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【急な出来事】
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・【急な出来事】
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アタルと紗栄子ともバイバイしたし、また家でいつも通り曲作りでもするかな、と思いながら、玄関の鍵を開けると、なんとドアが開かない。
何でだと思うと、どうやら既に鍵が開いていて、今さっき自分で閉めていただけだったみたいだ。
鍵あるあるだな、と思いつつ、家の中に入った俺。
いやその前に思うことがある。
今日は既に両親が帰ってきているということだ。
いつも深夜にならないと帰ってこないばかりか、そのまま何も言わずに泊まりなんて日もある両親なのに、今日は家にいるなんて珍しい。
いや確かに父親がアーティストのバックバンドをしていて毎日忙しいと言っても、休みの日が全く無いわけではない。
とは言え、父親は毎日毎日バックバンドをするアーティストが代わり、アーティスト業界から引っ張りだこのギタリストらしいので、休みの日はほとんど無い。
その父親に付きっ切りで世話をするのが、父親のマネージャーである母親なので、いつも2人揃っていない。
さて、今日は母親だけたまたま先に帰って来たのか、それとも両親共々いるのか、と思いながら居間に入ると、そこには父親も母親もいた。
「おぅ、帰って来たか」
父親が俺に手を挙げながら挨拶をした。
俺も
「ただいま」
と言うと、母親が笑いながら、
「ちょっと無愛想過ぎでしょ、ハグとかしてもいいのよ」
と言ってきて、ちょっとウザいと思った。
いやハグなんて海外の子供じゃないんだからしないだろ、と思いつつ、そのまま二階の自分の部屋へ行こうとすると、父親が、
「まあちょっと待て」
と言ったので、そっちを向くと、父親はニヤリと笑いながら、
「面白い話があるんだ」
と言ったので、俺は居間のソファーに座って、父親と対面した。
正直何だか嫌な予感がした。
父親の面白い話は大体面白くないから。
ユーモアセンスはゼロだから。
「何だよ」
と俺が言うと、父親は手を大きく、大袈裟に、まるでアメリカの映画のように広げながら、こう言った。
「良い仕事が入った」
「そんなんいつも通りだろ、また長期的に全国ツアーを回るのかよ」
父親は人差し指を動かし、
「チッ、チッ、チッ」
と舌を鳴らした。
いちいちウザいし、面倒だから早く言ってほしかったので、俺は、
「単刀直入に話してくれ」
と言うと、父親は大きなため息をついてから、こう言った。
「やっぱり音楽をやるには、ゆとりも大切だ。そして本物を聞くこともなっ」
何か妙に自信満々な表情でイラつくし、母親は母親で満面の笑みで小さく拍手していて不快だった。
これなら絶対紗栄子の両親のほうがいいな、と心底思った。
紗栄子の父親はヨボヨボだけども優しいし、紗栄子の母親はいつも快活で明るくて、そしてやっぱり優しい。
昔は自分の両親も嫌いじゃなかったけども、どんどん仕事を優先していく両親に何だか嫌気が差した。
構ってほしいという、子供心が自分にあることも嫌だけども、それ以上に何もしてくれない両親のことが今は好きになれない。
というか、
「溜めてないで早く言えよ、面倒だよ、この間」
「じゃあ言ってやろう。翔太、引っ越すぞ。ニューヨークにな」
はっ? 何を言っているんだ?
急に。
やっぱり父親はユーモアセンスがゼロだ。
それに対して母親が、
「まあ素敵!」
と言いながら笑っている。
これの何が素敵でおかしいんだ。
本当に感覚がズレている。
俺は後ろ頭をボリボリ掻きながら、
「そういうクソつまんないジョークに構っている暇無いから、俺二階へ行くから」
と言って立ち上がると、父親がこう言った。
「正しい発音はJOKE、な? これからニューヨークに行って本物を学ぶんだ、英語もちゃんと覚えるといい」
俺は父親のほうを振り返りながら、
「それ本当なのか?」
と聞くと、父親は大笑いしてから、
「NO JOKE、って、ヤツだな!」
「いやそういうキモイ言い回しはいいから単刀直入に言えよ」
と俺が言うと、母親はムッとしながら、
「ちょっと翔太、反抗期が早いわよっ、これは本当の話よね、ねっ、パパぁ」
「勿論本当の話だ、オレは真実しか言わないからな」
それならば
「俺は日本に残るから、友達とやりたいことがあるから」
すると父親はこう言った。
「そんな遊びの音楽は止めてまずは本物を知れ、本物を知った上でその遊びの続きをしたいのならばそれでいい。だが本物を知らないうちに偽物だけで満足するような人間にはなるな」
俺はイライラが頂点に達したので、デカい声でこう言った。
「俺とアタルと紗栄子は遊びじゃない! 俺の本物は俺が決める!」
父親はやれやれといったような表情で、
「まだ小さい子供が一人暮らしをするのか? いやまあそれはいいとしてお金はどうする? お金を出しているのはこのオレなんだぜ? 翔太、お金を稼いでいるのはオレだ。オレの決定に異論は不可能だ。翔太はオレとママと共にニューヨークへ引っ越すことは既に決定事項なんだ」
正直俺はぐうの音も出なかった。
そう、所詮俺は養われているだけの身。
そう言われてしまったらもう文句をつけることはできなくて。
でも、でも、それ以上は何も言わなかった。
それが俺の最後の反抗だった。
何も言わず自分の部屋に行き、テーブルを殴った。
拳はじんじんと痛むが、そんなことよりも心がつらかった。
せっかくまた楽しくなってきたのに、アタルと紗栄子とお別れしないといけないなんて。
アタルはもう引っ越さないと言っていたのに、まさか俺が引っ越すことになるなんて。
結局、その日は作曲をする気も夕ご飯を食べる気も無くて、走ってお風呂に入るだけで、あとは歯を磨いてベッドに横になった。
でもすぐに眠れなくて。
本当にこのまま終わってしまうのか。
いやもう終わるしかないんだろうな。
次に日本へ戻ってこれる時はいつなんだろうか。
なんて、まだニューヨークにも行っていないのに、そんなことを考えてしまった。
次の日、俺は登校への足が重かった。
いっそのこと、このまま何も言わずにニューヨークへ行きたかった。
でもそのニューヨーク行きまで二週間あるという話だ。
しかしながらもう、この二週間内での勉強は無意味だ。
日本語で日本の勉強をしたって、ニューヨークでは無意味で、俺は家に引きこもって英語の勉強すれば良かったかなとか考えていた。
登校の途中で、いつもは会わない紗栄子とバッタリ会ってしまい、俺は何てタイミングが悪いんだと思った。
紗栄子は俺の気持ちなぞ、露知らずで、話しかけてきた。
「おはよう! 今日も楽しいことで満ちた日であれ! だねっ!」
「えっ、あっ、うん……」
何かちゃんと返事をすることさえもできない。
それに紗栄子はさすがに違和感を抱いたようで、
「どうしたのっ? ショータ、体調悪いのっ? おんぶしてあげようか!」
「いやおんぶはいいけども、えっと、体調確かに悪いかもしれないな」
ここは体調を悪いフリしたほうが楽だと思って、そう言うことにした。
いやでも実際本当に体調が悪いのかもしれない。
だって昨日は結局一睡もできなかったから。
「あんまり無理しないで! 無理だったら帰ったほうがいいよ! その辺は自由な発想でまとめていこう!」
元気な紗栄子に何だか申し訳なく感じてきた。
引っ越すこと、言ったほうがいいかな。
でも何か言いたくない。
言ったら事実になってしまうから。
いやもうとっくに事実なんだけども、言ったら自分で認めたことになるから。
絶対紗栄子は悲しそうな顔をするだろうし、紗栄子のそんな顔は見たくなかった。
紗栄子にはいつでも明るいこの顔だけをしていてほしいから。
そんな明るい顔を俺は目に焼き付けていたいから。
教室に着くと、アタルが俺に話しかけてきた。
「おはよう! YO! YO! 重要! 栄養! HEY! YO!」
何だかご機嫌でうらやましい。
俺と紗栄子はそれぞれ、
「おはよう」
「今日も元気だね! 昇った太陽が舞台袖に下がらないね!」
と挨拶をすると、アタルが何かに気付いたような表情をしてから、こう言った。
「翔太、ちょっと元気無い? 悩み事なら全部カラダに聞いて!」
いや
「カラダに聞いたら自己完結するだろ、アタルのカラダということか?」
「勿論そうだよ!」
とアタルが答えたところで、紗栄子が、
「やっぱりそうだよね、ショータって元気無いよねぇ。体調不良と言っているけども、それ以上にもっと無い?」
と小首を傾げながら、言ってきたので、これはまずいと思って、俺はから元気だけども、大きな声で、
「全然大丈夫だよ! 体調不良なだけだから! いやまあ体調不良が良くないんだけどもな!」
それに対してアタルが、
「翔太が荒らげるなんておかしい……本当に何か隠していない?」
と俺が大きな声を出したことに違和感を抱きだしたので、もうどうすればいいんだよ、と思った。
やっぱり言ったほうがいいのか。
いやまあ言ったほうがいいのは明白なんだけども、俺はどうも言いたくないんだ。
この楽しい空気を壊したくないんだ。
俺は最後までアタルと紗栄子と楽しく喋っていたいんだ。
だから俺は、
「大丈夫だって、何も隠していない……じゃあ言うよ、ちょっと作曲で悩んでいるメロディがあって、それで寝不足になって体調不良になったんだ」
勿論嘘だ。
でもこのくらい整合性のとれた嘘なら疑わないだろうと思って、こう言ってみた。
すると紗栄子は何だか納得したように頷いた。
アタルはまだちょっと不満そうだったけども、すぐにこう言った。
「翔太の良さはメロディだけじゃないから、他のところを考えても面白いかもしれないよ!」
嘘を通してしまった罪悪感を少し抱いたけども、これはしょうがないと思って、自分でも納得することにした。
翔太は他の友達に呼ばれて、そっちへ行き、俺と紗栄子で最近見たカッコイイMVの話をした。
朝のホームルームが始まり、授業が始まり、今日は全部教室での座学なので、体育をずる休みする必要は無くてホッとした。
ただ給食の時間は体調不良の演技をするために、食べる量を減らした。
いやでも実際あんまり食べる気も起きなかった。
やっぱり体調不良は体調不良なんだと思う。
ずっと引っ越しが嫌だと考えすぎて、何もする気がしなくて、食べる気も全然しない。
だから紗栄子が俺のデザートを代わりに食べてくれた。
美味しそうに食べる紗栄子の顔を見ることが一番の癒しだった。
昼休み、アタルは活発な友達とグラウンドに出掛ける。
たまに誘われる時もあるけど、今日は体調不良ということになっているので、それも無い。
だから紗栄子と一緒にずっと音楽の話をしていると、紗栄子が急に、
「ショータ、たまに暗い顔をするけども、本当に大丈夫。そんなずっと作曲のこと考えなくてもいいんだよ? 大仏もたまには休まないと」
「いや俺大仏じゃないけども、とにかくまあいろいろ考えているんだよ」
「もっと私との会話に集中してよ、集中地蔵を設置してよ」
「地蔵設置したところで集中する人、聞いたこと無いよ」
「話をはぐらかさないで!」
いや
「紗栄子が変なこと言うんじゃんっ」
とちょっと強めにそう言うと、紗栄子が口を尖らせながら、
「変な言葉も出るよ、ショータがちょっと変なんだもん」
「だから体調不良なだけだから、何も気にすることはない、時間が経過すれば治る」
そう、時間が経過すれば。
時間が経過すれば終わるんだ、こんな楽しい時間も。
二週間後には、俺はニューヨークに引っ越している。
時間は経過するだけ、戻りはしない。
いつの間にかこの日々も過去になっていって。
もしかしたら俺のことなんて忘れてしまうのかもな。
そんなことを考えてしまったら、憂鬱症状が強く出て、その場で俯いてしまった。
それに対して紗栄子が、
「ちょっと、本当にどうしたの? 冷静と暗いは違うよ? ショータ! 本当にどうしたのっ!」
その声に、他の、教室にいたクラスメイトたちがやって来た。
「翔太、どうしたんだ、何か疲れてんのか?」
「翔太くん、何かあったら保健室へ行ったほうがいいよ」
「うん、ショータくんのこと保健室に連れて行ったほうがいいよ」
そうだ、保健室だ。
保健室に逃げ込もうと思い、俺はすぐさま立ち上がった。
立ち上がった俺の手を握った紗栄子が、
「私もついていこうか?」
と言ったので、これを断るのは違和感があるので、俺は、
「じゃあ紗栄子、一応ついてきてくれ」
とまた嘘をついた。
嘘で紗栄子もアタルもクラスメイトも振り回してしまって、本当に申し訳ないが、俺はもうこういう道を選択することしかできなくて。
俺は紗栄子と一緒に保健室へ行き、そのまま保健室のベッドに寝た。
紗栄子は心配そうな表情をしながら、教室へ戻っていった。
これでいい、これでいいし、これじゃダメだ。
やっぱりもうダメだ。
限界だ。
明日からはもう学校へ行くことも止めよう。
どうせニューヨークに引っ越すんだ、もう日本の勉強は意味が無い。
だから学校へ行く理由なんてどこにも無いんだ。
そう、どこにも。
・【急な出来事】
・
アタルと紗栄子ともバイバイしたし、また家でいつも通り曲作りでもするかな、と思いながら、玄関の鍵を開けると、なんとドアが開かない。
何でだと思うと、どうやら既に鍵が開いていて、今さっき自分で閉めていただけだったみたいだ。
鍵あるあるだな、と思いつつ、家の中に入った俺。
いやその前に思うことがある。
今日は既に両親が帰ってきているということだ。
いつも深夜にならないと帰ってこないばかりか、そのまま何も言わずに泊まりなんて日もある両親なのに、今日は家にいるなんて珍しい。
いや確かに父親がアーティストのバックバンドをしていて毎日忙しいと言っても、休みの日が全く無いわけではない。
とは言え、父親は毎日毎日バックバンドをするアーティストが代わり、アーティスト業界から引っ張りだこのギタリストらしいので、休みの日はほとんど無い。
その父親に付きっ切りで世話をするのが、父親のマネージャーである母親なので、いつも2人揃っていない。
さて、今日は母親だけたまたま先に帰って来たのか、それとも両親共々いるのか、と思いながら居間に入ると、そこには父親も母親もいた。
「おぅ、帰って来たか」
父親が俺に手を挙げながら挨拶をした。
俺も
「ただいま」
と言うと、母親が笑いながら、
「ちょっと無愛想過ぎでしょ、ハグとかしてもいいのよ」
と言ってきて、ちょっとウザいと思った。
いやハグなんて海外の子供じゃないんだからしないだろ、と思いつつ、そのまま二階の自分の部屋へ行こうとすると、父親が、
「まあちょっと待て」
と言ったので、そっちを向くと、父親はニヤリと笑いながら、
「面白い話があるんだ」
と言ったので、俺は居間のソファーに座って、父親と対面した。
正直何だか嫌な予感がした。
父親の面白い話は大体面白くないから。
ユーモアセンスはゼロだから。
「何だよ」
と俺が言うと、父親は手を大きく、大袈裟に、まるでアメリカの映画のように広げながら、こう言った。
「良い仕事が入った」
「そんなんいつも通りだろ、また長期的に全国ツアーを回るのかよ」
父親は人差し指を動かし、
「チッ、チッ、チッ」
と舌を鳴らした。
いちいちウザいし、面倒だから早く言ってほしかったので、俺は、
「単刀直入に話してくれ」
と言うと、父親は大きなため息をついてから、こう言った。
「やっぱり音楽をやるには、ゆとりも大切だ。そして本物を聞くこともなっ」
何か妙に自信満々な表情でイラつくし、母親は母親で満面の笑みで小さく拍手していて不快だった。
これなら絶対紗栄子の両親のほうがいいな、と心底思った。
紗栄子の父親はヨボヨボだけども優しいし、紗栄子の母親はいつも快活で明るくて、そしてやっぱり優しい。
昔は自分の両親も嫌いじゃなかったけども、どんどん仕事を優先していく両親に何だか嫌気が差した。
構ってほしいという、子供心が自分にあることも嫌だけども、それ以上に何もしてくれない両親のことが今は好きになれない。
というか、
「溜めてないで早く言えよ、面倒だよ、この間」
「じゃあ言ってやろう。翔太、引っ越すぞ。ニューヨークにな」
はっ? 何を言っているんだ?
急に。
やっぱり父親はユーモアセンスがゼロだ。
それに対して母親が、
「まあ素敵!」
と言いながら笑っている。
これの何が素敵でおかしいんだ。
本当に感覚がズレている。
俺は後ろ頭をボリボリ掻きながら、
「そういうクソつまんないジョークに構っている暇無いから、俺二階へ行くから」
と言って立ち上がると、父親がこう言った。
「正しい発音はJOKE、な? これからニューヨークに行って本物を学ぶんだ、英語もちゃんと覚えるといい」
俺は父親のほうを振り返りながら、
「それ本当なのか?」
と聞くと、父親は大笑いしてから、
「NO JOKE、って、ヤツだな!」
「いやそういうキモイ言い回しはいいから単刀直入に言えよ」
と俺が言うと、母親はムッとしながら、
「ちょっと翔太、反抗期が早いわよっ、これは本当の話よね、ねっ、パパぁ」
「勿論本当の話だ、オレは真実しか言わないからな」
それならば
「俺は日本に残るから、友達とやりたいことがあるから」
すると父親はこう言った。
「そんな遊びの音楽は止めてまずは本物を知れ、本物を知った上でその遊びの続きをしたいのならばそれでいい。だが本物を知らないうちに偽物だけで満足するような人間にはなるな」
俺はイライラが頂点に達したので、デカい声でこう言った。
「俺とアタルと紗栄子は遊びじゃない! 俺の本物は俺が決める!」
父親はやれやれといったような表情で、
「まだ小さい子供が一人暮らしをするのか? いやまあそれはいいとしてお金はどうする? お金を出しているのはこのオレなんだぜ? 翔太、お金を稼いでいるのはオレだ。オレの決定に異論は不可能だ。翔太はオレとママと共にニューヨークへ引っ越すことは既に決定事項なんだ」
正直俺はぐうの音も出なかった。
そう、所詮俺は養われているだけの身。
そう言われてしまったらもう文句をつけることはできなくて。
でも、でも、それ以上は何も言わなかった。
それが俺の最後の反抗だった。
何も言わず自分の部屋に行き、テーブルを殴った。
拳はじんじんと痛むが、そんなことよりも心がつらかった。
せっかくまた楽しくなってきたのに、アタルと紗栄子とお別れしないといけないなんて。
アタルはもう引っ越さないと言っていたのに、まさか俺が引っ越すことになるなんて。
結局、その日は作曲をする気も夕ご飯を食べる気も無くて、走ってお風呂に入るだけで、あとは歯を磨いてベッドに横になった。
でもすぐに眠れなくて。
本当にこのまま終わってしまうのか。
いやもう終わるしかないんだろうな。
次に日本へ戻ってこれる時はいつなんだろうか。
なんて、まだニューヨークにも行っていないのに、そんなことを考えてしまった。
次の日、俺は登校への足が重かった。
いっそのこと、このまま何も言わずにニューヨークへ行きたかった。
でもそのニューヨーク行きまで二週間あるという話だ。
しかしながらもう、この二週間内での勉強は無意味だ。
日本語で日本の勉強をしたって、ニューヨークでは無意味で、俺は家に引きこもって英語の勉強すれば良かったかなとか考えていた。
登校の途中で、いつもは会わない紗栄子とバッタリ会ってしまい、俺は何てタイミングが悪いんだと思った。
紗栄子は俺の気持ちなぞ、露知らずで、話しかけてきた。
「おはよう! 今日も楽しいことで満ちた日であれ! だねっ!」
「えっ、あっ、うん……」
何かちゃんと返事をすることさえもできない。
それに紗栄子はさすがに違和感を抱いたようで、
「どうしたのっ? ショータ、体調悪いのっ? おんぶしてあげようか!」
「いやおんぶはいいけども、えっと、体調確かに悪いかもしれないな」
ここは体調を悪いフリしたほうが楽だと思って、そう言うことにした。
いやでも実際本当に体調が悪いのかもしれない。
だって昨日は結局一睡もできなかったから。
「あんまり無理しないで! 無理だったら帰ったほうがいいよ! その辺は自由な発想でまとめていこう!」
元気な紗栄子に何だか申し訳なく感じてきた。
引っ越すこと、言ったほうがいいかな。
でも何か言いたくない。
言ったら事実になってしまうから。
いやもうとっくに事実なんだけども、言ったら自分で認めたことになるから。
絶対紗栄子は悲しそうな顔をするだろうし、紗栄子のそんな顔は見たくなかった。
紗栄子にはいつでも明るいこの顔だけをしていてほしいから。
そんな明るい顔を俺は目に焼き付けていたいから。
教室に着くと、アタルが俺に話しかけてきた。
「おはよう! YO! YO! 重要! 栄養! HEY! YO!」
何だかご機嫌でうらやましい。
俺と紗栄子はそれぞれ、
「おはよう」
「今日も元気だね! 昇った太陽が舞台袖に下がらないね!」
と挨拶をすると、アタルが何かに気付いたような表情をしてから、こう言った。
「翔太、ちょっと元気無い? 悩み事なら全部カラダに聞いて!」
いや
「カラダに聞いたら自己完結するだろ、アタルのカラダということか?」
「勿論そうだよ!」
とアタルが答えたところで、紗栄子が、
「やっぱりそうだよね、ショータって元気無いよねぇ。体調不良と言っているけども、それ以上にもっと無い?」
と小首を傾げながら、言ってきたので、これはまずいと思って、俺はから元気だけども、大きな声で、
「全然大丈夫だよ! 体調不良なだけだから! いやまあ体調不良が良くないんだけどもな!」
それに対してアタルが、
「翔太が荒らげるなんておかしい……本当に何か隠していない?」
と俺が大きな声を出したことに違和感を抱きだしたので、もうどうすればいいんだよ、と思った。
やっぱり言ったほうがいいのか。
いやまあ言ったほうがいいのは明白なんだけども、俺はどうも言いたくないんだ。
この楽しい空気を壊したくないんだ。
俺は最後までアタルと紗栄子と楽しく喋っていたいんだ。
だから俺は、
「大丈夫だって、何も隠していない……じゃあ言うよ、ちょっと作曲で悩んでいるメロディがあって、それで寝不足になって体調不良になったんだ」
勿論嘘だ。
でもこのくらい整合性のとれた嘘なら疑わないだろうと思って、こう言ってみた。
すると紗栄子は何だか納得したように頷いた。
アタルはまだちょっと不満そうだったけども、すぐにこう言った。
「翔太の良さはメロディだけじゃないから、他のところを考えても面白いかもしれないよ!」
嘘を通してしまった罪悪感を少し抱いたけども、これはしょうがないと思って、自分でも納得することにした。
翔太は他の友達に呼ばれて、そっちへ行き、俺と紗栄子で最近見たカッコイイMVの話をした。
朝のホームルームが始まり、授業が始まり、今日は全部教室での座学なので、体育をずる休みする必要は無くてホッとした。
ただ給食の時間は体調不良の演技をするために、食べる量を減らした。
いやでも実際あんまり食べる気も起きなかった。
やっぱり体調不良は体調不良なんだと思う。
ずっと引っ越しが嫌だと考えすぎて、何もする気がしなくて、食べる気も全然しない。
だから紗栄子が俺のデザートを代わりに食べてくれた。
美味しそうに食べる紗栄子の顔を見ることが一番の癒しだった。
昼休み、アタルは活発な友達とグラウンドに出掛ける。
たまに誘われる時もあるけど、今日は体調不良ということになっているので、それも無い。
だから紗栄子と一緒にずっと音楽の話をしていると、紗栄子が急に、
「ショータ、たまに暗い顔をするけども、本当に大丈夫。そんなずっと作曲のこと考えなくてもいいんだよ? 大仏もたまには休まないと」
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「もっと私との会話に集中してよ、集中地蔵を設置してよ」
「地蔵設置したところで集中する人、聞いたこと無いよ」
「話をはぐらかさないで!」
いや
「紗栄子が変なこと言うんじゃんっ」
とちょっと強めにそう言うと、紗栄子が口を尖らせながら、
「変な言葉も出るよ、ショータがちょっと変なんだもん」
「だから体調不良なだけだから、何も気にすることはない、時間が経過すれば治る」
そう、時間が経過すれば。
時間が経過すれば終わるんだ、こんな楽しい時間も。
二週間後には、俺はニューヨークに引っ越している。
時間は経過するだけ、戻りはしない。
いつの間にかこの日々も過去になっていって。
もしかしたら俺のことなんて忘れてしまうのかもな。
そんなことを考えてしまったら、憂鬱症状が強く出て、その場で俯いてしまった。
それに対して紗栄子が、
「ちょっと、本当にどうしたの? 冷静と暗いは違うよ? ショータ! 本当にどうしたのっ!」
その声に、他の、教室にいたクラスメイトたちがやって来た。
「翔太、どうしたんだ、何か疲れてんのか?」
「翔太くん、何かあったら保健室へ行ったほうがいいよ」
「うん、ショータくんのこと保健室に連れて行ったほうがいいよ」
そうだ、保健室だ。
保健室に逃げ込もうと思い、俺はすぐさま立ち上がった。
立ち上がった俺の手を握った紗栄子が、
「私もついていこうか?」
と言ったので、これを断るのは違和感があるので、俺は、
「じゃあ紗栄子、一応ついてきてくれ」
とまた嘘をついた。
嘘で紗栄子もアタルもクラスメイトも振り回してしまって、本当に申し訳ないが、俺はもうこういう道を選択することしかできなくて。
俺は紗栄子と一緒に保健室へ行き、そのまま保健室のベッドに寝た。
紗栄子は心配そうな表情をしながら、教室へ戻っていった。
これでいい、これでいいし、これじゃダメだ。
やっぱりもうダメだ。
限界だ。
明日からはもう学校へ行くことも止めよう。
どうせニューヨークに引っ越すんだ、もう日本の勉強は意味が無い。
だから学校へ行く理由なんてどこにも無いんだ。
そう、どこにも。
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湖ノ上茶屋
児童書・童話
ある日届いた不思議な封筒。それは、子ども専用ホテルの招待状だった。このことを大人にナイショにして、十時までに眠れば、そのホテルへ行けるという。ぼくは言われたとおりに寝てみた。すると、どういうわけか、本当にホテルについた!ぼくはチェックインしたときに渡された鍵――ピィピィや友だちと夜な夜な遊んでいるうちに、とんでもないことに巻き込まれたことに気づいて――!
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