでいたので、マーリカは内心首を傾げながらもキラの進言に素直に従うことにしたのだった。
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