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ふたりの首輪
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春の陽が差し込む午後。雑貨屋の奥、カウンターに腰かけたメルヴィルは、革の端材を広げていた。
窓の外では、白と灰の影がひょい、と塀を越える。ふたりの猫――ホプとメル。この王都ですくすく育ち、行動範囲は日に日に広がり、最近は城下どころか城にまで足を伸ばすようになった。
小さな冒険心と、気まぐれな自由の果てに、帰りが遅れる日も増えた。
それはそれで頼もしい。けれど――迷子になるのは困る。
「……首輪、いるな」
ぽつりとつぶやいたメルヴィルは、戸棚の奥から古い革の端材を取り出した。
いつだったか、仕入れたものの、結局使われずに残っていた上質なものだ。柔らかく、毛を傷つけない程度に加工された革。
ホプが興味津々で覗き込み、メルは、少し離れて見守っている。棚の上から、じっと視線を送っていた。
型紙に沿って革を裁断する音は、小さく鋭い。
切り口を指でなぞり、革包丁の刃をほんの少し寝かせて面取りをする。
ざらつきをなくし、やわらかな触感を残すための小さな仕事。細く切り出した革帯を、指先でしごく。
縫い穴をあけるため、目打ちを革にあて、木槌で軽く叩く。乾いた音が鳴り、穴が等間隔に並ぶ。
針は革細工専用の三角針。糸は蜜蝋を引いて、滑りをよくする。
縫い合わせるときには、糸を交互に通していく。表から裏へ。裏から表へ。
革を押さえ、糸を引くたびにふっと息を整える。
結び目をしっかりと抑えてから、蝋引き糸の先を火で軽くあぶり、溶かした部分を指先で抑えて止める。
最後に、革全体を柔らかい布で拭き上げる。
ふたりの名前と店の名を刻みこんだ銀の鈴をつけた。鈍い光を放つ首輪が、ふたつ。
ひとつは青いステッチ、もうひとつは赤いステッチをあしらった。
青いのはホプ用に。赤いのはメル用に。それぞれの色を映す首輪だ。
革の温もりと手仕事の痕跡が、彼らをきっと守ってくれるだろう。
「……ホプ。メル。出来たぞ」
「にゃぁ」
ホプが鳴き、メルが静かに後に続く。メルヴィルは、何も言わずにふたりを見下ろし、抱き上げる。
文句のようでいて、そうではない声。その腕の中、ホプが喉を鳴らし、メルはそっと額を押しつけた。
「おまえら、首輪なんて嫌がるかと思ったけどな」
けれど、「つけてみろ」と言わんばかりに、ホプは自慢げに尻尾を揺らした。
もう誰にも間違われないように。もう、見失わないように。
「……勝手にどこか行くな。見つけるの、大変なんだからな」
苦笑しながら首輪をつける。ホプは得意げに鳴き、メルは鏡の前でじっと自分を見る。
ぽす、と頭を撫でると、ふたりはそろって喉を鳴らした。
明日にはまた、ふたりして城まで遊びに行くのだろう。
けれど、首元で揺れる小さな鈴の音が、きっと誰かの心を和ませる。
それだけで、たぶん――十分だった。
翌日。
首輪をつけたふたりは、お昼寝のあと勝手に姿を消し、ふらりと夕方に帰ってきた。大方城であの飛竜の毛にもぐり込んでいたのだろう。
メルヴィルは黙ってふたりを撫で、手のひらで温度を確かめる。
少しだけ、風の冷たさが残っていた。
「……まあ、元気ならいい」
そう呟いた背後で、扉の鈴がからん、と鳴った。
「こんにちは。……あ、ちゃんと戻ってましたね。よかった」
入ってきたのはノア・ライトエース。優しい眼差しでホプとメルに視線を落とす。
「お昼過ぎに城の庭で一緒に遊んで……あの、首輪、すごく似合ってますね」
白いホプは鈴をちりちりと鳴らしてしっぽを揺らし、メルは首輪を誇らしげに見せるように座り直した。
ノアはふふっと微笑むと、ポケットから小さな布包みを取り出した。
「実は……これ、ふたりに。お守りです。小さな魔法石が入っていて、位置を探せるようになってます。お出かけしても、これがあれば、すぐに見つけられるはずで……」
「……誰に教わった?」
問うと、ノアはちょっとだけ困ったような顔で笑った。頬をかすかに染めながら、視線を少し伏せる。まるで、イタズラを見つけられた子どものような照れ笑いだった。
「えっと……イスズ神官長に、ホプとメルが迷子になった話をしたら、“それは面白そうだね”って、すぐに石を加工してくれて……」
「……あいつか」
メルヴィルは小さく溜息をつく。当代の神官長。イスズ・エルガ。変わり者だと噂には聞いていたが、こんな胡散臭いものまで作るとは。
ノアが包みを開いて、小さな魔法石を見せる。光に透けるそれは、淡い蒼と紅を帯びて、かすかに温かく輝いていた。
「この石、ホプとメルの場所を探せるって……本当にすぐに見つかるように、って言ってくれました。……あの、もしメルヴィルさんが嫌じゃなければ、これ……ふたりに持たせてあげてほしいなって」
言いながら、ノアは猫たちにそっと目をやる。ホプは首をかしげて鈴を鳴らし、メルは小さく尻尾を振った。
メルヴィルはしばらく石を見つめていた。淡く揺れる光が、まるで小さな命のようで――ふと、胸の奥がくすぐられる。
「……地図と連動する仕掛け、か」
呟く声に、ノアが少し身を固くする。どこか不安げに、けれど、やはり真っすぐな目でこちらを見る。
「でも、ちゃんと動作確認もしたんです。……ほら、これがその地図です」
差し出されたのは羊皮紙を折りたたんだ簡易な地図。広げると、青と赤の小さな光点が、ふわりと瞬いていた。
「試しに庭で……レックスに持って走ってもらって。……すごく小さい光なんですけど、ちゃんと反応してて……」
ノアは少し頬を赤らめながらそう言った。どうやら、王子であるレクサスが自ら協力してくれたことに、ちょっと気恥ずかしさを感じているようだ。
「……王子に?」
メルヴィルが片眉をあげると、ノアはこくんと頷く。
「私が試してるって言ったら、“面白そうだね”って。……それに、ホプとメルが見つけやすいならって」
言いながら、ノアはほんの少し視線を逸らした。
「……本当はレックスも、一緒に来たがってて。……でも、城の仕事があるからって……」
その言葉の端に、照れたような笑みがのぞく。手元の地図を見下ろしながら、その指先は震えるように微かに動いていた。
メルヴィルは地図を受け取り、ゆっくりと視線を上げる。ノアの瞳は不安と期待が入り混じり、けれど隠そうとしない真摯な光を宿している。
「……ふん。面白い仕掛けだな」
そう言ったとき、ノアの頬がわずかに緩む。ほっとしたように微笑んで、視線をそっと猫たちに移した。
その仕草に、メルヴィルはわずかに目を細める。
「……これで、まあ……少しは安心、かね」
ぽつりと呟くと、ホプがにゃーんと鳴き、メルが鼻先をくすぐるように寄せてきた。ノアはその光景を見て、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「……ありがとうって、言ってるみたいですね」
「……どうだか」
そっけない声を返しながらも、ホプの首輪を指先で直す手つきは、どこまでも丁寧だった。指の先に、革細工の温もりと、猫たちのぬくもりが重なる。
その音のないやり取りが、春の午後の光の中で、いつまでも優しく続いていくように感じられた。
ノアが帰ったあとの雑貨屋は、再び静けさに包まれていた。
夕暮れが落ち着き、店内に残るのはハーブティーの香りと、ホプとメルの小さな吐息だけ。
メルヴィルはカウンターの隅に腰かけ、湯気を立てるカップを両手で包んでいた。
その瞳は遠くを見つめているようで、けれど、どこか柔らかさを宿している。
夜が深まり、ランプの灯りだけがゆらゆらと揺れている。
メルヴィルは猫たちを抱き上げて、奥の部屋へ向かう。小さな鈴の音が、足元でやさしく響いた。
ホプとメルを毛布にくるませながら、ふと思う。
――あの聖騎士の少女や王子が、ここまで気にかけてくれるとは思わなかった。
この猫たちを「可愛い」と笑い、気まぐれな外出にも目を細めてくれる。
だからこそ、今度はこちらが応えねばならない。
「……何か、用意しておくか」
呟いた声は小さく、けれどどこか温かかった。
お礼など柄じゃない。けれど、この店には、心を込めて作れるものがある。
それがきっと、あのふたりにも伝わるはずだ――そんな予感があった。
猫たちは毛布にくるまり、すぐにうとうととまどろみ始める。
メルヴィルはしばらくその寝顔を見守り、そっと目を伏せた。
窓の外では、白と灰の影がひょい、と塀を越える。ふたりの猫――ホプとメル。この王都ですくすく育ち、行動範囲は日に日に広がり、最近は城下どころか城にまで足を伸ばすようになった。
小さな冒険心と、気まぐれな自由の果てに、帰りが遅れる日も増えた。
それはそれで頼もしい。けれど――迷子になるのは困る。
「……首輪、いるな」
ぽつりとつぶやいたメルヴィルは、戸棚の奥から古い革の端材を取り出した。
いつだったか、仕入れたものの、結局使われずに残っていた上質なものだ。柔らかく、毛を傷つけない程度に加工された革。
ホプが興味津々で覗き込み、メルは、少し離れて見守っている。棚の上から、じっと視線を送っていた。
型紙に沿って革を裁断する音は、小さく鋭い。
切り口を指でなぞり、革包丁の刃をほんの少し寝かせて面取りをする。
ざらつきをなくし、やわらかな触感を残すための小さな仕事。細く切り出した革帯を、指先でしごく。
縫い穴をあけるため、目打ちを革にあて、木槌で軽く叩く。乾いた音が鳴り、穴が等間隔に並ぶ。
針は革細工専用の三角針。糸は蜜蝋を引いて、滑りをよくする。
縫い合わせるときには、糸を交互に通していく。表から裏へ。裏から表へ。
革を押さえ、糸を引くたびにふっと息を整える。
結び目をしっかりと抑えてから、蝋引き糸の先を火で軽くあぶり、溶かした部分を指先で抑えて止める。
最後に、革全体を柔らかい布で拭き上げる。
ふたりの名前と店の名を刻みこんだ銀の鈴をつけた。鈍い光を放つ首輪が、ふたつ。
ひとつは青いステッチ、もうひとつは赤いステッチをあしらった。
青いのはホプ用に。赤いのはメル用に。それぞれの色を映す首輪だ。
革の温もりと手仕事の痕跡が、彼らをきっと守ってくれるだろう。
「……ホプ。メル。出来たぞ」
「にゃぁ」
ホプが鳴き、メルが静かに後に続く。メルヴィルは、何も言わずにふたりを見下ろし、抱き上げる。
文句のようでいて、そうではない声。その腕の中、ホプが喉を鳴らし、メルはそっと額を押しつけた。
「おまえら、首輪なんて嫌がるかと思ったけどな」
けれど、「つけてみろ」と言わんばかりに、ホプは自慢げに尻尾を揺らした。
もう誰にも間違われないように。もう、見失わないように。
「……勝手にどこか行くな。見つけるの、大変なんだからな」
苦笑しながら首輪をつける。ホプは得意げに鳴き、メルは鏡の前でじっと自分を見る。
ぽす、と頭を撫でると、ふたりはそろって喉を鳴らした。
明日にはまた、ふたりして城まで遊びに行くのだろう。
けれど、首元で揺れる小さな鈴の音が、きっと誰かの心を和ませる。
それだけで、たぶん――十分だった。
翌日。
首輪をつけたふたりは、お昼寝のあと勝手に姿を消し、ふらりと夕方に帰ってきた。大方城であの飛竜の毛にもぐり込んでいたのだろう。
メルヴィルは黙ってふたりを撫で、手のひらで温度を確かめる。
少しだけ、風の冷たさが残っていた。
「……まあ、元気ならいい」
そう呟いた背後で、扉の鈴がからん、と鳴った。
「こんにちは。……あ、ちゃんと戻ってましたね。よかった」
入ってきたのはノア・ライトエース。優しい眼差しでホプとメルに視線を落とす。
「お昼過ぎに城の庭で一緒に遊んで……あの、首輪、すごく似合ってますね」
白いホプは鈴をちりちりと鳴らしてしっぽを揺らし、メルは首輪を誇らしげに見せるように座り直した。
ノアはふふっと微笑むと、ポケットから小さな布包みを取り出した。
「実は……これ、ふたりに。お守りです。小さな魔法石が入っていて、位置を探せるようになってます。お出かけしても、これがあれば、すぐに見つけられるはずで……」
「……誰に教わった?」
問うと、ノアはちょっとだけ困ったような顔で笑った。頬をかすかに染めながら、視線を少し伏せる。まるで、イタズラを見つけられた子どものような照れ笑いだった。
「えっと……イスズ神官長に、ホプとメルが迷子になった話をしたら、“それは面白そうだね”って、すぐに石を加工してくれて……」
「……あいつか」
メルヴィルは小さく溜息をつく。当代の神官長。イスズ・エルガ。変わり者だと噂には聞いていたが、こんな胡散臭いものまで作るとは。
ノアが包みを開いて、小さな魔法石を見せる。光に透けるそれは、淡い蒼と紅を帯びて、かすかに温かく輝いていた。
「この石、ホプとメルの場所を探せるって……本当にすぐに見つかるように、って言ってくれました。……あの、もしメルヴィルさんが嫌じゃなければ、これ……ふたりに持たせてあげてほしいなって」
言いながら、ノアは猫たちにそっと目をやる。ホプは首をかしげて鈴を鳴らし、メルは小さく尻尾を振った。
メルヴィルはしばらく石を見つめていた。淡く揺れる光が、まるで小さな命のようで――ふと、胸の奥がくすぐられる。
「……地図と連動する仕掛け、か」
呟く声に、ノアが少し身を固くする。どこか不安げに、けれど、やはり真っすぐな目でこちらを見る。
「でも、ちゃんと動作確認もしたんです。……ほら、これがその地図です」
差し出されたのは羊皮紙を折りたたんだ簡易な地図。広げると、青と赤の小さな光点が、ふわりと瞬いていた。
「試しに庭で……レックスに持って走ってもらって。……すごく小さい光なんですけど、ちゃんと反応してて……」
ノアは少し頬を赤らめながらそう言った。どうやら、王子であるレクサスが自ら協力してくれたことに、ちょっと気恥ずかしさを感じているようだ。
「……王子に?」
メルヴィルが片眉をあげると、ノアはこくんと頷く。
「私が試してるって言ったら、“面白そうだね”って。……それに、ホプとメルが見つけやすいならって」
言いながら、ノアはほんの少し視線を逸らした。
「……本当はレックスも、一緒に来たがってて。……でも、城の仕事があるからって……」
その言葉の端に、照れたような笑みがのぞく。手元の地図を見下ろしながら、その指先は震えるように微かに動いていた。
メルヴィルは地図を受け取り、ゆっくりと視線を上げる。ノアの瞳は不安と期待が入り混じり、けれど隠そうとしない真摯な光を宿している。
「……ふん。面白い仕掛けだな」
そう言ったとき、ノアの頬がわずかに緩む。ほっとしたように微笑んで、視線をそっと猫たちに移した。
その仕草に、メルヴィルはわずかに目を細める。
「……これで、まあ……少しは安心、かね」
ぽつりと呟くと、ホプがにゃーんと鳴き、メルが鼻先をくすぐるように寄せてきた。ノアはその光景を見て、口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「……ありがとうって、言ってるみたいですね」
「……どうだか」
そっけない声を返しながらも、ホプの首輪を指先で直す手つきは、どこまでも丁寧だった。指の先に、革細工の温もりと、猫たちのぬくもりが重なる。
その音のないやり取りが、春の午後の光の中で、いつまでも優しく続いていくように感じられた。
ノアが帰ったあとの雑貨屋は、再び静けさに包まれていた。
夕暮れが落ち着き、店内に残るのはハーブティーの香りと、ホプとメルの小さな吐息だけ。
メルヴィルはカウンターの隅に腰かけ、湯気を立てるカップを両手で包んでいた。
その瞳は遠くを見つめているようで、けれど、どこか柔らかさを宿している。
夜が深まり、ランプの灯りだけがゆらゆらと揺れている。
メルヴィルは猫たちを抱き上げて、奥の部屋へ向かう。小さな鈴の音が、足元でやさしく響いた。
ホプとメルを毛布にくるませながら、ふと思う。
――あの聖騎士の少女や王子が、ここまで気にかけてくれるとは思わなかった。
この猫たちを「可愛い」と笑い、気まぐれな外出にも目を細めてくれる。
だからこそ、今度はこちらが応えねばならない。
「……何か、用意しておくか」
呟いた声は小さく、けれどどこか温かかった。
お礼など柄じゃない。けれど、この店には、心を込めて作れるものがある。
それがきっと、あのふたりにも伝わるはずだ――そんな予感があった。
猫たちは毛布にくるまり、すぐにうとうととまどろみ始める。
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