笑わない少女

青西瓜(伊藤テル)

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執事さんの説明

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・【執事さんの説明】


「実は莉々お嬢様はある一時を境に笑わなくなった、いわば”笑わない少女”なのです」
 僕は驚愕してしまった。
 だってこの世に笑わない人がいるなんて、想像もしなかったからだ。
 笑うって僕にとっては一番の娯楽で、正直笑いが無い世界なんて考えられない。
 それは浩介も同じだったようだ。
「笑わないって、そんな……どういうことなんですかっ!」
 あんなにふかふかのソファーを喜んでいたのにも関わらず、浩介は、そう叫ぶと勢いよく立ち上がった。
 その圧に執事さんは少し困惑しつつも、話を続けた。
「まあまあ座って下さい。あのですね、何故か笑わなくなってしまったのです。それで、もし『莉々お嬢様を笑わせることができたら、一億円の報酬を授ける』ということを旦那様が始めまして」
 その台詞でハッとした。
 だからこの超豪邸には有名な面白い人たちが出入りしていたんだ。
 みんな、莉々ちゃんを笑わせるために。
 でも。
「一億円ってすげぇぇぇええええええ!」
 拳をグッと握りながら叫んだ浩介。
 もう座る気配は無い。
「よしっ! じゃあ杏樹! 俺たちも挑戦するぞ!」
 そう言って僕の腕を掴み、僕を立たせた浩介。
 いや。
「そんな、多分、ミラクルクルマやキッチェルだって無理だったんだから僕らじゃ無理だよ」
「何事もやってみないと分かんないだろ! 俺はやってみることが得意だからな!」
 そう浩介が熱くなるのとは対照的に執事さんは、静かに語り出した。
「いえ、莉々お嬢様はもう何をしても一切笑いません。莉々お嬢様も、もう見知らぬ人とは会いたくないと仰って……でも旦那様や奥様の気持ちを考えると、どうにも……」
 肩を落とし、シュンと縮こまっている執事さん。
 どうにかしてあげたいけども、僕たちでどうにかなりそうなレベルではないような。
 でも、そこで引き下がる浩介ではない。
 だからこそ、僕は浩介と一緒にいるんだけども。
 一人じゃ、尻込みしてしまう出来事に闘ってくれるから。
「杏樹! 俺たちの! 少年芸人の漫才を見せてやろうぜ!」
「……執事さん、物は試しで、僕たちを莉々ちゃんの部屋に案内してくれませんか?」
 少し沈黙。
 そして。
「分かりました。同学年の子のお笑いは試していませんから、やってみましょう」
 そう言うと執事さんも立ち上がり、僕と浩介は執事さんの後ろを歩いた。
 とある部屋の前に立つと、一旦僕と浩介を制止させて、執事さんはドアをノックして開けた。
「莉々お嬢様、同級生の方々が学校のプリントを持ってきて下さいました」
 執事さんは何だか僕と浩介と話すよりも、ずっと、ずっと、おそるおそる喋っているような感じがした。
 そして莉々ちゃんと思われる人の声がした。
「どうせ学校には行かない。いらない」
 ぶっきらぼうで、まるで感情が無いような冷たい声だった。
 笑わない、だけではなく、感情そのものを失っているようなキンキンに冷えた鉄みたいな声。
「莉々お嬢様。同級生の浩介さんと杏樹さんが、今まさに私の隣に立っています。是非、顔だけでも」
「いい。知らない。いらない」
 と言ったタイミングで浩介は手を叩きながら、そしてこう言いながら、莉々ちゃんの部屋へ入っていった。
「はいどうも! よろしくお願いします!」
 これは漫才が始まる時に言う台詞だ。
 もうこのままではらちが明かないと思ったのだろう。
 強行突入したのだ。
 僕も慌てて、勢いで莉々ちゃんの部屋に入った。
「浩介です!」
 いつもの挨拶をもう始めている浩介。
 莉々ちゃんはベッドの上に座っていた。
 本当に、お姫様のような可憐な姿をしていた莉々ちゃん。
 髪はロングで遠くから見てもサラサラしていることが分かり、人形さんのように整った顔。
 でも、少しトゲトゲしさがあるような、人を見下しているような顔だった。
「……おい! 暗部! 挨拶!」
「暗部じゃなくて杏樹! 裏工作しない!」
「というわけで浩介と杏樹で、少年芸人のコージューです!」
「「よろしくお願いします!」」
 勢いで漫才を始めちゃったことにまず緊張するし、莉々ちゃんの顔がこわばっていることも緊張してしまう。
 というかこれから笑わせようとする相手に、そんな顔させて大丈夫かっ。
「俺は何でも得意だぜ! というわけで、あくびの演技をするぜ!」
「何でも得意と言って真っ先にやるようなことじゃない!」
「ズゥーズゥー」
「いやズゥーズゥーて! 口でズゥーズゥー言って何なんだ!」
「あくびだ」
「全然違うよ! 口がチューの口になっていたよ! まず口は広げるんだってば!」
 僕たちが最初にやるショート・漫才だ。
 一番やり慣れたネタなので、まあミスはしないだろう。
「こう?」
 そう言って目を見開く浩介。
「口! 目から声のビーム出さないでしょ!」
「分かった、もうコツ掴んだから」
「実質何もしていないけども大丈夫っ?」
「ズゥーズゥー」
「いや一緒! 何も変わっていない! あの頃のままだよ!」
 ……今のところウケている様子は無い。
 でもまだまだこれからだ!
 浩介は目を閉じて、口も閉じて、こう言う。
「グーグー」
「いや寝ちゃった! あくびのくだりを通り越して寝ちゃった!」
「座布団フリスビー決勝、俺と落語家が対決……」
「何か寝ぼけている! 変な競技を夢の中でしてる!」
「俺、座布団にコルク詰めていることがバレて失格……」
「野球のバットにコルク詰める反則あるけども、座布団を投げて飛ばす競技でその反則いるぅっ? って! ちょっと!」
 そう言って僕が浩介を軽く叩くと、浩介は飛び起きたようなリアクションをする。
 この大きなリアクションもウケどころだが、そこでもうんともすんともしない莉々ちゃん。
「サッカーのW杯で決勝ゴールあげる夢を見ていた……」
「いや全然そんないいものじゃなかったよ! 最悪の決勝戦だったよ!」
「じゃあどんな夢だった?」
「いや何か座布団フリスビーの決勝戦で浩介が不正して負ける夢だよ」
「何それつまんなそう、ふぁぁ~あ」
「いやマジのあくびが出た! もういいよ!」
 オチもそれなりに気に入っていて、拍手くらい起きればいいなと思ったが、何も起きなかった。
 自分の漫才を過信しているわけでもないが、それなりに自信のあるネタだった。
 でも全くの無反応ということは、莉々ちゃんは本当に感情を失ってしまっているのかもしれない。
 何をされても、何も感じず、何も思わない、そんな状態になってしまっているのかもしれない。
 ……と、思ったその時だった。
 莉々ちゃんが重い口を開いた。
「まずズゥーズゥーが面白くない。もっと面白い単語があるはずだ」
 ……えっ?
 何なに?
 急にどうしたの?
 でも莉々ちゃんはその後もつらつら喋っていく。
「得意と言ってできないってベタすぎ、改善したと見せかけて同じという天丼はありきたりすぎる」
 天丼! 同じボケを繰り返すという意味の専門用語まで発した!
「寝ぼけた夢も分かりづらい。座布団フリスビーがまず面白くない」
 僕は浩介のほうを見ると、僕以上にあわあわ震えていた。
「野球のバットにコルクって、みんな知っているみたいに使っているけども、野球ネタは知らない人は知らないから使わないほうが無難」
 まだまだ莉々ちゃんは続ける。
「飛び起きるリアクションもデカすぎでダサい。ボケが古い。顔も『面白いでしょ』丸出しな感じが滑ってる。オチはありがち。以上、つまらないネタでした。笑えません」
 ……いや!
「笑わない少女って感情を失っているわけじゃなくて、笑いに厳しいってことっ?」
「まあそうなるわね」
 さらりとそう言った莉々ちゃん。
 いやいや、普通こういうのって、何を見ても何も感じないヤツなんじゃないの?
 笑いに厳しすぎて笑わないって、そんな、大御所お笑い芸人の賞レース審査コメントじゃないんだから……。
「少年芸人って本当レベルが少年程度ね」
 こんなことを言われて黙っている浩介じゃない。
 そう、浩介はこういう時に、必ずこう叫ぶ人間だ。
「まだまだこれからだ! 俺はアドリブだって得意なんだからな! 絶対笑わせてやる!」
「アンタたちでは笑わないわ、絶対に」
「いーや! いつか絶対笑わせる! 大笑いさせてやるからな!」
 しかし莉々ちゃんも引かない。
 言い合いに熱が帯びていく。
「面白くない人間はどこまでも面白くないから絶対に笑いません」
「俺なんてどんどん面白くなるから! 成長するの得意だし!」
「お笑いは生まれ持ったセンスのあるなしなので、成長なんてしません。アンタの限界はここです」
「そんなことない! ヤバいグラフぐらい面白くなるわ!」
「そのワードセンスが既にヤバいくらいつまんないです」
「じゃあ数打つ! 数打って笑わせる! 下手な鉄砲数打てば当たる!」
「下手な鉄砲は一生下手なままなので、ビギナーズラックも無く当たりません」
 まさかこんなに莉々ちゃんのほうも引かないとは。
 全然感情が無いわけじゃない。
 むしろ感情は強いほうだ。
「学校に来い! そこで数打つから! ずっと傍にいて笑わせてやるから!」
 そこで莉々ちゃんは急激にストップした。
 そして静かに改めて語り出した。
「学校には行きたくないです」
「何でだよ! 数打たせてくれよ!」
「だって、私みたいなヤツが行ったら、きっと迷惑になります……」
 そう言ってトーンダウンした莉々ちゃん。
 いやでも。
「迷惑にはならないと思うよ。だっていろんな人がいる場所だってみんな分かっているから」
「そうそう! 俺たちが一番の問題児だから大丈夫だよ!」
「それはまあダメなんだけどもねっ」
 莉々ちゃんは俯いて黙ってしまった。
 あの熱い言い合いが嘘のように。
 莉々ちゃんが過去に何があったか分からないけども、今の莉々ちゃんに寄り添うことはできる。
 だから。
「学校に来てよ、莉々ちゃん。うちの学校には変な人が多いけども、嫌な人はいないよ。何かあったら来なければいいだけで。とりあえず試しに来てみてよ。行かなくなるのはそれからでもいいじゃないか」
「そうだ! そうだ! もし嫌なこと言うヤツがいたら俺がぶっ飛ばしてやるよ! 笑いの弾丸でなっ!」
「……まあ笑わそうと付きまとってきそうなヤツが一番嫌だけども……」
 そうポツリと呟いた莉々ちゃん。
 でも、そうやって今喋ってくれたことが一番嬉しい。
 このまま黙り続けたら、もうチャンスは無いけども、こっちに言葉を掛けてくれたならまだチャンスがある。
「大丈夫だ! 笑わそうと、じゃなくて、笑わせるからさ! 俺が本気で君を笑わせる! だから是非来てほしいんだ! 手数の王国、学校に!」
「いや学校はお笑いの手数を生むだけのステージじゃないからね!」
「何その無駄に文章の長いやり取り、じゃあまあいいわ、とりあえず行ってあげるわ」
 そう莉々ちゃんが言った時に喜んだのは、僕と浩介だけじゃなくて、というかそれ以上に執事さんが大喜びした。
「莉々お嬢様! 学校へ行って下さるのですね! じゃあ今から明日の準備をしましょう!」
 走って莉々ちゃんに近付いていった執事さんに対して、莉々ちゃんは手をいやいや振りながら、
「ハクじい! それはあとでいい! あとでいい!」
 と言った。
 やっぱり感情が無いわけではないみたいだ。
 嫌がるとかダメ出しするとか、負の感情はたっぷり持ち合わせている。
「あっ」
 浩介はずっと右手に持っていたプリントのファイルに気付き、莉々ちゃんのところへ行った。
 僕もプリントのファイル、忘れてた。
 一応、僕も浩介の後ろをついていった。
「これ学校のプリントだから。よく読んでな」
 そうファイルを差し出すと、ちょっと嫌な感じに思うくらい強く、奪い取るように受け取った莉々ちゃん。
 そして。
「ありがとう……」
 そうボソボソ言う感じでお礼を言った莉々ちゃん。
 こういう言葉は言ってくれるんだ。
 まだ莉々ちゃんの全貌は明らかになっていないけども、これからゆっくり解明していかないと。
 やっぱり笑わせたい相手の笑いのツボを研究することも大切だから。
 そして僕と浩介は最初にいた部屋に戻り、執事さんが出してくれた紅茶とケーキを食べて、家路に着いた。
 紅茶とケーキを食べている時に、執事さんから何度も何度も『よろしくお願いします』と言われた。
 きっと馴染めるように、ということかもしれないけども、僕たちは正直違う。
 やっぱり笑わせることを頑張るんだ。
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