奥州二代目彦六一家

七味春五郎

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お目通り

その二

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 彦六一家の屋敷では、騒動が起こっていた。彦六の言動に煮え切らないものを感じた忠次郎が、夜分も遅くなって彦六の居間を訪ねたのだが、蒲団はもぬけの殻で、肝心の彦六の姿がない。
 慌てて文悟を叩き起こした。
「まったく、単純なんだから」
 報せを受けた文悟は、この失態にはがみしながら、一家の者をあつめた。
 最初に気づくべきであったのだ。彦六がせせこましい計略など考えつく訳がない。文悟はそれでいいと思っていた。そういう謀略事は、自分たちに任せておけばいいと思っている。だが、先走りだけはして欲しくなかった。
 おまけに、仁助と休臥斎まで姿が見えない。
 急ぎいくみ屋に走ったが、すでに次助たちは出払った後だった。
 下男の証言で、確かに彦六がここにきたことが知れた。
 文悟はしかたなく、配下をわけ、方々に探索にやった。

 次助たちは、彦六を近くの林へとさそいだした。ここなら人目にもつかない。殺しには最適の場所だった。
「どういうつもりだ」
 歩きながら、次助は尋ねた。
「裏でこそこそやるのは性にあわねぇ。出向いてやったぜ、頬傷次助」
「もっと自分のことに気をつかった方がいいな。早死にの元だ」
「おめぇに云われちゃおしまいだ」
 すると、次助は喉の奥で低く笑った。
「この頬傷な、お前の親父につけられたんだよ」
 事実だった。それより、こんな時になんでそんな話を切り出したのか不思議だった。
「いい晩になりそうだ。血を見るにはな」
 夜闇がつくる陰影の中で、次助の顔が歪んでいる。
 次助たちが立ち止まった。彦六は数歩先に進んだ。
 振り向くと、次助と子分たちが立ちはだかっている。
 仁助との合間に立ったことになるが、無論、誰も気づかなかった。
「どうけりをつけるんだい?」
 次助が訊いた。心底おかしそうだった。
「どうとでもつけるさ」
 次助は要領をえん答えだとあざ笑った。
 この時、背後で頃合を見計らっていた仁助が、次助の子分に見つかった。
「なんだ、お前は!」
 男が、誰何の声と共に仁助に走り寄る。
「斬れ!」
 次助が手を振ってわめいた。
「やめろ!」
 駆け寄ろうとした彦六の前に、子分たちが立ちはだかった。仁助は脚を踏みだした体勢のまま、文字通り凍りついた。
 男が長脇差をかざして、斬りかかってきた。術も法もないおそまつな技だったが、仁助には十分だった。
 声を上げたときには、胸を逆袈裟に斬り下ろされていた。
「仁助!」
 彦六の悲痛な叫びが、林にこだました。

 次助の子分に叩き起こされた矢坂九朗衛門は、町を外れ、林に入ったところで、背に声を受けた。
「誰だ」
 次助の子分が声を荒げた。手がそろりと懐中の匕首にふれている。
 目前に立つ浪人風の男は黙したままである。きらりと光る目で物憂そうに九朗衛門を見た。
「てめぇ、彦六一家のもんだな」
 やくざ者がまたわめいた。
「うちの二代目を斬らせるわけにはいかないよ」
 そう云って、休臥斎は大刀を抜き放った。無銘だが、相当の業物だった。無造作に脇に垂らして立っている。新陰流に云う、無形の位に似ていた。
 九朗衛門は奇妙に思い、口を利いた。
「あんなやくざ者になんで肩入れをする。金か?」
 九朗衛門の見たところ、彦六一家はもう駄目である。初代彦六の力が強すぎたが、それが死んではもういけなかった。いい金蔓とはとても見えない。
 休臥斎はしゃらりと答えた。
「金なんざもらっちゃいないさ。最初の契約は期限切れだしね」
「ならばなぜいつまでも居座っている」
「気に入っているからさ」
「なにっ?」
「そうさな。一晩の寝床とあったかい飯それさえありゃ云うことなしさ、この世はな」
 云い終わると、するすると間合いを詰めてきた。九朗衛門も合わせて刀を抜いた。
 やくざ者が気を利かしたか、脇によっている。九朗衛門は正面から休臥斎と対峙することになった。
 今日は覆面もしていない。白皙の顔が夜目に栄えている。
 休臥斎が無声の気合を発し、上段から跳ね上がるようにして刀を振り下ろしてきた。迅い。九朗衛門は刀を上げるのがやっとだった。
 凄まじい金属音と共に、二刀がはげしく噛み合った。
と同時に、休臥斎は身を沈め、横合いから突きかかろうとしたやくざ者に、一刀を送った。
 九朗衛門には、手を出す暇もない。やくざ者は、腹をほとんど二つに裂かれ即死した。
(ばかなっ)恐慌が九朗衛門をおそった。到底およぶ相手ではなかった。無意識に二間は飛びさがっていた。
 休臥斎は、無言で血刀を払った。
 腹の底から、九朗衛門はふるえた。休臥斎ほどの術者に出会ったのは、まさに生涯でこれが初めてであったのである。
「う、きぇえええ!」
 恐怖に顔を引きつらせながら、九朗衛門は休臥斎に迫った。
 摺上の一刀を送ったが、休臥斎は完全に見切り、体を躱している。脇に立ったかと思うと、目にも止まらぬ速さで九朗衛門の刀をはたき落とした。
「ゆ、許してくれ」外聞もなく、九朗衛門は土下座した。「あんなやくざ者たちに義理立てするつもりはないんだっ。後生だから見逃してくれ」
 休臥斎は、無言のまま九朗衛門を見下ろしている。
 休臥斎は急に馬鹿らしくなった。それより今は次助たちについていった彦六と仁助の身が心配だった。
 この程度とわかっていたら、こちらに来はしなかったのだが……。
 休臥斎は刀を鞘におさめ、九朗衛門に背を向けた。
 そのとたん、九朗衛門は行動を起こした。
 地面に落ちていた大刀を拾って、夢中で休臥斎に斬りかかった。
 休臥斎は、無言で脇差を背後に抜き打った。

 次助達の向こうに仁助がぐたりと倒れている。生きているようだが、傷は深いと見えた。
(なんでついてきたりしたっ)
 歯噛みしたい気分であったが、今さらどうにもならない。一刻も早く手当てをうけねば、仁助の命はない。
 次助と坂本一家のやくざ者が、ずらりと眼前に並んでいる。血の匂いにますます凶暴性をかきたてられているようだった。
「このこと、おめぇとこの親分さんは知っていなさるのかい」
 彦六が訊いた。
「知るわけがない。俺の一存でやったことだ」
 次助の返答に、彦六の眉がピクリと動いた。
「弥太郎を殺して自分が後釜にすわる気か」
 ここまでは知らされていなかったのだろう。子分たちが動揺し、次助を見た。次助はそれを横目でながめた。次助は子分までも斬らねばならなくなった。
 彦六は自分の言葉が確実に的を射たことを知った。次助は彦六一家をつぶそうと計ったばかりか、大恩ある弥太郎親分さえ斬ろうとしている。
「頬傷次助」呼びかけた。
「なんだ?」
「あんたは腐ってるな。俺たちにも任侠道ってものがある。それを外れたら、やくざ者はおしまいなんだよ……」
 次助は目を剥いた。
「おなじ穴のむじなのくせに、なにを云ってやがる! やくざ者なんざしょせん人間のクズだっ。何をいったところで、俺もお前も代わりはねぇんだ!」
 次助は肺腑をえぐるような声でわめいた。彦六の瞳が冷酷にきらめいた。
(斬るか……)
 釣りにでも行くような気軽さでそう思った。彦六はどんな相手でも殺しがいやだ。だが、こんな腐った男を生かしてはおけない。
 無造作に次助に歩み寄った。あまりにも自然な動作に、次助は声も出なかった。
 脇を通り過ぎた。そのまま抜き手も見せずに頚動脈を切り裂いた。
「次助兄貴!」
 朧月が血飛沫にけむる。一同、身じろぎもできなかった。結局、彦六は一度も匕首を見せていない。これほどの術は、とんとお目にかかったことすらなかった。
 子分たちは一様に臆した。が、一人も引く者がない。次助が弥太郎まで斬ろうとしたことを知ったためだ。
 こうなっては、なんとしても彦六の首をとり、親分に報いなければならない。彦六の匕首はおそろしいが、身内に殺されるよりはましだった。
 長脇差や匕首といった刃物が、つらつらと彦六をかこみはじめた。
 彦六は匕首すら取り出さない。かすむように立っている。
(これまでか……)
 そう、思った。五人が相手では勝ちは覚束ない。
 もはやどう仕様もなかった。如何様にでもなりやがれという、やけくそ気味の気合いだけがあった。五人を相手に斬り死にするつもりでいる。
 ただ、
(仁助だけは、助けてやりたかったなぁ)
 そのことだけが、心残りであった。

 五人は完全に彦六を包囲した。
 しかも、彼らは必死である。捨て身でくるやもしれない。そうなっては、彦六の匕首がいくら閃いたところで無事で済むはずがなかった。
 一家の男たちの顔がまざまざと思い起される。もうしわけないと思った。ようやく長老にも認められかけたところだ。そうなるために文悟たちがどれだけ苦労したことか。自分が死ねば、きねは独りぼっちになる。伴兵衛も灸蔵も悲しむに違いない。あの世で親父はなんというだろう。
 そのような思念が、一瞬にして、彦六の胸裏をよぎった。無責任であったわけではない。こうするしかなかっただけのことだ。独り身の気軽さが懐かしかった。
 五人はじわじわと間合いを寄せてくる。彦六は左足を引いて、一同を見渡した。その時、「二代目」
 と、林の奥から声がかかった。休臥斎である。
 かと思うと、早くも囲みの一人を斬り伏せていた。彦六にも劣らぬ早業だった。
 絶叫が、おくれて上がった。
「また間に合いましたねぇ」
 休臥斎は隠しようのない殺気を、惜し気もなく放射しながら刀を閉じた。
 殺気を放ちながら、刀をおさめるとは奇妙だが、休臥斎は腰を落とし、半身になっている。居合の構えだった。
 残ったやくざ者たちが狼狽した。
「いっとくがおたくの用心棒は来ないよ」
 そう告げられ、ますます絶望は深くなった。
「やめろ……」一人が呻くように呟いた。
「わかっちゃいないな。おめぇさんら、もう行き場はなくなったんだよ」
 彦六が告げた。休臥斎はなにも云わない。
 四人は死に身になった。生を捨て、二人の命を奪いにきた。
 その瞬間、休臥斎の刀が閃いた。たちまち一人を斬り、返す刀で二人目を斬った。
 彦六は真っ正面から捨て鉢におどりかかる男の首を切り裂いた。バッと血潮が上がる。男はぶるぶる震えながら、彦六をねめつけてきた。
 彦六の腕を押さえ、あっと思ったときには、男の匕首が伸びていた。
 休臥斎がその腕を斬った。男は絶望のまま、悶死した。
「うわああああ!」
 後に残ったやくざ者が長脇差を振りかざし、かかってきた。
 長く、耳にのこる、悲鳴のような声だった。休臥斎が横ざまに刀を払い、その胴を十分に斬った。
「う……」
 男は地面に倒れる前に絶命していた。
 彦六は呆然と荒い息を吐いていた。背筋をぞくりとした悪寒が走る。男の死に際の目が、脳裏に焼き付いていた。
「仁助」
 はっと気づいて彦六は仁助の元に走った。刀を懐紙で拭うと、休臥斎も後を追った。
「しっかりしろ、仁助」
 仁助はまだ息があった。
「五分五分といったところでしょう」
 彦六に見られ、休臥斎が答えた。むきだしになったままの刀に気づいて、鞘におさめた。
「あの一言はいけません。追い詰めました」
 休臥斎がぽつりと云った。彦六の言葉を指摘している。あの一言で、やくざ者たちを追い詰めてしまった。
 後のなくなった人間というのは何をしでかすかわからない。その後をなくしたのは、他ならぬ彦六の言葉である。
 彦六も、そのことは重々承知していた。死に身になった人間の怖さを知らなかった。
 仁助が斬られたことで、彦六も平静ではいられなかったのだろう。
 やくざ者たちを死に身にさせたのは、自分の一言だった。そのことが、胸にこたえた。
 林の向こうから声がした。文悟たちがようやく駆け付けたらしかった。
 休臥斎が肩を叩いた。彦六は一言もなかった。

 医学の心得がある忠次郎が、仁助を診た。
 彦六も無事、次助も片付き一安心と云いたいところだが、問題は斬られた仁助である。
 彦六たちは仁助を板に乗せ、屋敷に連れ戻した。
 忠次郎が玄関に飛び出してきた。傷をあらため、「座敷に運べ」と、わめいた。これは助かる見込みがあるということだ。
 文悟が彦六の隣につっと立った。
「今日はいささか無茶がすぎやしたぜ」
 怒りをはらんだ声だった。
 黒田彦六は端然としている。
「これからもっと無茶をやる」
「えっ?」
 意表をつかれて文悟は唖然となった。そのうちに、彦六は土手を西へと歩き始めていた。

 彦六が向ったのは、種町にある坂本一家の屋敷である。
「正気ですかい?」
 文悟が脇に立つ彦六にささやいた。
 さっきの今で、坂本一家に出向くのは無茶というものである。坂本の衆は善い悪いをぬきにして、血の気が多い。ただで帰れるとは思わなかった。
 彦六はなにも云わず、考え込むようにして坂本の屋敷を見つめている。
 彦六は仁助のことを悔やんでいた。ああなったのは、伴兵衛じいが何といおうと自分の責任である。詫びがわりに、この一件をなんとかしてやりたかった。
 仁助にしたら、彦六にはもう大人しくしていて欲しいのだろうが、それに気づかないのが彦六の短所であり長所である。
「こりゃぁ、俺もいよいよ覚悟を固めなきゃいけねぇかな?」
 文悟が懐の匕首を無意識に握った。
 すると、彦六が、「よしな」声をかけ、文悟の匕首を奪うと脇に放った。
 さすがの文悟が目を見張った。
「二代目」
 声に咎めるような響きがある。
 彦六はちろりと文悟を見た。こちらの目にも咎めるような色がある。
「どんな理由にせよ、俺たちは坂本のもんを六人も斬ったんだ。わびをいれるのが道理なら、手向かうのは筋外れ……違うか?」
「しかし、次助の野郎は弥太郎親分の命まで狙ったんですぜ」
「もし仁助が死んだとしたら、おめぇは復讐を考えないかい?」
 文悟はつまった。むっと唸っただけだった。
 彦六の云うことは確かに筋が通っている。だが、それが通用するのは向こうの筋が外れていなかった場合だけだ。
 命を狙われて、さらに詫びをいれるとは、なんとも解せない話である。
 彦六が、そんな文悟を横目で見ながら、ゆっくりと口を切った。
「次助がな、こういうんだよ。しょせんはやくざ者、俺もおめぇも変わりがねぇ、ってな。あの世に行ってまで次助の奴に勘違いをされたままじゃ、死んだ親父も立つ瀬がないだろうよ。俺たちゃそんじょそこらのやくざとは違うってところを、見せてやろうじゃねぇか」
 そこまでしゃべって彦六は笑った。吸い込まれるような笑みだった。
 ないことに、文悟の身の内が震えた。
「いいだろう。この身一つ、彦六親分に預けやしょう」
 莞爾と笑った。そのまま二人は坂本一家の門をくぐった。
 おもえば、若衆頭の文悟が、この若い二代目のことを彦六親分と呼んだのは、この時がはじめてである。

 彦六と文悟は、坂本一家の男たちに囲まれながら、弥太郎の前に通された。なんとも痛い視線が集中するが、二人は気にも止めた様子がない。
 堂々と廊下を渡った。これには坂本一家のやくざ者の方が拍子抜けしたほどだ。
 こうと決めたからには文悟はさすがである。
 二人は弥太郎の前にならんで座り、次助とその子分に命を狙われ、やむなくこれを斬り殺したことを報告した。
 六人の死体は千町の林のなかにあるという。
 弥太郎が目を走らせ、配下を向わせた。手を膝に置くと、切り出した。
「なんでそのことを伝えに来た」
「大事な部下が突然いなくなったままじゃ、寝覚めが悪いだろう」
 彦六がうそぶいた。
 文悟がおかしそうに笑いを堪えている。
「二代目のおめぇと、若衆頭の二人でか?」
「そうだ」
 弥太郎はまじまじと彦六を見た。
(なんともあの男にいやんなるほど似てやがる)
「おわけぇの、命は大事にした方がいい」
 両脇のふすまがすっと開いた。男たちが手に手に武器を持ち立っている。
 二人はさすがにヒヤリとしたが、それはおくびにも出さなかった。
「こちらに非はない」
 彦六が床に手をついて身を乗りだした。
「非があろうがなかろうが、そんなものはかまわないんだよ。大事な手駒を殺されて、黙っているわけにはいくめぇ」
 弥太郎が凄味をきかした。
 文悟はこの手駒という言葉がなんともいやだった。彦六ならそんなことは口が裂けても云わない。飛びかかってぶん殴ってやりたくなったが、ああいった彦六の手前、それも出来ない。
(このままなます切りかね)
 そう思うと、奇態なことに腹の底でむずがゆいような快感がわき起こった。この男と道連れなら、それも悪くない。
 腹をくそ落ち着きに据えた文悟を見て、弥太郎はあなどれぬ、と見た。さすが先代彦六に見込まれただけはある。
 だが、そんな男に死んでもいいと思わせる彦六も大したものだとおもわざるをえなかった。いったい坂本一家に自分とともに死ぬような男が何人いるだろう。
 だからこそ、弥太郎は彦六を斬ることを怖れた。斬れば彦六一家は総力を上げて報復に出るはずである。その時は、こちらが一人残らず死ぬるまで、闘争をやめはすまい。全面戦争になる、との予感があった。
「くだらねぇ感傷のために、この場で死ぬる気かね、二代目」
 弥太郎ははじめて彦六を二代目と呼んだ。
 文悟がアゴをしゃくった。
「くだらなくはないよ。第一こちらはあんたの命を救ったんだからね。このまま俺の親分を斬れば、さぞ気分も悪かろう」
「なにっ?」
 弥太郎は文悟に視線を移した。
 目を彦六にもどし、どういうことだと暗黙の内に問いかける。
「次助は俺を殺したあと、あんたに後を追わせ、自分が坂本一家の棟梁につくつもりだったんだね」
 彦六はすらすらと語った。弥太郎は思わずぎくりとなった。
 云われてみれば、思い当る節はいくつもある。次助はかねてから当主の座を狙っていた。
(どうも最近影でこそこそやっていると思ったら……)
 忸怩たる思いがあった。次助の息のかかったものは、残らず殺さねばならぬ。そうせねば、いずれ次助と同じ考えを持った者があらわれる。そう信じた。が、
「次助以外は知らない」
 弥太郎の思念を読んで、彦六が静かに告げた。
 確かだった。次助は共に彦六を襲った子分にすらこの事を告げていなかったのである。
 おそらく、次助は今日まで迷っていたのではないか。だからこそ、自分一人の胸の内におさめていた。そのように思えてならない。
 彦六と文悟が席を立った。
 子分たちが動きかけたが、弥太郎は手を振ってこれを止めた。
 二人が引き上げた後も、弥太郎は動けなかった。
「若造に助けられたか……」
 笑おうとしたが、こめかみに流れる汗に気づき、苦そうに舌を打った。

「おう」
「二代目ぇ」
 表で雷造と灸蔵が、二人を待ち構えていた。
「なんだ、おめぇら何してる」
 文悟が安心したように笑った。
「なに、一働きしてやろうかと思ってな」
 暴れ者の雷造がぶるんと腕をふるった。
「もうおわっちまったよ」
 彦六が云うと、残念げに顔を歪めた。
「今度からは、俺たちもさそってくれよな、二代目」
 雷造が寂しそうに云った。本当に辛そうだ。
 石屋の灸蔵が、その背を音高くはりとばした。
「いてーっ、なにしやがる!」
「おー、元気が出たじゃねぇか」
 雷造の太い腕をかいくぐり、チビの灸蔵がチョロチョロ逃げ回っている。彦六親分が威勢よく笑った。
「帰りやしょうか」
 腕を袂に入れて、若衆頭がさも愉快そうに歩き出した。
 それを、後ろで弥太郎たちが眺めている。当代きっての粋人、黒田彦六のまわりに集ったのは、さすが一廉の男たちであった。
 この時の、二人の悪怯れぬ様子は、長く語りぐさになった。仁助は一命をとりとめた。

 朝の六どきに、黒田彦六のお目通りは行なわれた。
 大和屋の座敷に、町の長老衆が東西にわかれてずらりと並んでいる。
 下で平伏しているのは、黒田彦六を筆頭とする奥州二代目彦六一家の重鎮たちである。
 きねは座敷の隣に備え付けられた居間で、一人、熱い茶をすすっていた。
 座敷から、老人たちの嬌声が響いてくる。お目通りはうまく云っているようだ。
 きねは開け放たれた座敷の引き戸から陽の落ちこむ庭を眺めた。
「あのアホウも、ようやく二代目だよ、彦六」
 そう云って、一口茶をすすった。目の前で、先代黒田彦六が、笑っているかのようだった。
 かすかに冷気を含んだ西風が、きねのいる座敷に吹き込んでくる。そろそろ、草葉も芽吹き、春が来るだろう。
 茶で暖まった体に、涼やかな風が心地よかった。
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