Dragon’s Song外伝-雑貨屋暮らしの猫

篁 玖月

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静かな雑貨屋と、銀の訪れ

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 朝の雑貨屋は、静かだった。
 ハーブの香りが、ほんのりと空気を満たしている。

 磨かれた木の床を踏みしめながら、メルヴィルは棚を一つ一つ確認していく。並べられた小瓶、手編みの布、吊るされたランプ。どれも特別なものではない。ただ、ここにあるべきものを、ここにあるべき形で置いているだけだ。

 カウンターの上では、白い猫と灰色の猫──ホプとメルが、ふたり並んで丸まっていた。
 小さな寝息を立てながら、時折、尻尾をぴくりと動かす。

「……ふわふわしすぎだ、お前たち」

 低く呟いても、猫たちは目を開けもしない。それでいい。――それがいい。

 この店を始めて、もう一年半が過ぎた。
 もともと人付き合いが得意だったわけではない。むしろ苦手だ。
 だが、こんなふうに、ただ猫たちと、静かな空気と、少しの香りと暮らす日々なら悪くない、と思う。

 ぴん、と耳が動いた。

 扉につけた小さな鈴が、微かに鳴る。誰かが、来た。

 メルヴィルは顔を上げず、耳だけで探る。足音は二つ。軽やかだが、警戒を忘れない気配。
 
 ――知らない足音だ。

 ホプが、ぱちりと目を開けた。
 メルも、頭をもたげて、小さな声で「んにゃ」と鳴く。

「……かわいい」

 聞こえた少女の声に、猫たちは弾かれたように動き出した。
 ホプは、青年の足元に絡み、メルは、少女の膝に前脚をかける。
 何のためらいもなく、甘えるように擦り寄っていく。

 めずらしい。心の中で、ぽつりと思った。

 このふたりの猫たちは、気に入らない相手には決して懐かない。
 どんなに笑顔を見せられても、どんなに好物を差し出されても、駄目なものは駄目なのだ。

 それなのに――この少女と青年には、警戒心を見せなかった。

 メルヴィルはようやく顔を上げた。

 少女は、銀の髪を持っていた。
 しなやかに落ちるその髪は、まるで冬の朝靄のように、ひっそりと静かだった。

 隣に立つ青年もまた、銀の髪を持っている。
 だが、こちらはどこか、陽光に馴染む柔らかな光を宿していた。――見慣れた、王族特有の気配。王子のレクサス・アルファードだろう。

 同じ銀髪でも、纏う空気はまるで違う。

 この少女――おそらくノア・ライトエースも、街では噂になっていた。
 士官学校を若くして卒業し、聖騎士候補として二年間エテルナへ修行に行っていたと、商品を卸しに来た商人がいつか話していた。

 興味もなく聞き流していたが、目の前の銀の少女を見て、妙に納得する気がした。

 ――ただ、それだけではなかった。

 ラパン族の直感が、微かに囁く。この少女は、単なる人間ではないかもしれない、と。

 人に擬態した、別の存在。けれど、それは恐ろしいものではなかった。

 それ以上、深く追う気も起きなかった。今は、目の前にある静けさだけで、十分だったから。

 カウンター越しに短く告げた。

「……いらっしゃい」

 少女が、控えめに礼を返す。
 青年が、穏やかに声をかけてきた。

「とても落ち着いた店だね。君が店主かな?」

 メルヴィルは、帳簿から目を離し、ちらりとだけ顔を上げる。だが表情は変えず、短く答えた。

「……そうだ」
 
「いろいろ見てもいいかな?」

 続く問いにも、メルヴィルは淡々と答える。

「……猫たちが気に入ってるなら、構わない」
 
「ありがとう」

 礼を言われても、メルヴィルは特に応じることなく、再び帳簿へ視線を戻した。
 
 ふと、少女の控えめな声が耳に届く。

「この子たち、人懐っこいですね」
 
 メルヴィルは、ちらりと猫たちを見やった。膝の上で喉を鳴らしているメル、足元で尻尾を揺らすホプ。
 ──たしかに、今日の猫たちは、いつになく甘えている。

「……珍しいな」

 短く呟くと、少女が小さく首を傾げた。

「え?」
 
 帳簿をめくる手を止めずに、メルヴィルは続けた。

「そいつら、気に入らないやつには見向きもしない」
 
 青年が、白い猫を撫でながら微笑んだ。

 その柔らかな気配に、メルヴィルはふっと小さく息を吐く。

「……ホプ、おまえは調子がいいな」
 
「ふふ、ホプっていうの?」

 青年の問いかけに、白い猫──ホプは「にゃーん」と答えるように鳴き、さらに足元でぐるぐると回った。
 
「こっちはメル」

 メルヴィルは、灰色の猫を指し示して簡潔に告げた。
 
「ホプとメル……かわいい名前ですね」
 
 少女の微笑みに、ホプとメルが喉を鳴らし、尻尾を揺らす。

 控えめな少女の声が、静かな空気を震わせた。

「……あの、よければ、店主さんのお名前も教えていただけますか?」
 
 帳簿をめくる指先が、一瞬だけ止まる。

 メルヴィルは、短く答えた。

「……メルヴィル」
 
 それだけを告げると、再び黙って帳簿へ視線を落とした。
 特に顔を上げることもなく、淡々と作業を続ける。
 
 ――それでも、店内の空気は、わずかに柔らかさを帯びた気がした。


 棚の隙間には、小さな腰掛けがいくつか置かれている。
 客が荷物を整えたり、少しだけ腰を下ろすための、控えめな配慮だった。

 もともと、長居する客は好まない。
 けれど、あの猫たちが懐いた客だけは──まあ、特別扱いしてもいいだろう。

 ホプは、白い尻尾を揺らしながら青年の足元に丸まり、メルは、灰色の体をすり寄せながら、少女の膝へと器用に収まった。

 ノアは、驚きながらも、そっとメルを受け止める。その細い腕には、どこか頼りなさと、静かな温かさがあった。

 レクサスは、足元に丸まったホプを見下ろし、ふっと微笑む。

(……甘えすぎだろう)

 メルヴィルは、帳簿をめくる手を止めずに、内心でぼやいた。

 けれど、猫たちの喉を鳴らす音が、店内の静けさにふわりと溶けていくのを聞いて──悪い気はしなかった。

 棚から一瓶、ハーブを取り出し、静かに湯を沸かす。二つの小さなカップに香り高い茶が満たされる。

 何も言わず、カウンターの端にカップを置いた。

 ノアは小さな声で「ありがとうございます」と言った。その声音には、素直な温かさがにじんでいる。

 レクサスは、穏やかに微笑みながら、柔らかく言葉を紡いだ。

「このハーブティー、まるでこのお店の香りを閉じ込めたみたいですね。……とても、落ち着きます」

 青年は、警戒する様子もなく、静かにカップを手に取った。

 ――王族なら、もっと慎重に振る舞うものだと思っていたが。

 メルヴィルは、帳簿をなぞりながら、静かに思った。
 だが、それを無謀とは思わなかった。この空気を、信じているのだろう。
 
 ホプが喉を鳴らし、メルが尻尾を揺らす。店内は、変わらず穏やかなままだった。

 メルヴィルは、特に表情を変えずに帳簿に目を戻した。そして、心の中で小さく呟く。

 ――たまには、これくらい、いいか。

 猫たちは、静かに膝の上で呼吸を刻んでいる。陽光に照らされた銀髪が、そっと揺れた。

 雑貨屋の空気は、変わらず穏やかだった。そして、その静けさを壊さぬ者たちがいることを、メルヴィルは、どこかで嬉しく思っていた。

 日が傾き、彼らが店を出たあと。

 メルヴィルは、ホプとメルを抱き上げて、カウンターの奥へ戻った。

 白い毛並みは、陽だまりのように温かく、灰色の毛並みは、夜明け前の空気のように静かだった。

「……悪くないな」

 ぽつりと呟いた言葉に、猫たちは小さな声で応えた。

 雑貨屋の一日は、また静かに、そして確かに続いていく。
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