3 / 18
3 アリスタとティナ
しおりを挟む
王城の庭園が見える露台に設置された食卓を挟み向かい合わせに座ると、サワワワーッと爽やかな風が吹いた。それが俺の金髪を肩から後ろへとサラサラ流したが、爽やかなのは風ばかり。
その爽やかさにも負けずこの場に鎮座している重苦しい空気は、執務で疲れ切っている俺の脳を更に疲れさせていた。
イリスに変わって欲しいと訴えたが、他の人は騙し通せても父王と婚約者殿は騙し通せませんよ、とイリスは笑いつつ俺の依頼をあっさりと断りやがった。これじゃどっちが主人か分かったもんじゃない。
というか、主人の命令を断るなよ。
そう抗議したところ、怒った顔も素敵です、あ、私にご奉仕させていただけるなら考えさせていただきますよと頬を赤らめて欲情した表情で言われれば、それ以上何が言えよう。
主人に交換条件を出す影武者。やっぱりあいつはおかしい。その条件の内容も。
ということで、今日も実に冷たい表情に化粧を塗りたくったティナ・シュタインベルガー嬢を前に、さて何をどう切り出せばいいものやらと考えあぐねていた。
イリスが来ないなら来ないで、折角だから可能性を聞いてみようかと思ったのだ。だが、何と言えばいいのかが分からない。
「あー……ティナ?」
「何でございましょう、アリスタ様」
淑女の嗜みなのか何か知らないが、扇子で口元を隠している上に声が小さいので非常に聞き取りにくい。思わず前屈みになると、ティナは無表情のまま後ろに少し仰け反った。――そこまで嫌がらなくてもいいじゃないか。
ええい、どうせ俺は嫌われている。これを言ってティナに軽蔑されようが、もう知ったことか。
開き直った俺は、前屈みになって近付き、ティナの目を真っ直ぐに見た。怪訝そうなティナの顔。
それはそうだろう。初めの頃こそティナと仲良くしてみようと色々とやってみたが、一向に視線が合わない。ああこれは拒否されているのだな、そう悟るのにそう時間はかからなかった。
それからは、向けても視線の合わない目を探すのも悲しくて、俺はティナの顔を真っ直ぐに見ることをやめていたのだ。
でも、こんな大事なことだけは、ちゃんと目を見て話したい。人と話をする時は目をみて話しなさいと、師匠も言っていたから。
「婚約破棄をしたいと言ったら、受け入れていただけますか」
「……はい?」
心底冷めきった冷たい声色だった。俺は内心心臓が凍りつく様な思いを覚えていたが、ここで引いては男が廃る。
俺がここから誰にも言わず去る時が来た時に、ティナが捨てられたと恥ずかしい思いをしなくてもいい様に、事前に身辺整理をしようと思ったのだ。
王家と血縁関係になるのは公爵家としては大事なことだろうが、俺がこのまま何も対処せずにいなくなった場合、ティナは捨てられた女となり嫁の貰い手もなくなる可能性がある。
それはさすがに可哀想だし公爵家にも失礼だな、そう思っての質問だった。
「他にどなたか好条件のお方でも現れましたか」
冷たい、冷たい言い方だった。まるで自分は物なのだと言っている様なその口調に、俺は思わずむっとして反論する。
「違う。そうじゃない。ただ――」
「ただ?」
どうしよう、言ったらティナは喋ってしまうだろうか。
本当は、ティナのことは嫌いじゃない。今はタチアナという惚れた女が出来たが、それまではティナを愛そうと努力したし、綺麗だなあと可愛いなあと自分の婚約者がちょっと自慢だった。
だけど、ティナは俺のことはそう思ってないから。
もうやめた。諦めた。期待するのはやめた。そしてどうか忘れてほしい。責務から逃げようとしている男のことなど。
「――跡を継ぐのはやめようと思っています」
「――は?」
ティナの扇子が、ぽたりと床に落ちた。出てきたのは、滅多に見ることのないティナの華奢な首。
ティナはいつも、首を隠す様な仕様のドレスを着ている。下品に胸を出してなくて好感が持てたが、気になって尋ねてみたことがある。そうしたら、答えはこうだった。「お見苦しい物がございますので」。
ティナが扇子を拾おうとして屈む。服の隙間から見えた首には、赤い痣の様なものがあった。
「私は、ここを出ていこうと思っています。誰にも言わずに」
「え……そんな馬鹿な」
そんなもの、気にしなくても十分素敵なのに。だから白粉を塗りたくって、見えない様に必死で隠していたのか。そう思ったら、急に悲しくなった。
俺にだって、二の腕の内側に酷い傷跡がある。子供の頃、俺の命を狙う刺客に襲われた時のものだ。あの出来事以降、俺の横にはイリスが控える様になった。
「馬鹿、ですよね」
俺の微笑みをどう受け取ったのか、ティナは起き上がると慌てた様に目を左右に揺らす。こんな表情もするのか。新鮮だった。だが、もういい。
「あ……いえ、アリスタ様、大変失礼致しました」
「いや、私の方こそ申し訳ないです。ただ、逃げる様な形になってしまうと思いますので、その前に婚約解消をして貴女に被害が及ばない様にしたいと思いまして」
俺がそう言うと、ティナがまた目を大きく開く。その表情は、大きく口を開けて笑うタチアナとあまりにもよく似ていて、俺とイリスが似ている様に、この世にはティナと似ている人間もいるんだなあと感慨深く思った。
「……残念ですが、私の方からは何もお答え出来ません。個人の話ではございませんので」
「個人の話ではない、ですか……」
やはりティナにとって俺との結婚は、ただ家と家との繋がりに過ぎないのか。それに対しティナがどう思うのか、最後にティナの本心を聞いてみたかったけど。
ティナはきっと、答えを持たないだろう。
「それでは、公爵家を通して打診してみたいと思います」
「……はい」
俺がにっこりと笑ってそう告げると、ティナはまた目を伏せてしまい、それ以上俺の目を見ることはなかった。
――打診などしている暇はない。決行は次の機会に、すぐだ。
イリスの目から逃れたその瞬間、俺は消える。覚悟が出来た瞬間だった。
その爽やかさにも負けずこの場に鎮座している重苦しい空気は、執務で疲れ切っている俺の脳を更に疲れさせていた。
イリスに変わって欲しいと訴えたが、他の人は騙し通せても父王と婚約者殿は騙し通せませんよ、とイリスは笑いつつ俺の依頼をあっさりと断りやがった。これじゃどっちが主人か分かったもんじゃない。
というか、主人の命令を断るなよ。
そう抗議したところ、怒った顔も素敵です、あ、私にご奉仕させていただけるなら考えさせていただきますよと頬を赤らめて欲情した表情で言われれば、それ以上何が言えよう。
主人に交換条件を出す影武者。やっぱりあいつはおかしい。その条件の内容も。
ということで、今日も実に冷たい表情に化粧を塗りたくったティナ・シュタインベルガー嬢を前に、さて何をどう切り出せばいいものやらと考えあぐねていた。
イリスが来ないなら来ないで、折角だから可能性を聞いてみようかと思ったのだ。だが、何と言えばいいのかが分からない。
「あー……ティナ?」
「何でございましょう、アリスタ様」
淑女の嗜みなのか何か知らないが、扇子で口元を隠している上に声が小さいので非常に聞き取りにくい。思わず前屈みになると、ティナは無表情のまま後ろに少し仰け反った。――そこまで嫌がらなくてもいいじゃないか。
ええい、どうせ俺は嫌われている。これを言ってティナに軽蔑されようが、もう知ったことか。
開き直った俺は、前屈みになって近付き、ティナの目を真っ直ぐに見た。怪訝そうなティナの顔。
それはそうだろう。初めの頃こそティナと仲良くしてみようと色々とやってみたが、一向に視線が合わない。ああこれは拒否されているのだな、そう悟るのにそう時間はかからなかった。
それからは、向けても視線の合わない目を探すのも悲しくて、俺はティナの顔を真っ直ぐに見ることをやめていたのだ。
でも、こんな大事なことだけは、ちゃんと目を見て話したい。人と話をする時は目をみて話しなさいと、師匠も言っていたから。
「婚約破棄をしたいと言ったら、受け入れていただけますか」
「……はい?」
心底冷めきった冷たい声色だった。俺は内心心臓が凍りつく様な思いを覚えていたが、ここで引いては男が廃る。
俺がここから誰にも言わず去る時が来た時に、ティナが捨てられたと恥ずかしい思いをしなくてもいい様に、事前に身辺整理をしようと思ったのだ。
王家と血縁関係になるのは公爵家としては大事なことだろうが、俺がこのまま何も対処せずにいなくなった場合、ティナは捨てられた女となり嫁の貰い手もなくなる可能性がある。
それはさすがに可哀想だし公爵家にも失礼だな、そう思っての質問だった。
「他にどなたか好条件のお方でも現れましたか」
冷たい、冷たい言い方だった。まるで自分は物なのだと言っている様なその口調に、俺は思わずむっとして反論する。
「違う。そうじゃない。ただ――」
「ただ?」
どうしよう、言ったらティナは喋ってしまうだろうか。
本当は、ティナのことは嫌いじゃない。今はタチアナという惚れた女が出来たが、それまではティナを愛そうと努力したし、綺麗だなあと可愛いなあと自分の婚約者がちょっと自慢だった。
だけど、ティナは俺のことはそう思ってないから。
もうやめた。諦めた。期待するのはやめた。そしてどうか忘れてほしい。責務から逃げようとしている男のことなど。
「――跡を継ぐのはやめようと思っています」
「――は?」
ティナの扇子が、ぽたりと床に落ちた。出てきたのは、滅多に見ることのないティナの華奢な首。
ティナはいつも、首を隠す様な仕様のドレスを着ている。下品に胸を出してなくて好感が持てたが、気になって尋ねてみたことがある。そうしたら、答えはこうだった。「お見苦しい物がございますので」。
ティナが扇子を拾おうとして屈む。服の隙間から見えた首には、赤い痣の様なものがあった。
「私は、ここを出ていこうと思っています。誰にも言わずに」
「え……そんな馬鹿な」
そんなもの、気にしなくても十分素敵なのに。だから白粉を塗りたくって、見えない様に必死で隠していたのか。そう思ったら、急に悲しくなった。
俺にだって、二の腕の内側に酷い傷跡がある。子供の頃、俺の命を狙う刺客に襲われた時のものだ。あの出来事以降、俺の横にはイリスが控える様になった。
「馬鹿、ですよね」
俺の微笑みをどう受け取ったのか、ティナは起き上がると慌てた様に目を左右に揺らす。こんな表情もするのか。新鮮だった。だが、もういい。
「あ……いえ、アリスタ様、大変失礼致しました」
「いや、私の方こそ申し訳ないです。ただ、逃げる様な形になってしまうと思いますので、その前に婚約解消をして貴女に被害が及ばない様にしたいと思いまして」
俺がそう言うと、ティナがまた目を大きく開く。その表情は、大きく口を開けて笑うタチアナとあまりにもよく似ていて、俺とイリスが似ている様に、この世にはティナと似ている人間もいるんだなあと感慨深く思った。
「……残念ですが、私の方からは何もお答え出来ません。個人の話ではございませんので」
「個人の話ではない、ですか……」
やはりティナにとって俺との結婚は、ただ家と家との繋がりに過ぎないのか。それに対しティナがどう思うのか、最後にティナの本心を聞いてみたかったけど。
ティナはきっと、答えを持たないだろう。
「それでは、公爵家を通して打診してみたいと思います」
「……はい」
俺がにっこりと笑ってそう告げると、ティナはまた目を伏せてしまい、それ以上俺の目を見ることはなかった。
――打診などしている暇はない。決行は次の機会に、すぐだ。
イリスの目から逃れたその瞬間、俺は消える。覚悟が出来た瞬間だった。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』
鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」
華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。
王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。
そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。
レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。
「お願いだ……戻ってきてくれ……」
王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。
「もう遅いわ」
愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。
裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。
これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
捨てられ侯爵令嬢ですが、逃亡先で息子と幸せに過ごしていますので、邪魔しないでください。
蒼月柚希
恋愛
公爵様の呪いは解かれました。
これで、貴方も私も自由です。
……だから、もういいですよね?
私も、自由にして……。
5年後。
私は、ある事情から生まれ育った祖国を離れ、
親切な冒険者パーティーと、その地を治める辺境伯様のご家族に守られながら、
今日も幸せに子育てをしています。
だから貴方も勝手に、お幸せになってくださいね。
私のことは忘れて……。
これは、お互いの思いがこじれ、離れ離れになってしまった一組の夫婦の物語。
はたして、夫婦は無事に、離婚を回避することができるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる