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4章

白い侵略者は神と共に

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BATARAば た らの蝶と知り、地上の超粘菌たちがいっせいに情報を送ってくる。
それを長老やBATARAの仲間が、ストーリーにまとめていく。
まずはインカ帝国の話である。

──ある日あるとき、そそり立つアンデスの岩壁いわかべの路を一人の男が走っていた。
つづら折りのインカ路である。かなりの慌てぶりだった。
男は、首都のクスコに向かう王の飛脚ひきゃくである。

インカ路はアンデスの山々を縦走し、海抜3、400メートルの天空都市、クスコまで続いていた。
今のエクアドルのキトからチリのサンティアゴまででえある。なんと5、120キロの距離である。(日本の北海道から九州までは1、500キロ)
人々は王を尊敬し、太陽、稲妻いなづま、海、山、大地、川、湖などを神とした。

「王の統治により、ここには衣食住の行き届いた、飢える者のいない素晴らしい国があった」
紋白蝶もんしろちょう前頭葉ぜんとうようひだに陣取ったBATARAの長老は、蝶の複眼が集めた光の景色に目を細めた。

インカ路を走っている男は、やがて山間の中継所にやってくる。
「伝達だ。白い人間が現れた。大きな動物に乗って、人殺しの筒を持っている」
 伝令は中継所の小屋の前でよろめき、両手を突いて倒れた。

中継小屋にいた男はおどろいて飛び跳ね、もう走りだしていた。
口の中で、白い人間だ、白人だ、と伝達事項をくりかえした。
1532年11月である。

「たかが鉱物のきんのため、人々が豊かに平穏に暮らしていたこの偉大なる伝統の帝国を、連中はためらいもなく滅ぼした」
BATARAの長老は、むっと唇を引き結び、前方の山の峰を睨んだ。
アンデスの山陰に生息する超粘菌たちが、反応してきた。

『やってきたのは500年ほど前だ』
『たった168人だった』
『隊長の名はピサロ』
「おまえたちはきんを隠しているだろう。持っていてもたいして役に立たないのだから、よこせ。金はおまえたちにはただのお飾りであっても、われわれには国の繁栄にかかわる大切なものだ。金はわれわれが所有すべき神からの贈り物だ」

スペイン人の隊長、ピサロは、その地が噂のエルドラド、黄金卿であるという感触を掴んだ。
そして、あらためて多くの部下を国から引き連れ、再上陸した。
金の収奪は、自国経済の復興を願うスペイン国王に命じられた公的なお役目でもあった。

白人たちは男だけでやってきた。
もともと本国で食い詰め、一攫千金いっかくせんきんの夢を見、乗り込んできた連中である。
別の言い方をすれば、武器と生殖器をたずさえた盗賊集団である。
女を目撃し、大人しくしている訳がなかった。
人殺しも金の強奪も強姦も、みんな競争だった。

それが、以降五百年間にもわたる南米・中南米、そして北米大陸における強奪者たちの長い歴史の始まりだった。
大航海時代は『神の名のもとに海賊の一団が、船に乗って世界を巡り、金目のものを漁り、人を殺し、その地で暮らす人々の生活基盤を徹底的に破壊した時代』である。


物語はここで分かりやすくするため、中南米を飛ばし、北米アメリカ大陸に進む。

「さあ、手強いぞ」
前頭葉ぜんとうよう鎮座ちんざした長老の緊張した声だった。
蝶のはねやからだが、一瞬びくっと反応した。その震動を捕らえるかのように、アンデスを囲む国々が、しんと静まり返った。

1620年9月16日、巡礼者と称した人々の一派がイギリスのプリマスを出航した。
船の名はメイフラワー号。乗客は120人。
天候不順で、二ヶ月間の荒れた旅だった。
メイフラワー号の本来の目的地は、ハドソン川河口のジェームズタウン、現在のニューヨークである。

荒れる海で400キロほど南に流されてしまったのだ。
陸地から奥につづく新大陸の森に、横殴りの雪が舞っていた。
そんな吹雪の中を、三十歳前後の鉤鼻かぎはなの男が数人の仲間を引き連れ、上陸した。
一行は、留守中のインディアンの村を発見し、貯蔵してあった玉蜀黍とうもろこしを盗んできた。
鉤鼻の男とその仲間たちは、それを『神の恵み』と勝手に称した。

新大陸初の入植生活は、船の中だった。
海は荒れ、吹雪が舞った。入植者は凍りつき、次々に死んでいった。
彼らは、自らをピルグリム、または巡礼者と呼ぶピューリタンだった。|清教徒《せいきょうとある。
清教徒といえば、厳格で信心深い人々想像するが、そもそものいきさつは、どっぷり肉欲と物欲に浸った世俗的な話からはじまる。

1530年、イギリスの国王ヘンリー八世は若くて美しい女性、アンに惚れた。
そこで容色の衰えた古女房と決別するため、当時のしきたりで、ローマ法王に離婚の許可を願い出た。
そして、だが、要請は脚下された。
怒ったヘンリー八世はローマ教会から独立し、イギリス国教会を設立した。
そしてめでたく古女房を追いだし、アンと結婚した。

しかし、王はその横暴性がゆえ、気に喰わない家臣や国民を次々に処刑した。
また、さらに若い女に惚れたため、男の子を生まないアン女王の首も断頭台ではねた。

1600年ころになると、イギリス国教会の腐敗に反抗する信者があらわれはじめた。
彼らは清教徒と呼ばれた。国教会内部で改革を目指すグループと、新たに教会を設立するグループとに分かれた。
後者の分離独立派が、イギリス各地で迫害を受けたた。
そのため、新天地に渡り、理想の国を造ろうとしたのである。

新大陸の冬が去った。
生き残った者は120人のうち、53人だった。
一行は、海岸にテントや仮小屋を建て、空き地を耕しはじめた。

すると、若葉の森の奥から30人ほどのインディアンが現れた。
みんなたくましく、堂々としていた。
このとき、インディアンの村から玉蜀黍ともろこしを盗んできた鉤鼻かぎはなの男が物怖ものおじする気配もなく、中央で仁王立ちになったインディアンに歩み寄った。
そして握手をしたのである。

幸い、インディアンには、飢えた者を助ける、という習慣があった。
この地に住む者はみな仲間であり、対立し、争い、奪い合う対象ではなかったのである。
彼らはマサソイト族、酋長はトマホンと言った。
「畑を耕すのを手伝ってやれ。食料があったら、分けてやれ」

もしこのとき、インディアンが白人を助けなかったら、全員が餓死していただろう。
やがて夏が過ぎ、収穫の秋がきた。
清教徒たちは、実った収穫物に感謝する祭を11月の最終木曜日におこなった。

その日は十頭の鹿の贈り物とともに、マサソイト族の酋長しゅうちょうであるトマホンと部下のインディアンたちも加わった。
しかしそれは、収穫をもたらしてくれた神に対する祭りであり、自分たちの命を助けたインディアンとは関係がなかった。

白人たちは土地に狂った。
ガラス玉やウイスキーなどと土地を交換し、インディアンをじりじり森の奥に後退させた。
その後、白人たちが毎年移住してきて、農園がどんどん広がり、インディアンたちは僅かな贈り物で場所を譲った。
ときには訳の分からない書類にサインさせられ、大勢の白人に移住を強要されたりもした。
当然、刃傷沙汰にんじょうざたにもなった。被害者はもちろんインディアンである。

ここにいたって、マサソイト族の酋長であるトマホンがついに立ちあがった。
インディアンを追いだし、郊外に農園を構えた家々が襲われた。
インディアンたちのはじめての怒りであった。
入植者の四分の一、350が殺された。
白人たちはおどろいた。

しかし、まともに戦っては全滅させられる恐れがあった。
このとき出てきたのが、プリマスで顔役になった鉤鼻の男だった。
「平和協定を結ぼうと言っておびきだすんだ。儀式には開拓民全員が参加するので、そちらも近隣の全住民に参加してもらいたい、とな」

男は鉤鼻を指先でひねった。
切に平和を願う単純なトマホンが、低姿勢の白人を信じ、言われたとおりにするであろうと見抜いていた。
誘いだされたインディアンたちは着飾ったまま、全員が惨殺さんさつされた。記念品として死体の頭の皮が剥がされ、酋長の首が町の辻にさらされた。

先住民はもはや、邪魔者以外の何物でもなかった。
結局、アメリカ全土で五千万余りいたインディアンは、三万人ほどに減ってしまった。
九九・九四パーセントの先住民が殺されたのである。
文化の破壊どころではなく、キリスト教徒たちのジェノサイドだった。

こうして白人たちは、虐殺ぎゃくさつにつぐ虐殺を重ね『約束の地』を手に入れる。
そんなとき、イギリスが黒人奴隷どれいの売買をはじめる。
北米のインディアンはプライドが高く、奴隷を拒んだ。
しかし、発展するアメリカでは、多くの労働力が必要だった。
北米でも南米でも、奴隷売買は大歓迎だった。

黒人奴隷もインディアンと同じように聖書に表記されていない人であり、人間として扱わなくてよい──言葉を話す家畜だった。
華々はなばなしく経済発展する国家には、いつでもこのような家畜がごとき人間が必要だった。

そのころ鉤鼻の一族は、鉄道事業に手をだしていた。
線路を敷いて駅を建設すれば、周囲が商業地になり、住宅地ができる。
ただの平原が高値で売れるのだ。
政府は、鉄道事業者に路線周辺開発の権利を与えた。
一族は石油、石炭、鉄鋼などの資源を優先的に開発し、有り余る資金を手に入れた。

やがて鉄道業は、線路の材料である鉄鋼産業と結びついた。
それが軍需産業へと発展していくのである。
兵器産業は戦争がなければ成り立たない。
アメリカは、このときから戦争が大好きな暴力国家になった。
表で平和をかかげ、裏では暴力や戦争を望むようになったのだ。

また鉄道の建設には、イギリスの商人によって多くの苦力クーリーが中国から連れられてこられた。
過酷な労働環境に耐えるため、苦力はアヘンや麻薬を常用した。
それを供給したのは、建設主の鉤鼻の一族だった。
これを機に鉄道王は、世界の麻薬王にもなっていく。


1776年、アメリカはイギリスから独立。
そのとき、アメリカには大西洋側の十三州しかなかった。
だが、フランスやイギリス、スペインから領土を買い取り、国土を増やしていった。
次に狙ったのが、メキシコ領のテキサスだった。

はじめに、砂漠地域のテキサスに綿花栽培のアメリカ人が入植する。
入植者が増えると『ここにはアメリカ人が多いから共和国を造ろう』とだれかが言いだす。
それを支援するアメリカ人が応援に駆けつける。
だが、応援者たちが組織した軍は、アラモの戦いでメキシコ軍に敗れる。

『リメンバーアラモ。わが国の自由を守れ』
口々にスローガンを掲げ、ぞくぞくと義勇兵が駆けつける。
メキシコと本気で戦えば、勝つことは分かっていた。
経済力も武力も数段上だったのだ。

アメリカは国境に軍を派遣し、メキシコ内に侵入する。
メキシコ軍が反撃してくると、こう主張した。
『敵が先に手をだしてきた。われわれには反撃する権利がある』

アメリカは、ニューメキシコ、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナを手に入れる。
メキシコは領土の半分を失う。
このとき、一時的にメキシコシテイを占拠した海兵隊の司令官は、黒船で江戸にやってきたペリーである。

後日、江戸湾にやってきたペリーは、ただ日本に開国を迫ろうとしたのではなかった。
沖縄、小笠原諸島に住む白人に、そこを自分たちの領土だと主張させようとした。
だが、アメリカ海軍に反対され、断念した。
それは、日本人が他の有色人種とまったく異なる人間であることに気づいていたからである。

有色人種を言葉をしゃべる家畜とみなしていた白人には、数千年もつづく国家と教養豊かで勇敢な武士や白人と堂々とわたりあった官僚、大きな家に住む農民、ほとんど泥棒のいない識字率世界一の国民、統制のとれた世界一の大都市、江戸に肝を冷やした。

ついで白人の神様の魂胆こんたんも見事に見抜き、神父たちを追放さえしたのである。
自分たちよりも優れた国家だとみなしたのだ。
こんな有色人種がいたのかというおどろきと恐怖が、後の日本の運命を決定づけ、202☆年の現代にまで及ぶのである。

黒船が来航した翌年の日米和親条約で、日本は重大なミスを犯した。
1854年の為替のカラクリだ。
両国で確認した金と銀の交換率は、慶長けいちょう小判一枚が日本の一分銀四枚。
またメキシコの銀貨も四枚だった。
ところがメキシコの銀貨一枚は、日本の一分銀四枚と交換できたのだ。
結果、ぐるっと一回りし、メキシコ銀貨一枚が日本の小判一枚という計算になったのである。

日本の小判一枚をメキシコに持っていき、四枚のメキシコ銀貨に替える。
それを日本に持っていくと四枚の小判になるのである。
これに気付かなかった日本の幕府は、多量の小判=きんを失う。

金の消えた江戸の経済は混乱する。
慶長小判に比べ、金の含有量が四分の一の万延まんえん小判をあわてて造ったが、ますます混乱するばかりだった。
幕府の信用は失せ、商人や庶民は新政府に期待するようになり、維新を迎えるのである。

1860年、アメリカに南北戦争がおこる。
濡れ手に粟で日本から得た金が資金となった。
貧乏人たちの移民集団であった北軍は、北との分離独立を望んだ大農園経営者たち富裕層の南軍に勝利する。
四年間のこの戦いで、両軍合わせ、90万人が戦死する。当時の男子人口の十人に一人である。

日本から金をせしめたアメリカの資本家や一部の特急階級の商人は、ここでも両軍に殺し合いを演じさせ、利益をむさぼった。
さらに、有り余る資金で南軍の借財の肩代わりをし、アラスカを720万ドル(現在の1億2000万ドル/90憶円)の現金で買うのである。

南北戦争が終わると、今度は日本を二手に分けた官軍と幕府軍の戊辰戦争である。
ここでは、南北戦争であまった武器・弾薬、装備品が両軍に売られる。
だが、日本最大の戦争を目論んだ武器商人や金貸したちであったが、幕府側が江戸城を無血で明け渡してしまったため、国が分裂する戦争は、回避されたのである。

そのころアメリカは、スペインが支配する中南米をいくらでも食い物にできると踏んだ。
メキシコ侵略の経験からだった。
はじめはキューバの乗っ取りである。

スペインはキューバを砂糖の島に変え、二千もの大農園を出現させていた。
そんなとき、スペインの圧政に抵抗する有志が現れた。革命騒ぎである。
アメリカはさっそく、新鋭戦艦、メイン号をハバナ港に停泊させた。
キューバに住むアメリカ人を保護するという名目である。

ところが1898年2月、メイン号は謎の爆発で、乗員165人とともに沈んでしまう。
計画どおり、スペインに爆弾を仕掛けられたと喧伝し、戦争のきっかけを作った。
「リメンバー・ザ・メイン」(メイン号を忘れるな)
新聞が書きたて、アメリカ国民が激昂げっこうした。

二ヶ月間の海と陸の戦いで、アメリカが勝利をおさめる。
もっとも、戦う前から勝敗ははっきりしていた。
アメリカ軍六千人に対し、スペインの守備隊はたったの七百人だ。
しかもアメリカ軍は、キューバの革命軍を応援すると称しながら、勝利の瞬間、革命軍から主導権を奪い、キューバを自分のものしてしまうのである。

同じようなやりかたで、フィリピンも手に入れる。
スペインの植民地であったフィリピンでも、圧政に苦しむ民衆が立ち上がった。
アメリカは民衆側の革命軍を支持すると宣言し、武器の援助を申し出た。
革命軍は悪戦苦闘の末、ついにスペイン軍をマニラの石造りの砦、イントラムーロス内に追い詰めた。

そしていよいよ決戦というときだった。
イントラムーロスを取り囲んだフィリピン革命軍に、突如、アメリカ軍が襲いかかったのである。
『革命軍の兵士がアメリカ軍の兵士を撃ってきたので、われわれはやむを得ず革命軍と戦った。我々には反撃する権利がある』
アメリカ軍の司令官はそうのたまった。

「十歳以上の男は皆殺しにしろ。村を焼いて殺しまくれ。アメリカ軍の恐ろしさを思い知らせろ」
総司令官のスミス将軍が命じる。
20万人以上が虐殺され、フィリピン国民は無言のまま、アメリカに従うことになる。
だが、これら白人たちが行った恐怖の歴史的事実は、以降しっかり封印される。
他の東南アジアの国々同様、人々は植民地時代に行われた自国の悲惨な歴史的事実に無知である。

次はハワイだ。ハワイの王であるカメハメハ大王は、アメリカからプロテスタントの宣教師を招いた。
改革に際し、アメリカ人の宣教師を教育大臣に、また弁護士を法務大臣に任命した。
アメリカ人の法務大臣は、さっそくハワイの土地法の改革に着手した。
カメハメハ大王の跡を継ぎ、カラカウア新王が即位したとき、ハワイの八十パーセント近くの土地がアメリカ人のものになっていた。

しかも、新地主たちのほとんどが、企業家に転じたプロテスタントの宣教師たちであった。
彼らは争って砂糖黍畑やパイナップル畑を開墾した。
さらに、ハワイの港や土地はアメリカ以外の国には渡さない、という条約まで存在していた。
いつのまにかハワイを植民地化していたのである。

新王は、同じ太平洋にある独立国の日本に行き、天皇に助けを求めた。
しかしうまくはいかず、失意のうちに病死し、妹のリリウオカラニが王となった。
アロハ・オエの作詞者である王女は、兄の無念さを知っていた。
王に即位すると同時に新憲法を発布し、アメリカ人がくる前のハワイに戻そうとした。

アメリカはすべてを予期していた。
アメリカ公使のスティーブンスは、ハワイに寄港していた自国の軍艦、ボストン号の艦長に海兵隊の上陸を依頼した。
『アメリカ人の命と財産を守る』という名目だった。
武力でハワイ王朝を屈服させたのである。

ついでリリウオカラニ王女を退位させ、翌年、ハワイ共和国を誕生させる。
「つぎは中南米の国々だ。正義の国、平和を愛する国、民主主義の国、自由平等の国、慈愛じあいに満ちたキリストの国がなにをするのか、見ものだな」
BATARAば た らのだれかがつぶやく。
(4-3 了)

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