生意気従者とマグナム令嬢

ミドリ

文字の大きさ
上 下
76 / 76

75 【最終話】ムーンシュタイナーの民は逞しい

しおりを挟む
 三国間会談からひと月が経った。

 マーリカの自室の露台から見下ろせる湖が、朝日を反射して眩しく煌めく。

「マーリカ、支度は終わったかい?」

 待機していたマーリカを、めかしこんだムーンシュタイナー卿が迎えに来た。執事ゴーランの妻、マーヤが代わりに答える。

「完璧ですよ、旦那様」
「うわ、本当だ……女神がいるよ」

 頬を赤く染めた父親に褒められて、マーリカははにかんだ。

「えへへ、マーヤがお母様に瓜二つだって言ってるんですけど、そうなんですか?」
「うん……っ!」

 ムーンシュタイナー卿は、早くも目尻に涙を浮かべ始める。

「お父様ってば、気が早いですよ」

 マーリカが駆け寄ると、ムーンシュタイナー卿は泣き顔に笑みを浮かべた。マーリカに腕を差し出すと、おどけた様子で片目を閉じる。

「……さあ、行こうか。キラが首を長くして待ってるから」
「はい!」

 マーリカはムーンシュタイナー卿の腕に手を置いた。一階の大広間まで、親子ふたり、こうして一緒に向かうのだ。

「はあ……それにしても、あっという間の一ヶ月だったよ……」

 やや疲れた顔で、ムーンシュタイナー卿がへらりと笑った。マーリカは同情顔で頷く。

「とんでもなく激務でしたものね」

 これまでの父親と同じ人とは思えない働きっぷり、いや働かされっぷりに、今までムーンシュタイナー卿はあえて手を抜いていたのだとマーリカは知った。それほどに父がこなす仕事量は多く多岐に渡り、「まだここの領主だから!」と意地でもムーンシュタイナー領から離れようとしない父親の元には、連日王都から官たちが訪れた。

 キラが呆れ顔で「王都に行って下さいよ、こっちの仕事はやっときますんで」と言うと、ムーンシュタイナー卿は「やだ! まだ僕は領主だー!」と泣き真似をしては官たちを困らせていた。「あ、これ嘘泣きなんで騙されないで下さいね」とキラが彼らに助言を与えたことで、官たちはキラに「ムーンシュタイナー卿取り扱い説明講座」を開く様依頼されているのは可笑しかった。

 実際に講座を受けた後、官たちのムーンシュタイナー卿に対する態度に遠慮がなくなったので、かなりの効果があったと思われる。

 結局ムーンシュタイナー卿は今日この日を迎えるまで、絶対にムーンシュタイナー領を離れなかった。国王に幾度も招集されているにも関わらずである。「僕はまだ領主なので宰相じゃありません。用があればそちらから来て下さい」と恐ろしい伝言を残すと、なんと本当に国王自ら来させてしまった。

 結局「戻るのが面倒だ」と国王が言い出したことで、後半は毎晩国王と一緒に晩餐を、というとんでもない状況になってしまったのは、今でも笑えない。

 尚、一番驚いたのは領民である。だが、ムーンシュタイナー領の民は逞しい。あっという間に国王に馴染むと、一緒に魔魚を釣ったり、酒盛りをしたりしていた。キラはそれを見てみないふりをし、「……まだムーンシュタイナー領の領主は俺ではないですもんね」と責任をムーンシュタイナー卿に押し付けたという。

 すっかりムーンシュタイナー領に馴染み切ってしまった国王は、更に今日も参列するのだと言い張った。ということで、なんとロイ国王は現在、ムーンシュタイナー領の領民に混じってマーリカが来るのを待ち侘びているらしい。恐ろしかった。

 ムーンシュタイナー卿が、凝りもせず言う。

「……もうちょっと先延ばしにしてもよかったのになあ」
「お父様ってば、もうずっとそればっかりですよ」
「だって寂しいもんなあ。僕のマーリカが……」

 ヨヨヨと泣き真似をする父親の姿は情けなかったが、それだけこの人に愛されているのだと思うと、マーリカの胸にじんとしたものが湧き上がった。

 一階まで階段で降りると、普段は質素にすぎる通路が花で埋め尽くされている。これは国王が用意させたもので、「私が用意すると言ったのに何もさせてくれなかったから、これくらいはさせてくれ」と笑顔で言われたものだ。

 花の通り道を、二人会話をしながら歩く。母の墓前には、昨夜の内に行った。出来れば彼女が生きている間にこの晴れ姿を見せてあげたかった。だけど叶わないのは分かっているからこそ、自分は長生きをしようとマーリカは決めた。決めてどうなるものではない気もするが、とりあえず決めたのだ。だからこれからは、無茶はしない。――大きな無茶は。

 大広間から、領民たちの楽しそうな話し声が聞こえてきた。

 すると、ムーンシュタイナー卿の足の進みがゆっくりになる。

「……マーリカ」

 泣きそうな声で名を呼ばれ、マーリカは父親を見上げた。潤んだ瞳のムーンシュタイナー卿が、微笑みながらマーリカを見つめている。

「今日まで、僕は君を守っているつもりでいた」
「お父様……?」
「だけど気付いたら、君を守っているのはいつの間にか僕じゃなくなっていた」

 ムーンシュタイナー卿が、マーリカのおでこに小さなキスをした。

「君の隣には、これから先ずっとキラがいてくれる。楽しい時も辛い時も、いつでも支え合い笑い合える相手が」
「……はい」

 マーリカの瞳にも、涙が滲む。喉の奥がキュッと苦しくなった。

「――幸せになるんだよ、僕のマーリカ」
「……はい、お父様。必ずや」

 互いに涙目で微笑み合うと、二人は再び歩き出す。今度は速度を緩めることなく、大広間の入り口まで辿り着いた。二人が姿を現した途端、大広間から歓声が湧く。

「――いらしたぞ!」
「わあっ! マーリカ様、綺麗!」

 花の絨毯が敷かれた中央の道を、領民たちに歓迎されながら進んだ。

 花の絨毯の最奥には、国王が王都から呼んだ大聖堂の神父と、自身の銀髪と同じ銀色の正装に身を包んだキラの姿がある。

 マーリカを見たキラの瞳が、驚きで見開かれた。口がうっすらと開き、マーリカの名を声を出さずに呼んだのが動きから分かる。

 領民たちと共に最前列にいたのは国王に幾人かの王都の官、そして――。

「サイファ!?」

 褐色の肌の大きな男が、にこやかに手を振った。その隣にいるのは。

「マーリカぁ……っグズッ」

 なんと、隣領の口ひげ令息、シヴァ・ナイワールが鼻を真っ赤にして泣いているではないか。

「まあそう泣くな、坊っちゃんよ。同じ失恋者同士、祝いの後は飲み食いしてやろうぜ」
「うう、お前実はいいヤツだったんだな……! あの時はすまなかった……っ」
「いいってことよ。さ、祝ってやろうぜ」
「ああ……っ」

 サイファとシヴァは、肩を組んでそんなことを話していた。意外なところが仲良くなったものだと、マーリカは驚愕で目を見開く。

 キラの前まで行くと、ムーンシュタイナー卿が立ち止まった。

 穏やかな笑みを浮かべ、マーリカに声を掛ける。

「さあ、マーリカ」
「……はい」

 マーリカは小さく頷くと、ムーンシュタイナー卿の腕から手を離し、自分を熱心に見つめるキラに手を差し伸べた。キラは真剣な顔をしてマーリカの手を取ると、マーリカを神父の前に連れて行く。

 神父は祈りの言葉を捧げると、二人に向き直った。

「――新郎、キーラム・アルバトナ・メイテールは、新婦、マーリカ・グロリア・ナダス・ムーンシュタイナーを妻とし、死が二人を別つ時まで愛すると誓いますか」
「誓います」
「新婦、マーリカ・グロリア・ナダス・ムーンシュタイナーは、新郎、キーラム・アルバトナ・メイテールを夫とし、死が二人を別つ時まで愛すると誓いますか」
「ち、誓います!」

 やや大きな声が出てしまった。神父はうっすらと微笑むと、「今ここに新たな夫婦が誕生致しました。新郎新婦のお二人は、誓いのキスを」と告げる。

「あああ、マーリカ……!」
「泣くなシヴァ!」

 とかいう声が聞こえるが、マーリカの目にはキラしか映っていなかった。キラが、震える掠れ声で呟く。

「お嬢……っ」

 いっぱいいっぱいになると、お嬢に戻るらしい。

 そして、突然躊躇いなくガッとマーリカのうなじを片手で掴むと、マーリカが目を見開いている間に噛みつく様なキスをしてきた。

「ぶふっ!」

 勢いのあまり、変な息が漏れる。

 ――それにしても長い。その内もう片方の手が腰に伸びてきて、身体まで引き寄せられた。

 参列客からも、ザワザワとした声が聞こえ始める。

 結婚式のキスは、こんなに長くガツガツしたものなのか。

 マーリカが焦っていると。

 城の外から、「うわあああっ!」という男たちの叫び声が聞こえてきた。唇が重なったまま、キラが迷惑そうに目を開ける。

 大広間に飛び込んできた国王の護衛兵のひとりが、報告した。

「ま、魔物です! 大きな蛇の魔物が!」
「――チッ」

 嫌々顔を離したキラが、思い切り舌打ちをする。

「おじょ……マーリカはここに……」
「さあキラ! 【マグナム】を作るわよ!」

 拳を握り締めて力強く頷くマーリカを見て、キラが目を見開き――そして破顔一笑、頷いた。

「そうですね、俺のマーリカはそうでなくちゃ」

 その言葉に、マーリカの顔にも満面の笑みが咲く。

「ええ、そうよ! ムーンシュタイナーの民は逞しいんだから!」

 各々臨戦体勢に入った領民と共に、キラとマーリカが外へ駆けていく。

 それを唖然とした表情で眺めていた国王と目が合ったムーンシュタイナー卿は、肩を竦めると楽しそうに笑ったのだった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(100件)

みやこ嬢
2023.04.04 みやこ嬢
ネタバレ含む
ミドリ
2023.04.04 ミドリ

最後までお読みいただき、ありがとうございましたー(∩︎´∀︎`∩︎)!
シヴァさん、なかなかだしてあげることができず、結局最後にようやく出てこれましたw本当はもっと出したかった!でも文字数が!

そして今日もムーンシュタイナー領には元気な爆発音が鳴り響くのでした(完)

解除
大竹あやめ
2023.04.04 大竹あやめ
ネタバレ含む
ミドリ
2023.04.04 ミドリ

ありがとうー( ´ ▽ ` )ノ!
一度も落とさず駆け抜けました!
シヴァとサイファの友情物語が始ま・・・らないw

いつも応援ありがとうございました♪

解除
大竹あやめ
2023.04.03 大竹あやめ

はいはいごちそーさまー(棒)www

ミドリ
2023.04.03 ミドリ

キラの溺愛はとまらなーい( ´ ▽ ` )ノ

解除

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。