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8章
おとうさんはやくたすけにきて
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山の斜面に風が吹き、ざわざわと木の葉が揺れた。
桃源郷といえば大袈裟だが、漢方の薬屋の立場からすれば、まさしくそこは理想の郷だった。
「教えてくれ。B5で二十ページの変異をもつユキコは、どんな生命体だというんだ」
それが、ずっと聞きたかった疑問だった。
「たしかにわたしはスーパーウーマンで、発現さえすれば空だって飛べるし、光よりも速い粒子になって過去にも戻れるんです。永遠の命と若さもあります。永遠の命というのは大雑把にいって、有機物から無機物に変化させ、また必要な時に有機物に戻るプロセスをたどります。無機物化していれば、半永久的に存在が可能です」
「化石化し、再び生きた状態にもどるというのか」
驚きは隠せない。だが、もはやなにもかも信じるしかなかった。
「二十二本の染色体とXとYの性染色体を含め、それぞれの各部位とゲノムが総動員です。しかも変異の発現は、何段階にも形を変えながら行われます。例えばAとBに変異があったときにはじめてCが変異し、つづいてABCが変異したときに今度はDが変異するというふうに。
そのときそのときで、他の変異を遺伝子が命令するんです。なにしろ物質を有機物から無機物に変え、三万年を生きるんですからね。眠っている間は、特殊な微生物たちがわたしを守ってくれます。アメリカの一部の者が国家機密にしたからといって、即座に解明なんかできません。
DNAを持った生物を、だれがこの世に出現させたかを明らかにするようなものです。そのDNAを考え、作った者──サムシング・グレートは『この人だ』と本人を連れてくるようなものです」
一部の科学者たちが、最新の技術を使い、ゲノムを思いのままに操作しようとするが、そこにはまたあらたな困難が待ちかまえているという。
「今の世界のリーダーは、己の利益のためにしか働きません。そこは勝つか負けるかの世界です。わたしたちはここに勝ち負けの世界を創ったつもりはありません。勝って敗者の財産を自分のものにし、勝った者が正義だなんて考えを持つ生き物は、地球を混乱させ、破滅に導きます。なぜなら、生命はわたしたちの目に見えない微生物によって一定のエネルギーを与えられ、全体を共存共栄のシステムで動かしているからです。歯車が狂えば全体が狂います。自分の富しか考えない連中には即座に滅んでもらい、次のリーダーに期待するしかないのです」
ユキコは、一気に説明する。
「地球上に生息する無数の生物には、共存の世界を侵してはならないという暗黙のルールがあります。生物を支え、地球を守っている微生物の基本的な生き方が、共存共栄だからです。そのためには分かち合う精神、『和』が必要です。この世界をはじめに創った微生物たちは、そんな事態になったときに備え、人間の知らない通信手段を張り巡らし、警戒していました」
自分の娘が、地球の生命を支える仕組みの一つとして働いたのである。
その最高司令は人間の目に見えない微生物たちだった。
超粘菌はその仲間である。
「微生物がそんな力を持っているなんて、知らなかったな」
だが秦の頭に混乱はなかった。
「無数の生き物たちの意志が、一つの膨大なパワーを生むんです。BATARAと呼ばれていた超粘菌のリーダーである長老が、教えてくれました。お父さんも無数の生き物のうちの一つの個体です。地中深くマグマの熱に耐えながら生きている微生物のバクテリアから、大海原を渡る地球最大の生き物のクジラ、地表に住む多くの動物、人間、そして植物群。すべてが一つになったとき、意志が生まれ、それが微生物を突き動かすのです」
囲炉裏にかけられた土鍋が、蓋から湯気を立てはじめた。引き戸から眺めた山の端に、小型の猿、金糸猴の群れが赤毛をなびかせ、枝から枝へと移動する。さわさわと風が吹き、木の葉がめくれ、山の斜面が白く光った。
「この地球上には、870万種の生物が住んでいます。でも学問的に分類され、名前のある生き物はたった十五パーセントにしか過ぎません。名もない生き物も含め、870万種が互いに連携しあい、共存しあい、海や陸や森をかたち作っているんです。
初めて宇宙に飛びだした宇宙飛行士が地球を目撃したとき『地球は生きている』と叫んだとおり、地球はまるまる生き物の固まりなのです。生き物である人間のからだの中にも、一万種を越える生き物が住んでいる計算です。そのうちの、体重六十キロの人間の約一キログラムから二キログラムが、微生物です。微生物は人体の機能とともに体内で生態系を形作り、自らの宇宙である人間の命を支えています」
そろそろ、一部の人間たちを襲う奇病のニュースが世の中に流れる。
世界中の人々を、そして地球を破滅に追い込もうとした人たちに代わり、次はどんな人間が登場するのか。
人類は金銭や権力的欲望の次にどんな価値観を見いだすのか。
ところで、アトランティス大陸と聞くと私たちは、どこに沈んでいるのかとその場所に関心を持つ。
だが、なぜ沈んだのかについては無関心である。
古代ギリシャの哲学者、プラトンは、アトランスティス大陸についてこう述べていた。
『アトランティス大陸は、支配者である各地の王が権力と栄光に誘惑され、不正な野心に満ち、全世界を征服する決断を下したため、彼らの邪心を見てとった宇宙の支配者であるゼウスが、地震と洪水で海の底に沈めた』
全知全能の神であるゼウスが、アトランティスの支配者の行為に怒ったように、地球にはびこる、共存共栄に背く悪がいつまでもこのままでいい訳がないのだ。
「お父さん、さっきわたしは、永遠の命と若さがあるといいました。地球を救うため、そのほかにも色々な機能が微生物たちの力でわたしのDNAに組み込まれましたが、はるばる訪ねてきたBATARAの長老によって、それらすべてのDNAが元通りに置き換えられました。家族としてお父さんと暮らすためです。普通の人間になったのです」
ユキコは青味のある瞳を輝かせた。
寿命がきたら普通の人間のように死ぬということだった。
そのことは秦も、いつ聞こうかと気を揉んでいたところだった。
「そうか、よかったな」
一息つくように秦は、引き戸の四角い空を見あげた。
そのとき秦の脳裏に、三十年前の四歳の子供の言葉が点々と浮かびあがった。
忘れようにも忘れられない一言だった。
『お と う さ ん は や く た す け に き て』
熊の縫いぐるみを差しだし、下から父親を見詰める四歳の青味がかった澄んだ瞳。
『たすけたよ、雪子とユキコがな』
そして秦は、空から反射して零れ落ちてくる全地球の微生物たちの声を聞いたような気がした。
⦅世界もあと少しで生まれ変わる。地球を助けてくれてありがとう⦆
(8-4 了 おとうさんはやくたすけにきてー娘と蝶の都市伝説 完)
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